魔法少女まどか☆マギカ 《円環の理》――この世界に幸あれ   作:ぞ!

13 / 16
Ⅸ 101:1123692(2)

 

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 いなくなったことにも気付いていなかったことに気付いた。

 

 だから、彼女は願ったのだ。

 ソレを知って、白い小動物の姿を取った悪魔に魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

『―――――――――――あれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、暁美ほむらがひとつ前のループでなかったことにしたはずのものであった。

 絶望した鹿目まどかが変貌し、至ったもの。

 永遠に幸福な日々を繰り返す最も新しき世界の法則。

 

 この世界に幸あれ。

 

 ただそれだけの祈り。

 ただそれだけの願い。

 永遠に永劫を繰り返した果てに、ついには並行世界すらのみ込まんとする最も新しき宇宙の法則――《円環の理》。

  

「まどか、まどかまどかまどか……」

 

 度重なる絶望に暁美ほむらは狂いかけていた。

 呆然とそれを見上げ、ただ延々とその名を、彼女の名を呟き続ける。

 それをしばらく見やっていた彼女は――鹿目まどかは、その眼に決意を浮かべ立ち上がった。

 

「まどか……?」

 

 ほむらはそんな彼女を呆けた顔で見上げる。

 まどかは、微笑む。

 

「ほむらちゃん、わたし、いくよ」

「…………まどか」

「この世界で、あれに対抗できるのは、わたししかいない。だから、いくよ」

 

 ほむらの瞳から、涙が落ちる。

 

「いかないで……いかないで、まどか、わたしを、おいていかないで……」

「……だいじょうぶだよ、ほむらちゃん。ほむらちゃんのことは、わたしが守るから」

 

 ――それは、そうやって微笑む彼女の顔は。

 いつかの彼女の顔と同じで。

 ほむらの顔が、くしゃりと歪む。

 

「勝てる、わけないよ……あんなものに……あんな風になっちゃったまどかに、わたしが絶望させてしまったまどかに、だれも勝てるはずがない」

「大丈夫。わたしはあの『鹿目まどか』より、ひとつ多くループを繰り返してるんだよ。なら、その分わたしの力の方が上のはずだから」

「――いいや、それは間違いさ、鹿目まどか」

 

 唐突に割って入る声。

 聞き覚えのある声だった。

 ふたりが振り向けば、そこには予想通り彼がいた。

 

「キュゥべえ」

 

 鹿目まどかと暁美ほむらの話を盗み聞きしていたインキュベータが。

 彼は言う。

 

「絶望の力はいつだって希望のそれを凌駕する。魔法少女が魔女になると強大な力を得るのと一緒さ。それは希望から絶望の相転移エネルギーに比べれば遥かに劣るものではあるけれど、魔法少女が保有するものに比べれば膨大だ。だからこそ僕らはグリーフシードを回収しているのだから」

「……それでも。わたしがどうにかするしかない」

「そう、そうだね、その通りだ。この宇宙において君以外にあれをどうにかできる可能性のあるものは存在しない」

「そうだね」

「だから、頑張ってね、まどか」

 

 相変わらずその声に感情の色はない。

 無機質に彼女を見上げる目からは、なにも感じ取れない。

 しかしまどかには、その奥底に生まれつつあるなにかを感じ取ることができた。

 焦り。恐怖。畏怖。絶望。

 彼らにとって初めてとなる事態に直面して、誕生しつつあるもの。

 それはほんのわずかな一欠片でしかないが、おそらく彼らを致命的に変化させる切欠に成りうるものだ。

 

「いわれなくても。でも、ありがとうキュゥべえ。たとえそれがあなたからの言葉だったとしても、それはわたしの力となる」

「…………」

 

 微笑んで告げられた感謝の言葉に、キュゥべえは、しかし何も反応を返さなかった。

 彼が何を思い何を『感じ』ているかなど、誰にも分からなかった。

 

「……わたしも、いく」

 

 両者のやり取りをじっと眺めていたほむらが、小さく、言った。

 

「ほむらちゃん……」

 

 彼女の目には、わずかながらも力強さが戻っていた。

 ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、まどかの隣に立つ。

 

「『あなた』の隣に立って戦うのが、夢だったの。だから、戦うわ。戦わない、はずがない。今度こそ、最後まで一緒よ」

 

 《円環の理》を見上げて、ほむらは告げた。

 声の震えを隠しきれていなかったものの、それでも彼女は前を向き、自らの足でしっかりと立っていた。

 

「それに、あなたをああしてしまったのは私だから。……だから、逃げることなんて、できやしないのよ」

「……うん、頑張ろうね、ほむらちゃん!」

 

 ――声に振り向き、それを見て、ほむらは目を見開いた。

 うれしそうに、本当にうれしそうに、鹿目まどかは笑っていたのだ。

 穏やかなだけではない。優しいだけではない。

 いつかのように、幸せに満ちた、明るい太陽のような満面の笑顔を、していたのだ。

 

「っええ!」

 

 ほむらの全身が燃え上がるように熱くなった。

 力の入らなかった手足に、活力が戻っていく。

 歓喜が彼女の心に満ち溢れていく。

 涙が零れる。

 うれしさの、きわまった涙だ。

 よろこびの、涙だ。

 完璧な涙を、暁美ほむらは流した。

 

「いこう、まどか!」

「うんっ、ほむらちゃん!」

 

 そうして二人は、運命そのものに立ち向かっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の話をしよう。

 『自分』などという概念のなかった彼の話だ。

 感情などという不条理なものを初めから持っていなかった『彼ら』の話だ。

 

 数多の希望と絶望を撒き散らしてきた彼は、ただそれを宇宙の寿命をのばすための必要な犠牲としか見ていなかった。

 感情のない彼だから、そのことに何を思うはずもなかったのだ。

 だから、そんな人類からすれば理不尽な行為を延々、延々と続けて。

 ――そうして、やがて彼はそれと出会うことになる。

 

 感情の存在しない彼をして畏れさせるまさに神のごときもの。

 真に彼らの力が抗えない、全てを終わらせるもの。

 彼らの続けてきた行為もなにもかもを、彼らの尺度にしてみれば一瞬で台無しにしてしまう、悪意で構成されたデウス・エクス・マキナ。

 

 だから、彼は――彼らは、全にして一である自己という概念の保有していなかった数多の彼らは、世界が終わる瞬間に、思ったのだ。

 

 

 

 ――こんなはずではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間一髪、ってところだったわね」 

「聞きたいことがたくさんあるけれど、今は後回しね。いきましょう、鹿目さん!」

 

 

「たく、見てらんねぇっつうの。この程度の魔女相手になに手こずってるんだか。いいからもうすっこんでなよ。手本を見せてやるからさ」

「チッ、アタシ一人で十分なのにさ……バカばっかりだよ」

 

 

「まどか!」

「よく分からないけど、とにかくアレをなんとかしないといけないんでしょ? それが出来る力があるんなら、迷ってる暇なんかないよ。今を乗り切らなきゃ、未来なんてどこにもないんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 ある日すべての人間の意識から忽然と消え去り、いなくなったことにも気付いていなかったことに気付いた。

 

 誰かの後悔が、それ一つでは不条理を覆すには到底足りなかった誰かの後悔が、永遠に繰り返す時の中で積み重なった数多存在する誰かの後悔が、ついにエントロピーを凌駕するに至った人ではない誰かの後悔が、それを彼女に気付かせた。

 

 だから、彼女は願ったのだ。

 ソレを知って、白い小動物の姿を取った悪魔のような誰かに魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

『この世界に――――――――――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めてだったわ。私、一人ぼっちじゃないもの。でもだからこそ、死ぬのがこんなにも怖い……」

 

 

「頼むよ神様、こんな人生だったんだ。せめて一度ぐらい、幸せな夢を見させてよ」

 

 

「あたしって、ホントばか……まだあいつに何も伝えていないのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 大嫌いだった自分を『彼女』に救ってもらった彼女の話だ。

 『彼女』がいないことに気付いて、けれど『彼女』がまだここにいることに気付いた彼女の話だ。

 

 永遠に繰り返す円環の中で、彼女はいつかどこかで後悔した彼と契約を交わした。

 『彼女』に会うために何度も何度も傷付き、斃れ、その度に次の自分に力とその記憶を託して、彼女は消えていった。

 いつだって、彼女の願うことはひとつだけだった。

 かつて『彼女』がよく口にしていたその言葉だけだった。

 

 

 

 

 

『この世界に――――――――――あれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメ、だったね……まどか」

「うん……強いなぁ、絶望したわたしって」

 

 そうして、彼女たちは飛び立ったはずの場所に倒れ伏していた。

 

 世界は相も変わらずそこにあった。なにも変わってはいなかった。

 街に被害など一切出ていない。

 壊れた建造物もなければ、死んだ人間もいない。

 近くには意識を失ったままの七篠タレカも倒れている。

 

 そして、空に浮かぶ《円環の理》もまた、現れた時となにも変わらずそこにあった。

 

 《円環の理》は向かい来るもの以外に一切危害を加えようとはしなかった。

 ただ佇むだけだ。

 ただ宇宙にその祈りを響き渡らせているだけだ。

 この世界が幸せでありますようにと願っているだけだ。

 ――ただ、この世界を永劫の円環の中に閉じこめようとしているだけだった。

 

「もう、いいよね、まどか。諦めても、いいよね」

「……うん」

「同じ時を本当に永遠に繰り返すことになったとしても、きっと、それは幸せなんだろうから。まどかの願う世界なら、そのはずだから」

「そう、だね。もう、いいよね」

 

 手を繋いだふたりは、揃って諦観の笑みを浮かべて、《円環の理》を見上げていた。

 

「いっそさ、わたしも絶望しちゃって、ほむらちゃんも絶望しちゃって、この世界だけじゃなく、全部の世界をぱぁっとおんなじにしちゃおうか」

「そう、だね。きっと私たちなら、それぐらい簡単にやってのけちゃうんだろうね。……それも、いいかなぁ」

 

 顔を見合わせて、おかしそうに笑いあうふたり。

 ふたりの手の間に握られたソウルジェムは、一瞬後には染まりきってしまうほど黒く濁っていた。

 そんなふたりを、キュゥべえはただ黙して見つめている。

 

「……理解できないな。どうして人間の感情はこれほどまでの不条理を世界にもたらすのだろう」

 

 誰にも聞こえないほど小さな声で、彼は呟く。

 相変わらずその声には何の感情も浮かんではいなかったけれども。

 視線を《円環の理》に移した彼は、彼らは、この宇宙に存在する数多のインキュベーターは、同時に思った。

 

 

 

 こんなはずでは、なかったのに。

 ――その後悔は、いつかどこかの誰かに、ほんの少しの力を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、ついに、かつて自分のことが大嫌いだった彼女は、そこに届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《この世界に――……――……》

 

 宇宙に響き渡る祈りが、そのときはじめて、停止した。

 

「え……?」

「あれは」

 

 それまでただ佇むだけであった《円環の理》の腹部が、急激に膨れあがり、

 そうして、

 弾けた。

 

 光が、世界を照らしだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、ついに、かつて自分のことが大嫌いだった彼女は、それを『彼女』に伝えることができるのだ。

 だから、いつものように、彼女はそれを口にする。

 そう――。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界(あなた)に幸、あれ――――――――――――!」

 

 《円環の理》と同じ言葉、けれど全く異なるその祈りが、最も新しき世界の法則を、打ち消した。

 破裂した《円環の理》の内より飛び出したのは、ひとりの魔法少女であった。

 彼女はどこかで見たような夜の闇よりなお深い暗黒のドレスを纏っていた。

 鹿目まどかのそれと全く同じ装飾の、しかし色を反転させたようなドレス。

 

 彼女は平凡な顔つきをしていた。

 どこにでもいるような特徴のない顔立ちをしていた。

 

 しかし彼女の持つ瞳が、その全てを裏切っていた。

 どこまでも真っ直ぐに前を見据え、力強く輝くその瞳は、それを見たものの記憶に決して消えぬ印象を刻み込むだろう。

 誰も、それから視線を外すことなどできはしない。

 なぜならばそれは、最も新しき伝説なのだから。

 最も新しき世界の法則に対抗するために生まれ、永遠に繰り返す時の中で幾度も打たれ、押し潰され、研磨され続けてきた、どこにでもいる平凡な少女がついに至った最も新しき英雄の姿なのだから。

 その伝説の名を、彼女たちは呼ぶ。

 暁美ほむらも、鹿目まどかも良く知っている彼女の名を呼ぶ。

 

 

 

 

 

「七篠、タレカ」

 

 

 

 

 

 《円環の理》が、ついに己の天敵が誕生したことを知り、慟哭した。

 それはあってはならぬものであった。

 それの世界に、あってはならぬ存在であった。

 なぜならば。

 

「ようやく……ようやく届いたわ。ようやく《円環の理(あなた)》に会えるまでに、あなたと同じ位階にまで、私は至った」

 

 ああ、なぜならば。

 永遠に至ったそれに立ち向かおうとするのならば、対峙するものもまた――。

 

「まどか、まどかさん――堕天使様。あなたが永遠に絶望し続けるのならば、私は永遠にあなたへ希望を届け続ける! もう二度と、あなたをひとりで絶望させはしない――――――――――!」

 

 七篠タレカは空を駆けて、修復を終えたばかりの《円環の理》へと突き進む。

 それを迎える《円環の理》は、彼女の存在を否定するかのように首を振り、世界に悲痛な慟哭を響き渡らせる。

 それは『彼女』の世界に在ってはならぬものなのだ。

 永遠に救われぬ存在など、彼女の祈りから最も外れた極地にあるものなのだ。

 だから、『彼女』は決して彼女の存在を受け入れはしない。

 永遠に受け入れはしない。

 だからこそ、彼女たちは戦うのだ。

 永遠に戦い続けるのだ。

 この世の誰も知らぬ果てで、《円環の理(最も新しき理)》と《円環の理(最も新しき反逆者)》は、永劫に拮抗し続けるのだ。

 さながら、神と堕天使のごとく。

 

「――さようなら、もう一人の堕天使様」

 

 呆けたように己を見上げている鹿目まどかに小さく呟いて、七篠タレカは《円環の理》と一緒に、夜空に広がる青空の向こ側に消えていった。

 

「タレカ……ちゃん。タレカ、ちゃんーーーーーーーーーーーー!」

 

 世界が、閉じていく。

 異物を排除した世界は、本来ありえない他世界との繋がりを断ちきり、急速に本来の姿を取り戻していった。

 

 そしてそこに残ったのは、静かさを取り戻した夜だけだった。

 それだけだったのだ。

 それだけしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひどいよ……こんなのあんまりだよ……。どうしてタレカちゃんが、あんな風にならなければならなかったの……。どうして、わたしが、わたしのせいで、みんな、みんな……嫌だぁ……もう嫌だよ、こんなの……」

 

 鹿目まどかは顔を覆って泣きじゃくっていた。

 小さな子供のように、泣いていた。

 暁美ほむらは、それを黙って見ていることしかできない。

 なぜなら、彼女もまた七篠タレカと一緒だからだ。

 その気持ちが痛いほどによく分かるからだ。

 

 それに、結局のところなにも変わっていないのだ。

 《円環の理》が去ったところで、この鹿目まどかが救われることなど永遠にないのだ。

 そう遠くないうちに、それこそ今すぐにでも新たな《円環の理》が生まれるのかもしれないのだ。

 そうして、またもうひとりの七篠タレカが生まれるのだろう。

 すでに願いを叶えてしまった暁美ほむらでは、その領域に達することは不可能なのだから。

 

 そうやって、永遠に世界は救われないまま連鎖を繰り返していくのだろうか。

 どうあっても、鹿目まどかは救われない存在なのだろうか。

 

「そんなのッ……ひどすぎるッ……」

 

 拳を握りしめて、ほむらは涙を流す。

 

「魔法でも奇跡でもいいから……お願いだからッ、まどかを救ってよ……! お願いだから、どうか……!」

 

 天を見上げて慟哭する彼女の言葉に応えるものはいない。

 この世界には魔法も奇跡もありはしないのだから、当然のことだ。

 だから、世界はこうやって永遠に続いていくのだ。

 鹿目まどかの絶望を糧にして、続いていくのだ。

 

 ――この世界に、幸は、ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女の話だ。

 彼女は魔女に魅入られた。

 けれどその失われるはずだった命を『彼女』に救われた。

 憧れた。好きになった。いつも一緒にいたいと思った。

 

 けれど。

 『彼女』はいなくなった。

 死んでしまったのだ。

 そして別の時間、別の場所、別の世界で、同じように人々を守るために戦って、死んで、同じ時間を繰り返しているのだという。

 ひょっこりと自分の前に姿を現した白い小動物のような彼からその話を聞かされた彼女は、幾人もの彼女達は、だから、願ったのだ。

 

 可愛らしい姿を取った悪魔に魂を売って。

 ――願ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***********************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、本当に、この世界に鹿目まどかの幸せなんて、存在しないんだ」

 

 声が、聞こえた。

 

「魔法も奇跡も、この世界にありはしない。ありはしないのよ」

 

 聞き覚えがあるようで、しかし暁美ほむらのはじめて耳にする声。

 

「あるのはただの絶望と、それと同じだけの数の――希望」

 

 彼女が、立ち上がっていた。

 彼女は平凡な顔つきをしていた。

 どこにでもいるような特徴のない顔立ちをしていた。

 

 しかしその瞳が、その全てを裏切っていた。

 ひたすら真っ直ぐに遠いどこかを見据え、力強さをもった瞳の輝きは、それを見たものの記憶に決して消えぬ印象を刻み込むだろう。

 誰も、それから視線を外すことなどできはしない。

 なぜならばそれは、最も古き人の想いだからだ。

 遥か過去から遥か未来へと続く人という種の中で在り続ける、なにかを、誰かを想う気持ちなのだから。

 

「七篠、タレカ」

 

 意識を失っていた彼女が、立ち上がっていた。

 鮮烈な祈りの輝きを双眸に宿した彼女が、そこにいた。

 

「顔をあげて」

 

 彼女は、なおも泣きじゃくるまどかの頭を撫で、優しさのこもった声で言った。

 だがそれでもまどかは下を向いたままだ。 

 

「堕天使様。まどか。まどかさん。顔を、あげて、上を見て。そこに、それはあるのだから」

 

 彼女の声と時を同じくして、彼女らの周囲に、やわらかな光が降り注ぐ。

 全てを癒すかのような、やさしく、甘い光。

 それは次第に強さを増していく。そうやって彼女らを――鹿目まどかを眩く照らせば照らすほど、その泣き声が、肩の震えが小さくなっていく。

 

 やがてそれが完全におさまった時、ついにまどかは顔を上げた。

 泣きはらした真っ赤な目で、街全体を照らし出すまでに至ったそれを見る。

 

 白い、光だった。

 濁りなど全く存在しない、無垢なる純白の輝きであった。

 傷付き、壊れそうになっている彼女の心を癒す、やさしい明かりであった。

 

「奇跡……?」

 

 ぽつりと、同じそれを見上げていたほむらが呟く。

 だがタレカは首を振る。

 

「いいえ。違う。この残酷で美しい世界に、魔法も奇跡もありはしない。あるのはただ人の想いだけ。誰かを、何かを想う崇高な人の想いだけ」

 

 同じくその光を見上げて、彼女は言うのだ。

 

 

 

「――奇跡を願う誰かの祈りだけ」

 

 

 

 彼女の話をしよう。

 自分のことが大嫌いだった彼女――七篠タレカの話をしよう。

 いつかの、どこかの、たくさんの世界にいた七篠タレカの話をしよう。

 

 どの世界の七篠タレカも鹿目まどかに命を救われていた。

 自分の住むマンションの屋上から飛び降りたところを救われたこともあれば、鹿目まどかの友人と一緒に集団自殺しようとしたところを救われたこともある。それ以外の魔女にも魅入られ、その度に七篠タレカは『名無しの誰か』として鹿目まどかに救われてきた。

 どこの誰かも分からず、さがそうという勇気も持てない彼女は、いつだってその時のことを反芻してにやけながら日々を過ごした。

 ――だから、堕天使様として慕うことができた世界の七篠タレカは幸福だったのだろう。

 

 どの七篠タレカも、そうしてワルプルギスの夜を明かす。

 半壊したマンションの部屋の中で、あるいは傷ひとつなかった部屋の中で。

 一時間も経たずに避難所から逃げだした対人恐怖症の彼女が引きこもるのは、いつだって自分の部屋なのだから。

 そうやって生き残った彼女は、いつだって知るのだ。

 あの白い小動物の形をしたキュゥべえという存在から、鹿目まどかが魔法少女として命を賭けてこの街を守ったこと、そして今なお別の世界で救いのない永遠の迷宮を彷徨っていることを。

 

 だから、どの世界の七篠タレカも願った。 

 魔法少女としてぎりぎりの、最低限の才能しかなかった彼女だったから、時を越えることも生き返らすことも、そんなたいそうな目に見える奇跡など起こせはしなかったけれども、祈り、願ったのだ。

 

『鹿目まどかに、幸あれ』

 

 どの世界の七篠タレカも、ただその祈りだけを胸に、鹿目まどかの守ろうとしたものを受け継いで、彼女が去った世界で戦い続けたのだ。

 ――魔法少女の最後に、決して避けられぬ絶望が待つことを知りながら。 

 

 

 

 

 

「あなたが世界を繰り返し絶望を積み重ねていくたびに、それと同じだけの祈りが積み重なっていった」

 

 まどかは、淡々と語られた数多の七篠タレカの物語に、再び涙が流れでるのを止めることができなかった。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの祈り。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの願い。

 百十二万三千六百九十一の七篠タレカの鹿目まどかを想う心。

 それがいま、このとき、彼女の見上げる空に、光り輝いているのだ。

 

 そう、これは奇跡などではない。

 そう、これは魔法などではない。

 

「誰かを想い、奇跡を願う、人の祈りそのもの」

 

 なんて美しいのだろう。

 なんて優しいのだろう。

 なんて愛しいのだろう。

 

 ぎゅっと手を握られる感触に、まどかは隣を見る。

 ほむらが、涙まじりの微笑みを、彼女に向けていた。

 

「まどか……まどかは、こんなにも誰かに思われているの。だから、立ち上がって。もう一度だけ、立ち上がって」

 

 こくりと大きく頷いたまどかは、彼女の手に縋って、よろめきながらも再び地の上に立つ。

 ふたり手を繋ぎあって、天を見上げるタレカに視線を向ける。

 

「今、数多の七篠タレカの祈りが、形になろうとしている。けれど、それでもあと少しだけ足りない。だから、《円環の理》は生まれてしまった」

 

 祈りの詰まった眼で遠いどこかを見やるタレカは、まるで託宣を告げる巫女の如く語る。

 ひとつ前のループ。

 七篠タレカの死んでしまった世界。

 だから、足りなかったのだ。

 

「――だからね、堕天使様。私の祈りを以て、この願いは形になるの」

 

 祈りの宿っていた眼から、ふっと、力強さが消えて、ただの少女のそれへと戻る。

 頬を染めてはにかむように笑って、タレカは、この世界の七篠タレカは、これまでの成り行きを見守っていた彼――キュゥべえに目を向けた。

 腕組みをして、子供のように胸を張って、挑むような目つきで、彼に告げる。

 

「これまで戦い続けて、いまもどこかで戦い続けている七篠タレカの想いを、永遠を繰り返してようやくここに辿り着いた堕天使様の想いを、私は無駄にはしたくない。この人に、救われてほしいの」

 

 タレカの双眸に、再びあの光が灯り始める。

「永遠の牢獄なんて、壊してみせる、変えてみせる」

 

 彼女の全身から頭上に輝く光と同じものが立ちのぼる。

 

「これが私の祈り、私の願い――さあ! 叶えなさい、インキュベーター!!」

 

 ひれ伏せずには居られない気高さで発せられた言葉に、彼は応えた。

 

「それがきっと、僕らの願いでもあるのだろうね。いいだろう。契約は成立だ。君の祈りは、エントロピーを凌駕した。さあ、解き放ってごらん――条理を覆す君の想いを!」

「っぅ――――――――――!」

 

 タレカの胸元から眩い光が生まれる。

 走る激痛に漏れでる悲鳴をかみ殺し、彼女は、祈りの宿った眼でまどかを見る。

 

「いま、この世界の七篠タレカの願いを含めた百十二万三千六百九十二の祈りによって、ようやくそれは形になろうとしている……! でもね、それは、私達が叶えてはだめなの。まどかさん、それはあなたが決めなければならない。なぜなら、私達の願いは、堕天使様が、幸せになることだから……だから!」

 

 タレカの胸から生まれた光は、ゆっくりと空に浮かび上がり、上空の輝きに近づいていく。

 

「言って! あなたはどうすれば幸せになれるの――――!」

 

 その言葉に、まどかの脳裏にはこれまでの膨大な記憶が奔流のように流れていった。

 絶望した自分――《円環の理》。

 最も新しき伝説――七篠タレカ。

 諦めない暁美ほむら。

 彼女を痛めつける鹿目まどか。

 初めて時を遡った暁美ほむら。

 世界を傍観した年月。

 絶望に気付いた鹿目まどか。

 幸福の日々にいた鹿目まどか。

 幸せな日々の終わりに気付いた鹿目まどか。

 暁美ほむらとの出会い。

 巴マミとの出会い。

 その前の孤独な自分。

 

 繰り返すループ。

 蓄積する絶望。

 消せない悲しみ。

 次々に記憶を遡っていき、ついには遥か彼方、九万年以上も過去の、彼女がまだ幼かった頃の記憶が蘇る。

 そう。

 そうだ。

 それが、全ての切欠だったのだ。

 

「わたしは、」

 

 それで、いいのだろうか。

 それで、本当に鹿目まどかは幸せになれるのだろうか。暁美ほむらは、七篠タレカは、他のみんなは救われるのだろうか。

 また、自分は間違えているのではないだろうか。

 気が遠くなりそうな不安。

 膝ががくがくと震え、逃げだしたくなる。

 いつも失敗ばかりを繰り返してきた。

 些細な切欠で全てを台無しにしてきた。

 今度も、もしかしたら――。

 

「まどか」

 

 彼女を励ますように、繋がった手が、優しく握りかえされる

 縋るように、彼女を見上げる。

 

 暁美ほむら。

 

 鹿目まどかの大切な人。

 たったひとりの友達だった少女。

 彼女はまどかを安心させるように微笑み、言う。

 

「大丈夫。もしまたまどかが間違えたら、私が止めにいくから。何度でも、あなたを助けにいくから」

「……バカだなぁ、もう、ほむらちゃんてば。そんなんじゃ、意味がないのに」

 

 そうさせないために、これからまどかは願うというのに。

 だけど、彼女は言うのだ。

 

「それでも、それが私だから。きっとどんな私でも、それを願うから」

「そっか……ほむらちゃんなら、仕方ないよね。うん、ホント、しょうがないなぁ」

 

 すっと、まどかの身体から不安が抜けでていく。

 大丈夫。

 もう、迷わない。

 自分には、いつだって自分を想ってくれる大切な友達がいるから。

 きっと、大丈夫。

 どれだけ間違えても、どれだけ苦しんでも、どれだけ辛い目にあっても、どれだけ絶望しても。

 最後には、いまみたいに、笑っている。

  

「タレカちゃん」 

 

 まどかは、告げる。

 苦痛に耐えながら、羨ましそうに、愛しそうに、自分たちを祈りの目で見守っていた彼女に、告げる。

 

 大丈夫。きっとあなたとも、また会える。

 また、あなたを助けにいくから。

 迎えにいくから。

 だから。

 

「わたしは――――――――――――――――」

 

 それを聞いて、タレカは深く目を瞑って、そして。

 開いた。

 

「鹿目まどかに、幸あれ!」

 

 世界が閃光に満たされる。

 百十二万三千六百九十二の七篠タレカの祈りが、鹿目まどかの願いを、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。