魔法少女まどか☆マギカ 《円環の理》――この世界に幸あれ 作:ぞ!
「いいのかしら、佐倉杏子」
「あん?」
「あなたはまだ私の行いに納得していないのでしょう?」
「……ハっ、別にこれはアンタの手伝いじゃない。ただあの七篠タレカとかいう女が気に入らないから、ぶっちめようっていう、それだけのことさ」
「……そう」
「そうさ」
「…………それとさ」
「なにかしら」
「アタシのことは、杏子って呼べよ。フルネーム読みなんていう気持ち悪い呼び方すんな」
「…………」
「……なにさ?」
「ツンデレおつ」
「はぁ……?」
「よぅ、アンタが七篠タレカだな。はん、やっぱり実物も存在感のない顔してやがる」
「こうして会うのは初めてね。用件は、言わなくとも分かっているわね?」
「は、はぁ……? い、いい、いきなりなんなのよあんた達! しつっ、失礼にも程があるわ!」
「…………」
「…………」
「な、ななな、なによっ!?」
「……オイ」
「……ええ。どうも演技をしているようには見えないわね」
「そ、そうか! あ、あんた達が堕天使様の仰っていたやつらね! あの方の居場所なんて、ぜぜぜ絶対に教えないんだから! 知らないけど教えてなんかやらないんだから!」
「堕天使ィ?」
「な、なによあの方のことを馬鹿にするつもり!? ああああの方はね、こんな馬鹿で間抜けで愚図で阿呆で糞みたいな私と同じ顔をなさっているけれど、本当はとても美しいに違いないのよ! 見たことないけど絶対そうなのよそうに決まってるわ! 私なんかとは全然違うんだから! すごいのよ! それはもうすんごくすごいのよ! 空だって飛んじゃうし魔法だって使えちゃうし、あ、あんた達なんか瞬殺よ瞬殺なんだからね! あは、はははは、ばーかばーかばーか!」
「……なぁ、とりあえずコイツ一発ぶん殴ってもいいか?」
「せめてデコピンぐらいにしておきましょう」
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「あまりあの子を虐めないであげてくれるかしら。顔を合わせるなり、額を真っ赤にして泣きついてきたのよ。泣き止ませるのにどれだけ時間が掛かったか……」
「それより、詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか。アンタ、一体なんなんだい?」
彼女はいつもの場所にいた。
この街で最も高いタワーの屋上。
そこでほむらと杏子は七篠タレカと対峙していた。
いつもは放っておいても向こうからほむらの前にやってきていたため、その所在などを気にしたことはなかったが、ここ何度かのループで彼女がこの場所を好むことを知り、夜になるのを待って二人はここを訪れていた。
「今回は佐倉杏子も一緒、ね。巴マミは呼ばないのかしら? 仲間外れ? 可哀想にね。彼女、そういうの一番嫌がると思うのだけれど」
「彼女は――」
「アイツじゃアンタみたいなのの相手はつとまらないさ。正義バカだからねぇ、アイツ」
ほむらの言葉を遮って杏子が答えた。
それに、タレカは愉快そうな笑みを零した。
「ふふ……よく理解しているのね、彼女のこと」
「誰が! ただ気にいらないやつだから、自然と目の中に入ってきちまうってだけさ」
「そう、そういうことにしておきましょう」
「ちっ、いちいち嫌味な女だ。本当に昼間のアンタとは大違いだな」
その杏子の言葉に、だが彼女は動じる様子もない。
彼女にとっては、それも殊更隠し立てするようなことではないのか。
「あの子は、何も知らないもの。あの子はね、この時間軸の私の魂の残滓、なのよ」
「魂の……」
「……残滓?」
耳慣れない言葉に、二人揃って聞き返す。
「ええ。今の佐倉杏子も知っているのでしょうけど、私達の魂はキュゥべえとの契約の時にソウルジェムとして物質化される。それはつまり、私達の本体はそちらにあり肉体はただの遠隔操作できる抜け殻でしかないということよ」
「ちっ……そんなこと、今更言われるまでもなく分かってるさ」
「ならば、時間軸を移動してしまう私と暁美ほむらは、肉体そのものではなく精神――ソウルジェムが時を越える、というのも良いかしら?」
「ああ、そうなんだろうな」
「そして、私達は時を越えた後、改めて魔法少女として契約するのではなく、目覚めた時点で既に魔法少女になっている」
タレカはそこで一度口を閉じ、ほむらに意味深な視線を向けた。
どくり、と嫌なものが胸の中に滲んでいくのを、彼女は感じていた。
不吉な予感。
まるで敢えて気付かないでいたことを、さらけ出されるような、そんな――
「つまり、その瞬間に、もとあった肉体からは魂が失われているの。私達はね、時を戻る度にその時間軸の自分を、殺しているのよ」
――――――――――。
そう。
それは。
これまで。
気付かないようにしていたことで。
「暁美ほむら。あなたはこれまでにどのぐらい、なにも知らない自分を殺してきたのかしらね」
力が、抜けそうになる。
「なっ、テメェ――!」
「あらあら、私は本当のことを言ったまでなのだけれど」
膝から、崩れ落ちそうになる。
「だからって、そんなこと!」
「むしろ感謝して欲しいわね。彼女の歪みを正してあげたのだから。いま私は正しいことをしたのよ?」
だけど。
「ふざけ――」
「だからどうしたというの、七篠タレカ?」
倒れてなんか、絶対にやらないのだ。
「ほむら……?」
「大丈夫よ、杏子。私は、大丈夫」
心配そうな顔で見つめてくる彼女に、頷いてみせる。
そう。
そうなのだ。
たしかにこれまで、自分は無自覚に自分自身を殺してきたのかもしれない。
けれど。
それと同じぐらい、この目の前の、本当は心優しい友人を。
正義感の強い頼れる上級生を。
――大切な親友を。
巻き込み、自覚的に殺してきたのだ。
いまさら。
いまさら、『たかが』己を殺していたことを突きつけられたぐらいで、この自分がどうにかなるはずがないのだ。
「暁美、ほむら……!」
タレカはそんなほむらを、苦虫を噛みつぶしたような顔で睨み付ける。
これで、自分の意志を挫こうとしたのか。
だがおあいにく様だった。
そんなことで、暁美ほむらが立ち止まることはない。
「それで? あなたの事情の続きとやらを説明してもらおうかしら」
「……つくづく業の深い女ね、あなたは。どれだけの犠牲を積み上げたところで、その先に救いなどないというのに」
「私は信じているの。奇跡の確率はゼロなんかじゃないって」
そう言い切ったほむらから、タレカは顔を逸らす。
「――――――――――のに」
小さく呟かれた言葉は、風に流されて聞こえなかった。
「ほむら、アンタ……」
杏子は、そんなほむらを複雑そうな、けれどどこかうれしそうな顔で見つめている。
「さあ、七篠タレカ――話して」
「……仕方ないわね。あなた達が会った七篠タレカはね、時を移動した際に肉体からはじき出されたこの時間軸の魂を掻き集めて再構成した、もうひとりの七篠タレカなのよ」
「そんなことが可能なの?」
「できるものはできるのだから仕方がないわ。だから、ほら」
そう言って彼女が放り投げてきたのは、飾りの類の一切ない携帯電話。今爆発的に流行している機種でほむらたちも所有しているのと同型だ。おそらくこの時間軸の七篠タレカの所有しているものなのだろう。
どうやら通話中らしく、声が漏れている。
『あ、あああああああんた達! よくもこの間はやってくれたわね! あんた達なんか堕天使様にけちょんけちょんのぐちょぐちょにされてしまえばいいのよばーかばーかばーか!』
「またデコピンされたいのかしら」
『ひぅっ』
大人しくなる。
思わず溜め息を吐きたくなるが、すぐに重大な事実に気付く。
それは杏子も同様であったようで、ハッとした彼女はタレカに鋭い眼差しを向けた。
「ちょっとまて、アンタがここにいるのに、どうして七篠タレカが電話に出ているわけ?」
「言ったでしょう。あの子はこの時間軸の七篠タレカの魂が再構成された存在。そして私はソウルジェムが本体である七篠タレカ。つまり、100メートル以上肉体からソウルジェムを離しても、たとえ残滓でも肉体に魂の存在する七篠タレカはゾンビになることはないのよ」
「……なら、今のあなたは誰の肉体を操っているというの?」
仮に彼女の言っていることが事実なのだとしても、魔法少女として活動するにはどうあっても肉の器としての肉体が必要になるはずだ。
それに、彼女はなんてことのない口調で答える。
「その辺の死体」
「な――――」
「と言いたいところだけど、私はそこまで悪趣味ではないわ」
にやりと馬鹿にするような笑みを浮かべて肩を竦める。
「キュゥべえの話ではそもそも他人の身体では相性が悪いらしく、頻繁に誤作動を起こしてしまうようね。だから、あなたの質問に対する答えは、誰の身体も使っていない、よ」
「適当なことばっかいってんじゃねーよ。だったらアンタはいまどうやってそこに存在してるっていうのさ」
「魔力で構成しているだけよ」
あっさりと、七篠タレカは告げた。
「はぁ?」
「考えてもみなさいよ。魔法の力で私達は衣装ともいうべきものを作り出し、肉体の損傷だって修復することが出来るのよ。だったら、ただの肉の器でしかない肉体だって魔法の力で作り上げることが可能だと思わないかしら?」
「それは……」
ほむらは考える。
たしかに彼女の言うことももっともだ。
ソウルジェムと肉体の仕組みを考えれば、有り得ないことではない。
「けれど理屈と現実は違うわ。本当にそうだというの?」
「ええ。ほら――」
タレカがそう言った直後、彼女の姿にまるでノイズが走ったかのようなブレが生じた。
それは段々と激しさを増し、ついには彼女の姿が黒い人型のようなものにまで変じて――すぐにまた元の姿に戻った。
「分かったかしら?」
「……ええ、そうね」
「そんな非効率的なことに一体、どれだけの力を使うんだか」
二人はそれぞれに納得の意を返す。
それを見て頷いた彼女は、
「それで、前置きが終わったところで、今日は一体どんな用があって私のところに来たのかしら」
その纏う雰囲気を一変させた。
「っ――! こいつは……!」
タレカの身体から溢れ出る異常なほどの力。それを初めて目にした杏子は、全身を緊張させて身構えた。
慣れているとはいっても、ほむらも自然と背中を汗が伝うのを止めることはできなかった。
それほどの、かつて目にしたどんな魔法少女よりも、魔女よりも、それこそあのワルプルギスの夜に比べてさえ突き抜けた膨大な力。
心なしか初めて目にした時より増加しているような気さえする。
「……分かっているのでしょう?」
「なにを? 暁美ほむら、一体あなたはなんのためにここに来たというの?」
さらに強大になる圧迫感。
それだけで押し潰されてしまいそうなほどに。
「ぐっ……! オイほむら! こりゃ幾らなんでも……!」
既に彼女をどうにかする気など失せているのだろう、杏子は焦りをにじませてほむらを見やる。
彼女もまた、抑えきれない焦燥感を抱いていた。
七篠タレカがここまで力を垂れ流しにするのは、いままでになかったことだ。
しかも、明らかに敵意を含ませてこちらに向けられている。
もしかするとこの場で自分達を殺してしまうのでは――そう思ってしまうほどの危機感。
その未来は、決してないとは言い切れない。
七篠タレカの目的などなにも分からないのだ。
これまで命に関わるような危害を加えてこなかったからといって、これからもそうだとは限らないのだ。
「けどっ、それでもっ!」
七篠タレカに鹿目まどかを救う可能性が少しでもあるのならば。
暁美ほむらは諦めることなどできはしないのだ。
「力をっ……! 貸してほしいの! 七篠タレカ! お願い……!」
――そこで、ほむらと杏子の記憶は途切れている。
次に気付いた時、彼女達は涙を浮かべたマミとまどかに介抱されていた。
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「しかしそれにしても、よくあそこまでデタラメを並べ立てられたものだね。あれがつまり、君達がよく口にする『騙す』ということなのだろう?」
「…………」
「君達が時を越えてこの時間軸にやってきたとき、もともとそこにあった魂がどうなったかなんて、僕らにだって分からないよ。おそらく上書きされるのだろうとは思うけど、それだって確証があることじゃない」
「それに魔力で肉体を構成するだって? 初めからあったものを修復するのと無から全てを構築するのには、難易度に差がありすぎるよ。いくら君でも――いや、もしかしたら君なら可能なのかもしれないけれど」
「…………」
「やれやれ、今日はだんまりかい。まぁ、君にだってそういう時はあるのだろうね。君だって、人間なのだから」
「この世界に、幸、あれ」