『L'antica』のTGC出演が決まってから三週間が過ぎた頃。
メンバー達のレッスンは順調に進んでいき、当初は戸惑っていた結華も覚悟を決め、ファーストルックという大きな役目をこなすべく日々精進していた。
「おっ結華。今日も自主レッスンか?」
283プロ事務所―――営業から帰ってきたプロデューサーは、偶然にもジャージ姿の結華と鉢合わせる。
「Pたんお疲れ〜。今日はみんな別々のお仕事だし、ちょっとだけね」
「やる気があるのは嬉しいけど、あんまり無茶するなよ? アイドルは身体が資本なんだから」
「解ってるって〜。Pたんに言われたこと、三峰はしっかり覚えてますよ?」
「ああ。結華なら大丈夫だって信じてるよ。俺は今から書類整理しなきゃいけないからレッスンには付き合えないけど、頑張ってな」
そうして二人は事務所の入口で別れた。
プロデューサーから見た結華の姿は、以前のように迷いのあるものではなく、日々を重ねてTGCへの意気込みが強くなっているように映っていて。
(今回ばっかりは、俺が出る幕もなさそうだな)
改めて、思い知らされる。
三峰結華というアイドルの芯の強さ、そして『L'antica』というユニットの結束力。
(ちょっと、余計なことを言ってしまったかもしれないな……)
だからこそ、プロデューサーも自信を持って彼女たちのプロデュースを請け負える。
ファッションブランド『アンティーカ』とのコラボ―――TGC出場と聞いて、真っ先にプロデューサーの脳裏に浮かび上がったのは咲耶の姿。
しかし、オファーを受けたのはユニット全員。さらに、ファーストルックと呼ばれる重要なポジションに選ばれたのは咲耶でも恋鐘でもない、結華だったのだ。
『……三峰結華をファーストルックに? ええ……それはもちろん光栄な事なのですが……』
『はい。我社のブランドはゴシック・アンド・ロリータに特化した衣装がほとんどでして。その点で言えば、三峰結華さんのルックスが一番映えると―――』
ファッションブランド側の事情を完全に把握しているわけではないが、あくまで『アンティーカ』側の指名により、結華がファーストルックに選ばれた。
そんな経緯もあり、プロデューサーとしては多少の不安はあったのだが―――
(どうやら、俺の杞憂……だったみたいだな)
事務所に入り、カバンを置いてコートを抜ぐ。
胸ポケットに入れていたスマホを取り出して、電源を入れる。
「あれ、着信……しまった、マナーモードにしたままだったか」
そして―――
「これ、『アンティーカ』の……―――」
◆◆◆
「身体のラインを綺麗に見せるように、つま先まで神経を研ぎ澄ませて……」
283プロ、レッスン室。
結華はひとりで熱心にウォーキングの練習を繰り返していた。
鏡に映る、自分自身の姿。
それを見つめ、その一挙一投足に細心の注意を払いながら―――
(……うん。我ながら良い感じ)
ふう、と息を吐いて、壁際に置いてあるペットボトルの水を手に取る。
「あー、もうこんなに飲んじゃってたかぁ……」
残りわずかになっていた水を一気に飲み干すと、結華は壁に背を向けて腰を下ろした。
(ちょっと休憩したら、水とお昼でも買いに行こうかな……)
と、そう思考している時だった。
コンコン、とレッスン室の扉を叩くノックの音。
「わ、えっと……は〜い! どうぞ〜!」
結華は少し驚きながらも、声を張り上げて返事をする。
すると、扉を開いて入ってくるのは―――
「結華、お疲れ様。トレーニングは順調かい?」
「お邪魔します……」
咲耶と霧子、その二人であった。
「お〜っ、さくやん、きりりん〜! お疲れ〜」
「結華ちゃん、これ……差し入れだよ……」
「うわ、お弁当とお水じゃん! 丁度買いに行こうかなって思ってたんだよ〜! ありがと、きりりん〜!」
予想外の二人の登場、その差し入れにすっかり大はしゃぎになった結華は、満面の笑みでそれを受け取る。
「その様子だと、心配はいらないみたいだね?」
「もちろん。ま、三峰に任せてよ〜!」
「ふふっ……わたしたち、さっきお仕事終わったの。だから、あのね……今から一緒に練習しても、いいかな……?」
「そんなの当たり前じゃん〜! ひとりで寂しかったんだよねぇ〜!」
この三週間、結華はウォーキングの先生にレッスンを受けつつも、咲耶にもよく自主トレに付き合って貰っていた。
ファッションショー、つまりモデル。
結華からしてみれば、モデルといえば咲耶がまず選ばれるべき存在であると思っていたのだけれど―――
(私にしかないもの、か……)
今は違う。
この三週間を経て、結華は確かに手応えを感じていた。
TGCまであと少し。
今の自分なら、きっと自信を持ってファーストルックとしてランウェイを歩くことが出来るはずだ―――と。
◆◆◆
「はい、はい……ええ、申し訳ありません。少し立て込んでいて……。はい。もちろん順調ですよ。彼女たちもファッションショーに出られると言って、とても喜んでいますし……!」
283プロ事務所。
プロデューサーが自分以外に誰もいないその場所で、スマホを耳にあて通話をしている相手は―――
「―――ええ、もちろんです! 当日は必ず素晴らしいステージに……えっ?」
プロデューサーの快活だった語り口調は、一転して疑惑の込められた表情へと変化する。
「ちょ……ちょっと待って下さい。本番まであと二週間もありませんよ……!?」
そうして―――
「いえ、ですが……! こちらとしては、当初の方向性としてレッスンも進めていますし……今更そんなことは……―――」
ブツッ、と。
通話が一方的に途切れ、プロデューサーは戸惑いと共に愕然とした面向きで立ち竦む。
(まさか、こんな……)
何もかも順調だと思っていた案件。
それらは、一変して窮地へと追いやられることとなる。