肌寒く感じるようになってきた頃、外から事務所に入るとふわっとした暖かさに、ホッと一息つく。
いつものようにちひろさんとプロデューサーに挨拶しようと事務所を見渡すがプロデューサーの姿がない。
「おはようございます、凛ちゃん。今日は午前中レッスンでしたね」
いつも通りちひろさんの優しい笑顔に迎えられ、おはようございますと、挨拶を返す。プロデューサーの声はない。朝から外回り?
各々の行き先が書いてあるホワイトボードを覗き込む。まゆと友紀は撮影で……プロデューサーは休暇となっていた。
「プロデューサーって、休むんだ」
「休ませました」
驚きのあまり、思わず声を出していたらしい。振り返るとちひろさんが得意気に胸を張っていた。
「何回言っても聞いてくれないんですから困りました。休むのも仕事の内ですよ!って口を酸っぱくして言い続けてようやくです」
労働基準法がー、ブラック企業に認定されるーとちひろさんが嘆くのを聞きつつ、コーヒーの支度をする。
「ちひろさんも大変そうだね。コーヒー飲みますか?」
「そりゃあもう!あ、お願いしてもいいですか?」
「凛ー、俺にも一杯」
「はいはい」
カップを三杯用意して、ちひろさんのにはミルク、プロデューサーのには角砂糖を半分、私はブラックで。
「……プロデューサー?」
コーヒーを準備し終わってから、違和感に気づく。
「えっ!?どうしてプロデューサーさんが事務所にいるんですか!?」
驚くちひろさんと私に挨拶しながら、仮眠室(P専用)から現れたプロデューサーは眠そうだった。いつもやる気バリバリの姿ばかり見てきたのでどこか新鮮だ。
「いや、今日休みなんで昨日限界まで仕事してたら帰りそこねて……すみません」
罰が悪そうに、頭をかきながらちひろさんに謝るプロデューサー。……まったく、プロデューサーは家より事務所で寝ることの方が多い気がする。
横目で、先程自信満々にプロデューサーを休ませた宣言をしたちひろさんの顔色を伺う。
あ、ちひろさん。本気で怒ってるときの笑顔だ。
「コーヒー、ここ置いとくね。じゃ、レッスン行ってきます」
逃げ出すようにコーヒーを体に流し込み、事務所を出る。最後に見たプロデューサーは助けを求めていた気がしたけど、自業自得だ。人には、休むのも大事だぞ!と言ってるくせに、自分は全然休もうとしない。
プロデューサーの困り顔を思いだし、自然と頬がゆるむ。外に出ると冷たい風が火照った気持ちを冷ましてくれる。
よし、今日のレッスンも頑張ろう。
「戻りました」
「お疲れ様です」
「おつかれー」
午前中のレッスンを終え、事務所に戻るとちひろさんとプロデューサーが迎えてくれた。
「プロデューサー、まだ帰ってなかったの?」
「凛に見捨てられた後、急に眠くなってまた仮眠室で寝てたんだよ」
「プロデューサーさん、スタドリは用法容量を守って飲んでますか?」
「うぇ!? も、勿論です」
人聞きの悪いことを言ってくるプロデューサー。ちひろさんに怒られてもまだ反省してないらしい。
冷えた指先を伸ばした袖に包む。今日の予定は終わったしこれからどうしよう。
「ほい、コーヒー」
「ん、ありがと」
じんわりと体が暖まる。対面に座り、漫画を読んでいるプロデューサー。プロデューサーが自分のデスクにいないことが珍しくてぼんやりと眺める。
「何読んでるの?」
「長男が頑張って、妹を人間に戻す漫画」
「ふーん……」
意味のない会話。事務所にはちひろさんがキーボードを叩く音とプロデューサーの漫画を捲る音だけが響く。
いつもだったら、友紀がキャッツを応援して、まゆがプロデューサーにべったりで、ちひろさんがそれをニコニコと見つめ、プロデューサーはあちこちに電話したり出かけたりと、忙しない事務所。
そんな事務所も嫌いじゃないけど、静かな事務所もたまには悪くないかも……。
「凛ー? そろそろ帰るか?」
いつの間にか寝てしまったらしい。寝ぼけた頭をゆっくりと覚醒させる。体にはちひろさんが使ってるぴにゃこらたのブランケットがかかっていた。ちひろさんに後でお礼言わないと。
「ん……、今何時?」
「15時だな。ハナコの散歩はいいのか?」
「今日はお母さんが珍しく行くって」
「そうなのか。それでも、帰るなら送ってくぞ」
まだ、寝てたい。のんびりとした空気に当てられて気が緩んでしまったかもしれない。
「プロデューサー、どこか連れてって」
「どこかって言われてもなぁ」
煮え切らない態度のプロデューサー。……とっておきの切り札を切ることにした。
「ライブ」
「うん?」
「ライブバトル、頑張ったご褒美」
そして、私とプロデューサーは宛のないドライブをしてる。出発が決まった時は嬉しかった。ちひろさんに出先で営業かけないように見張ってくださいね!と言われてプロデューサーは苦笑いしてた。
だけど、ドライブに連れ出してから私は後悔していた。プロデューサーの折角の休日を私のワガママに付き合わせてしまったから。
「プロデューサーごめん。久々の休日なのにワガママ言ったりして」
助手席で下を向いて謝る。怒られたらどうしよう。呆れられてたらどうすれば。
プロデューサーはなにも答えなかった。聞こえてなかったかもしれない。でも、もう一度謝る勇気がなかった。
プロデューサーが無言のまま車が走る。いたたまれなくなって泣きそうになったとき、
「わぷ」
いきなり、プロデューサーが窓を全開にした。強い風が車内に吹き込み、髪が顔に張りつく。
「ぷっ」
笑うプロデューサーを思わずジト目で睨む。
「悪い悪い。あれを見てほしくて」
プロデューサーが指し示す外には、日本で一番大きなスタジアムがあった。
「――俺の夢だよ。三人にあそこで歌ってもらうこと」
その真剣な顔を、私は一生忘れない。
「俺は三人なら絶対日本一になれると思ってる、三人のファン1号であり、プロデューサーだぞ? 担当アイドルに頼られて怒るわけないだろ。むしろ嬉しかったよ」
そんな風に言うのはずるいと思う。今までも頼ってばかりだったのにもっと頼りたくなってしまう。
冷たい空気が入ってきてるはずなのに、顔が火照る。
「だからさ、これからも信じてついてきてくれるか?」
私に魔法をかけて、アイドルにしたプロデューサー。
「当たり前。私が、私達が、プロデューサーをあの場所に連れていく」
――次は私がプロデューサーの夢を叶える魔法使いになるよ。
「あと、ちひろさんに怒られそうなった時は助けてくれ」
「それは無理」