ジムチャレンジ敗北者、ジグザグマになる。   作:匿名希望

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うっぷんばらし

 基本的にはルーティンを繰り返していたレンの日常が、にわかに忙しくなったように感じる。

 夜遅くになっても帰ってこなかったり、朝早くに出て行ったり。何だ何だと思っていたが、その理由は案外早くに判明した。

 

 

 

 

 

 ずっと家に押し込められたままで気が滅入るだろう、との弁で連れてこられた馴染みある場所。

 ──エンジンシティのスタジアム。

 その救護室が、今日のレンの仕事場のようだった。どうしてそんなところにわざわざ呼び出されているのかは、もう想像がついた。

 部屋の外は騒がしく、この救護室にも色々な格好の人間が忙しなく行き来している。

 

『ジムチャレンジ、か……』

 

 もうそんな時期だったのか。

 そもそも、引きこもっていたせいで時間感覚なんてものは無いに等しかったけれど。最後に参加したジムチャレンジは何年前だったっけ?

 

『うるさいね』

 

 モンメンが俺の頭に着陸してくる。一度鬱陶しいからやめろと言った気もするが、その程度でビビるモンメンではないらしい。

 

『モンメンが来る時はいつもそう』

『あんたやっぱり来たことあるの……お、』

 

 通りがかったイエッサンのメスが、こちらを見つめてくるのに気づく。

 赤地にモンスターボール型が白くくり抜かれた腕章を身に着けている。センターのスタッフを表す印だった。

 スタッフが連れているポケモンでも、イエッサンやサーナイトは特別スタッフとして雇用されている場合がある。残念ながらジグザグマとモンメンはその限りではないようだが。英断だ。

 

『あなたも応援ですか』

『俺が役に立ちそうに見えるなら、もうちょっとポケモンについて学んだほうがいい』

『威張らないでくださいよ』

 

 ぺちっと俺の額に軽いデコピンを食らわせてくる。それからモンメンに向き直って、

 

『お久しぶりです、モンメン様』

『久しぶり、フローレンス』

『おいおいおい反応が段違いじゃんけ』

 

 役立たず度は大して変わらないはずなのに、何でまたモンメンにだけ恭しく対応する。

 納得行かなさしかないのだが。

 イエッサンもといフローレンスにじろっと横目をくれたが、軽くスルーされた。この野郎。

 ヤケになってベンチの上で転がる。

 

『はーぁ、せっかくジムに来たのに観戦もできやしねえ。タダで観るチャンスだってのに』

 

 そのついでの何気ない、あてつけのぼやきだったが。

 

『……試合、観に行きたいんですか?』

 

 フローレンスが、平坦に聞き返してくる。え、この呟きに引っ掛かるということは。

 

『わたくしが連れて行ってさしあげましょうか』

 

 嫌味が混じっている訳でもなく、気取っている訳でもない、ごく普通の申し出だった。

 本気でそんなことができるのか。

 いや、それよりも。

 

『……どーゆー風の吹き回し?』

『まあ、ここに居座られるよりはマシかと』

『なんだこいつ全然可愛くねえ』

 

 性格“生意気”かよ。『人やポケモンによく尽くす』とは一体何だったのか。

 

『文句はレンに言えよなあぁ……』

『あの方は良くしてくださりますから』

 

 飼い主に優しくしてペットに優しくしない、その判断基準はこれ如何に。忙しい現場にニート臭い輩が混じっていてイラついただけか。

 

『あ、モンメン様はこちらでお待ちください』

『わかった』

『………………』

 

 こいつ、俺はレンに怒られても構わんと思ってるだけじゃないのかね。

 

 

 

 

 

 

 

『ここからなら、ロトムカメラに映らず試合が見られます』

 

 観客席の片隅、誰も通りかからないような空間で、フローレンスは足を止めた。

 カメラに映らず、って、ポケモンにもそんな小狡いというか、ゲスい考えができるんだな。勝手に抱いていた無垢な幻想がぼろぼろ崩れていく。

 

『そんな裏ワザみたいなのが出回ってるのかよ』

『よく出入りするポケモンならみんな知っている穴場スポットですから。あ、でもべらべら言いふらすのはやめてくださいね』

『わかってるっての』

 

 人間社会で暮らすポケモンっていうのはみんなこんな感じなのだろうか。あのベロバーも、妙に人間臭い雰囲気があったし。

 

『では、ごゆっくり』

 

 嫌味ったらしく頭を下げて、その場から去っていくフローレンス。ケッ。

 さっさと顔を背けて、壁から身を乗り出す。遮断されていたスタジアムの熱狂がいきなり耳に飛び込んできて、少し驚いた。

 公園のそれとは、比べ物にならない程度に広いコートの上。向き合うウインディと、モグリュー。初老の男と、少女。

 ユニフォームの背番号057。そのチャレンジャーらしい少女のほうにはぴんと来なかったが、男のほうには見覚えがあった。

 

『カブだ』

 

 記憶よりも白髪が増えているように見えたが、それでもあの特徴的な立ち姿はそうだった。

 いつまでも燃える男。炎タイプ専門らしく暑苦しいキャッチコピーをつけられた彼とは、実際にチャレンジャーとして戦ったことがあったのだ。

 ジムリーダーの中でも歴が長いほうで、浮き沈みが激しいほうでもあった。今はメジャーリーグにいられているようだが。

 

『懐かしいなー』

 

 毎回戦って──まあまあ、負けていた。

 最初の関門と名高いジムであり、最初の頃はかなり負け続きだったものだ。……最後のほうはただの通過点としか認識していなかったけれど。

 

『相手はモグリューか』

 

 セオリー通り、弱点をついている。

 有利な対面だ。しかし、

 

『……ビビってんな』

 

 当のモグリューはそれで堂々とするでもなく、怯えて逃げ惑っているように見えた。

 ポケモンは機械ではない。データ上の数値だけでその強さは測れない。トレーナーにとって厄介な要素でもあり、救われる要素でもある。

 自分より大きな相手が苦手なのか、スタジアムでの公開試合という状況に気圧されているのか。チャレンジャーは必死に指示を出しているが、モグリューが耳を傾ける様子はない。

 

『つまんねー試合だな……』 

 

 観客はもはや、声援ではなくブーイングを向けている。それでさらに縮こまるモグリュー。

 哀れとは思うが、これがバトルなのだ。

 

 ──あぁーっと、ミーナ選手最後のポケモンながら、すっかり戦意喪失かぁーっ!?

 

 煽るような実況のセリフ。なるほどね。

 カブからダイマックスを引き出すこともなく、この試合は終わってしまいそうだ。

 まあ、若いチャレンジャーには非常によくあることだ。わざわざ哀れむようなことでもない。

 

 ──ミーナ選手! 棄権する気は!?

 

 カブがチャレンジャーに呼びかける。最低限の慈悲というか、大人としての矜持か。

 一方的な蹂躪を垂れ流すのはプライドに反する部分があるのかもしれない。

 

 ──きみのポケモンは完全に戦意を失くしている! これ以上のバトルは無意味だ!

 

 全くの正論だった。嫌味な勝利宣言などではない、チャレンジャーとポケモンを気遣う発言。

 しかし、ミーナのほうは。

 

 ──棄権は……しません。続けてください。

 

 青褪め、きつく唇を噛み締めた顔が、ロトムによってモニターにアップで映る。

 ああ、案の定。

 その心は──と問うまでもなく、かつて同じチャレンジャーであった俺には気持ちがわかってしまった。理屈ではないのだ、これは。

 カブは顔をしかめたが、それ以上は何も言わなかった。一度瞼を閉じ、再び開く。真っ直ぐにモグリューを見据える。

 

 ──モグリューお願い、“岩雪崩”!

 ──ウインディ、“噛みつく”だ。

 

 カブの指示で、とうとううずくまったまま全く動かなくなってしまったモグリューに飛びかかるウインディ。

 バトルはお互いやる気があるから、それなりに見られるのであって、こんな光景はグロテスク以外の何物でもないな。観客席からも悲鳴じみた声がちらほら上がっているのが聞こえる。

 ウインディに噛みつかれたモグリューは、一度びくっと震えて。それで、動かなくなった。

 

 ──モグリュー、戦闘不能! 勝者、ジムリーダーカブ!

 

 光の筋と化して、腰に吊られたモンスターボールへと戻っていくポケモン。

 チャレンジャーの負け。

 ジムバッジを受け取る必要はない。

 が、勝負の後はお互い握手をするのがマナーというか、慣例であった。

 ぴんぴんしているウインディをボールに収めたカブは、コートの中央に向かったが。チャレンジャーのほうは、そんなものには目もくれず背を向けて、通路へ駆けて行ってしまう。

 

『……あーあ、』

 

 ぽつんと取り残されたカブだったが、憤慨はしなかった。ただ、一瞬悲しそうな顔をして。

 汗が滲んでもいないこめかみをタオルで拭い、同じように、通路へと向かって行った。

 

『気分悪い試合だったわ』

 

 次に仕事で連れて行かれるならキルクスタウンあたりがいいな。スパイクタウンは──行くかどうかは知らんが、ダイマックスないからパスで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あんな試合があった後で、さらに見続ける気にはならず。気晴らし兼、用を足したくて、スタジアムを出てその裏手へと向かった。

 まあ、居座って見つかっても面倒だしな。どちらにせよ一戦が限度だったのかも。

 

『ふーふん、ふんふん……』

 

 スタジアムの裏手、ほとんど人が来ないであろうこの空間は、平穏で静かだ。

 鼻歌交じりに草むらを進んでいく。

 立ちションなんてしたことはないが、ポケモンだとそうせざるを得ない部分はある。

 ──というか、家だと規定の場所でするほうがストレスだ。片付けるのは俺じゃなくレンさんなんでね。そういう特殊な性癖は持ってない。

 

『……誰もいないよな』

 

 見られてると出ないの!

 当たり前である。そういう特殊な以下略。

 いざ、より人目に触れなさそうな端のほうを陣取って、いきもうとしたその瞬間。

 

「──この、バカッ!」『ぅを』

 

 耳をつんざく甲高い怒号。

 ションベン引っ込んだ。

 

『何だよ何だよ……』

 

 物陰から出て、声のしたほうへおそるおそる顔を出す。続行するような気分にはなれなかった。

 背中が見えた。

 白いユニフォーム。背番号057。

 

『……さっきの、』

 

 衝動に任せてスタジアムの外まで飛び出してきてしまったのか。着替えもせず。

 いやでもその気持ちちょっとわかるなー、と暢気に先輩ヅラできたのはそこまでだった。

 彼女の背中が揺れている。

 しかし、泣いている訳ではないようだった。それにしては動き方がおかしい。これは──

 

「グズッ」『ヒィ、』

 

 引きつった悲鳴が、微かに聞こえた。

 その足元で、何か小さな塊がボールのように跳ねたのが見えた。

 

「役立たず! 途中までは、あんたまでは上手くいってたのに! 勝てたかもしれないのに!」

 

 そこで何となく想像がついてしまったが、そろそろと近づいていって、目を凝らす。

 親の仇のようにめちゃくちゃに蹴り飛ばされている、黒っぽい毛に覆われた塊。

 モグリュー。息が止まりそうになった。

 

「なんであんたはいつもそうなの!? ママが特別にくれたポケモンなのに、なんでそんなに使えないの!? あり得ない!」

 

 言葉で、体で、抑えきれない怒りを災厄のように撒き散らすミーナ。為す術なく、そのはけ口と化しているモグリュー。

 まさに悪夢のような光景だ。

 ただ、これが『珍しい中でも珍しくない』光景であるのもまた、事実であった。

 

「タイプ相性で有利だよって教えたじゃん! あんただってうなずいてたじゃん! 頑張ろうって言ったのに、ぁあぁあぁア」

 

 絶叫。整えられた髪が掻きむしられ、結んでいたリボンが地面に落ちる。踏みにじられる。

 

「死ねッ! ついてくんな! 戦えないなら野生にでもなんでも帰れよ! 邪魔なんだよ!」

 

 きゃう、とモグリューが鳴いて。

 それでようやく、我に返った。

 

『ヤッバイ、』

 

 あまりの狂気に気圧されて、しばらく固まっていた。こんなところでぼけっとしている場合じゃないのに。慌てて飛び出す。

 ボロ雑巾のようになってしまったモグリューの前に、滑り込むように立ちはだかった。

 

「きゃ、」

 

 いきなり足元現れたジグザグマに、ミーナがたたらを踏んで、よろめく。何とか二本の足で地面を踏みしめたのに、渾身の力で吠えてやる。

 

『おい! やめろ、死んじまうだろ! 何考えてんだ、今すぐその足退けろって!』

「なにこのジグザグマ、」

 

 汚いものでも見るかのような目。おい、俺は野生じゃないんだが。いやそうじゃなくて。

 

『早くあっち行けって、バカ!』

「──ッ、うっさい!」

 

 が。今のこいつにとって、視界をちょろちょろと動き回る薄汚れた(ように見える)ポケモンは、癇に障るものでしかなかったらしい。

 躊躇なく足を振り上げてくる。モグリューにしたように。

 

『うわ、』

 

 予想できなかったといえば嘘になるが、そこまでキレているとは思わなかった。一瞬反応が遅れて。それが、命取りになる。

 やらかした。

 来るであろう衝撃に、ぎゅっと目を瞑って。

 ──しかし、何も起こらない。

 

「っ、ぁ……」

 

 代わりに小さな呻き声。

 何だ。一体、何が起こったんだ。おそるおそる目を開けたその先、

 

『レン、』

 

 長身の、アイパッチをつけた男──レンが、背後から少女の腕を掴んでいた。

 その姿に、ちょっとびっくり。

 何でここに。通報があったのか、たまたまか、それとも俺を探しに来たのか。

 とにかくレンが彼女を後ろから引っ張って、体勢を崩したおかげで、俺は蹴られずに済んだらしい。

 両手をまとめて掴めそうな大きな手が、節くれだった指が、ぎりぎりと細い手首に食い込んでいる。やろうと思えば簡単にへし折れもするだろうその拘束。さしものミーナも苦痛に顔を歪める。

 

「いッ……いたい、」

「きみのモグリューも、痛かっただろうな」

 

 しかし、レンは当然、狼藉者の訴えなど意に介することもなく。冷ややかにそう言い放った。

 怒りを露わにしないその態度は、余計に恐ろしく映ったようで。ミーナは次に、怯えたように表情を強張らせ──

 

『あっ』

 

 その手を強引に振りほどき、走って逃げて行ってしまった。

 何度も転びそうになる危うい歩みだったが、レンはそれを追いかけようとはしなかった。ただ、冷たい目でその背中を見送っていた。

 

『追いかけなくても──いいか。背番号と顔は覚えたもんな、』

 

 今は、モグリューの治療が一番だ。

 地面に伏せったまま、体全体で細い呼吸を繰り返すモグリューに近づく。うっ、血の臭い。

 

『すまん……もっと早く助けられたのに』

 

 息はあるようだが、危険な状態なのは間違いないだろう。

 瀕死の状態からろくな治療も受けさせずボールから引っ張り出され、それで暴行まで加えられたのだ。全く、どうかしている。

 

『だ、れ……』

『いや、まあ……俺は関係ないんだけどさ。少なくともあんたにこれ以上酷いことはしない』

 

 モグリューの虚ろな目が、俺と、背後のレンをぎこちなく見比べる。

 

『大丈夫、こいつポケセンのスタッフなんだ。すぐ治療して、楽にしてくれるからな』

『……ミーナは……?』

『逃げたよ。ったく、アイツふざけんな……』

 

 でも、もう心配しなくていい。

 そう続けようとしたのに。

 モグリューは、腕を引きずって、ゼイゼイ荒い息をしながら傷だらけの体を起こして。俺の隣をすり抜けようとした。慌てて押し留める。

 

『っ、やだ、ミーナ……』

『おい、ダメだよ、まだ動くなって』

『ミーナ、』

 

 背筋が冷たくなる。

 トレーナーを呼ぶ悲痛な叫びだった。会いに行こうとしている。求めている。本心から。

 あんな酷いことをされたのに。

 

『怪我してるんだぞ、瀕死のうえに! しかもそれはあいつのせいだ!』

『ぁ、うう……でも……でも……』

 

 力なく頭を振ってみせる。

 さらに押し倒してでも乗り越えようとしてくるのを、できる限り優しい仕草で取り押さえた。モグリューは暴れはしなかったが、泣いていた。

 

『ミーナ、ミーナぁ……』

 

 啜り泣きが間近で聞こえる。血と涙と泥の混ざりものが、汚れた毛並みの上を転がっていく。

 

『っ、モグリュー、』

『ぼく、次は頑張るから、ぜったい、絶対ちゃんと戦うから、おねがい、ミーナ……』

 

 見捨てないで。

 置いてかないで。

 ぶつぶつと、繰り返す。

 祈るように、救いを求めるように。既に、その瞳にはレンも、俺さえも映ってはいなかった。

 ただ、ミーナだけ──在りし日の、優しい彼女の幻だけが見えているのだろう。

 

『……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ぼくの……ぼくのせいで……』

 

 悪いのは自分。ミーナは悪くない。

 謝れば、次頑張れば、ミーナはきっと褒めてくれる。優しくしてくれる。それでいい。

 こんなケガはどうでもいい。

 ミーナさえ、ミーナさえ居てくれれば。ミーナが褒めてさえくれれば。

 ああ、息が苦しい。

 

『…………お前のせいじゃないって……』

 

 それしか言えなかった。

 それ以上、どう声をかけていいかわからなかった。

 アイツの悪口を言うことは、今のモグリューをさらに傷つける気がしてならなかった。でも、絶対にアイツの味方なんかしてやりたくなかった。

 どうすればいいのだろう。

 肩を落としてしょぼくれたところに、 

 

『ぐぇ』

「ジグザグマ」

 

 いつもより乱暴に抱き上げられた。

 レンだった。

 明らかに怒りの滲んだ顔が、至近距離で俺を責め立ててくる。いや、で、デスヨネー。

 

「お前、どうしてここにいる。あそこで待っていろと言っただろう」

 

 うっ。やっぱり怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、スタジアムに戻って。

 

「背番号057の選手が、手持ちに暴力を……?」

 

 レンからスタッフ、スタッフからカブ、と伝言ゲーム式に報告を聞いたカブは。

 まず、驚愕の表情でタオルを取り落とし。それを拾い上げた時には、悲しげな顔になっていた。

 

「さっきの、モグリューを連れていた……」

 

 そこで、『暴力』とそのワードが結びついたらしい。はっとした顔をスタッフに向け、

 

「……モグリューは?」

「エンジンシティのポケモンセンターに緊急搬送されました。命に別状はないようです」

 

 それは、良かった。

 本心から安堵しているようにも、形式ばっているようにも聞こえる呟きだった。

 混乱しているのだろう。数度何か言いかけて、深々とため息を吐く。一瞬、間があって、

 

「僕のせいだ。モグリューが戦意を失った段階でむりやりにでも止めていれば──彼女を引き止めて、何か声を掛けてあげれば良かった」

 

 今さらだ。勝者のそんな気遣いは、みじめな敗者の心をささくれ立たせるだけ。

 元チャレンジャーである俺はとっさにそう思ったが、そんなことでも言いたくなる心境もまた、わかってしまった。

 スタッフたちは当然、全力でカブの肩を持って慰めてみせる。

 

「カブさんのせいではないですよ」

 

 カブのせいではない。

 彼はジムリーダーとして、立派に責務を果たしただけだ。手抜きはチャレンジャーのためにはならないし、誰も望んではいないだろう。

 それはそうだ。

 カブは悪くない。

 それがおそらくスタッフの総意だった──その輪から離れて佇む男一人を除いて。

 一人、黙ったままなのにふと疑問を抱いて、何となくその顔を見上げて。

 心臓が、凍りつくかと思った。

 

 レンが。レンだけが、じっと、瞬きもせずカブを見据えていた。──否。睨みつけていた。

 冷たい炎の燃え盛る瞳で。

 怨嗟と、敵意を撃ち込む眼差しで。

 その目は雄弁に語っていた。

 あなたのせいではない?

 いや、違う。

 

 ──お前のせいだ、と。

 ぞっとした。

 

 いや、カブに向けられたものではなかったのだろう。ジムリーダー全体──ひいてはリーグ運営そのものに向けられた眼差しだった。

 

 それが仕事だから、なんて聞きたくない。

 根本的な原因を見落としている。

 こんなものをエンターテイメントにするから。自分自身の力でも何でもないのに。さも自分に権利があるかのように罵って、暴力を振るって。

 少数派だから何だ。人間の心理だから何だ。

 それをガラルのため、市民のためと騙って無駄に増長させているのはお前たちだ。

 トレーナーが悪い。

 でもお前たちはもっと悪い。

 罪を犯したトレーナーだけを罰して解決する問題ではない。それは氷山の一角でしかない。

 おぞましい。

 お前が、お前たちが煽り立てるから、ポケモンが不幸にされるのだ。

 バトルに向いているかどうかだけでモノのようにジャッジされ、捨てられ、愛していたはずのトレーナーに“役立たず”と罵られ。

 その痛みが、わかるのか。

 

 ──レンの怒りが、悲しみが、痛いほど伝わってきた。

 いや、これはレンの言葉ではない。

 かつて、そう言った人がいたのだ。

 世界に向かってそう叫んだ人の声を聞いた。

 それを今さら、思い出していた。

 当時は「偽善者」「被害妄想」と嘲笑って切り捨てたその言葉が、ぐっと、胸の中心にえぐり込んで。

 今度こそ、息ができなくなった。

 俺がポケモンになったから?

 相手がレンだから?

 

 俺が、かつてミーナと同じ立場だったから。

 

 その慟哭が今さら響いた理由はわからない。けれど、とにかく『痛い』言葉だった。

 

「……行こう」

 

 踵を返して、控え室を出る。俺も後を追う。

 誰も気づかない。

 誰も、レンを追っては来ない。

 薄暗い廊下を、数歩進んで。ふらついた。コンクリートの壁に力なくもたれかかって。

 それ以上、進まなかった。

 ずるずると、その場へ膝をつく。痛みを堪えるように額を押さえて、浅く息を吐く。

 

『レン、』

 

 体に苦痛を覚えているのではない。

 脳が、心が、苦しいのだ。

 その痛みは治療では簡単に取り除けない。

 それでも何か楽にしてやりたくて、鼻面を寄せた俺の頭を、レンが優しく撫でる。

 

「──ああ。わかっているよ」

 

 わかっている。何もかも。

 レンの瞳は、彼方に見えるバトルコートを見つめている。それが眩しげに細められる。

 冷めた目つきだった。

 

「間違っているのは俺だ」

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