一人旅より二人旅   作:一撃で瀕死になる人

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時計郷ロストルフにて――(後編)

 

 真っ白な空間の中、私はポツンと立っていました。宿屋でベッドに入ったのが最後の記憶なのできっとここは夢の中なのでしょう。

 

 そう理解した瞬間景色は一転し、時計郷ロストルフの街の路地になりました。

 

「…………」

 

 路地には演劇のチラシが至るところに張られていますが、私の目の前には別のチラシ――薫衣(くぬえ)の魔女エステルさんの張ったチラシがありました。

 お金がなく、カイにも大金を稼いでくると言いましたがそんなあてもなくどうしようかと悩んでいた私には好都合なものでした。

 

 また景色が一転し、今度はエステルさんの家になりました。いつの間にか私はソファに座っており、テーブルを挟んだ反対側には彼女が座っています。

 ……今日の出来事を夢の中でもう一度体験しているようです。

 

『――だからね、わたしが、あの子を救ってあげたいんだ』

 

「…………」

 

 エステルさんは三年前に処刑された幼馴染のセレナさんを助けたいと言いました。話を聞いているうちに私は感情移入してしまったのか依頼なんて関係なしに彼女の手助けがしたいと思いました。報酬は欲しいので口にはしませんでしたが。

 幼馴染の大切さは私にも分かるということを伝えると彼女はクスクスと笑い出しました。

 

『イレイナさん。その人のこと大好きなんだね』

『いきなりなんですか。私そんなこと一言も言ってないですよね』

『顔を見れば分かるよ。声も弾んでた。きっとわたしも、セレナを語るときはこんな感じなんだろうね』

 

「…………」

 

 エステルさんに揶揄われたりしましたが別に嫌ではありませんでしたし、心地よいものとさえ思っていました。

 

『きみの想いは早めに伝えておくべきだと思うよ。相手がいなくなってしまったら、その人と話すための声さえ聞こえなくなってしまうから」

 

「…………」

 

 またしても景色が一転。エステルさんの魔法で十年前のこの国に遡り、セレナさんの両親を助けるために家から連れ出して私はその場に残った時の景色。

 エステルさんが渡してくれたメモを眺めて考え事をしていた私の小指に嵌められていた、過去に遡るために魔力を使い果たしたエステルさんと魔力を共有するための指輪から魔力を吸い上げられた時のことです。

 

「…………もう終わりにしてください」

 

 これ以上先は見たくないのに、夢から覚めたいと思っているのに私はセレナさんの家を出て夕暮れ時の街並みを歩き、路地を曲がってゴミ箱がいくつも並ぶ仄暗い路地裏へと足を進めてしまいます。

 

「もうあんな光景見たくない!!」

 

 そう願っても目を逸らすことも閉じることも出来ず、ついにその光景が再び目に入ってしまいました。

 

『――あ。お姉さん、さっきこの女と一緒にいた人ですよね。わあ。困ったなあ』

 

 そこは地獄でした。全身が真っ赤に染まったセレナさんと、地面に横たわった彼女の両親とエステルさん。そして彼女の手に握られた血がついたナイフ。誰が三人を刺したのかは明らかでした。

 

『え?殺されちゃったの?誰にです?』

『あなたの親友にですよ』

『わたしに親友なんていませんが?』

 

 心底不思議そうに言う彼女に、私は絶句してしまいました。エステルさんはセレナさんのことを想っていたのに、セレナさんはエステルさんのことなんてこれっぽっちも……。

 

『だって、人を殺すのって、こんなに愉しいんだもの!』

 

 セレナさんは手に持ったナイフをこちらに向けながら突撃してきました。

 

『――ッ!』

 

 動揺していたことで反応が遅れてしまい、私は杖を構える前に彼女に刺される――瞬間、青い光が私を守ってくれました。光の出処は右手の中指に嵌められている指輪からでした。

 

『惜しかったですねー。その指輪のお陰かな?綺麗な指輪だね。お姉さんを殺したら貰おうかな』

『これは大切な人から貰ったものです。誰があげるもんですか』

 

 今度こそ私は杖を構え彼女に向けます。

 

『ふーん。大切な人ねえ……。彼氏とかですか?』

『……彼は大切な幼馴染です。こんな私と一緒にいてくれる、私を守ってくれて頼りになる幼馴染です』

『でも今は一緒じゃないですよね?お姉さんは今一人(独り)ですよ?』

『――――』

 

 頭が真っ白になりました。それでも構えた杖を下ろさないまま視線を左右に逸らしました。

 

 いつもなら私を守るように前に立ってくれるカイはいません。目に映るのはナイフをこちらに向けているセレナさんと彼女に刺されて倒れている三人。彼女の言う通り、今の私は一人(独り)でした。

 

 私の呼吸は荒くなっていきます。

 

『もしかしてお姉さんのこと捨ててどこかに行っちゃいました?だってお姉さんが危険な状況なのに助けに来てくれませんもんね』

『違う……。それは私が彼に何も言わずにここに来たからで――』

『ならお姉さんの方から離れてしまったんですねー。幼馴染さんに呆れられちゃいますよ?』

『こんなことになるなんて思ってなかった……!彼の手を借りる必要はないと思ったから……!』

『さっきのお姉さんは隙だらけでしたよ。その指輪が無かったら簡単に刺せてたんだけどなあ。もしかしていつも幼馴染さんに守られてるせいで自分が強いとでも勘違いしてしまいましたか?』

『    』

 

 …………私の心は九歳の少女にズタボロにされ、完全に思考が停止してしまいました。

 

『あれ?どうしたんですか?……動かなくなっちゃった。愉しかったけど飽きてきたからもう殺しちゃおうかな』

 

 今度こそ私を刺し殺そうとセレナさんが動き出した直後、路地に置かれていたゴミ箱たちが彼女に襲い掛かって壁に押し付けました。

 

『……許さない』

 

 ほぼ条件反射で声のした方に目を向けると、腹部から血を流しながら杖を構えているエステルさんが立っていました。

 

 

 

「…………」

 

 それからエステルさんはその感情の赴くままセレナさんを殺してしまいました。私が魔力を供給する指輪を外しても、彼女はセレナさんとの記憶を代償に魔力を生み出していました。彼女にとっての大部分を占める大切な思い出を、全て投げ捨ててしまったのです。

 

 景色が一転。未来に戻った彼女は、セレナさんを助けるという原動力がなくなったからか無気力になってしまっていました。

 

 そんな彼女から逃げ出すように私はあの家から飛び出しました。

 

 一人(独り)になりたくなくて、どうしたらいいか分からなくなって、無性にカイに会いたくなって、私は街の中を走り続けました。

 

『二丁目殺人鬼』のチラシが貼ってある路地を、劇場の前を、大きな時計台がある広場を。

 

 走って、走って、走り続けて。

 

「え…………」

 

 いつの間にか私は真っ暗な空間に立っていました。

 誰もいない。たった一人(独り)、私は取り残されていました。

 

「カイ……カイはどこに……」

「いないですよ」

「あなたは……」

 

 私の前に現れたのはエステルさんの魔力の塊を何度もぶつけられたことで血だらけになったセレナさんでした。

 

「お姉さんが過去に行ったことで指輪で位置を探せなくなり、指輪を捨てられたと思った幼馴染さんはこの国を出ていきました。お姉さんを置いて」

「彼はそんなことしません」

「でもお姉さんが国中走り回っても見つけられませんでしたよね?じゃあそういうことですよ」

「カイは私を信頼してくれてるんです。きっと彼も私のことを探し回っていたからすれ違いになっただけで……」

「お姉さんってすごく自分勝手ですねー。お姉さんは幼馴染さんのことを信じていなかった時期があったのに幼馴染さんがずっとお姉さんを信じていると思ってるんだ。度重なる詐欺行為やマッチポンプによるお金儲け。わたしだったら魔女なのにこんなことしてるお姉さんなんて見放しますよ?」

「やめて……やめてください!何も聞きたくない!見たくない!夢なら早く覚めて!」

 

 もう限界だった私は蹲って目を瞑って耳を塞ぎます。

 

「そうやっても無駄です。現実を見るべきですよ」

「…………」

「あははははははは!ははははははっ!」

 

 置いてかないで。私を一人(独り)にしないで。

 

 誰か助けて……カイ……。

 

 

 

 

 

 助けは――

 

 

 

 

 

 ――来ました。

 

「え……」

 

 暖かい光が私の右手を包み込み、思わず顔を上げました。

 

『イレイナ。これを』

『指輪……ですか?』

 

 見えてきたのは懐かしい光景です。

 まだ旅を始めたばかりの頃。別行動をしたら夜になっても合流できなくてカイが大声で私の名前を呼んだことがありました。

 他の人の迷惑になるのでやめて欲しいと伝えた数日後、彼は銀色の指輪を渡してきました。

 

『君につけてほしいんだ』

『え…………これってその…………そういうことですか…………?』

『そうだね』

 

 何気なく言う彼に私は戸惑ってしまいました。

 

『あなたの気持ちは嬉しいですけどまさかこんなに早いだなんて…………』

『ん?どうかしたの?』

『その……あなたがつけてください』

『変なことを言うね。いいけど』

 

 彼は緊張する私の右手を取って指輪を嵌めてくれました。中指に。

 

『……はい?』

『もしかしてきつかった?』

『…………まだ聞いてませんでしたがどうして指輪を?』

『俺たちが離れちゃうとお互いどこにいるか分からなくなっちゃうじゃない?だから魔力を流せばお互いの位置が分かる魔道具を作ったんだ。身に着けていても邪魔にならないよう指輪にしたんだけど嫌だった?』

『……………………いえ』

『え、何その間は』

 

 当時の私は大きな勘違いをしてました。

 男性から女性に贈る銀色の指輪なんてそう、まるで……婚約指輪みたいじゃないですか勘違いしても仕方ないじゃないですか私は悪くありません。

 

 まあ今となってはいい思い出です。彼は私と一緒にいてくれるためにこの指輪を作ってくれました。

 

 彼は私とずっと一緒にいてくる。危うくそれを忘れるところでした。

 この指輪は私を守ってくれるものです。今は右手の中指にありますがいつかは――

 

「あーあ。もう終わりですか」

 

 目の前のセレナさんは残念そうに呟いてから消滅しました。当然のことではありますが彼女は本物なんかではなく、私の弱い心が作り出した幻影のようなものだったのです。

 

 彼女が消える。それは私が目覚めるということだと直感で感じました。

 

 後は瞼を開けるだけ。先ほどまでの私なら現実を見ることへの不安や恐怖で目を閉じたままだったかもしれませんが、今はそんなことありません。

 

 この右手に感じる暖かさ、温もり。何も心配する必要なんてないのです。

 

 

 

「…………」

 

 目を開きました。天井が見えます。

 

 そして右を見れば予想していた通り幼馴染の姿がありました。私の右手を握り、椅子に座ったまま寝ていたようです。彼の後ろにあるベッドは使われた形跡はありませんでした。

 

 私が一人(独り)になる可能性なんて最初からなかったんです。いつも傍にいてくれる彼がいるのだから。

 

「カイ……」

 

 空いている左手で寝ている彼の頬に触れました。

 

「んん……イレイナ……?おはよう……」

「おはようございます」

 

 くすぐったかったのか彼は起きてしまいました。もう少し寝顔を見ていたかったですが残念です。

 

「調子はどうだい?」

「大体戻りましたよ。あなたのお陰です」

「そっか。それはよかった」

「ただもう少しだけ、一つだけ我が儘を聞いてもらってもいいですか……?」

「俺ができることならなんでも言ってごらん」

 

 彼は優しく微笑んでくれました。

 

 彼がいいと言ってくれたので今回だけは素直に甘えることにします。

 

 私がお願いするのは以前彼にお願いできなかったこと。

 

「私の髪を梳いてください」

 

 彼がいてくれるだけで十分なのだと気付きました。

 

 だから私はもう、大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

「痛くない?」

「滅茶苦茶痛いです」

「え」

「冗談です。痛くないですよ」

「そ、そっか……」

 

 イレイナに頬を触れられたことで目が覚めた。

 なぜ彼女が俺の頬を触っていたのか教えてはくれなかった。いつまで手を握っているんだと叩こうとしていたわけではないと信じたい。

 

 その後髪を梳いて欲しいと頼まれた。女性の髪を触る機会などほとんどなかったので不安だったが無事にできているようだった。

 冗談を言えるくらいには元気になっているようで本当によかった。

 

「それにしても、綺麗な髪だね」

 

 灰色の長くてさらさらしていて艶のある綺麗な髪。毎日隣で見ている髪ではあるが見飽きることはない。本音を言えばずっと触っていたい。

 とはいえ彼女の髪単体で見た時にこんな感想を抱くことはないかもしれない。その髪の持ち主も重要なのだ。

 

「まあ自信はありますね。ローブを着た後にふぁさーっという感じになびかせる仕草が癖になってたりします」

「服の下にある髪を上に持ってくるってことね。朝俺とイレイナが会う時には既に着替え終わった後だから見たことなかったけどそんなことしてたんだ」

「…………見たいんですか?」

「まあちょっと気には……あ」

 

 俺がその仕草を見たいと言うことは彼女が着替える瞬間を見ていたいと言っているようなものである。本人にその気が無くてもそう思われかねない。

 

「変態」

「待って待って、そんなつもりで言ったんじゃなくてね。君の仕草に興味があるだけで下心があるとかじゃないんだって」

「あわよくば……とか思ってるのでは?」

「そんなこと思ってないよ!全然!全然見たいと思ってない!」

「私の体に魅力がないとでも?」

「そうは言ってないじゃん!?」

 

 着替えを覗きたいとか見たいとかは思ってない。興味がないとは言い切れないがそんな不誠実なことをする気は毛頭ない。

 

「……ふふふ」

「……ははは」

 

 俺たちは静かに笑った。俺たちの日常が戻ってきた。寧ろイレイナは精神的に逞しくなった気もする。

 

 少しの間笑い合った後彼女の髪を梳かし終わり、俺は買い物に行くことにした。

 

「イレイナ。俺は買い物に行くけどどうする?」

「……そうですね。私は残っていようかと思います。街を歩いていると彼女に会うかもしれないので」

「彼女?」

「気にしないでください。私には会う資格なんてありませんからね……」

 

 イレイナは昨日ほどではないが暗い表情をしていた。もちろん詳しく聞くつもりはない。

 

「…………」

 

 彼女は俺の顔を見た後困ったように笑った。

 

「そんな顔しないでください。心配せずとも私は大丈夫ですから」

「顔に出てたか……。それじゃあ行ってくるね」

「いってらっしゃい。楽しみに待ってますよ」

 

 イレイナが手を振ってくれたので俺も振り返してから宿を出た。

 

 

 

 

 

 

「さて、買うものは全部買ったかな」

 

 街道の真ん中にて俺は紙袋を抱えて歩きながら買い忘れがないか確認していた。後は宿のキッチンでも借りてパンを焼くだけだ。

 

 

 宿屋へ帰っている途中で路地から人が出てきた。咄嗟のことだったのと荷物を持っていたことで避けれずにぶつかってしまう。

 

「おっと」

「あ、ごめん……」

 

 俺にぶつかったのは薄紫色の髪に金色の瞳を持った女性で、髪と同じ色のローブと三角帽子をしていることから一目で魔法使いだと分かった。三角帽子には魔女の証であるブローチが付けられていた。

 謝ってくる彼女の顔はどこか虚ろで今にも消えてしまいそうな雰囲気が漂っていた。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫か、ね……。なんだか昨日から大事なことを忘れてる気がして落ち着かないんだ」

「記憶喪失……」

 

 俺も物が支配していた国で記憶を失ったことがある。失っていたというよりは封印されてたと言った方が正しいが。

 ん?それ以前にも記憶を失ったことがあるような……。頭が痛い……。

 

「……急に頭を押さえてどうしたの?」

「気にしないでください」

「はあ……?」

 

 初対面の俺に対しても心配してくれる彼女はきっと優しい人なのだろう。そんな彼女に何かしてやれないだろうか。

 

「さて、あなたはその記憶を取り戻したいですか?」

「どうだろう。思い出したくない気がするんだけど、わたしの生きる意味だった気もするんだ」

 

 生きる意味だと言えるほど大事な記憶。それを忘れてしまったということはやはりこのままだと彼女にとってよくないだろう。

 とはいえ思い出したくない記憶を思い出してしまうのもよくないだろう。……記憶が戻ることが必ずしも幸せとは限らないのは見たことがあるから知っている。

 

「仕事は何を?」

「国の専属魔女をしているよ。理由は思い出せないけど今は休暇中さ」

 

 魔女なのは分かっていたが国の専属魔女とはなかなか偉い人物だったようだ。この国で悪いことをしたら彼女に捕まってしまうかもしれない。するつもりはないのだが。

 そんな立場の彼女に俺がこれから提案しようとしていることはこの国にはえらい迷惑だろう。

 

「忘れてしまった生きる意味について考えるのではなく、新しい生きる意味を探してみるのはどうですか?」

「新しい生きる意味?」

「そうです。趣味でも人でも何でもいいので楽しく暮らすための生きがいみたいなのを見つけてください。旅でもして」

 

 旅をしていると自分の知らない文化や景色、人物に出会う。そうすることで自分の世界が広がる感じがして楽しいのだ。目の前の何も知らなそうな女性にもそれを知ってもらいたい。

 

「旅……。でもわたしは国の専属魔女だよ?わたしがいなくなったら大変だと思うけど……」

「あなたが来る前からこの国はあったんですよね?ならあなたがいなくても大丈夫ですよ」

 

 実際のところは分からないが。

 俺と同じくらいの年齢の女性が一人いなくなっただけで国が上手く回らなくなるのならそんな国遅かれ早かれ滅んでしまうだろうし問題ないだろう。

 

「……考えておくよ」

「おっとそれはやらない人の言うセリフですよ」

「いや普通に考えたいんだけど」

「今のあなたが一人で考えたら後ろ向きの答えしか出ないのは見えてるのでここで決めちゃいましょう」

 

 俺は荷物を持っていない方の手でポケットの中から一枚のコインを出して表面を見せる。

 

「ここにコインがあるでしょう?これが表面です。今からこのコインを上に弾いて落ちてきたところをキャッチします。手を開いた時に表面が上だったらあなたは旅に出る。どうです?」

「……うん、決めた。君の言う通りにしよう」

「よし。じゃあいきますよー」

 

 俺はコインを弾いた――

 

 

 

 

 

 

「ただいまー。パン焼いてきたよー」

 

 宿の部屋に戻る前に厨房を貸してもらってパンを焼き、お礼として一部を宿の人に分けてから来た。

 部屋に戻るとイレイナは椅子に座って本を読んでいる最中だったようだ。

 

「おかえりなさい。少し遅かったですね」

「ん?まあ美味しいパンを作りたかったからね。どう、美味しい?」

 

 昨日買ったパンはあまり味わえなかったようだったので今度こそしっかり味わって欲しい。俺も腕によりをかけて作ったのだから。

 彼女は俺が作ったパンを一口食べ、ゆっくりと噛んでから呑み込んでから口を開いた。

 

「はい、美味しいですよ。とても」

「ならよかった」

「それを食べ終わったら出発しようか」

「分かりました」

 

 パンを味わって食べてるイレイナを一度見てから俺は部屋の窓を開けた。生温い風が入ってくる。

 この部屋から時計台は見えないが鐘の音は聞こえてくる。

 

 時計郷ロストルフ。高い建物がずらりと並んだその国の中央の広場には大きな時計台が立っている。

 現在の流行は『二丁目殺人鬼』という実在した殺人鬼をテーマとした演劇。次の流行は『五十三番』という演劇だろうか。

 

 多くの人がこの国をいい国だと言うだろう。しかし俺の幼馴染は違うというかもしれない。

 何があったかは分からないままだが彼女は辛い思いをした。俺は悲しむ彼女の隣にいることしかできなかった。

 

 どうするのが正解だったのかは分からないし分かったところで意味はない。もう過ぎてしまったことだ。

 時間を巻き戻すことができれば話は別なのかもしれないが――

 

「行きましょうか」

 

 三角帽子とローブを身に着け、出発する準備ができたイレイナが声を掛けてきた。

 最近は考え事をしているとすぐ後ろ向きな考えをしてしまう。頑張るって決めたんだ。そのためにはもっと前向きに考えるように、もっとポジティブに生きよう。

 

「どうかしました?」

「いや、君が言ってた癖を見れなかったなと思ってね」

「それは残念でしたね」

「まあいいさ。また次の機会にでも見せて貰うとするよ」

「そんな機会、次いつ訪れるか分かりませんよ」

「これからも一緒に旅をしていくんだから問題ないね」

「ふふ、それもそうですね。それじゃあ行きましょうか」

 

 昨日は悲しかったとしても、明日楽しければそれでいい。生きていればいいことはあるはずだ。

 

 今はそう信じて旅を続けよう。

 

 

 

 

 

 

「おや、なんですかそれ」

「これ?これは遊びで作ったコインでね。珍しい金属を使ってるから売れば高く売れるよ。それとこれには一つだけ特徴があってね」

「ほう」

「まあ見てみなよ」

「うーん……このコイン、両面とも同じ柄が書いてありますね。普通表と裏で違いますよね。これのことですか?」

「その通り。世の中にはこんなコインを使う人がいるから気を付けてねってことさ」

「?」

 

 

 




エステルとセレナが楽しく暮らす展開を期待していた方には申し訳ございません。
この二人を救いたいという気持ちはあるんですけどこの話はイレイナにとって重要だったので運命を変えることはできませんでした。

もしも二人が救われる展開を書くならば、ゴウザンも愛読しているユーノ先生のエロ本をセレナの父も読んでいて娘に手を出すことはなかった……という感じなのですがこれはこれで家庭崩壊が起こりそうですねー。

エステルの今後については考えていることもあるのですが来年発売の十八巻で出てくるかどうか様子を見てから決めます。
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