少し突飛な話をしよう。
諸君がもっとも長く部屋掃除をしなかった時間はどれぐらいだろうか。
僕は3ヶ月である。なかなか見られないと思われる。
掃除をしないと1週間で机が使えなくなる。
掃除をしないと2週間で床がゴミだらけになる。
掃除をしないと3週間で足の踏み場がなくなる。
掃除をしないと1ヶ月で寝る場所がなくなる。
あとは諸君の想像で補っていただきたい。
掃除は毎日やらなければならない。
落ちていたペットボトルにつまづいてゴミ袋に頭から突っ込み、捻挫した足で泣く泣くシャワーを浴びているのでは遅いのである。
以上、体験談である。
―――――――――――
その日、ソユーズは徹夜をした。
次回連載のアイデアのために読んでいた歴史書が思ったより難解で、時間がかかってしまった。
さらに終わったら冒険小説の通読。
夢中になるあまり、夜が明けていることにも気づかなかった。
ソユーズにはよくあることだ。10年以上前からそうである。
義務感というより、気づいたらやってしまっているのだ。
トローカと同居してからは、起こさないように小さなオレンジ灯を頼りに読み進めている。やめるという選択肢はない。
しかし、今回は少し状況が違った。
「……ふぁぁあ……」
ベッドの上で眠る二人の少女のうち、
大きな方が目を覚ました。
長い赤髪と透きとおった緑の目。
「……先生、まだ起きてたんですか」
アリョーナはねぐせ頭を掻きながら尋ねる。
ソユーズは本を置いた。
「まだ、といってもそんなに経ってないだろう」
「何をおっしゃってるんですか」
アリョーナは起き上がり、カーテンを開けた。
すると白い日光が二人の目に飛び込んできた。
暗い室内がいっきに明るく照らされた。
「うお」驚愕するソユーズ。
「よほどお好きなようですね。
時間も忘れるとは……」
「本を読むのは呼吸するのと同じだ」
「いいですけど、お体に気をつけてくださいね?」
「体を気にして小説は読めん」
「ダメですよ、編集として許しません」
アリョーナは室内灯をつけ、
まだ眠っているトローカの体をゆすった。
ほどなくしてトローカも目覚め、眠い目をこすった。
ソユーズはまた本を開き、数ページ読んでから顔を上げた。
「……ちょっと待て、なぜお前がいる?」
「はい?先生、昨日言ったこと忘れちゃったんですか?」
昨日、3人でソユーズ宅に帰ってから話し合って、
引っ越し作業を朝一で始めることに決めたのだ。
でなければ間に合わない。
「で、私も泊まるって話になったじゃないですか」
「忘れたね。そんとき本読んでたから」
「せんせーは本よんでると海馬傍回がフル稼働しちゃうんだよね」
「なるほど、どうりで」
3人は眠いままのテンションで、
各々朝の支度を始める。
ソユーズは歯磨き。
アリョーナは着替えと洗顔、化粧。
トローカは冷やしていた謎の色のジュースを飲み干した。
寝起きでスイッチが入らないのは人の常である。
結局それから2時間ほどして、
「……よし!」
若き編集少女が火ぶたを切った。
「ただいまから、ひっこし改め汚部屋大掃除作戦を始めます!
所要時間は8時間!内容は家具の運び出しとごみ焼却です!」
「おい」
ソユーズがかったるそうにツッコむ。
「なんだこの暑苦しいノリは」
「軍隊における基礎の基礎です!はい点呼!」
「いーち!」元気なトローカ。
「……に」いやいやなソユーズ。
「さん!ギルド『戦争と平和』異常ありません、サー!」
「点呼は3人でするものじゃねえんだよ」
「それでは、今から掃除を始めるわけですが……」
3人は部屋全体を眺める。
いつ見てもひどい絵面だ。
机には本の山、四隅には衣服、机には紙の残骸。
床にも書類やらが散乱している。主にソユーズのせいだ。
「……早くもやる気を失くす景観ですね」
アリョーナはどっと肩を落とした。
ソユーズは元からやる気がない。
したがってトローカが指揮を執った。
「やっぱり、本からはじめるのがいいよね!
すてるのとすてないので分けなきゃ!」
「ああ、それだ」
ということで、まず本の山を片付けることになった。
ソユーズ宅の本の密集地帯は2つある。
一、作業机のまわり。
二、本棚の全域だ。
このうち本棚はトローカのテリトリーである。
そのため、残り二人が机を担当することとなった。
さて、本の選別は、慣れない人間にとって超難関事項である。
本の価値・必要性・耐久度を知識と経験なしに見分けるのは至難の技。
アリョーナも見よう見まねでやってはいたが、どうにも進まない。
「先生、ご指示をいただけますか」
とうとうソユーズに助けを求めた。
「何を捨てたらいいか、とか」
ソユーズは振り返ることなく、
「本の名前と著者名を言ってくれ。
捨てるべきか否か判断する」
と告げた。
こういうのが一番ありがたい。
さすがは本に目がない天才作家だ、
とアリョーナは感心していた。
「じゃあいきますよ」
一冊目を手に取った。
「『マルセイエーズ夫人の受難』 エルノワール」
「必要だ。文体を参考にしている。
エルノワールは性格の割に良い文を書くからな」
「了解です!」
アリョーナは本を「必要」とラベルした木箱に入れた。
「では次。
『完全すぎた密室殺人』 ベネディクト」
「必要だ」
「これも文体を参考に?」
「いや、それはイラついたときに燃やす用だ」
「真顔で物騒なこと言わないでください」
「面倒な奴の本は燃やすに限る」
「本好きの発言とは思えないんですけど」
とはいえ指令なので「必要」に入れた。
ちなみに本を燃やした痕跡は一切見られなかった。
「『私とあなたの表と裏』 レナ ……あ、これ読んだことあります!」
「好きか?」
「はい!レナさんの小説はよく読むんですよ!
もう本当に泣いちゃって!」
「残したいか?」
「もちろん!」
「じゃあ捨てよう」
「なんでですか!?」
「お前の言いなりになることが我慢できない」
「そんなちんけなプライドは捨ててください!」
アリョーナは指令を無視して「必要」に入れた。
その時、アリョーナは机の裏にも本がつまれているのを見つけた。
「あ、こんなところにも……どれだけ溜めこんでたんですか」
「それは5年前に読んでたやつだな」
「これは捨てちゃっていいですね?」
アリョーナが「不要」に入れようとすると、
いきなり手をつかまれた。
「え」
「なぜ捨てる?もったいないじゃないか」
「もったいないものこそ捨てるんですよ。
それに5年も読んでないんでしょう?」
「本はそこにあるのがいいんだよ。
読んでるかどうかは問題じゃない」
「今やってること全否定してませんかそれ」
「とにかく必要だ。そっちの必要箱に入れろ」
「必要箱って何ですか」
そうして、片方の箱だけがいたずらに埋まっていく。
最終的にすべての本が必要判定を受け、審査は終了した。
「ふぅ……トローカちゃん、こっちは終わりま……」
アリョーナが振り返ると、トローカは『サルには分からない量子力学 第二版』を食い入るように読んでいた。
本棚はほとんど手つかずだ。
「おぉー……なつかしい……!」恍惚な表情のトローカ。
「ああダメですそれは一番ダメです!」
「トンネル効果……いい……!」
「トローカちゃん!それ以上踏み込んだら戻ってこられなくなりますよ!」
「まってアリョーナさん……
あと500ページだけ……!」
「あと、の基準がおかしいですよね!?」
ソユーズは優しく微笑み、
「分かるぞトローカ。本には思いが宿るからな」
「思い出に浸るのは後にしてください!」
結局、蔵書整理だけでそうとう時間を食ってしまった。
さて、本棚もすべて必要判定を受けたところで、
次は床に散らばったものの片づけだ。
見た目はこちらの方がはるかに凄絶だ。
ホコリまみれの寝巻やら使い捨ての紙袋やらが、
そこかしこに散らばっている。
ソユーズ曰く「すべてのものがあるべき場所にある。掃除の余地なし」とのことだが、その結果がこれなら運命を呪うよりほかあるまい。
しかし操作は単純だ。
ゴミはゴミ袋へ。
服は木箱へ。
選別の必要がない分さきほどよりはスムーズ。
と、思っていたが。
「うわぁ……」
アリョーナは外で絶対出せない声を出した。
「どうしよ、これ……」
と、ソユーズのものと思われるパンツを見つけて言った。
見つけてしまった。
多分使わないまま放っておいたやつだ。
ちなみに黒だ。
情報に需要がないことはよくわかっている。
(先生のパンツ、正直さわるの忍びないというか、
さわったときに言われる言葉が予想できなすぎて……)
嫌悪されるかスルーされるか。
どちらでも何となく嫌で、決断がつかない。
「え……えっと……」
「どうしたアリョーナ」
「い、いえ!何でもないです!」
アリョーナはとっさにパンツを隠してしまった。
図らずもパンツを抱きすくめる形になってしまう。
顔じゅうが火照っていくのを感じた。
(べ、べつに隠すことないよね。
ちゃんと言えばいいだけ。
どうせ先生は何とも思わない……けど……うぅ)
迷ったまましばらく固まっていると、
「せんせー!パンツあったよー!」
「全部木箱にぶちこんでおけ」
「はーい!」
と聞いて、何事もなかったかのように木箱にぶちこんだ。
「……あ」
とつぜんソユーズが声を上げた。
「トローカ、お前のパンツもあったぞ」
聞いた瞬間アリョーナは立ち上がって駆け寄り、
「それは私がぶちこみます!」
「ん、ああ、頼む」
「はい!!」
と強引に受け取った。
色は諸君の想像にお任せするが、
暖色系だったと付記しておく。
―――――――――――――
「……そもそも、トイレは汚くなるものなんだよ」
「はい」
「当然だな、用途が用途だもんな」
「はい」
「キレイにしてもどうせすぐ汚れる。
そんな場所を掃除する意味が果たしてあるだろうか」
「あります」
「だよな、ないよな」
「あるって言いましたよね私」
「そう、ないんだよ。
ひるがえって俺は小説を書かなくちゃならん。
非合理的なことがらに時間を費やしている暇はないんだ。
お前も編集として俺に小説を書いてほしいだろう。
さ、それを聞いてお前はどう判断する?」
「なるほど。じゃあ掃除してくださいね♪」
「クソが」
アリョーナはブラシを手渡して去っていった。
ソユーズはしぶしぶサボったリングを削り落としつつ、
「誰だよ掃除とかいう歯カスみてえな文化を生み出した奴は」
などど意味不明な恨みごとを繰り返していた。
――――――――――――――――――
床掃除も終わり、かなり部屋も整然としてきた。
小物類はすべて木箱に収め終わり、ゴミは全てゴミ箱へ。
今は大きな家具類、つまりテーブルと本棚、ベッド、食器ラックが部屋に残っている。
「はぁ~……」
アリョーナはため息をつく。
目の前には分解した机の脚たちが転がっている。
すると、
「アリョーナさん?どうしたの、げんきない?」
トローカが心配して近づいてきた。
「あ、いえ、少し先生のことで考え事を」
アリョーナは、今トイレで格闘している「先生」を思い浮かべる。
「先生、小説については優秀なんでしょうけど、
私生活が、その、あんまりにもあんまりじゃないですか」
「うーん……
わたしはせんせーとずっと暮らしてるからピンとこないけど」
トローカはそうい言いつつも、
「でも、へやにパンツがおちてるのはヘンだよね!
アリョーナさん、キブンわるくならなかった?」
「いえ!大丈夫です!ちょっとビックリしちゃっただけで」
「せんせー、しょーせつ大好きだから、
どうしてもそれで第3皮質が埋めつくされちゃうんだ。
わたしもちゅーいするから、ゆるしてあげてほしいな!」
アリョーナはソユーズのダメダメっぷりよりも、
むしろトローカのまともっぷりに驚いていた。
なぜあのスーパー不審者系作家に、
こんな勤勉でしっかりした子がついているのか。
しかも「助手」という形で。
思えばトローカも謎めいた少女だ。
普通の女の子は23歳の男と同じ屋根の下に住んだりしない。
娘であるわけがないし、妹や親せきであるようにも見えない……。
(……少し聞いてみようかな。
今は先生もいないし)
アリョーナはそう考えた。
「……ね、トローカちゃん」
「なにー?」
「トローカちゃんって、いつから先生と知り合いなんですか?」
「んーいつだったかな……5年前かな?」
「5……!?」
トローカの実年齢が11であるから、
6歳の頃から一緒ということに。
「5年前から一緒に暮らしてるんですか!?」
「んーん、ちがうよ。
この家はせんせーが賞をとってすぐに借りたの。
それまではわたしもせんせーも『こじいん』で暮らしてたんだ。
せんせーがわたしを見つけて、連れてきてくれてねー」
孤児院。
おそらくニューザード北エリアのカーター孤児院だ。
平和なニューザードの中にも、わけあって親と暮らせない子どもはいる。
たとえば、虐待。あるいはネグレクト。生まれていちども親の顔を見たことがない子だって、少なくない。
アリョーナも軍時代。何度かそういった子を救出したことがある。
ソユーズもトローカも、家無し子だったのか。
二人とも違う意味でそんな風には見えなかった。
特に、トローカは。
「……お気を悪くさせたらすみません」
アリョーナはそう前置きして、
「孤児院に着く前は、先生はどうしていたんでしょう」
トローカは首をかしげた。
「わたしも分かんないや。
そういえばせんせー、はなしてくれたことなかったなー」
「じゃあ、トローカちゃんは、なにを?」
「……わたしは……」
そのとき、アリョーナは、初めて。
トローカの、悲しげな横顔を見た。
泣きだしそうでも、怒りそうでもない。
ただ、寂しげに、バラバラになった机を見つめていた。
「……立ち入ったことを聞いちゃいましたね」
アリョーナはそう言って、トローカをやさしく抱きしめた。
「わっ、どうしたの?」
「トローカちゃんは、今、楽しく暮らせてますか?」
「うん!もちろん!
せんせーもアリョーナさんもおもしろくてやさしいから!」
「なら、安心しました」
「アリョーナさん……」
トローカは、ニヤリと笑った。
「にひひ、言ってたとおり着やせするタイプのようですな……」
「ぶふぉっ」
声になってない驚きを上げるアリョーナ。
「な、なにを言い出すんですか突然!?」
「ていうかアリョーナさん、
はじめて会ったときからせんせーのこと気になりすぎだよね!
もしかして好きなの?」
「は!?ありえない!
スライムに服ごと溶かされた方がまだマシです!」
「ええー……」
アリョーナがムキになって反論していると、
「うぇーい」
と、諸悪の根源が帰ってきた。
「あ、アリョーナさんっスか?
無事ボコボコにピカピカにしてきましたけど何か?」
「いや何も言いませんけど」
「はー感謝してほしいねまったく。
これ9割がた俺のおかげで引っ越し成功したようなもんだろ」
「トイレ掃除したぐらいで調子づかないでください!
ていうかまだ終わってないです!」
アリョーナは立ち上がってソユーズに思いきり近づいた。
「だいたい先生は小説を言い訳にして、
私生活をおろそかにしすぎなんですよ!」
「私生活を言い訳にして執筆辞めたら作家として終わりだ」
「屁理屈を言わないでください!」
「屁理屈で俺に勝てると思うなよ」
「誰も勝負してませんから!」
アリョーナはツッコみつつ、
先ほど言われた言葉を思い出していた。
――好きなの?
「……違いますからね」
「何の話だよ」
「ほら、ふたりとも!」
トローカが手を叩いた。
「はやく『かいたい』しよ!」
3人はふたたび作業を始める。
すでに日は傾きはじめていた。
――――――――――――――――――
「じゃあアリョーナはベッド枠とラックと他二つを運べ」
「家具全部じゃないですか」
「仕方ないだろう。
『戦争と平和』の唯一の肉体派として当然の行為だ」
「肉体派言わないでください。
だいたいこういうのは男性が運ぶものでは?」
「はい出た、男に荷物持たせろ理論。
嫌いだわー、俺小説家ぞ?非力ぞ?」
「私も非力です。
ちゃんと分担して運びましょうよ」
「そんなものは犬に食わせろ」
二人が例によって言い争いをしていると、
「ん……ダメだぁー……」
と、残念そうなトローカの声がした。
見ると、本の入った木箱を頑張って持ち上げようとしている。
しかし1ミリも持ち上がる気配がない。
「トローカちゃん……」
「助手、なんとけなげな……」
見かねたアリョーナは、立ち上がって、
「トローカちゃん!私に任せてください!」
と、本の入った木箱2つと、
ついでに家具全部を両手に抱えて運んでいってしまった。
「……アリョーナさん、すごい上腕二頭筋だね」
「なんで退役させられたんだよあいつ」
作家と助手は、
元分隊長の勇ましい背中を見送った。
――――――――――――――――――
――時刻は夜。
すでに月が天高く昇ったころだ。
「……よし」
元トリューズの住居にして、
現「戦争と平和」のギルドハウスにて。
ソユーズがついに、最後の本を本棚に入れ終えた。
「……引っ越し完了だ」
「わーい!!」
宣言と同時に、トローカはベッドに飛び込んだ。
ぽよんぽよんと体が大きく跳ねあがる。
子どもは皆、どういうわけかこれが好きだ。
「ふぅ」
アリョーナはそれを見つつため息をつく。
「なんとか、今日中に終わりましたね」
そう言って、一階リビングを見渡す。
前の住処に比べれば、その広さは歴然だ。
家具四つを組み立てて並べ、作業机も置き、
しまい切れない本の木箱を隅に置いてもまだスペースがあまりある、
これに加えて2階もあるのだから、まさに破格の家だ。
「よかったですね、ここが余ってて」
「ギルドのへっぴり腰連中に感謝だな」
「そういうことを言うもんじゃありませんよ?」
アリョーナは注意しつつも、笑みを浮かべる。
「あの先生」
「なんだ」
「まだ少し時間もありますし、
3人でギルド食堂にでも行きませんか」
「断る」
「即決!?」
「今日はもう疲れた。寝る。
お前も早く家に帰りな」
「じゃあ」
アリョーナはめげずに小指を差し出した。
「週末、かならず行きましょう。いいですね?」
ソユーズはかなり不満げに見つめている。
しかし編集少女の強い目線に耐えかね、ついに折れた。
「……わかった、約束だ」
「はい!」
ギルド「戦争と平和」の喧騒な一日は、
こうして過ぎていく。
ベッドの跳ねる音は、まだまだ止みそうにない。