ジムチャレンジ敗北者、ジグザグマになる。 作:匿名希望
エンジンジムの一件から数日が経ち。
いきなりレンに仕事場へ連れてこられたと思ったら、件のモグリューがここシュートシティのポケモンセンターに移ってきたから、らしい。
なんでまたわざわざ、と思ったが、エンジンジムへの挑戦が盛り上がった関係で、ポケモンセンターの部屋数に余裕がないとかで。
峠を越えたポケモンをのんびり寝かせておく場所はねえということだ。血生臭いねえ。
以上、レンとスタッフの立ち話から。
そこでようやく、スタッフはレンの足元にいる俺に気づいたらしい。訳知り顔で、
「あ、この子が……」
“この子が”って何だ。
レンは職場で俺についてのどんな話をしているのか。血の気が多く自分勝手とかその辺りか。誇張でも何でもないところに反省の余地がある。
スタッフはその場にしゃがみ込んで、こちらを覗き込んでくる。
「触って大丈夫ですか?」
レンが断るとも思わなかったが、先手を打ってその手のひらに頭を擦りつけてやる。
ちょっとしたサービスってヤツだ。愛想の良さと賢さをアピールしとかないと。
「わあ」
彼女は驚き混じりに喜んでいたようだったが、それを見下ろすレンは冷めた目つきで、
「女性には懐っこいんです」
うげえ見抜かれておる。
しかし当たり前だろ。何が悲しくてオトコに愛想振りまかなきゃならんのだ。下心ある成人男性として当然の欲求であると主張する。
「今日は検診で?」
「いや」
撫でるのが一瞬止まったタイミングで、レンに抱き上げられた。うーむ、残念。
「この間エンジンから移ってきたモグリュー。実は最初に見つけたのがこのジグザグマなんです」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。どういう訳だか知らないが」
なんでそこで俺にきつめの目配せをしてくる。生理現象に従っておトイレに行っただけですが。
それとなく目を逸らしておく。
「気にしているかと思って」
謎の気遣いだったらしい。確かに今まで気にならなかったといえば嘘になるが、レンがそんな心情を察せられるとは思っていなかった。
同じ人間相手ならまだしも、こちらはポケモンなのだ。いや、変な推察はやめよう。せっかくあのレンが情緒溢れるところを見せ──
「優しい子なんですね」
「………………」
おいなんでそこで「いやあ……?」みたいな顔をする? この状況ならそうなんですって言えよ。
センターの入院室は、いつ見ても殺風景だ。
端的に言ってしまえば──牢屋。細長い鉄格子の扉が等間隔に並んでいるだけの空間。
傷ついたポケモンが体を休める場のせいか、想定したような騒がしさはなく。スタッフとレンがリノリウムの床を歩く響きだけが耳を打つ。
「えっと……モグリューですよね?」
ひいふうみ、と端から部屋番号を数えながら歩いて、いきなり止まる。ここがそうらしい。
レンの腕から身を乗り出して中の様子を窺ってみたが、隅の方に黒い塊が見えただけだった。
「怪我は落ち着いたんですけど」
さらっと言ってはいるが、凄まじいことだ。
あのモグリューはどう見ても死に体だった。ポケモンの治療技術は人間とは比べ物にならない。電子化できる存在ならではというべきか。
「なかなか心を開いてくれなくて。餌も……あまり食べてくれないし」
一命は取り留めたらしいが、これからの余生に期待、という雰囲気ではないらしい。
まあ、さもありなんという感じではある。ボコされた後でもあんなことを言えたポケモンだ。
さらに腕を伸ばして、格子に爪を引っ掛ける。そのままがしょがしょ揺さぶると、丸まっていたその背中が小さく跳ねた。
「おい、」
『モグリュー!』
レンに咎められたが、構わず呼びかける。モグリューが顔を上げて、こちらを見た。
『……だれ……ミーナ……?』
怪我の具合はともかく、精神の具合は相変わらずか。思わず舌打ちしそうになる。
『ミーナじゃねーよ、あんなクソトレーナーと一緒にすんな!』
「やめろ、ジグザグマ」
『もごっ』
口を塞がれて、鉄格子が遠ざかる。レンが申し訳なさそうにスタッフへ頭を下げた。
「すみません」
「いえ。でも、ずっとあんな調子で、……新しいトレーナーも見つけられそうになくて」
ミーナは所持資格を剥奪されたらしい。当然の処遇ではあるが、あのモグリューがそれを喜ぶとは思えなかった。
「でも、今日はスタッフのポケモンと交流させてみる予定なんです。それで、トラウマとか、嫌なものから少しは解放されるといいな……」
「スタッフのポケモン……ですか」
「はい。その子たち、プロですし」
プロ。つまり、心理療法士的なスキルを生まれつき持ったポケモンなのだろうか。
ぱっと思いついたのはタブンネ、ハピナスあたりだったが、ガラル本土には生息していないか。本土の図鑑に掲載されていないポケモンは持ち込みの手続きが面倒らしいっすよ。
「……そうだ、そのジグザグマちゃんも一緒にどうです?」
おい、プロ云々どこ行った。
『フローレンスと申します』
『……ブルームです……』
社会人らしく穏当に断るなんて真似がポケモンごときにできる訳はなく、レンの二つ返事で連れてこられたメルヘンチックな空間にて。
角つきの二足歩行に腕章。
どっかで見たイエッサンがいた。
『いやお前かい!』
ズッコケそうになったが、そのやや後ろで縮こまるオスのイエッサンに目が行く。
『……で、そっちは?』
『ブルームはわたくしのきょうだいですが』
それが何か、と言いたげな圧を掛けてくる。フローレンスとしても俺というお荷物がモグリューにくっついてくるのは予想外だったのだろう。
でもレンのせいだから。オレワルクナイ。
『そっちの見てるだけで共感性羞恥が湧いて出てきそうなのはともかく、こいつがセラピーのプロとかおかしいだろ、イカれてんのか?』
『静かに。ここでは教科書に載せられそうな単語だけ使ってお話しくださいませ』
『もごご!』
サイコパワーで物理的に黙らせてくるセラピストがどこにいる。
『お初にお目にかかります、モグリュー様』
俺の後ろでうずくまるモグリューにうやうやしく頭を下げてから、俺にちらっと目をやって。
『本日のお客様はモグリュー様と……そちらのジグザグマ様でよろしいですか』
『おい誰が患者だ』
ようやく解放された口で反論したが、さらにウザそうな顔をされただけだった。
『手伝いだよ、手伝い。あんたらの』
『はあ……置物担当とかでしょうか?』
『コイツわかりやすく邪険にしてくる!』
埒が明かない。フローレンスはそんな仕草をしてから、背後の片割れを振り返って、
『ブルーム』
エスパータイプらしく以心伝心なのか。頷いたブルームが手を一振りすると、途端に心地よい香りがあたりに広がった。“アロマセラピー”か。
『リラックスして。……始めましょう』
『お話は聞いていますよ』
交流──というよりはモロにカウンセリングという雰囲気で始まったコミュニケーション。
予想通り、切り出したのはフローレンスのほうだった。俺に向けるのとは温度が10℃くらい違いそうな声音で優しく語りかける。
『トレーナー様……ミーナ様のことは、今はどう思っていらっしゃるんですか?』
『ミーナ……』
虚ろなモグリューの目に、ほんのわずか光が戻る。ぎらついた、不気味な色だ。
『……会いたい……会いたいよ』
『会いたい、ですか』
淡々と繰り返して、目を細める。フローレンスはあくまでも優しく、そして冷ややかだった。
そのやり取りを、ぼうっと眺める。
『残念ながら、あなたがそれを望んだとして叶えることは難しい。ミーナ様は既にあなたのトレーナーではなく、再びそうなることもない……』
それを聞いたモグリューは憤慨を露わにすることも、狂乱を見せることもなかった。ただ、静かに悲しんでいた。
フローレンスはふと、思い出したように、
『ミーナを許してほしい、ではないのですね』
……そういえば。
ミーナに会いたい、のならば、ミーナの行為を正当化するか、もしくは減刑を望むほうでこちらに語りかけてくるべきなのだろう。
しかし、モグリューが口ずさむ願望はあまりに茫洋としていて、夢物語の域を出ない。
『あなたはミーナ様の罪を認めている。許せないと思っている。……そのうえで、愛している』
そこまで理屈がわかっていても、俺はフローレンスに同調しなかった。できなかった。
ミーナとかいうトレーナーを求める気持ちに共感した訳ではない。そもそも、俺はポケモンとして生きてきた訳じゃない。
もっと──根本的な部分だ。
漠然とした根幹で、俺はモグリューと自分を重ね合わせようとしていた。ほとんど無意識に。
どうしてなんだろう。
『良いのです。過去のミーナ様は現在のミーナ様でもありますから。それを容易に切り離すことは不可能』
噛んで含めるような言い方だと思った。
俺にはこんなふうに語りかけてくれる人はいなかった。いや、俺が拒んでいただけだろうか。
思い出したくないことばかり頭をよぎる。
実際、俺はフローレンスの“患者”になり得る存在である。何もかもがちっとも大丈夫じゃない。そのモグリューよりもずっと前から。
そんなことを考える。
『ただ、それで何を望んでいるかと言えば、何事もなかった過去に戻る以外にはないのです。つまり、現状、解決策は存在しない』
馬鹿みたいだ。
フローレンスの声がどんどん遠ざかる。
あんな馬鹿みたいなトレーナーに執着するなんて、本当に馬鹿らしい。あれ、じゃあどうして俺はあのモグリューに感情移入してるんだろう。
ヒトの願望とは。ポケモンの欲望とは。
得てして、他人からは無価値に見えたりするものなのだろうか。そこまで考えて。
『……ポケモンバトルだけが、ポケモンの価値ではありませんよ』
一瞬で意識が引き戻される。
──どこかで聞いたようなセリフだった。いやどこかで聞いたなんてもんじゃない。
これは。
あ。
『……あんた、レンみたいなこと言うんだな』
つい、そんなことを言った。
フローレンスが俺を見る。
モグリューが俺を見る。
その惚け顔が、イオノの──ジグザグマの顔と混ざって、ぐちゃぐちゃになる。
イエッサンとモグリュー。
レンと、俺。
ふっと、何かが脳裏をよぎった。
『…………はい?』
ややあって、フローレンスが聞き返してくる。
怒りや喜びなど明確な感情の読み取れない、ただ意図がわからない、というふうな表情。
どうしてそんなことを。
馬鹿にする意図があった訳じゃなかった。ただ、そう思っただけだった。
『……いや……』
何かが纏まろうとしている。その取っ掛かりを手繰り寄せるように、言葉を紡いでいく。
溢れていく。
『いや。レンは正しいよ。あんたも正しい』
正しい。正しすぎて、痛い。
その痛みを感じないくらい真っ直ぐに生きられたら、どんなにか良かっただろう。
でも、俺の人生はそうならなかった。
だから俺にそんな言葉をかけないでくれ。
そんなに俺を責めないでくれ。
素晴らしい言葉だ。金言だ。
わかっている、けれど。
『だけど、“俺”にとっては意味がないんだよ』
このモグリューは、俺だ。
くだらない価値に縋って、それしか生きる余地がない哀れな役立たず。そこに共鳴した。そこに共感した。
そして、そこから溢れる怒りに。
しかし、今の俺は不思議なほど落ち着いていた。自分でも驚くくらい淡々と、気持ちを吐露していく。誰にも見られたくない感情だった。
そのはずだった。でも、今はもういい。
なあ、モグリュー。
虚ろなその目をじっと見つめる。
『そこにいるイエッサンがあんたに何をしてくれるんだ? ミーナと会わせてくれる訳でもない、時間を巻き戻してくれる訳でもない、責任なんか取っちゃくれないんだ。俺だったらあんなトレーナー御免だが、あんたの気持ちだけはわかる』
チャンピオンになりたい。
きっともう二度となれない。
トレーナーに会いたい。
きっともう二度と会えない。
この痛みを、つらさを、『良い思い出』なんかにできるんならぜひそうしてほしい。何もかもをすっ飛ばしてそう思える言葉を与えてほしい。
そんなもの、どこにも有りはしないのだ。
『知ってるよ。ポケモンバトルは人生の全てなんかじゃない。他にやれることはたくさんある。ポケモンに関係ないことだって。そんなことわかってんだよ。言われたって困るんだよ』
人生を意味あるものにしたい。
人生を価値あるものにしたい。
当然の欲求を抱いて、くじを外しただけだ。それが何だって言うんだ。ほっといてくれ。
どいつもこいつも馬鹿ばっかり。
お前に何がわかる。
『何も知らないくせに。勝手なことばっかり言いやがって……』
そんな気持ちでいっぱいだ。今だって。
誰も助けちゃくれない。
金言じゃ腹は膨れないし、心にぽっかり空いた穴なんかもっと埋められない。
──でも。だけど。それでも。
ああ。うなだれる。
『……でも、認めていかなきゃいけないんだよな』
ポケモンバトルだけが人生の価値ではない。
それに、そうだな、と頷きたい。胸を張って正しいのだと言ってあげたい。思いたい。
そんな生き方をしたい。
レンと、モンメンと、俺のために。
『そういうことを今……思った』
そうだ。それが言いたかったんだ。
すとんと、その穴の奥に入ってきた。
何事もないみたいに。当たり前みたいに。
苦しかったが、それでもいいと思えた。
『つらいよ。そういうのは。俺はポケモンバトルで一番になりたかったし。いつか……上手くいくかもって思ってた。けど、そうはならなかった』
諦めたかった訳じゃなく、諦めざるを得なかっただけだ。夢には消費期限がついている。
それを過ぎたら腐って、嫌な臭いを放つだけ。そんなものを抱えていたくなくて、捨ててしまった。諦めたふりをしただけだった。
後には悔恨と、執着と、幻想だけが残った。
『俺にとってはポケモンバトルが全てだ。他にはなんにもいらなかった。その価値観がおかしいとは思わない。言わせない。俺は正しい』
『でも、俺は正しいけど、間違ってもいる。レンも正しいが、間違ってもいる。……そういうことを認めるのに、だいぶ時間がかかっちゃったよな』
俺の人生に価値などなく、これからそれが生まれることもまた無いのだろう。
この身は無意味に死んでいく。
恐ろしい。今すぐに死んでしまいたい。
こんな苦痛は耐えきれない。
だって俺は弱いから。
そう思う気持ちは否定しない。でも、飲み込んで生きていこうという気に、少しだけなれた。
『レンは最初からわかってたのに』
間違っているのは俺だ。
レンはそう言った。
自分の考えが正しくて、それでいて正しくないことをわかっていた。レンはただ、ジグザグマを、モグリューを守ってやりたいだけだった。
それが今、ようやくわかった気がした。
『ごめんな』
顔を上げる。
モグリューは泣いていた。
その涙にどんな気持ちが含まれているのかは、今はどうでも良かった。俺は今更泣けないが、あんたはまだ涙が流せるんだな。
フローレンスは、思ったより穏やかな瞳でこちらを見つめている。
『あんたが……ミーナを大事に思ってることはわかる。わかった。でも、今更会えても素直に喜べないだろ。色々ありすぎたもんな。俺も、今チャンピオンを倒したとしても……素直に喜べるかどうか。複雑な気持ちでそれどころじゃないと思う』
起きてしまったことも、過ぎてしまった時間も取り返せない。今更そこに価値はつけられない。
人生を無駄にした。
綺麗事なんかじゃ済まされないし、済ましたくもない。それで構わない。それだけの話だ。
『そういう“複雑”について考えるのはつらいけど、いつか、答えが出る日が来るよ。……たぶん』
ああ。
何だかどっと疲れた──気がする。
泣きじゃくるモグリューはとりあえずブルームに任せて、カウンセリングルームの外に出た。
頭痛と目眩がひどい。知恵熱かな。
廊下のソファをベッド代わりに休んでいたら(冷たい革張りの生地が気持ちいい)、誰かが後ろに立つ気配がした。
『……悪いな、仕事の邪魔して』
『そうですね』
『いや肯定するのかよ』
フローレンス。
カウンセリングのプロとして呼ばれたのに、俺が勝手にお株を奪ってしまったポケモン。
相変わらず可愛くないヤツだが、今回こそは全面的に俺が悪いので、特に言うこともない。ついツッコんではしまったが。
『どうしてあなたのような方を連れてこられたのか、わたくし理解に苦しみます』
『………………』
始まる前はぎりぎり抑えられていたらしい本音が剛速球で飛んでくる。致命傷のデッドボールだ。
『でも、同時に感謝している部分もあります』
『ぅえ』
──予想外すぎるセリフに、変な声が出た。
鬱陶しがられこそすれど、感謝される余地などないかと。
例えば「復讐はいけない」なんてのが誰の心にも響かない詭弁だとしても、警察官等は犯人にそれを言うのがお仕事であり。その真っ直ぐさが後からその詭弁に意義を与えたりするものだが。
まさか「復讐はスカッとするからやろうぜ!」的な発言に警察官側から賛同が来るなんて。
無責任だと罵られたほうがまだ納得がいくし、すっきりするかもしれない。
『痛みと苦しみでしか救えぬものもある。ポケモン嫌いなブルームが珍しく他のポケモンに興味を示していました。あなたにですよ』
『まあ……うん、』
俺、ポケモンじゃないけどね。
いやポケモンだけど。
やっぱり人間とポケモンの精神構造って、色々違ってくるんでしょうか。
『……ポケモンも色々考えてんだな』
『あなたもポケモンでしょう?』
当然の指摘が入ったが、フローレンスはそれ以上俺を追及することはなかった。柔和な顔にふ、と美しい微笑を浮かべて。
『不思議な方』
そう言って、優雅に去っていった。
イエッサン。感情ポケモン。
角で気持ちを感じ取る。
図鑑の一文が頭に浮かぶ。そういえば、あいつらエスパータイプ複合なんだよな。
『……なんか気づいてたりして……』
なんかって何、と聞かれても困ってしまうが。まあ、あの様子ならとりあえず大丈夫だろう。
ごろんと座面の上で転がる。
視点もぐるりと回転して。フローレンスとほとんど入れ替わりで廊下に出てきた人影が見えた。重厚な靴音を立てながら、近づいてくる。
「……終わったのか?」
アイパッチにロングコート──レン。
ソファの空いたスペースに腰掛けてくる。俺の顔を覗き込んできたかと思えば、
「疲れてるな」
苦笑して、そんなことを言ってきたので、こちらも笑いそうになった。
『生きてる証拠だよ』
当たり前のこと言うなよな。