You mad me at 'Hello.   作:紙粘土

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7話

 

彼女が頷いたのは、何故だか「そうだ」と確信したからだ。

 

 

「……あのな、戻ってるのは俺なんだ」

 

躊躇いがちに瞳を伏せて、平山はぽつりとそう言った。吐息が震える。空気ごと歪んでしまったみたいに。そのまま暫し、混乱が場を彷徨っていた。

 

 

 

 

「……散歩に行かないか」

 

やがて平山は言った。

 

「大丈夫だ、……明日だろ。今居なくなったりしない。ほら、不安ならこのまま手ぇ繋いでいよう」

 

平山は落ち着きを取り戻していた。いや、そのように繕ってるだけかもしれない。

それでも、平山の手を握り返すのだ。

今は死ぬ前の最後の時間だ。だから、この夜に彼と散歩をしようと頷いた。

 

 

 

…………

 

 

 

 

「死亡推定時刻は何時だったんだ?」

 

「……八月一日の、午後六時だって聞いた」

 

「ああ……大体そんくらいだろうな。〝最初〟は」

 

奇妙な会話だ。生きてる平山と、平山の死んだ時について話してる。

平山は次々と質問をした。意外なことに、彼女はすんなり答えられる。

特定の記憶だけが流れ込んだわけではなかったのだ。ただ、〝知ってる〟ということを〝知らなかった〟

 

 

「タイムスリップって……もっとこう、映画みたいなやつだっておもってた……」

 

「まあ、夢はあるよな。もっとずっと先の未来なら、そういう機械が発明されるかもしれないだろ」

 

「記憶だけなんだ。だから多分、私はこれから今を〝思い出す〟んだと思う。経験出来るわけじゃなくって、思い出すだけ」

 

空は月が輝いていた。

二人はゆっくり歩を進め、やがて近所の河川敷に訪れる。夜の川は黒くって、しかし月明かりが細く光を反射していた。風が吹くたび芝生がさらさら揺れている。

 

 

「なんで、こんな記憶だけなんて焦ったいんだろ。これも相対性理論?」

 

時折、今隣に居る平山が幽霊ではと恐怖に駆られる。その度彼女は指をにぎって、握り返される体温と指の強さに安堵した。明日平山は死んでしまうけど、今は確かに隣に居るのだ。

 

 

「前に、光より速く移動出来れば過去に行けるって話したよな」

 

「うん」

 

「運動エネルギーってのは光速で無限大になるんだ。つまり、光速まで加速するにはエネルギーを無限投入しなきゃならない。

……無理だろ、無限投入なんて」

 

「ならなんで記憶だけは過去に来れたの?」

 

「……正確には、記憶なのか気持ちなのかわからねえよ。だけど今の話は、あくまで〝質量のあるもの〟の話だ。記憶とか気持ちとか、そういう質量のないものだから、エネルギーの無限投入が出来たんじゃねえのか…………と、俺は解釈してる」

 

「そのエネルギーってなに」

 

「わからない。そもそも人の記憶が時間を超えるってのがスピリチュアル過ぎるだろ。だから……そこに生じたエネルギーだってそういうもんじゃねえのか」

 

風がまた吹く。

真夏の匂いだ。

それは一人になってしまった世界と同じ匂いを孕んでいたけど、もっとずっと愛おしい。きっとそれは、繋いだ手が暖かいからだ。

 

 

「何で鷲巣のとこ行くの」

 

風に髪が靡いたせいで、前髪がぼさぼさに乱れてく。繋いでいない方の手で、平山は彼女を優しく撫でた。

「ほら、ぼさぼさだ」

その手も、撫でてもらう感触だって、何一つ変わらないというのに。

 

 

「……行かなきゃ駄目なんだ」

 

平山の眼差しは悲しげで、彼女はまた涙を落とした。

何が駄目なのか、まるでさっぱりわからないのだ。

 

「ほら、泣くなよ。……悪かった、お前をおいてったりして」

 

謝られることすら残酷だった。悪いと思うなら、死ぬとわかっているのなら、何故それでも鷲巣に勝負を挑むのだろうか。

わからなくて、ただただ悲しみが大きすぎて、彼女の涙が止まらない。

 

 

「……最初から話す。こう、言葉にすると、かなり非現実的なんだが……」

 

月に向かって歩き出す。河川敷には、彼と彼女以外には誰もいない。

この穏やかな時間はしかし、永遠でないと知っている。だから涙は止まらない。

 

 

「俺が最初に、未来の記憶を思い出したのは……────というより、嫌な予感みたいなもんだが────もう何回前だかわからない。ただ、『今日白服の誘いに乗って麻雀したら死ぬ』とわかった。デジャヴを見たんだ。だから……断った」

 

死にたくないから。だから、土壇場でやはり止めると申し出て、そのまま帰路についたのだ。そうしたら、未来が変えられると思った。

 

 

「結果は無意味だ。『鷲巣に挑み死んだ未来の俺が、過去の自分に行くなと警告する。その結果死ななかった俺は、先の未来で過去の自分に警告出来ず、結果として鷲巣の元に行って死んだ』……ちょっとわかりにくいか」

 

複雑な話だ。いまいち飲み込みにくいけど、前にアカギが似たようなことを言っていた。

似た例として、「恋人が死んだのを悲しんだ男が、それをきっかけにタイムマシンを発明した。タイムマシンに乗り恋人を救うことができるか?」というものがある。

恋人を助けてしまうと、タイムマシンを発明する動機もなくなり、男はタイムマシンを作らない。するとタイムマシンは存在せず、結果未来から助けに来る恋人もいないので恋人は死んでしまう。こうして堂々巡りになっちまうのだ。

これがタイム・パラドックスである。

因果律を崩壊させないための作用なのか、パラドックスは、どこぞの小説のようにパラレルワールドに行くわけでもなく、宇宙が消滅させたりもせず、無かったことになるだけだった。

 

「多分これが、因果律ってもんなんだろうな」

 

河川敷がなだらかな丘になってゆく。何度も通った道だった。世界は何も変わっていない。それを不条理だと嘆くのは、あまりに驕った考えだろうか。

 

 

「もう何度も死んだと思う。その度に、死ぬ前の自分に記憶を残し続けてる。

多分……その〝繰り返し〟の中に、お前のことを引き込んじまったんだろう」

 

……じゃあ。

彼女は急に戦慄する。

きっかけのわからなかった白昼夢。あれは、あの白昼夢の瞬間は、平山は死ぬときのものだったのか。麻雀で、致死量の血を抜かれながら。そんな恐ろしいことが、彼の身に起きていたというのか。

 

 

「平山……」

 

ぼろぼろと更に涙が溢れでた。こんなふうに泣きじゃくってしまうのも、もう何度目なのかわからないのに。

 

 

「平山、もう、死なないで……」

 

視界がまるごとぼやけてしまった。それだけ大粒だったのだろう。止まらない。嗚咽は声まで曖昧にして、上手く言葉を発せない。言いたいことが、たくさんあるのに。

 

 

「死んじゃやだ……。わた、わたしが、鷲巣巌を……」

 

「……馬鹿なこと言うなよ。それが無意味だって言っただろ。第一、お前に物騒なことさせられるわけがない」

 

赤子みたいにしゃくりあげれば、背中を優しく撫でられる。この手が永遠に体温を失うなんて、今でも信じられないのに。

 

 

「すまなかった……自分だけが思い出してると思ってたんだ。お前を、何度悲しませたのかもわからない」

 

無意味に彼のシャツを握ってた。きっと皺になるだろう。それだけ、強く強く、握ってた。とても離せそうにないのだ。

 

 

「じゃあ、もう、平山は……絶対死ぬしかない?やだよ、なんのために今があるのかもわからない」

 

未来の情報に基づいては、死を回避することは出来ない。誰が定めたのか知らないが、それとも摂理とはそういうものなのか。世界を土台にしたこの話は、スケールがあまりな大きすぎた。この空の広ささえも憎みたくなる。

 

 

だけど平山は柔く笑って、「そんなことない」と言ったのだ。

 

 

「可能性は、ゼロじゃない」

 

乱数の話をしたろ。平山はそう言って、うつむく彼女の頬撫でる。

乱数……サイコロの出る目が変わるか否かという話だ。

 

「サイコロの目は、変わった。いや、正確には牌譜だが」

 

 

なにを、彼は言っているのだろう。

キョトンとする彼女の手を引き、彼は更に歩き出す。芝生はやがて土となり、土もやがてアスファルトに変わってく。二人は河川敷を離れて、ゆっくりと町へ歩き始めた。

 

 

全ての結果には因果律がある。

林檎が欠けたのは「食べた」からだ。

怪我をしたのは「転んだ」からだ。

そして、平山が死んだのは「負けた」からなのだ。

では何に負けたのか。……麻雀だ。そしてそこには乱数がある。

 

未来の情報を前提にしたら、因果律は覆せない。しかし鷲巣に挑むことは未来の情報でなく本来の歴史だ。そして乱数は因果律を変える可能性を孕んでる。

 

 

「二度目に鷲巣に挑んだ時、一度目と配牌が変わってた」

 

それは乱数の肯定だった。全てを定めた運命など存在しないというかのように。

 

「二度目と、三度目も変わっていた」

 

もしも配牌まで全く同じだっなら、運命は決まっていることになる。

だが実際は、配牌は全くの別物だった。

すなわち乱数が歴史に関与できる証明であり、未来が変わる可能性ですらある。

 

「わかるか。……鷲巣との勝負は乱数だ。ただし完全なランダムじゃなく、実力や運勢が影響してくる。……それでも勝敗は、乱数の影響を受けるんだ」

 

 

彼女は何度もまばたきをする。

わかりそうでわからない。

だから、何度も「五才でもわかるように」とねだってきたのに。

 

「……どういうこと?」

 

「つまり、鷲巣に勝てる可能性がある。勝ったら……死なない。一緒にいれる未来に行ける」

 

負けたから死んだ。なら、勝てば死なない。至ってシンプルな結論だった。

 

配牌は当たり前だがランダムなのだ。極端な話天和の可能性だってある。

勝てば死なない。

未来の関与で死を回避できないというのなら、逆に言うなら、勝つ以外には生き残る方法はないではないか。

だから彼は挑むのだ。死ぬと理解しながらも、鷲巣との血抜き麻雀に。

 

 

「勝つまで諦めたりしない。だから、もう泣かないでくれ」

 

平山はそう言って、泣きそうな顔で笑ってみせた。

 

涙は急には止まれないのに、泣かないでとは無茶を言う。鵜呑みにして「じゃあ頑張って」など言えるはずがないというのに。どうしてもっと、ご都合主義になれないのだろう。

 

 

 

「……覚えてるか」

 

不意に平山が尋ねる。顔を上げれば、出会った雀荘がそこにはあった。

いつの間にこんなに歩いてきたのか。

 

 

もう数年前の話だ。彼女が賭場荒らしをして、この雀荘で、平山に助けられたのは。あの時平山は、自分一人で逃げればいいのに、彼女に手を伸ばしてくれた。

 

 

「……うん。懐かしい」

 

あの時、平山が助けてくれたのだ。忘れるはずのないことだった。

 

 

 

「ところで、記憶……上書きされるみたいだって言ってたよな」

 

「……うん。だから一個前のこと、もうわかんない。

…………あれ。平山は?」

 

「俺は一度見たものは忘れない」

 

 

記憶が時間を遡った場合、その分だけ複数の過去が記憶に残る。しかし実際には最後にタイムスリップした時のもの以外は「正しくない記憶」になってしまうため、脳味噌がデータ整理を行うのだ。これは脳に備わる「不要な記憶を整理する機能」のためである。

起きた時には覚えていた夢の内容を、その日の夜には思い出せなくなるのも同じ原理であるらしい。過去と記憶はワンセットで上書きされてしまう。……通常だったら。

 

しかし平山は「一度、一瞬でも見たものは忘れない」という特異な能力を持っていた。これは単に抜きん出てるわけではなくて、瞬間記憶能力だったか、カメラアイだったか、特殊なものだと聞いている。正式名称は忘れたが。

「忘れない」能力のある平山だけが、上書きされず、複数の過去を〝思い出せる〟

 

「なにそれずるい。……こんなことにも応用できるんだ……」

 

「……ああ。ずるいってなんだよ」

 

「でも、なんでそんなこと確認すんの?」

 

彼を見上げた。瞬間、彼女は抱き締められていた。

耳元で平山が小さく囁く。「良かった」と。

 

腕の力がじりじり篭る。息苦しいほどの力であった。唐突な包容は、しかし無量の悲しみが滲んでる。これじゃあまるで、最後みたいに。

 

 

「ひらやま?」

 

「悪かった……。本当は、繰り返すなら勝負の直前で良かったんだ。……俺が、お前の顔を見たかったから」

 

効率を考慮したならば、〝戻る日〟は八月一日でいい。……実際には時間を戻っているわけではなくて、記憶を飛ばしているだけだけど。彼は便宜上〝戻る〟と言った。

 

 

勝負の始まる直前まで戻り、ひたすら勝てるまで繰り返せばいい。なのに一日の猶予を自ら作り出したのは、彼女に会うためのものだった。会いたい、話したい。これから死ぬとわかっているから。だけど死ぬなんて言えなくて、何気無く普段通りの時間を過ごす。

……彼は、効率よりもそんな「僅かな日常」を優先したのだ。結果、なんの作用かこのループに彼女の記憶までもが同調する結果となった。

 

深い悲しみなどたった一度で十分なのに、自分が繰り返した分だけ、彼女もまた泣いたこと、それを「すまない」と平山が言う。

 

「……なにそれ。平山は、〝いつに戻るか〟選べるの……?待って、何で謝るの」

 

平山は頷かなかったけど、沈黙は明白な肯定だった。選べたのだ。もっと直前にも、その逆にも記憶は行けた。

 

 

「巻き込むなんて思わなかった。すまない。もう二度と、お前を悲しませたりしない」

 

「ねぇ、聞いてる?平山、二度とって、何」

 

 

 

言葉はそれ以上続かなかった。

唇が重なったのだ。

 

間近に見た彼の面立ちは、頬に涙の痕を残してた。

 

……なんでこんなに、胸が締め付けられるのだろう。

彼女は、また何かを失う予感がしている。

 

 

 

キスは一瞬だった。離れ際に彼が囁く。

 

 

「……全て終わったら、会いに行く。もう一度」

 

 

 

それから唐突に、彼女は白昼夢に襲われた。

 

 

 

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