You mad me at 'Hello.   作:紙粘土

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終話

夢を見てた気がする。

すごくすごく、長い夢だ。

 

 

「……泣いてんの」

 

壁を背もたれに、煙草を吸ってたアカギが言った。

部屋が赤い。窓から差す夕陽のせいだろう。畳も布団もちゃぶ台も、この四畳半の何もかもが赤黒い。それが無性に、切ない気持ちを駆り立てた。

 

 

「……、泣いてないよ。なんで」

 

「気のせいか……。一瞬、泣いてんのかと思った」

 

「煙草とってよ」

 

もぞもぞと布団の中を転がりながら、彼女はそう手を差し出した。寝すぎたのだろうか、まだ頭がぼんやりとする。アカギは黙って、ちゃぶ台のメンソールを滑らせた。

 

「ありがとう。あれ、南郷さん達は?」

 

「仕事。あんたがいつまでも起きないからだろ」

 

しゅ、とマッチを擦る音。独特の香りと共に煙が登る。どれくらい眠っていたのか。

 

なにか、大切なことがあった気がした。

 

 

 

「……そんなに寝てた?」

 

「クク……死んでるみたいだったよ、あんた」

 

言いながらアカギは、短くなった煙草を潰す。〝死んでるみたい〟……その言葉が、厭な生々しさでまとわりつく。

思い出せないなにかを想って、奇妙なもやが心の中に澱を作ってる。

 

 

 

 

 

ここは南郷の家だ。昨晩はみんなで集まって、朝までずっと麻雀していた。それにしてもアカギと二人きりにされるとは、周囲はなにか……アカギとの関係を勘違いしてるのかもしれない。別にアカギとは、恋人でもなんでもなかった。強いて言うなら友達だ。恋愛感情は互いにない。ただ、奇妙な腐れ縁が続いてる。

 

出会ったのは雀荘だった。もう数年前の話だ。

彼女は麻雀の腕に自信があって、当時は無鉄砲に賭場を荒らして回ってた。誰かが、そんな彼女を跳ね馬のようだと呼んでいた。

 

……そんなある日だ。やくざ者が無骨な暴力を手段として、追い詰められた彼女のもとに割り込んだのがアカギであった。恐ろしいほど喧嘩が強くて、あっという間に全員叩きのめすものだから驚きもする。彼が噂の辻斬りだったと、知ったのは随分後だけど。

 

 

────なんで私を助けたの?

 

男に素直に礼を言うのが、何故だか憚れてそんな問いかけかたをしたこともある。アカギとは、その時が初対面だったのだ。

 

────頼まれた。

 

あっさりアカギはそう言った。頼まれたって、一体誰に?共通の知り合いなどいないのに。

アカギは喉の奥でクク……と笑って、「知らねえな」と吐き捨てたけど。

 

────派手なスーツの赤サングラスが、あんたを助けろってしつこかった。それだけ。

 

 

……彼女に、そのような知り合いはいなかった。だから益々謎が深まる。その後も、「派手なスーツの赤サングラス」が彼女の前に現れることは終ぞないのに。

 

なぜそんな見ず知らずの男の言うこと真に受けて、わざわざ助けてくれるんだろうか。

聞けばアカギはあっけらかんとして、「その日の獲物は誰でもよかった」などという。それから、赤サングラスがいやにしっつこかったとか、妙に見覚えのある奴だったとか。

今となっては、その時アカギがなにを思ったのかなどわからないけど。

 

 

・ ・ ・

 

 

アカギにとっての彼女という人間は、良くも悪くも面白かった。

女で麻雀打ちというのも珍しいけど、その打ち方の方に特異さが光ることがある。ありきたりな表現をするのなら、感性が尖って研ぎ澄まされてた。

女は子宮で博打を打つと、どこかの誰かが言っていた。彼女は、きっとそういう博徒だ。

 

 

それから、白昼夢を見ることがある。

本人は超能力や霊感とは無縁らしく、また価値観もどちらかといえば否定的だが、それでも彼女の白昼夢には予知にも似たニュアンスを孕むことがあるのだ。

的中率は微妙であったが、あまりに具体的なことを言うから、こいつはいよいよ前世の記憶でもあるんじゃないかと思える程だ。とはいえ、その大概がひどく他愛ない内容だから、当たろうが外そうが大した問題でもないけれど。

あとは、無鉄砲ではちゃめちゃなのに、意外や意外、何故か相対性理論なんて知っている。量子力学は知らないのにシュレディンガーの猫を知っていて、カオス理論はわからないのにバタフライ効果は知っている。彼女は偏った知識の出所を理解してはいなかった。確実なのは独学ではないということ。昔誰かに教わったらしい。それが誰なのか、いつの話なのかも覚えてなかった。

とにかく、彼女はそんな「変な女」であったのだ。

 

「いつだっけ」

 

赤い光に目を細め、瞼を擦りながら彼女は言った。

 

「なにが」

 

「えーと、鷲……わしず、だっけ。あんた、大物と麻雀するんでしょう」

 

アカギから聞いた話だ。安岡と、稲田組の組長だとかと赴くらしい。その経緯は物騒なことこの上なくて、しかし聞くほどアカギらしい。

部屋の隅には、幾分前の新聞紙が置かれている。どこぞの山中で、成人男性の遺体が発見されたのだ。死亡してから大分時間が経ってたらしく、身元の照会には苦労を要したと安岡が愚痴をこぼしてた。

「夏ってのもあるがな……ひどいもんだった」

安岡はそう、真っ青な顔で言ってた。どこの誰かは聞かなかった。どうせ知らない男だろう。

 

 

「ああ」

 

「酔狂だ」

 

「……珍しいじゃない。あんたが首を突っ込みたがらないなんて」

 

肩の傷跡を撫でながら、アカギは茶化すように笑った。

 

「なんかね。気乗りしないんだよ。

……その勝負もどうせ危なっかしいんでしょ。もう見舞い行かないからね」

 

「あらら」

 

壺振りで死にかけたばかりというのに、アカギは相変わらずだった。それすらもまた彼らしいと彼女は思う。

だから心配もしなかった。殺しても死なない奴だと思っているのだ。

 

 

「……ま、いいや。私帰る」

 

「じゃあ」

 

「あんたもさあ、怪我人だからって南郷さんとこ居座りすぎんのやめなよ」

 

「どうも」

 

彼女が帰ると言ったところで、アカギが見送ることもない。そういうものなのだ。少なからず異性と意識してない分だけ、二人は気楽なことが多かった。

 

 

 

……………………

 

 

 

もう何度目の夏なのだろう。生まれてからずっとこの町にいるわけじゃない。だのにこの河川敷から見た夕焼けは、ずっと昔から知ってるような既視感がある。

 

何度夏を繰り返しても、その正体を知る機会は終ぞなかった。ただ、阿保みたいにここの夕陽を眺めていたのだ。

……今日までは。

 

 

 

「ねーちゃん、……変だよな?」

 

天貴史が彼女と会うのは久々だった。このところ彼女は河川敷に姿を現さなかったためだ。

帰路の途中に毎度通るこの河川敷には、なだらかな丘なりの芝生が続く。そこにぽつんと、いつも同じ場所で夕日を見ていた。何故だかここは、ひどく懐古的な気持ちにさせる。

 

天は彼女の名前を知らない。知っているのは煙草を吸うこと、「水切り」とも呼ぶ石を跳ねさす遊びが上手いこと、そして博徒ということだけだ。

 

彼女はいつも悲しそうな目をしてた。

 

 

「そうかな」

 

久方ぶりに会った彼女は、具体的に言葉にするのは難しいけど、確かな変化を起こしていたのだ。

 

「なんか変だ」

 

「……ふうん、そう。そっか」

 

「ねーちゃん?」

 

「……なんであんた私に構うの。変なの。……まあいいや。大杉、もう多分、私ここには来ないよ」

 

風が通り過ぎてゆく。

 

「……なんで?」

 

「なんでかなぁ。来る理由、無くなったような気がするんだよね」

 

 

今日ももうじき日が沈む。彼女は西から迫る夜空と、灯るネオンを睨んでいた。

 

「じゃあね。たけし軍団相手に本気でホームランした、ヤクルトの大杉。強い博徒になりなよ」

 

彼女はそうにっかり笑って、河川敷を歩き出す。空には、赤と青紫が混ざってる。幻想的な風景だった。

 

 

 

 

記憶というのは不思議なものだ。まだまだ日々は暑さが厳しい。ふとした瞬間鼻腔をくすぐる夏の匂いは、忘れ去られた記憶をそうっと撫でる。

 

彼女はそのたび傍らを見た。何かを思い出せそうで、だけど思い出せなくて、懐かしさだけが胸の奥をチクチクさせる。

……悲しいことがあった気がする。だけどこれは「嫌な記憶」ではないのだろう。抜け落ちた過去の記憶の欠片には、確かな幸せの残滓がある。

彼女はもう一度傍らを見た。そこにはやはり何もなく、風だけが通り過ぎてゆく。

やがて、目を閉じる。

 

光を遮った視界のどこかに、探してる何かを見つけたいのだ。

一人で食事をしてる時。煙草を咥えるふとした瞬間。一人きりの部屋。深夜。美しい月。雨。雪。短く再生されては消えてく追憶たちは、破れた写真のように断片的だ。

 

遠くに豆腐屋のラッパが聞こえた。彼女は目を開ける。町並みの一際奥には、空に聳える銭湯の煙突が煙を出してた。それは、いつもと変わらない風景だった。ただ夕日が、泣きたいくらい美しいだけ。それ以外はいつも通りだ。

 

 

 

────いつだったろう。

 

音割れしたラジオが、ノイズ混じりに流行りの歌を流していたことがある。イヤホンを繋いで、左耳にだけ嵌め込んだ。壁が薄いから、だからイヤホンをつけたのだ。左耳だけ。……なら、右耳にはどうしてつけなかったのだろう。だれかが、右側を使っていた気がするのに。

 

この空を、見せたい人がいたはずなのだ。

 

それが誰かわからないから、彼女は泣くことすら無くなった。

これを、ハッピーエンドと呼ぶべきかどうかは、わからないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

九月某日。

 

 

 

 

「あ」

 

ふと目に付いた本の背表紙に、彼女は立ち止まり目を見張る。

 

小難しいタイトルだ、著者は知らない。ただどこかの誰かが……おそらく噂の類だろうが……面白いと言っていたのだ。

 

彼女はそれを手に取って、レジ横で扇風機に吹かれながら相撲を見る老婆に言った。

「おばあちゃん、これ貸してよ」

そこが貸本屋であるからだ。

 

 

 

この小説の舞台は確か近未来だ。

主人公は少女で、不幸になった家族を救うため過去に飛び、未来を変えようと奮闘する。内容は相対性理論だの因果律だのと難しい単語が飛び出すけれど、既存の物理学に基づくだけに面白いと話題になった。理系男子はこぞってロマンがあると喜ぶらしい。

 

「私これ、途中までしか知らないんだよ」

 

……いつ、読んだのだっけ。それは忘れた。

ただ少女がタイム・パラドックスにぶち当たり、どう解決するのかという所までは知っている。

あの後少女やその家族がどうなったのか、思い出した途端に気になりだした。

 

 

老婆に小銭を手渡して、彼女は帰路を早足に行く。一度気になってしまったら、知りたくて知りたくて仕方ないのだ。

 

彼女は読書はしないけど、この話だけは好きだった……気がする。その理由はわからない。

 

 

 

「なあ、あんた」

 

風が吹いた。

九月の風は残暑のせいか、夏の香りが未だ色濃い。近くの河川敷のせいなのか、それに芝の香りも混ざった気がする。

不意に後ろから掛けられた声に、彼女はゆっくり振り向いた。

 

 

「栞、落ちた。その本のじゃないのか」

 

 

声は男のものだった。身長差に彼女は見上げる。

……派手な男だな……。最初に思ったのがそれだった。歳は同じくらいだろうか。もしかしたら、少し歳上かもしれない。面立ちがアカギとよく似てる。

 

 

「……どうも」

 

「ああ。ほら」

 

貸本屋で借りた本に、栞があるなど気付かなかった。男は土埃を払い、彼女にそっとそれを差し出す。

なぜか胸は、妙な懐かしさを覚えていた。初めて会ったはずなのに。

 

白昼夢でも見ているみたいだ。

 

 

 

「あんたも……その本好きなのか」

 

「……?」

 

「俺も、少し前に読んだ」

 

「……そうなの」

 

手の中の本を見下ろした。表紙はシンプルだ。よく言えばシックだし、悪く言うなら飾りっ気がない。

タイトルも小難しい。なにせ英語で、しかも筆記体で書かれてるのだ。彼女はこれを、和訳する英語力は持ってない。

 

 

「……なんだっけ。少女が家族を助ける、話……」

 

「……?少女?……ああ、確かに少女時代だな」

 

「少女〝時代〟……?」

 

「……悪い。これから読むところだったのか」

 

ネタバレになっちまったかと、男は申し訳なさそうにする。別に怒ったりしないのに。

なるたけぎこちなくならないように、彼女は少し笑って見せた。

 

 

「いいや、途中だけ知ってるんだ。女の子が家族のためにじゃないの?」

 

彼女の質問に、男は戸惑うようだった。未読なのに答えては、先の展開をバラしてしまうのと同義だからだ。

「いいよ、教えて」

彼女がもう一押しせがむ。そこでようやっと、男は口を開くのだ。

 

 

「いや……〝妻が夫のために〟だ。あと、間接的にだが、生まれてくる子供。タイムスリップするから、劇中は少女になってるが」

 

だからこれは、妻の愛する夫のための冒険談ということになる。少女の家族のための……では些かニュアンスが異なるだろう。彼女は改めて、本の表紙をまじまじと見た。何故、ずっと勘違いしてたのだろうか。

 

 

「……あのさ、これ読める?私英語苦手なんだ。タイトルの意味わかんない」

 

男は苦笑して見せたけど、そこに嘲る様子は見られなかった。眼差しはやはり暖かい。あまりにも懐かしくって、彼女は理由もないのに涙腺が緩みそうになる。

 

「〝You had me at 'Hello〟だ。

和訳すると、あなたに一目惚れしました」

 

 

より正確には『Helloと言っただけで、君は僕を手に入れた』

だから、『一目惚れ』

千切れ雲が流れてゆくのを、彼女は目の端にそっと捉えた。

それが何度目の夏かもわからない。ただ吹き抜ける風の匂いが、幸せの残滓を思わせた。あるはずのない追憶が、瞼の裏を熱くする。あのイヤホンの右側は……

 

 

目を閉じた。祈るみたいに。

 

 

男は少し照れくさそうにして、彼女に名前を問いかける。

「あんたさえ嫌じゃなかったら、名前を教えてくれないか」

 

彼女はゆっくり目を開けて、やがて笑顔を淡く浮かべた。

 

 

 

「ハロー、そっちが先に教えてよ」

 

 

 

 

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