「くっ……ここは……?」
朝の陽ざしによって俺は意識を取り戻した。
周囲を見てみると、ここは村なのか小さな家がいくつか並んでいた。
「おいおい誰だお前は。ここは私の国だぞ」
何か慌てた様子の黒い髪の和服の男性が現れたが、さっき見た悪魔と同じく角と羽が生えていたので目の前の男性も悪魔だろう。
「悪魔か。俺は頼まれてここに来た。なんでも、俺が願いを叶えなければならないらしい」
「なんだそりゃ。……いやまあ丁度良いか。ならお前があいつの願いを叶えてくれ」
「あいつ?」
「この先に高い壁があるだろ。その中にいる人間だ」
悪魔が言う通り、彼(彼女?)が指さす方には普通の人じゃ跳び越せないくらい高い壁があった。姿は悪魔が今している姿とほぼ同じだろうが、どんな性格をしているのだろうか。
「それじゃあ気を付けて行って来いよー」
「思ってもないことを」
「まあな」
これ以上悪魔と話す気はない俺は壁をジャンプして飛び越えた。
高い壁の奥には木造の家が一軒建てられているだけだった。庭とみられる場所には木や茂みと言ったものがあるが、目立った建築物はその家だけだった。
玄関と思しき扉の前にさっき見た悪魔に似た男性が座っている。いや、悪魔に似たよ言うよりは悪魔がこの人の姿を取っていたのだろう。
きっとこの人の願いを叶えればいいのだろう。とりあえず話しかけよう。
「こんにちは。何をしてるんですか?」
「……誰だ」
「俺はカイと言います。あなたの願いを叶えに来ました」
「そうか」
俺の質問を無視して逆に質問してきた男性は俺がここに来た理由を話すと納得がいったようだ。それじゃあ彼の願いはどんなものなのか聞くことにしよ――
瞬間、青い光が俺の体を包んだ。この光は……!
「……確実に一撃入れたと思ったが」
一瞬の隙だった。ほんの一瞬俺が気を抜いた瞬間に目の前の男性はその拳を俺の胸に突き立てたのだ。あまりの速さに反応できなかった。
咄嗟のことではあったが後ろに飛び退いて距離を取った。
「ッ!何をするんですか!」
「ワタシの願いを叶えに来たのではないのか?」
「願いを叶えるのと今の一撃に何の関係が!」
目の前の男性の願いを悪魔から教えてもらっていないオレには何故彼が攻撃してきたのか分からない。
破壊力はなさそうだったがあれは俺を殺しに来ていた一撃だ。まさか俺を殺すことが願いなのだろうか?いや、そこまで恨まれるようなことをした覚えはない。
男性の姿がブレる。今度は警戒していたので俺の懐に飛び込んで来ようとしているのが見えた。もう一度後ろに飛び退いて躱す。
「
「戦いの果てに死を求める……。そんなことをして何になるんですか!」
「さあな。ワタシには生きる理由がない」
「死ぬ理由もないはずです」
「いや、死ぬ理由はある。ワタシは人を殺しすぎた。あまりにも」
殺人は罪だ。許されるべきではない重罪だろう。だけど、だからといって簡単に命を投げ出してもいいものなのか。
俺は銃を取り出して発砲する。避けられる。
「一人で死ぬことも考えた。だがワタシは思った。ワタシがヒナタを殺した時に抱いた思い……復讐心というのだろうか。あれをワタシに抱いている者がいるのではないか?誰かに裁いてもらうべきなのではないのか?」
「知ったことか!そんなこと!」
「だからお前を殺す。そのつもりでいけばお前も抵抗せざる負えないはずだ」
なんて身勝手なことを言うんだ。冗談じゃない。こんなことになるだなんて思いもしなかった。
棒を取り出して突き出す。屈んで避けられる。
「だがお前にはワタシを殺す覚悟がないようだ。ならここで死ね」
俺の攻撃を避けた勢いで距離を詰めてまた俺の胸に一撃を叩きこもうとしてきた。
「させるか!」
棒から片手を離して男性の右腕を掴んで止める。これで防いだ――――と思ったが一瞬遅れてやって来た左手が俺の胸に叩きつけられる。
「ガッ――」
男性の一撃によって俺の心臓が止まる――
――ことはなかった。
「――ッッ!はぁ……はぁ……はぁ……」
「ほう。死なないか」
胸が苦しい。違和感を感じる。死ぬかと思った。呼吸を整えないと。
今の一撃を食らったことで、あの破壊力がない拳でどうやって人を殺してきたのか分かった。
「ここまで生き延びている者は初めてだ。それにしても先ほどからお前の攻撃には殺意を感じない。まだやる気はないのか?」
「…………」
「返事はなしか。ならそうだな。お前を殺した後はお前の家族や友人と言った身近な人間を全員殺すことにしよう」
「…………は?」
今なんて言った?俺の家族や友人を殺すだと?父さんや母さん、そしてイレイナを……?
…………そんなこと、させるわけにはいかない。俺は生きてイレイナと一緒にこれからも旅を続けるんだ。なら覚悟を決めるしかない。
「どうした。絶望のあまり動けなくなったか?ならばもう終わりにしよう。次はいつもより強めに力を込める。そうすれば今度こそお前を葬れ――」
男性が喋り終わる前。会話をするという意識と俺を殺しにかかるという意識の変わり目の一瞬の隙をついて俺は彼に向かって飛びかかった。
「甘い。その程度の速さではワタシを殺すことはできない」
彼は俺が何かする前の、自分の射程距離に入った瞬間にまたしても俺の胸へ拳を打ち込んだ。
このままでは今度こそ心臓が止まって死んでしまうだろう。俺が何もしなければの話だが。
「なに!?まさかお前も!」
彼は俺の心臓が止まらないことと俺の左腕が背中側に回されているのを見てすぐに察して驚いたようだ。
「これでっ!どうだぁ!」
その隙を逃す俺ではなく、空いた右腕で彼の胸に俺が三度受けた攻撃をそのまま返してやった。
「グッ――」
俺がしたことは一つ。拳から直接魔力を流し込んだだけだ。
魔力は魔法を使うために必要だが、魔力を使うだけなら魔法は必要ない。魔力は様々な形に変わることができるが、形のない状態で相手に流し込めば心臓は止まるのだろう。試したことはなかったが目の前の男性はこの方法で人を殺めてきたのだからそのはずだ。
初めて人を殺すことになる。いつかは来ると思っていたが辛いものだ――――
「なっ!?」
――――俺が殴った男性の胸が青く輝きだした。
○
「……よし。これをあなたにあげるわ」
雲一つない快晴の日。五十三番とヒナタはいつものように彼女の家で話をしていた。
ヒナタは何か覚悟を決めた後、五十三番に細長い木の箱を渡した。
「これは?」
「お守りよ」
「お守り?お守りとはこんなに大きなものなのか?」
「そんなものよ!あなたは世間知らずだから知らなかっただけでこんなものなのよ」
ヒナタがお守りだというその箱は五十三番の懐にギリギリ入るくらいの大きさであり、傍から見れば彼女が嘘をついているのは明らかだった。
「そうか」
「えーっと、そのー。ちゃんと持っててよね?それと私の前では絶対に開けないでね」
「邪魔になるがまあいいだろう。開けると言ってもどこから開ければいいんだ?」
五十三番の言う通り箱には蓋が無く、開けることができなかった。試しに振ってみると中からはからからと音が聞こえた。
「あーっ!やめてやめて!そんなことしても開かないから!乱暴に扱わないで!」
「……分かった」
何故か顔を赤らめたヒナタが五十三番を止めた。五十三番は表情には出さないが困惑しながらも箱を懐に仕舞った。
「待ってるから」
●
男性の懐から細長い木箱が飛び出し、俺と男性の間で浮遊していた。
『あーあー。聞こえてるかしら』
「なんだ?」
木箱から女性の声が聞こえる。木箱に魔法が掛けられていたのだろう。だけど何のために?
『これを聞いているということはお守りは効果があったということね。流石私と言ったところかしら』
『あなたには秘密にしていたのだけど実は私は魔法使いなの。あ、勘違いしないで。魔法使いであることを隠していたのはあなたを信用してなかったわけではないわ』
「魔法使い……」
俺も男性も動くことなくその声を聞いていた。きっと邪魔してはいけないことなのだろう。
それにしてもお守りか。俺の指輪と同じようなものか。少し大きすぎる気がするが。
『ただのお守りを作るのであれば別に何でもいいのよ。だけどこの木箱をお守りにしたのには理由があるの』
『以前本で読んだのだけれど、女性の魔法使いが自分の杖を入れた箱をお守り代わりとして好きな男性に渡す。そしてお守りに守られた男性が杖を持って女性の下に告白しに来るのよ』
この話は俺も知っている。昔からある魔法使いの女性とそうじゃない男性の恋愛ものだ。ロマンチックな物語なのだが杖を失った女性は自分の身を守れないから現実的ではないと言われてたりもする。まさかそれを実際に行う女性がいたとは。
『私があなたを好きなのは間違いないわ。それが異性としてなのか話し相手としてなのか分からないの。だからあなたに杖を持ってきて欲しいのよ』
『あ、無理して私に告白しなくていいからね。私の気持ちを知りたいからという理由でやっただけだから。でも、もしもあなたが告白してきたのなら……。ふふ、どちらにせよ、待ってるわよ。それじゃあね』
女性の声が聞こえなくなったのと同時に木箱が開かれ、中から杖が出てくる。込められた魔法が力を失ったからか重力に沿って落下しそうになった杖を男性が掴んだ。
「……死ねない理由ができた」
「そうですか。ならもう戦う必要はないですね。ふう、よかっ――」
「いいや、まだだ」
ようやく一息つけると思った俺だったが、男性は止める気などないようだった。
「ヒナタのお守りが無かったらワタシは死んでいただろう。初めてだ。初めて負けた。このまま終わらせたくない。これが悔しいという気持ちだろうか。だから、まだだ」
「でも俺たちが殺し合う理由はもうないんですよ」
「なら、そうだな。これもまた初めてだが殺しはなしだ」
「それならまあ……いいんですかね?」
ここには戦いに来たわけではないのだが殺し合いにならないならまあいいか。
男性の顔を見る。先ほどまでよりも清々しい顔をしていた。
「お前、名は?」
「カイです。あなたは?」
「五十三番。前はそう呼ばれていた」
「五十三番……さん?」
「さんはいらん」
「…………」
以前観た演劇の主役の名前が五十三番だった筈だ。まさか本当に実在していたとは。
「どうした?始めるぞ」
「ああはい。それじゃあ……行きます!」
木刀を取り出して男性――五十三番に近付いて振り抜くがやはりと言うかあっさりと避けられてしまった。
ならばと杖を取り出して魔力の塊をいくつか作って飛ばす。
「そうか。杖はそう使うのか」
五十三番は見様見真似で俺と同じ数の魔力の塊を作って相殺させていた。
「なんの!」
今度は杖から火を出して五十三番に向かって放つ。
「なるほど。そんなものも出せるのか」
同じく杖から火を出して俺の出した火にぶつけ、混ざり合うように一瞬だけ光を強くしてから弾けて消えた。
ならばと思って杖を振り、水の柱を三本出現させて操る。以前戦った魔女は七本操っていたが俺にはこれが限界だった。
「これは少し厄介だな。……三本か」
やはりと言うか、彼は水の柱を同じ数だけ出して自由自在に操り、軌道予測が難しくなるようにくねくねと動かしていた俺の水の柱にぶつけてみせた。俺は何度も練習して三本操れるようになったんだけどなあ……。
「…………」
今度は気付かれないように無言で風魔法で空気の塊を放つ。透明なそれは見ることも避けることもできないはずだ。
「ふん……」
目に見えないはずの空気の塊だったが五十三番は見えているかのようにバッチリのタイミングで避けてみせた。
「お返しだ」
まずい!
「――ッ!」
杖を向けられた瞬間に何をしようとしているのか分かった俺は咄嗟に体を横にずらす。強い風が横切ったのを感じた。まともに当たったら吹き飛んでいた。
このまま素直に魔法を見せ続けても勝てないのは分かっている。だから俺の全てを使ってでも勝ちに行く!
右手に杖を構え、いつでも魔法を使うことができるのだと牽制をする。五十三番は魔法の知識はない……のだと思う。だから未知の魔法に対して警戒しなければならないはずだ。そこを突く。
「…………」
「…………」
五十三番は俺と同じように杖を構え、見合ったまま動かない。
どちらも全く動かないこの状況が長く続いているように感じられる。まるで俺以外の時間が止まってしまったのではないだろうか。
……ここ!
空いていた左手に銃を取り出して何度か撃つ。殺す気はないのでもちろん急所には当てない。
「うるさいな」
高速で放たれた弾丸に対し五十三番は銃声の感想を呟いてからひらりと避ける。
「想定内だったとは言え銃弾を避けますか。普通無理ですよ」
「このくらいなんてことは――」
彼が瞬きをする瞬間に俺は弓と矢を取り出して射る。目を閉じて開くまでの一瞬に矢は届くし音もほとんどないので反応するのも難しい。全く音がしないというわけではないのでさっきの銃声で大きな音を聞かせ、小さな音を聞き取りにくくしたのだが……。
「これも避けますか……。見てないし聞いてなかったですよね。なんで分かったんですか」
「細かくは言えないが、なんとなく来る気がした。ワタシはそれに従っただけだ」
確かに戦いにおいて勘というのは大切なものだけど、体全体を動かすのではなく狙った右足だけを動かすとは……。勘がいいとかのレベルではなく未来予知と言っても過言ではないのでは。
「さっきのうるさい筒のようなものは中身がどうなっているのか知らないが、弓矢については知っている。触ったことはなかったがいい機会かもしれないな」
五十三番は杖を一振りして俺が使った弓と矢と同じものを魔法で作り出し、俺に向かって射る。
「……流石に俺よりは狙いは定まってないし遅いか」
盾を取り出して矢を防ぐ。これで俺と同じくらいの弓の腕前をしていたら泣いていたかもしれない。
「次は何を見せてくれるんだ」
「楽しそうですね。さっきまでとは大違いだ」
「そうだな。これが楽しいということなのだろう。ワタシはこの時間が長く続けばいいと思っている。そう思わせるのはお前が二人目だ」
「俺としてはさっさと終わりにしたいんですけどね!」
「知らないな」
俺たちは長い間魔法を撃ち合ったり、拳を交えたりしていた。
あまり使わないほうきの上に乗って高所を移動しながら魔法を放ってもみるが、普段の俺のように空中に足場を作って追いかけてきて叩き落とされたりもした。
俺の方が手札は多いはずなのだが、五十三番は一度見せたことを自分のものにして襲い掛かってくる。殺す気じゃないというのもあるが、お互い対応力が高いので相手の攻撃をまともに食らうことはないまま時間が過ぎていった。
「こんなに長時間同じ人物と戦ったのは初めてだ」
「そうですか!もう魔力がなくなりそうなので終わりにしてもらえませんかね!」
どうでもいいことを呟く五十三番に矢を放ちながら返事をする。俺だってこんなに長い時間戦ったのは師匠以来だ。
「そうか。なら次で最後にしよう」
五十三番は杖を懐に仕舞い、拳を握る。
「はい」
俺だけ武器を使うのは気が引けたので俺も同じように拳を握る。
ああ、夕日が眩しい。だけど不快感はない。ここまで全力で戦ったのはいつぶりだろうか。俺は戦うのはあまり好きではないが戦闘狂と言われる人の気持ちが分かったかもしれない。
「「勝つのは俺(ワタシ)だ!」」
全力で駆け出して拳を突き出し、俺たちの腕が交差する。
結果は――――
●
「いやー、いい勝負でしたね。それにしてもちょっと強すぎないですか?俺の持ってる技術をほとんど習得しちゃうし自信がなくなりそうなんですけど」
「……そう言われても困る。お前も強かった。だからその……なんだ。こんなときなんて言えばいいか分からないな……」
「その気持ちだけで十分ですよ。とは言え今回は引き分けで終わりましたけど次はどうなるか……」
家の中で傷付いた体の治療をしながら五十三番と話をしていた。内容はお互いのことについてだ。俺の場合は故郷の話や旅の話、彼の場合はここに来るまでの話。
彼はあの演劇で聞いた通り、海を越えた東の国の組織に幼い頃から所属していたらしく、誰にも教わることなく初めから相手の心臓に魔力を流し込むことができたらしい。武術も魔法も一目見て覚えるその才能が羨ましかったが、そのくらいの才能がないと生き残ることができなかった境遇を考えると何も言えなかった。
「お前の話はワタシの知らないことばかりだ。聞いていて飽きない」
「いろんな国を旅してきましたからねー。でもそんな俺でもまだ知らないことはたくさんあるんです。国の文化だったり人だったり景色だったりいろいろです。それらに会うために旅をしていると言ってもいいかもしれませんね」
「……ワタシもお前みたいになれるだろうか」
「旅人にってことですか?あなたの実力なら全然問題ないですよ」
「いや違う。お前の話の中にあったように誰かを助けることができるだろうか」
五十三番は今まで人を殺してばかりの人生だった。だからその分誰かを助けたくなったのかもしれない。
「大丈夫ですよ。困っている人を見つけた時、あなたがしたいと思ったことをすればいいんです。少なくとも俺はそうしてきました」
「そんなものなのか」
「そんなものです」
「そうか……」
俺の答えに満足したのか五十三番は黙ってしまった。
人助けをしたいと思う辺り、本来は優しい性格なのだろう。拾われた相手が悪かっただけだ。今まで間違いを犯し続けた分、きっと彼は人を助け続けるのだろう。まあ旅人である俺と、これから旅人になる彼がもう一度出会えるとは限らないからどうなるかは分からないが上手くいくことを願っておこう。
家の中から外を見る。ここに来てからどれくらい時間が経ったのか教えてくれるかのように空は暗くなっていた。
早くイレイナのところに行きたいが今は体を休めたい。ここで寝る許可は五十三番から貰ってるしもう寝ることにしよう。
「俺はもう寝ますけどあなたは?」
「ワタシはもう少しだけ起きていよう」
「そうですか。ならお先におやすみなさーい」
「ああ」
布団の中に入って目を瞑る。疲れは思っていたよりもあったのかすぐに意識が遠のく。
……目を瞑る直前に五十三番が片手に何かを持って立ち上がったがあれは一体何だったんだろうか。まるで……薄い本のような……。
●
日が昇り始める前のまだ薄暗い時間。よく寝て疲れが取れた俺はここから出ることにした。そんな俺を五十三番は見送ってくれるようだった。
「あなたとの戦いで俺はまた一つ強くなった気がします。ありがとうございました」
「それを言うのはこちらの方だ。……元気でな」
初めて会った時よりも生気が宿った眼をしている彼は、表情が全然変わらないので気付きにくいが少しだけだが笑ってくれたような気がする。
「はい!」
俺は大きな声で返事をしてから彼に背を向け、歩き出した。
来た時同様に大きな壁を飛び越え、どこが国の出口か分からないが、道を真っ直ぐに進む。
開いている門が見えた。門番はいないので立ち止まることなく門をくぐって国の外に出た。
そこで俺の意識はなくなった。
○
「……行ったか」
見たことのない服装の青年、カイが壁を飛び越えて行った。
生きる理由も死ぬ理由も分からなくなったワタシを……感情のないただの人形だったワタシを人間にしてくれた彼と、その土台を作ってくれていたヒナタには感謝してもしきれない。
「ようやく願いを叶えることができたようだな。まったく、お前みたいな人間は嫌だよ」
「誰だ」
ワタシに似た姿をした何者かが現れた。
「昨日教えただろ?悪魔だよ」
「…………いや、覚えがない」
「マジかよ。確かに返事はなかったけど聞いてなかったのか……」
昨日までのワタシは半ば茫然自失だったから目の前の悪魔とやらを見逃していたし聞き逃していたのかもしれない。
「はあ……まあいいか。もう一度言うがここはお前が見たあの看板の通り、願いを叶える国だ。私は悪魔だからな。夢の中ではあるが人間の願いを叶えるなんて簡単なことさ」
「だがワタシの願いは叶えられていない」
あの看板を見てワタシに恨みがある者が出てきて殺し合いをした末にワタシは殺されるものだと思っていたが、実際はそうはならなかった。
「何を言ってるんだ?お前の願いは叶えられたぞ」
「どういうことだ。ワタシはこの通り五体満足だ。まだ生きている」
「勘違いしているようだがお前の願いは最初から『生きる気力を与えてくれる人に会いたい』だ」
「生きる気力を……」
元々ワタシに生きる気力なんてものはなかった。だけどヒナタと出会ってからは、彼女と話すことがワタシの生きる気力になっていたのだろう。
だけどヒナタを失ってからは生きる気力というものがなくなってしまい、どうすればいいのか分からなくなっていた。
自分のことはよく分からない。だから願いも勘違いしていたのだろうか。
そんなワタシだったがヒナタが遺してくれた言葉と、カイが教えてくれた生き方が生きる気力を与えてくれた。
『ありがとう……あなたは……生きて』
今になってヒナタの最期の言葉を思い出すことができた。この言葉を忘れてはいたが心の奥底に刻み込まれたからワタシの願いは死ぬためのものではなく生きるためのものになったのだ。
「――おい、聞いてるか」
「ああ。聞いていなかった」
「なんだよそれ。はあ……。いいか、この国に滞在していいのは三日だけだ。それ以上居るならお前の魂をいただく。出るのは自由だし出ないのも自由だ。今は二日目だからもう一日だけ居れるからどうするか考えておくんだな」
「そうか。ならもう出ることにしよう」
「お前、話は聞いてるけど聞いてないな。……記念に何か一つ、ここで手に入れた物を外に持ち出していいぞ。元から持っていたその杖は対象外だ」
ここで手に入れた物……カイの武器を魔法で作ったものがいくつかあったな。他にも彼と話をしている時に見せて貰った魔道具なるものを持って行くのも一つの手だろう。
とはいえ、何を持ち出すかなど悩むことなく初めから決めていた。懐から出したそれを悪魔に見せつける。
「これだな」
「………………人間って理解できないな」
きっと悪魔にはこの素晴らしさは分からないんだろうな。残念な種族だ。
「いや今までいろんな人間を見てきた私が言うがお前の頭の方が残念だからな」
何か言っている悪魔は無視してワタシはカイと同じように壁を乗り越えた。目指すは国の外だ。そうすればこの夢から覚めるらしい。
「それにしてもあいつは何者だったんだろな。私が招いたわけじゃないんだが。持っている道具を見るに未来から来た可能性も……。まあ私の手間が省けたしいっか」
○
「ということがあった」
「へえ。いい話ですね」
無事に願いを叶える国から出たワタシはカイと話した通り、誰かを助けるための旅をすることにした。ワタシに何ができるかはまだ分からないができることはやろうと決めていた。
……決めていたのだが、あてもなく彷徨っていたワタシは地図なんて持っていなかったのでどこに国があるのか知らず、再び彷徨い続けて三日後。ようやくたどり着いた国でワタシは空腹で倒れてしまった。
そんな情けないワタシを拾って食事を振舞ってくれたのが目の前の男だった。ワタシは彼に何か返してあげたかったが金目のものは持っておらず、渡せるようなものはなかったので自分の話をすることにした。
「そうだな。ワタシはその日のことを忘れることはないだろう」
「ところでその願いを叶える国からあなたは何を持ち出したんですか?」
「ふっ、気になるか。なら見せてやろう」
大切なものではあるが命の恩人に見せないわけにはいかないだろうとワタシは懐から
「これは……その……」
「ああ、本だ」
「……表紙の時点で嫌な予感はしてましたが中に女性の裸の絵が描かれているんですけど」
カイの話に出てきた彼の師匠が最初に持って来させたという本。ユーノ先生の本だ。
「そうだな」
「何故これを……?」
「似ていたからな。ワタシとヒナタに」
「はあ……」
本に描かれている黒い髪の男女。二人が愛し合っているのを見て胸が苦しくなった。
理由は分かる。きっとワタシはこの本のような人生を歩みたかった、羨望していたのだ。
だけどヒナタはもういない。もう叶えることはできない。だから胸が苦しくなったのだろう。
まあ絵も内容も良かったのでカイが寝た後に楽しませてはもらったが。これは肌身離さず持っておこう。
「趣味趣向は人それぞれですし何を持ち出すかはあなたの自由ですからね……。そういえば今気付きましたが名前を聞いてませんでしたね」
「む……」
名前……名前か……。五十三番というのは組織にいた時に呼ばれていた大した意味のない番号であるし、そんな過去は捨てようと思っているから二度と名乗るつもりはない。
それに、それにだ。カイと話をしていてワタシはある日のヒナタとの会話を思い出した。
『あなた、五十三番って名前だけどちゃんとした名前ってないの?』
『ない。別に名前なんてどうでもいいことだ』
『悲しいこと言うわねー。それなら私が考えてあげるわ!そうね……ごじゅうさんばん……ごじゅう……』
『別に考えなくてもいい』
彼女はワタシのことを思ってくれていたのだろう。その時のワタシは一人の人間としての意思がなかったからそんな彼女に対して失礼な態度を取っていた。
だから、そのことを謝ることができない代わりに、この名前を名乗ろうと思う。そして――――
「ワタシの名前は――」
『決まったわ!あなたの名前は――』
「『ゴウザン』」
ワタシがカイの師匠なのだろうと、話を聞いて確信した。
●
カイが持っている道具の中にはワタシが知らない技術が使われたものがいくつか存在していた。
最初は遠い国のものだからこちらの国に流れてこなかっただけなのかと思った。
銃と言われる武器を手に彼は言った。
『銃ですか?俺のは自分で作った特別製ですが銃はいろんな国で作られてますよ。危ないので普通の人が持つのを禁止している国なんかもありますけど。え?いえ、銃は大体の人が知ってると思いますけど……』
どうやら銃は一般的に知られているものだったらしい。引き金を引くだけで高速で弾が発射される武器なんてものを組織が知っていたら何としてでも手に入れるはずだ。だが誰一人として銃を持っていた者はいなかった。
他にも服や紙を見てみてもワタシが知っているものよりも上質なものであるように思えた。高級品なのかとも考えたが、こちらもやはり普通なことらしい。
ワタシにとって普通でないことが、カイにとっては普通だった。彼一人にとっての普通ではなく、皆にとって普通だった。
未知の武器、未知の技術、そしてワタシと同じ名前の彼の師匠。きっとカイは未来から来たのだと考えてしまうのはおかしなことだろうか。……いや、以前のワタシからすればおかしなことだろう。
遠い未来、ワタシはカイの師匠になる。師匠はとてつもない強さだと彼は自慢げに話していた。
ならばワタシは強くならなければならない。ワタシを救ってくれた彼に恩返しがしたい。こちらはまだ叶えられる。
空腹で倒れてから三日経った。体調は万全。ここに長居する理由もないので旅立つことにした。
「まだ早朝だと言うのに、行ってしまわれるのですね」
「ああ。世話になったな、院長」
お人好しなこの孤児院の院長は自費で子どもたちを養っているらしい。
子どもたちは無愛想なワタシにも笑顔で接してくれた。育て方が良いのだろう。ワタシも彼のような人間に拾われていれば……なんて考えてしまった。
「また来て子どもたちにいろんな話を聞かせてあげてください。あ、でもあの本は見せないでくださいよ。教育に悪い」
「………………分かっている」
ワタシだっておいそれと誰かにこの本を見せるつもりはない。命の恩人である院長だからこそ見せただけだ。
「それでは良い旅を」
「……さらばだ」
別れの挨拶を告げ、ワタシの旅は始まった。
●
まずは更なる強さを手に入れるために、カイから教わった過重力で体を自分の重くして生活を送るようにした。
ついでに一人称もワタシから儂にし、話し方も変えた。『ワタシ』と名乗っていた五十三番はもういないのだと自分の意識を変えていくためである。
次に各国を巡って様々な相手と戦った。武術を使う者、拳法を使う者、小細工を使う者。いろんな戦い方を学ぶことができた。中には人を殺すことに特化したものもあったが使うことは恐らくないだろう。
それとカイが言っていた
こんな流派に入りたいなんて言って来た馬鹿者もいた。黒い髪と瞳をした少年だった。その少年を一目見た瞬間理解した。彼がカイの父親なのだと。
シンと名乗った少年は魔法を使うことはできなかったが、その代わり戦闘の才能はあったので十分強くなることができた。この時初めて人にものを教える難しさを知った。感覚でやっていることを教えるのは大変だ。
戦いについてだけでなく、娯楽についても学んだ。本を読んだり子どもと一緒に遊んだり賭博をしてみたり。そういったことをしてみると、心に余裕ができた気がした。
女性を茶に誘ってみたりもしたがやはりと言うかヒナタを超える女性が現れることはなかった。あと何故か犯罪者が多い。
長い旅をしている中でついに、ついにユーノ先生を見つけることができた。まだ本を出し始めたばかりの新人だったが、その完成度は既に高かった。新作が出たら必ず買うようにしている。連絡先も手に入れた。
そしてシンから子どもが生まれたという手紙が届いた。名はカイ。同封してあった写真に写っていたのは父親譲りの黒い髪に、母親譲りの金の瞳をした男の子であった。儂はすぐに会いに行った。
「ほーらカイ。僕の師匠だよー」
「あー」
まだまともに喋ることができないカイを抱かせてもらった。腕の中に納まっている小さな命。布越しに伝わってくるその温かさは彼の心の温かさでもあるのだろうか。この温かさに儂は救われた。
「あら。なんだか臭うわね。もしかして大きい方かしら」
……………………。
何はともあれ、久しぶりの一方的な再開を果たした儂は暫く平和国ロベッタの近くの国を転々とするようにし、数年後のある日にシンから手紙が再び届いた。
内容はカイを弟子にしてやって欲しいということだった。未来の彼からこのことを聞いていた儂は、シンに承諾の手紙を送るとともに予め母親のエイラに伝えていたものを用意させた。そう、儂が長年懐に入れていたら読める部分がなくなってしまったユーノ先生の本だ。今は木箱の中に大事に仕舞ってある。
シンが管理しているロベッタの近くの山を貸してもらい、約束の日を待った。
約束の日の早朝。山の入口で気配を消してカイが来るのを待った。そして少ししてから片手に包みを持った彼が現れた。その姿を見ただけで何故か泣きそうになってしまった。歳なのだろうか。
そして山の中に入ろうとする彼の後ろに素早く移動し、意を決して声を掛けた。
「お主がカイか」
「はい、俺がカイです」
なんと五十三番は過去のゴウザンでした。
この設定は最初はありませんでした。ゴウザンという名前も『豪山』という強そうな漢字の組み合わせから付けた名前です。ダレン・モーランではないです。
カイは悪魔によって過去に飛ばされてました。人間の魔女にできることが悪魔にできないわけがないという考えから今回の話はできました。しかもエステルがやった平行世界の過去ではなく、同じ世界の過去に行ってます。この場合は原作七巻に登場する逆転時計と同じで、既に結果が決まっている時間逆行でした。
番外編で登場した読めなくなってしまった本はこの時貰ったエロ本ですし、普通の人間として生き始めたので本人が思ってるより俗世に染まってます。ナンパはノリノリでしてますからあの世のヒナタが見たらお腹を抱えて笑うことでしょう。
彼は今、幸せに生きてます。