「師匠!どうしてここに」
「野暮用じゃ。まさかお主がここにいるとは思っておらんかったがの」
師匠は泣き鬼の方を向いた。
「お久しぶりですな、院長」
「その声、佇まい。喋り方は少し変わってますが憶えていますよ、ゴウザンさん」
師匠は何故か泣き鬼に対して親しげに話しかけていた。しかも泣き鬼の方も師匠のことを知っているようだった。
「師匠、知り合いなんですか。しかも院長って……」
「うむ、今から数十年も前のことじゃ。この人はある国で自分のお金で孤児院を開いておってな。子どもたちからとても好かれるような優しい人じゃった。儂も当時は若く、腹を空かせて倒れそうな時に助けてもらったのじゃ」
「あの頃のゴウザンさんは元気が無さそうでしたが、今は大丈夫そうで安心しました」
師匠と話をする泣き鬼の口調は先ほどまでの彼と同一人物とは思えないほど落ち着いたものになっていた。
泣き鬼が喋り終わった後、師匠は俺の方を見てきた。
「……儂がカイとの修行を終えた後、院長の孤児院はどうなったか気になって見に行った」
「……どうなってたんですか?」
「無くなっておった。何があったのか調べたところ、賊に襲われたということだけが分かったのじゃ。院長や子どもたちの行方は分からなかった」
「それって一体――」
「ええ、ええ!そうです。あなたが去った数ヶ月後の夜のことでした」
院長と呼ばれた泣き鬼は俺たちの会話に割って入り、彼は己の過去を語り始めた。
●
「みんなー、もう寝る時間なので部屋に戻って寝ましょうねー」
「はーい。院長、おやすみなさーい」
私は親に捨てられた子どもたちを放っておけなかった。なので己の全財産を使って孤児院を開くことにした。十人の子どもたちと一緒に暮らしていた。
孤児院での暮らしは裕福とは言えなかった。だが、子どもたちの笑顔を見ているだけで幸せだった。
「よし、全員部屋に戻ったね。後は残っていた書類を片付けるだけと」
私は自分の部屋に戻って書類仕事をしていた。全ての書類を片付けた頃には既に夜遅い時間だった。
寝る前にトイレに行くかと廊下に出たところで異変に気付く。
「入口のドアが開いてる……?閉めてたはずだけ――」
入口に気を取られていた時、背後から肩を掴まれて無理やり振り向かせられ、眼を切られたのだ。
「――うわあああ!痛い!眼が!何も見えない!」
「うるせえ!静かにしてろ!」
「グッ――」
全く聞き覚えのない声の持ち主に私は殴られ、気絶してしまった。
目が覚めた時、自分の体は椅子に縛られているのだと気付いた。
「――!――――!」
口は布で喋れないようにさせられ、声にならない声がその場に響いた。
体を動かしてみた。縄は解けない。
一体何が起きてるのか分からず、考え込んでいた私の耳に子どもたちの声が聞こえてきた。
「ヤダ!ヤダ!どこに連れてくの!」
「院長!助けて!」
助けを呼ぶ子どもたちの声。すぐにでも助けに行きたかった。
体を動かす。縄は解けない。
「院長!院長ッ!院長ーッ!!」
「うるせえガキだな。静かにしやがれ!」
その後に聞こえてきたのは人を殴る音と、子どもの悲鳴。
何をするんだ、やめてくれ。その子たちが何をしたって言うんだ。私が何をしたって言うんだ。平和に暮らしていただけなのに!
必死に体を動かす。縄は解けない。
「兄貴、このガキ動かなくなっちまいやしたぜ」
「チッ、脆すぎんだろ。煩いしこれだからガキは嫌いなんだ。他のガキ共は殺すんじゃねえぞ!傷もだ!売り物にならなくなっちまうからな」
耳を疑った。
動かなくなった……?売り物……?誰か殺されたのか?奴隷として売られようとしてるのか?
必死に体を動かす。縄は解けない。
「院長!どうして助けてくれないの!どこにいるの!院長!」
「うわーん!」
必死に体を動かす。縄は解けない。
「嫌だ!院長と一緒が良い!」
「ここは僕たちの家なんだ!どこにも行きたくない!」
子どもたちが外に連れていかれる音が聞こえる。
必死に体を動かす。縄は解けない。
「グスン……」
馬車の動く音が聞こえた。
必死に体を動かす。縄は解けない。
必死に体を動かす。
縄は解けない。
どれくらい時間が経ったのかは憶えていない。
「――ですか!大丈夫ですか!」
「…………」
「おーい来てくれ!こっちに生存者がいるぞ!ここの院長だ!」
「…………」
私は病院に運ばれ、孤児院に起きたことを教えられた。
孤児院に賊が入り、十人いた子どもの内三人が孤児院の中で殺されていた。他の七人の子どもの行方は分からないらしかった。
政府はこの事件の犯人を捕まえてくれると言ってくれた。
「何か聞きたいことはありますか」
「……子どもたちの、子どもたちの顔を見せてください。お願いします」
「院長、あなたの眼は……。いえ、分かりました」
医者に連れて行ってもらった場所。そこには三人の子どもの死体があり、私は一人一人の顔を触って確かめた。
「この子は最年長の……みんなの手を引いてくれてた子……。この子はいつも私の後ろに隠れてた子……。この子は最近逆立ちができるようになったと私に自慢してきてくれた子……。あ、あああああ……」
その後、私は国の端っこの小さな家に住むことになった。一人きりで、何かをするわけでもなく。
それから何年経っても賊が捕まったということや子どもたちが見つかったという報告を聞くことはなかった。
政府の方に何度も話を聞きに行った。しかし、返ってくるのは現在調査中という事務的な対応のみ。
私は静かな家の中で絶望していた。そんな時のことだった。
『グスン……グスン……』
「この声は死んだはずの……!どこだ!どこにいるんだ!」
『グスン……院長……みんなのことを……』
「みんな……?そうか、奴らに捕まってるみんなのことか!助ける!私が絶対に助けてあげるから!」
『グスン……違……う……』
「ああそうだね!助けるだけじゃだめだね!みんなを酷い目に合わせた奴らは私が全員殺してあげるから!」
『院長……』
そうして私は私から全てを奪った奴らに復讐するために力を付けた。目が見えないが、毎日体を鍛えたし刀の振り方だって練習した。何十年も掛けて。
『院長……こっち……』
私は声に導かれるまま国を渡り歩いていた。仕込み杖を手にして。
あの子たちを見つけることは出来なかったが、標的を見つけることは出来た。
『院長……その人を……』
私は声が指し示した人物とぶつかった。
「おい!痛ぇじゃねえか!どうしてくれんだ!」
少し年老いていたが、その声に聞き覚えがあった。
あの夜、私たちの全てを奪っていった罪人だ。
「これはすみません。お詫びと言っては何ですが、私のとっておきをプレゼントしましょう。どうぞこちらへ……」
「なんだよ、話が早えじゃねえか。へへへ」
疑いもしないで私の後ろを付いてくる罪人を路地裏まで誘い込んだ。
「さて」
「なんだよここ?ただの路地裏じゃねえかよ。おい、どういうことか説明しろよ」
「これが私からのプレゼントだ!」
「なっ――」
一閃によって罪人はあの子たちのところへ送られた。
『まだ……院長……』
「何?まだいるのかい?ならば教えてくれ!私が殺すべき罪人を!」
それからも私は声に導かれるまま罪人をあの子たちのところへ送り続けた。
数年掛かってしまったが、あの夜に聞いた賊全員を送り終えた。
『グスン……グスン……』
「どうしたんだい?何故まだ泣いているんだい?賊は全員送ったはずだよ」
『グスン……グスン……』
「そうか……。まだいるんだね!みんなを苦しめた奴らが!」
私は様々な国を渡り歩いた。
『グスン……グスン……』
「おじいさん、大丈夫ですか?転びそうでしたけど……。家まで送ってあげましょうか?」
「ああ、分かってる。今から送ってあげるからね……!」
「え?」
斬。
『グスン……グスン……』
「ちょっと大丈夫?酔っぱらってるのかしら?水でも持ってきてあげようか?」
「お前もあの子を苦しめた罪人か!」
「は?」
斬。
私はあの子を泣かせている奴らを切り続けた。
そして、今日もあの子は泣いていた。
●
俺は泣き鬼の昔話を聞いて絶句していた。
孤児院の院長の身に起こった悲劇、大切なものを奪った者たちへの復讐。その部分はまだ理解できる。理解できないのは、復讐を誓ったり無関係の人たちを殺した原因。
「死者の声を聞いたと……?」
死んだ人間が喋れるわけがない。生きている人たちからすれば当たり前のように知っていること。
「そうだ!あの子の声があったからこそ私はここまでできた!私はあの子を泣かせるお前を斬らねばならない!」
死んだあの子とやらの声なんて聞こえるはずがないと言いたいが、路地裏に入る前に聞いた気がする声が脳裏をよぎる。
「そうはさせませんぞ。儂はあなたを止めるために痕跡を追い、この国に辿り着いたのですから」
泣き鬼の前に立ちはだかる師匠。
「……いくらゴウザンさんとは言えども、私の邪魔をするのは許せませんよ?」
「ゴミ屑同然だったあの時の儂にさえ優しくしてくれたあなたに、これ以上無関係の人たちを殺させるわけにはいきませぬ」
「そうですか。ならばあなたも同罪だ!あの子たちのところに行って詫びなさい!」
猛スピードで接近し、師匠に切りかかる泣き鬼。
それに対し師匠は特に慌てた様子もなく取り出した刀で防ぐ。
「ほう。強いですね」
「あなたこそ、元孤児院の院長とは思えませぬ。それ程までにあなたの憎しみや絶望が大きかったということなのでしょう……。しかし、儂には勝てませんぞ」
「私は!あの子たちの想いを背負っているんです!だからこそ、私は負けない!」
路地裏という建物に挟まれた狭い空間。泣き鬼は壁を何度も蹴って加速していく。
「あなたは勘違いしている!儂が知っているあの子たちなら、あなたに人を殺して欲しいなどと言うわけがない!」
「この一撃で終わりです!」
ギリギリ目で追える速さの泣き鬼が、師匠の心臓を狙った突きを放つ。
「泣いていたのも!人殺しをするあなたに心を痛めていたからじゃ!」
師匠は両手で仕込み杖の刃を左右から挟み込み、そのままへし折った。
「なっ――」
「あなたの復讐はもう終わっているのです!目を覚ましてくだされ!」
呆気に取られる泣き鬼の頭に頭突きをする。泣き鬼はふらふらと後退ってから倒れた。気絶しているようだった。
師匠は泣き鬼を縄で縛って動けないようにした。
「……今まで気付くことが出来なくて申し訳ございませんでした、院長」
『ありがとう……』
どこからか安心したような声が聞こえた気がした。辺りを見回してみるが俺たち以外の姿はなかった。
その後、師匠は泣き鬼をこの国の警察に引き渡した。
俺は久しぶりに会った師匠と話がしたく、その旨を伝えると師匠は自分が宿泊している部屋に案内してくれた。
部屋に入った俺と師匠は備え付けの椅子に座った。
「師匠、今日はありがとうございました」
「お主の実力なら簡単に院長を倒すことは出来たはずじゃ。けれど彼の気迫に押され、戦闘に集中出来ていなかったようじゃな。まだまだ修行不足じゃ」
「……はい」
師匠の言う通り、俺の力を十分に出せていたら無傷で泣き鬼に勝てていただろう。しかし、俺はあの時、指輪の効果で防がれるとはいえ自ら攻撃を食らいに行った。そうしないと勝てないとその時は思ったからだ。
「ああいった手合いの言葉など気にする必要などない。どうしても話をしたければ殴って大人しくさせてからでもよい。お主にはまだ難しいのかもしれんがのう」
「…………」
「まあよい。儂はもう暫くこの国に残って院長と話をするつもりじゃ。まともに話を聞いてくれるかは分からんが今日よりはマシじゃろう。……お主はどうする?」
「この国は見るところもなさそうですし、明日には出ていくかと。ところで泣き鬼――院長はどうなるんですか?」
「まあ極刑じゃろうな」
「そう、ですよね……」
人を殺しておいて安く済むわけがない。殺された人の中には彼の復讐とは無関係の人もいた。仕方のないことである。例えどんな理由があったとしても。
「連れ去られた孤児院の子たちはどうなったんですか?」
「……院長は眼が見えないから調べることが出来なかったようだが、全員奴隷として売り出された後まともな扱いを受けずに亡くなっておる」
「それは……救いのない話ですね……」
「そうじゃな。自分の大切なものを守ることが出来ず、全て失ったのじゃから」
「大切なものを守る……」
俺は大切なものを守ることが出来るだろうか。
大切な人の顔が脳裏に浮かぶ。いつも一緒に旅をしている女性の顔だ。
「不安そうな顔じゃな。何を考えているかはおおよそ分かる。それはお主次第と言ったところじゃのう」
「顔に出てましたか……。師匠は孤児院の子たちが復讐を望んでないと言ってましたが本当にそうなんでしょうか?」
「…………」
師匠は何も答えない。きっと続きを促しているのだろう。
「俺は、自分を殺した相手を憎まないわけがないと思います」
「……儂が知っている院長の子どもたちは優しい子ばかりじゃった。自分を殺した相手が憎くないわけないが、それ以上に院長のことを心配しておったのじゃろう」
「でも彼はいないはずの子どもの声を聞いて復讐を誓いました。けど本当に幽霊なんているんでしょうか?」
「儂は長い間生きてきたが、幽霊はいると考えておる。……そしてすれ違いだったのじゃろう。一人になって落ち込む大好きな人を元気付けたかったから子どもの霊は話しかけただけなのかもしれん」
「…………」
「実際のところはよう分からん。だが、そうであって欲しいとは思う。すれ違いで人を殺すというのも悲しい話じゃがな」
「なるほど、大体分かりました。……ところで師匠は人を殺したことがあるんですか?」
俺は修業時代に怖くて一度も聞いたことがない質問をする。
「ある」
さも当たり前かのように師匠は答える。
根拠はなかったのだがこの答えが返ってくるのは確信していた。今の質問は次の質問――本当に聞きたいことのためのものだ。
「……それは自分が殺したかったからですか、それとも仕方なかったからですか」
「これ以上何も言う気はない。その答えは己で考えるんじゃな」
師匠は昔の話を聞かせてくれることはない。理由は分からないが今回もこれ以上は何も教えてくれないだろう。
師匠が自分の欲望のために人を殺すような人物ではないのは分かっている。それを教えてくれないことも……。それでも聞かずにはいられなかったのだ。
せっかくの師匠との再会ではあったのだが今日は疲れたので自分たちが泊まる宿に帰ることにした。
「……ありがとうございました。また会えるのを楽しみにしています」
「うむ、これからも精進するんじゃぞ。大事な人を守るために」
俺は師匠に一度頭を下げてから宿を出た。
●
「…………」
イレイナがいる宿に戻る道の途中。考えてしまうのは、俺が人を殺す機会が来てしまうのではないかということについて。
これまで旅をしていて誰かに襲われるということはあったが、気絶させたり無力化させることでどうにかなってきた。
しかし旅を続ける以上何が起こるか分からない。相手が善人であれ悪人であれ、殺す以外の選択肢が無かった場合俺はどうするのだろう。躊躇いなく殺すのか、それとも嫌だ嫌だと言い続けるのか。
どんなことを思い、どんな顔をするのか想像できない。これ以上考えたくもない。だが考えてしまうのだ。
俺は一度頭を振って答えを求めるように空を見上げた。
月は雲に隠れており、見ることは叶わない。誰も答えを教えてはくれない。
視線を自分の手に移して俺は願う。
――ああ。できればそんな機会、来ないで欲しい。
本編では久しぶりのゴウザン師匠が出てきましたね。
一応エリーゼとミリーナを助けたのはゴウザンという設定で、彼が彼女たちを助けてすぐに去ってしまったのは院長を追っていたからです。
またもう少し時間をいただきます……納得のいく形で仕上げたいので……。