突然だが、正しいこととは一体何だろうか。
ある人はその国の法に従うことだと言い、別の人は自らの信念に従うことだと言う。また別の人は他人に危害を加えないことだと言う。
人の数だけ正しいことが存在し、正しくないことも存在する。当然俺にもそれらは存在する。深く考えたことはないのだが。
先日泊まった村の村長が教えてくれた国に向かうこと半日が過ぎた頃、ようやく到着したと思ったが、国は滅んでいた。
見渡す限りボロボロの建物や瓦礫。俺たち以外の生き物の姿は一つも見えない。
戦争でもあったのだろうかと考えたが、それにしては必要以上に建物が壊されている。
一見してまともな外観をしているのが王宮のみであった。
俺とイレイナは王宮へ近付いたところで、俺は目に見えない壁のようなものに押し返された。
「何やってるんですか」
「進もうとしたら何かに押し返されたんだけど……。フン!良し」
「本当に何やってるんですか」
押し返されるのを無視して気合で見えない壁のようなものを通り抜けることに成功した俺はイレイナの後を追った。
王宮に入るための木の門は力を込めても開かない。
「困ったな……ここが開かないんじゃ他に泊まれそうなところは無いしなあ。来た道を戻ると言っても半日かかってしまうな……」
「……こうなったら手段は一つです。ここをぶち破りましょう」
「仕方ない、か」
俺は剣を取り出し、門に人が通れるくらいの大きさの切り込みを入れ、その部分を蹴った。門から切り取られた木の板が倒れ、王宮の中に入れるようになった。
中に入った後、念のため時間逆転の魔法を使って元に戻しておいた。
こういった王宮で寝るための部屋――寝室があるのは上の階だろうから、俺たちは階段を探して上に行くことにした。
無事に階段を見つけ、上り始めた時、「あなたたち、誰?」と声がした。階段の上の方から。
そっちの方を見てみると、一人の女性が立っていた。どうやらまだ人がいるようだ。
女性に案内されたのは寝室だった。机とベッドしか家具がなかったがとても広い部屋であり、きっと王族が使っていた部屋なのだろう。
とりあえずお互い自己紹介することにした。
「俺はカイ。旅人をしてます」
「イレイナです。同じく旅人です」
「私はミラロゼよ。よろしく」
ぼさぼさになった赤い髪に、ぼろぼろのドレスを着ているミラロゼさんは自分の状況について教えてくれた。
記憶がないこと。目が覚めた時に机の引き出しに入っていた手紙には自分がこの国の王女であることや、ジャバリエという夜にだけ現れる化け物がこの国を滅ぼしたこと、王宮の中は安全だということ、魔女であることが書かれていたことについてだ。
夜にはジャバリエを見ることができた。
建物と同じくらいあるジャバリエの姿は、翼が無い黒いドラゴンと言えば分かりやすいだろう。
火を吐きながら建物を壊す姿は、まさに破壊の申し子と言える。こんな化け物に暴れられたら国の一つや二つは簡単に滅びてしまうのも理解できる。
「というかミラロゼさん、魔女だったんですか」
「というかイレイナさん、魔女だったのね。もしかしてカイさんも?」
「いや、私が魔女なのは見た目で分かりでしょう」
「いやいや、俺は魔道士ですよ。男ですから」
ミラロゼさんは俺たちの反応を見てくすりと笑い、「冗談よ」と言った。
なかなかユーモアを持った人のようだ。
話題は手紙についてになっていく。
ジャバリエについて、ミラロゼさんについて、この二つの関連性について事実のみが書かれており、経緯については全く書かれていないのだ。
こんな手紙に従うことはないのだ。だというのにミラロゼさんは明日の夜にジャバリエと戦う気だと言う。
勝算はあるらしく、一週間かけて魔法の使い方を思い出したのだとか。
「頑張ってください。私たちは安全な所から応援していますから」
「あ、手伝ってはくれないのね」
「すみませんが、あまりにも危険すぎます。手伝いたいという気持ちはあります。俺たちが三人で戦えば勝てるかもしれません。しかし、下手をしたら死ぬかもしれないことに首を突っ込むほど俺たちは死に急いでません」
イレイナとミラロゼさん、どちらを選ぶかと言われたら俺は迷うことなくイレイナを取る。今更な気もするが、彼女を危険な目に会わせたくない。
「その正直なところ、嫌いじゃないわよ」
「……どうも」
それから俺は未だに暴れているジャバリエを観察し、ミラロゼさんが貸してくれた部屋で魔道具の調整をしてから寝ることにした。
翌日の早朝。日が昇り始める前。
いつもより早めに起きた俺は王宮の中庭に出た。
誰も手入れをしていないからか、雑草がそこら中に生い茂っていた。
俺はあまり雑草が生えていない場所を見つけ、そこに座って目を閉じる。
頭の中に思い浮かべるのは昨日見たジャバリエ。
右の前足で薙ぎ払ってくるのを俺はジャンプで躱す。こちらの方に顔を向けたジャバリエは火を吐いてくる。
俺は足元に魔法で足場を作ってもう一度跳ぶことで対処する。その勢いのままジャバリエの頭部に剣を全力で突き刺す。
しかしジャバリエを殺すには至らず、ジャバリエは叫び声をあげながら俺に噛みついてくる。ジャバリエという不安定な足場の上にいた俺は自由に動くことができず、食べられてしまった。
「はぁ……ダメか……」
昨日見たジャバリエの動きを基にして頭の中で何度か戦ってみたが、一度攻撃することはできてもジャバリエの反撃で俺は殺されてしまう。
俺たちは戦わないと言ったが、それでも戦うことを想定しておいた方が良いだろう。
何かがあって実際にジャバリエと戦うことになった場合、俺とイレイナとミラロゼさんの三人だからここまで酷い結果にはならないだろうけど。
昨日泊めてもらった恩もあるので朝食を作ろうかと思ってキッチンに行ったら、そこには既にミラロゼさんがいた。
「あら、おはよう」
「おはようございます。何してるんですか?」
「これから料理をしようとしていたの」
「昨日泊めていただいたのでそれくらい俺がやりますよ」
「結構よ」
「えっと……でも何もしないというのは……」
「結構よ」
「……はい」
ここは譲らないと確固たる意志を見せられ、俺は広間の椅子に座ることにした。
その後すぐに隣のキッチンから謎の音が聞こえてきた。
ドカン。ドーン。ズドン。メリメリ。ガリガリ。い、言われた通りやったぞ、だから俺のことは――ぐちゃり。びりびり。ガチャン。
……隣で何をしているんだ……?俺の知っている料理の音とは全然違く、見に行きたい思ったが、見に行きたくないとも思った。
俺が震えていると、イレイナがやってきた。
またあの轟音が聞こえてきた。
「……おはようございます」
「……おはよう」
「なんで料理であんな音がするんですか」
「俺に聞かれても……」
そんな会話をしていたら、ミラロゼさんが料理を持ってきた。どんな料理か気になったが、赤いジャムが塗ってあるパンと目玉焼きが乗ったパンだった。これを作るのにどこからあの音が……。
「いただきます」
「「……いただきます」」
味は普通に美味しいんだけどその過程が気になりすぎて素直に喜べない。
朝食を食べながらミラロゼさんは俺たちにジャバリエを倒すための準備を手伝って欲しいと頼んできた。
まだ何も返せてないので当然俺たちは引き受けた。
「じゃあジャバリエを倒すのは?」と聞かれたが、冗談らしく、自分の国のことは自分で決着をつけると言っていた。
手紙を書いた人もそう望んでいると言う彼女に、俺は本当にそうなのかと思った。
それが顔に出ていたのか、「あなたたちの思っていることはもっともよ。あの手紙を全て信じ込んでしまうなんて、馬鹿な話よね」と言ってきた。イレイナは食べ物をのどに詰まらせていた。
同じタイミングでイレイナに水を渡した俺とミラロゼさんは静かに笑った。
そんな彼女には危険な目に会って欲しくないなと思い、思いとどまることはできないかそれとなく話したが彼女の意志は固かった。
ミラロゼさんの計画の準備は俺とイレイナで進めることになった。ミラロゼさんにはできるだけ魔力を残してもらいたいからだ。
俺は魔法で大きくしたシャベルで、イレイナは魔法を使って穴を掘っていた。この穴にジャバリエを落として魔法を浴びせる計画だ。
最初は三人で雑談をしながらの作業だったが、次第に口数が減っていった。
「……あとどれくらい掘れば良いですか」
「そうね、あともう少し掘ったらかしら」
「イレイナ、頑張ろう」
「……はい」
ミラロゼさんが少しだけ手伝ってくれたのもあり、落とし穴が完成したのは午後三時くらい。つまりおやつを食べるのに丁度良い時間だ。
「一度王宮に戻りませんか?俺の鞄の中にクッキーが入っていたはずなので三人でそれを食べましょう」
「カイのクッキー……ミラロゼさん、ここは一度戻って態勢を整えましょう」
「あら、そんなに美味しいのかしら。それは楽しみね」
俺たちは落とし穴の前で写真を撮り、落とし穴を魔法で隠してから一度王宮に戻ってクッキーを食べた。
「ミラロゼさん、これ使ってください」
俺はミラロゼさんに手のひらに収まるほどの小さな剣を渡した。
「これは?」
「俺が作った魔道具で、今は小さいですが魔力を流すと大きくなります。あとは魔法で操作しやすいように調整しておきました」
「ありがたく使わせて貰うわね」
「勝ってくださいね」
「当然よ」
クッキーを乗せていた皿をキッチンで洗い、ミラロゼさんが出発するまでの間に王宮の探索をすることにした。
俺は魔法使いの国でも使っていた探し物を見つけてくれる金属の棒の魔道具を取り出した。あの時は名前を付けていなかったが、今は『探すくん』という名前がある。
探すくんを持って進んだ先は王宮の地下。少しだけ探すくんに反応があった。
「さてさて、何があるかなと」
今回探すくんで探しているものは、今回の事態を引き起こした原因についての証拠である。
地下室を探し始めてそれなりに時間が経った。そろそろ戻ろうかと思った瞬間、探すくんが今までで一番の反応を起こした。
周囲を見渡し、俺が今立っている横の壁の一部が外れることに気付いた。
一目では外れることに気付けないだろう壁の一部を外してみると、そこには四つ折りになった紙が隠されていた。
何が書かれているか恐る恐る開いてみると、そこに書かれていたのは赤い文字――血だ。
『王女、使用人、交際――王、拷問、処刑――お腹、子ども――王女、王、化け物』
余裕がなかったのかまともな文章は書かれておらず、単語の羅列だった。
だが、なんとなく意味は分かり、なぜこの国が滅んだのかも予想できた。だが、その予想は外れていて欲しい。
俺は急いで地下室から出て外を見た。夜。
慌てて指輪に魔力を込める。イレイナの位置は王宮の外、落とし穴の近くだ。
全速力で駆け出した。
「あは、あはははははは!はははははははは!」
落とし穴の場所まで来た時に見たものは、俺が渡した剣を魔法で操ってジャバリエの首を切り、頭が無くなった体を魔法で細切れにして大声で笑っていたミラロゼさんだった。
ああ、何がいけなかったのだろうか。
王宮に戻り、ミラロゼさんから事のあらましを教えてもらった。
俺の予想は当たっていたようで、彼女は使用人と恋をして子どもを授かったが、それを許さなかった国王が使用人を拷問にかけた上で処刑、お腹の中にいた罪のない新しい命も殺された。
最も大切な二人を奪われた彼女は絶望し、全て殺すことを誓った。
最初に城にいた国王以外の全員を地下室に閉じ込めてから、城に強い魔力を持つ者以外を弾く結界を張った。俺が王宮に入るときに感じた見えない壁のようなものの正体だ。魔法の威力を減衰してくれるスーツのお陰でギリギリ通ることができたということだ。
次に、地下室から一人連れだして自分宛ての手紙を書かせた。きっとこの手紙を書いた人物が地下室の壁に紙を忍ばせたのだろう。地下室には誰もいなかったから恐らくその後……。
その手紙を机の引き出しにしまってから国王をあの黒い化け物の姿に変えた。しかも本人の意思とは関係なく国民を殺戮するようにして。
いくら魔女とは言えあんな化け物を作る程の魔力は持っておらず、記憶と引き換えに大量の魔力を引き出していた。記憶を代償とした理由は国王に自分の絶望を見せつけるため。
大量の魔力を消費した彼女は深い眠りにつき、目が覚めた時には記憶を失っていたということだ。
「それで、あなたたちは国を滅ぼした私を糾弾でもするのかしら?」
「……分かりま……せん……何が正しくて……何が間違っているのか……分からない……」
「カイ……」
「そう。私はもう寝ることにするわ。明日の朝食も私が作ってあげるから楽しみにしてなさい」
〇
私はかなり落ち込んだ様子のカイのことが気になり、彼がいる部屋に向かいました。
「カイ、私です。いますか」
「……どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けて中に入るとカイは椅子に座って窓から外を眺めていました。
外にはもう誰もいません。昨日は暴れていたジャバリエすら。
「俺は、どうすれば良かったんだろうな……何かできることがあったんじゃないのか……」
「私たちがこの国に訪れた時点で結末は決まっていたのです。できることは何もありませんでした」
「俺の作った魔道具が、人を殺したんだ……」
「殺したのはミラロゼさんであって、魔道具ではありません。それに、あの魔道具がなくても彼女はジャバリエを殺すことはできたでしょう」
「それでも……それでも俺は!」
ここでようやくカイはこちらを見ました。その顔には涙が流れていました。
これまでどんなことがあっても私に笑顔を見せていた彼が、初めて私に泣いている姿を見せました。
「俺は……今まで正しくあろうと努めてきた。人を傷付けることに嫌悪していた。困っている人がいれば、可能な限り助けるようにしていた。俺は正しく生きていると付け上がっていた」
「…………」
「だけど、さっきのミラロゼさんの話を聞いて思ったんだ。思ってしまったんだ。彼女は悪くないのではと」
「…………」
「それでさ、何が正しくて何が悪いのか、何が正解で何が間違いなのか、全部分からなくなったんだ。俺自身のことも」
「…………」
いつもは大きく見えるその姿は、道に迷っている子どものように見えました。
「俺は誰かの為とか言いながら誰かを助けて、自分がいたから助けることが出来たのだと優越感に浸かっていただけなんじゃないのか?旅をしようと思ったのもそれが理由なんじゃないか?」
「……それは違います」
「なら!俺は何故、旅に出ることにしたんだ!」
カイは本当に全てが分からなくなってしまったようです。十年近く憶えていてくれたあのことも。
なので私は彼のもとまで歩き、その頭を抱きしめました。
「え……」
「あなたが旅をすると決めた理由。それは、私と一緒に旅をするためです」
「あ……」
「あなたが誰かを助けるのは、その人の笑顔が見たいからです」
「ああ……」
「誰の目から見ても正しいことなんてありません。価値観は人それぞれです。あなたはあなたがやりたいと思うことをやれば良いのです」
「うん……」
「カイ、これからも一緒に旅をしましょう。美しい景色を一緒に見て、一緒に美味しいものを食べて、嬉しいことや楽しいことを共有し、辛いことや悲しいことを一緒に乗り越えていきましょう。これからもよろしくお願いしますね」
「イレ……イナ……う……うう……」
彼は私の腕の中で声を上げて泣き出しました。
私は一人でストレスや悩みを抱え込んでしまうことがありますが、いつも頼りになる彼もそうだったというだけの話です。今までが上手く行き過ぎただけだったのです。
私は彼が泣き止むまで抱きしめ続けました。
●
イレイナには情けない姿を見せてしまったが、今までで一番と言ってもいいくらい心は晴れやかだ。
もう大丈夫。何が正しいかなんて考えなくても良い。俺はこれからもやりたいことをやるだけだ。
翌日。
ミラロゼさんが作ってくれた朝食を食べた後、すぐにこの国を去ることにした。
「もう行ってしまうのね」
「はい、俺たちは旅人です。一つの場所に留まり続けるわけにはいきません」
「あら、そう。残念ね。あなたたちと話すのは楽しかったのだけれど」
そう言う彼女の表情に変化はない。
「さっきは朝食を普通に食べていたけれど、私が毒でも仕込んで真相を知ったあなたたちを殺すとは考えなかったのかしら」
「考えていませんでした」
「私のことはどうするつもり?」
「どうもしません」
「そう」
昨日の夜。俺が泣き止んだ後、イレイナとミラロゼさんについて話し合っていた。
彼女をどうするべきか、朝食を作ると言っていたが食べても平気なのか、直接襲い掛かってくるのではないかなど、今の彼女を疑うものばかりだ。
しかし、そういえばと俺が一枚の写真を取り出したことでこの話の結論が決まった。
落とし穴を掘り終わった後に三人で撮った写真。そこに映っているミラロゼさんの顔を見て思った。
確かにこの時とは比べ物にならないくらい冷たい雰囲気になってしまったが、ミラロゼさんであることに変わりはない。
少しだけ彼女を信じてみないかということになり、イレイナは自分の部屋に帰っていった。
そして今日。ミラロゼさんは俺たちに朝食を作ってくれた。昨日聞いた轟音は聞こえなかった。
朝食を食べ始める前に、彼女は使用人との馴れ初めや、彼が料理を教えてくれたことを思い出したから今日は静かであったのだということを教えてくれた。
その顔には少しだけ、昔のミラロゼさんが見えた気がしたのだ。
だから俺たちが言う言葉は決まっていた。
「「ミラロゼさん」」
「何かしら?」
「「ありがとうございました、どうかお元気で」」
俺たちはミラロゼさんに頭を下げて別れを告げた。
ミラロゼの大切な人が奪われることや記憶を取り戻すということを変えることはできませんでした……。
カイたちが訪れる前に終わってしまった出来事は変えようがありませんし、大切な人を奪われた彼女が記憶を取り戻さないことはより残酷な終わり方であると思ったのでこの形に……。本当に悩みました。
最後の別れは漫画版の方を参考。
前回はイレイナが泣いて、今回はカイが泣きました。カイは大人びていますが、まだ二十歳にもなってない男の子です。ミラロゼの心を助けることが出来なかったことや、知らなかったとはいえ自分が作った道具で人が殺されたことにショックを受けてしまうのも無理はありません。心に傷がついたとしても、そこからどう立ち直るかが重要だと考えています。