龍神の巫女   作:都森メメ

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第50話

 

 

 山下さんは主催者側の県庁職員としての業務があるため、地下の駐車場で別れた。エレベーターに乗って会場となっているセミナールームに向かう。地下から乗ったためエレベーター内には最初は私1人しかいなかったのだが、途中で県の職員達が入ったり出たりするたびに、彼らは私の姿を見て少し驚いた様子だった。

 

 車で送ってもらったおかげで会場には早めに着いたのだが、セミナールームに入るとすでに何人かの退魔師がパイプ椅子に腰掛けていた。

 去年はかなり緊張していたが、今年はあまり気負うこともなく、簡単な挨拶だけ済まして私も適当な場所に座った。

 

 長机の上には人数分の退魔師会合の説明資料がおいてあったので、先に目を通して時間を潰すことにする。

 

 

 説明資料の中は二部構成になっており、一部目がうちの都道府県における直近一年間に発生した妖魔の数や大きさに関するデータであったり、人的被害に関する分析である。ここに書かれている内容は普段から山下さんと送迎中の車内での話題にもなっているのでほとんどが既知の情報だった。

 

 気になるのは二部目の、おそらく全国の都道府県向けに退魔省が作成している資料だ。ここには日本国内全体の情報が書かれているだけでなく、世界の妖魔情勢についても現時点での情報がまとめられている。

 

(世界人口がとうとう50億人を切ったのか……)

 

 妖魔など存在しなかった前世では世界人口が80億人を超えていることを知っている身からすると、かなり悲劇的なニュースである。特にここ半年ほどは中東やインドあたりの妖魔被害が甚大らしい。災害級の妖魔こそ現れていないものの、大型妖魔が大量発生しているのが原因だ。現地の退魔師が対応しきることができず、一部の地域はもはや妖魔に占拠され人が住めなくなってしまっている。妖魔災害で発生した難民がトルコを経由してヨーロッパに流れ込んでいるニュースはここ最近よく目にする。

 

 

 正直なところ助けに行きたい気持ちはある。

 だが、龍神との夜伽がある以上、日帰りで戻ってこれる場所でなければ妖魔討伐に行けない。以前、夜伽を免除してもらう条件を問うたところ、『一晩あたり女10人を連れてくること』という答えが返ってきた。

 

 功利主義に照らせば、10人の女性を犠牲にして世界中の妖魔を討伐しに行くほうが救われる人間の数は多くなるのだろう。だが、私のなかの保身がトロッコ問題のレバーを引く気にはさせようとしない。

 

 ふと思ってスマホを取り出して、自分のYourtubeのチャンネルを開き、直近の動画についていたコメントを確認する。最初のころは日本語のコメントばかりだったが、徐々に海外からの英語コメントも増えてきた。そして、半年ほど前からアラビア語でのコメントが急激に増えてきていたのだ。

 

 ここ二週間ほど、やけに中国語のコメントを見るような気もするが、中国の妖魔情勢に関する情報はあまり耳には入ってきていない。中国語でのコメントはほとんどが翻訳すると『助けてくれ』など具体的な情報が全くない。それなのにコメントの数だけがずっと増え続けている。情報統制が激しいあの国で何かが起こっているのかもしれない、そう推論すると少し怖くなった。

 

 そんな風に資料を読んでいると会場に入ってきた知り合いの退魔師から軽く挨拶されて、また資料を読む。五分も置かずにまた別の退魔師から挨拶されて、資料から顔を上げる。会合の開始時間が近づくにつれ私へ挨拶してくる退魔師は増えてきて、資料を読むどころではなくなってしまった。いろんなところに出張討伐に行っているおかげで、去年よりはるかに知り合いの退魔師が増えた。

 

 末席に座っている若輩者なので無視してくれても構わないのだが、みんな律儀に出張で討伐支援をしたことへのお礼を言ってくる。

 

 

 そうしているうちに開始時間になり、妖魔対策課の職員が登壇して会合がスタートした。

 

「妖魔対策課の佐藤と申します、本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます、今回の会合に際しまして、退魔省の桐谷大臣にお越しいただいております。では大臣、よろしくお願いいたします」

 

 なんで都道府県の催しに大臣がわざわざ来てるんだと会場にいる参加者たちが少しざわついた。国家指定退魔師の私がいるからだろうか、だとしても東京からわざわざご苦労なことである。

 職員から渡されたマイクを片手に、桐谷大臣の挨拶が始まった。

 

「ええ、ただいまご紹介に預かりました桐谷です。皆さまの日ごろの妖魔討伐に感謝を述べるため、この場をお借りしてご挨拶をさせていただきたく────────」

 

 

 ■■■

 

 

 退魔省の大臣のサプライズ登壇以外は去年とあまり変わらない内容だった。

 

 会合が終わったあとは近隣のホテルに移動して簡単な立食パーティーが行われるのも去年と同じである。すこしでも元を取ろうと思って去年の貧乏性の私はいろいろ好きなものをパクパクと食べていたが、今は普通の食事をとれなくなってしまったこともあるので、立食パーティーは不参加である。山下さんにもそのことは伝えているので、あとは彼女に車で送ってもらって帰宅するだけ、といったところで大臣に付き添いで来ていた退魔省の職員に声をかけられた。

 

「申し訳ございません、蛇谷さん。このあと少し桐谷大臣のほうからお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」

 

 大臣がわざわざ東京から挨拶のためだけに来たとは思っていなかったので、これは何となく予想どおりだった。快諾して案内されたのは庁舎内の応接室だった。

 入室すると中には数人の退魔省職員と、山下さんもいた。

 

「お久しぶりです蛇谷さん、いつも出張での妖魔討伐ありがとうございます」

「お久しぶりです、桐谷大臣。わざわざ東京からご足労いただいてありがとうございます」

 

 促されたソファー席に腰をおろす。

 

「こうしてお会いするのは昨年のリヴァイアサン討伐前の時以来でしょうか、いつも山下を担当としてつけさせてもらってますが、何かご不便などございませんですかね」

「山下さんにはいつもすごく助けられてます、異動とかがない限りはずっと担当してほしいくらいですね」

 

 実際彼女の働きぶりは凄まじいし、今後も出世してもらえると個人的にもありがたいので、大臣あてによいしょしておくことにした。ちらっと山下さんのほうをみると少し口角が上がっていた。

 

 そんな感じで五分ほどは世間話という形で、最近の私の動向というか生活ぶりを探ろうとするような会話が続けられた。7月なので日没まではまだ時間がかなりある。政府閣僚と一対一で話せる機会なんてそうそうないので、私も目の前の人物に何かしらの探りを入れてみたいものなのだが、話術の技量が違いすぎてあまり上手くいかない。

 

 いつになったら話の核心にいたるのだろうと思いながら会話の応酬を繰り返していると、海外の妖魔情勢に話題が移りかけたところで大臣がこう切り出してきた。

 

「率直な意見をお伺いしたいのですが、海外への派遣について前向きに検討していただくことは可能ですか?」

「……それはもちろんです。ただし日帰りでいける範囲ですが」

 

 私の回答を聞いて大臣はゆっくりと深く頷いた。

 

 日帰りで行ける範囲となると、ほとんどアジア地域のみに限られてしまうが、夜伽の都合上これが最大限の譲歩である。一番恐ろしいのは日没までに帰宅できず、龍神が民間人の女性に手を出して殺してしまうことである。

 

 自宅に妖魔を囲っていたことが露見してしまうし、無辜の人に危害がおよぶなど持ってのほかである。

 

「夜間には蛇谷神社の付近にいる必要があるという制約についてなのですが、先ほどの会話のなかで蛇谷さんは『この制約を破るのは難しい』とおっしゃいましたよね、『難しい』というのは『不可能ではない』、ということですか?」

 

 この質問を投げかけられたときの最大のミスは、私が『しまった、失言した』といわんばかりの表情を見せてしまったことだ。あとから思えば、『不可能という意味です』と真顔で答えるだけでよかったのに、そう答える前に顔に出てしまった。

 大臣にだけ顔を見られたのならまだ取返しもついたのかもしれない。私の表情の変化からこの数秒の無言の時間まで含めてそばに控える退魔省の職員に見られてしまっている。

 

「大臣、失礼します。退魔師の制約について詮索するのは……」

「わかっている山下、ここでそう諫言できるのは君の優秀さの証左と受け取っておく」

 

 私を庇おうと山下さんが大臣に声をかけてくれたが、彼の意志は固いように見えた。

 とはいえ、別に代替手段があることがばれたとはいえ、それを言わなければいいだけの話なのだ。そう決意して目線を上げ大臣に向き直る。

 

 もう水すら飲めない身体になったというのに、このときばかりはお茶か何かで唇だけでも潤したい気分になった。そう思ったところでよく見ると大臣側の机にもお茶もなにもでていなかった。なるほど、私に気を遣って自分側もなにも用意させずに話していてくれたのか。

 

 そんな風になかば現実逃避気味の思考にいたりかけたところで、還暦をとうに超えて誤魔化せないほどの老いを背負った桐谷大臣を見る。背筋はすこし曲がり気味で、声も乾いているのだが、まなざしだけはこの部屋の中の誰よりもはっきりとしていた。

 

「私は戦後すぐの生まれでして、高度経済成長も経験してきました。いろいろ問題の多かった時代だと思われるかもしれませんが、それでも人類の繁栄に疑いをもったことなどほとんどありませんでした」

 

 

 そこからしばらく、桐谷大臣の身の上話が始まった。戦後生まれの政治家としての、ところどころにとんでもない話などがいくつもあったが、自然と聞き入ってしまうほどには彼の話術は実に巧みだった。すでに私は彼に対して、中学校の同級生以上の親近感をいだいているような気さえする。これが『政治家』という生き物なのかと、腹落ちさせられた。

 

 

「蛇谷さんは、世界人口が50億人を下回ったというニュースはご存じですか?」

「もちろんです、……海外からの退魔省への要請が増えていると聞きます」

 

 桐谷大臣は頷いてこう続けた。

 

「海外からの圧力などどうとでもなります。そんな些事よりも、もはや、……私を含め、人類はあらゆる選択肢を排除することが許されない状況にあると考えております」

 

 文字に起こすと100文字にも満たないセリフだが、彼は間をとってゆっくりと老獪にそう発言しながら、自然な所作で一人用のソファーから降りて床に膝をついた。

 

「お願いします、蛇谷さん。制約の代替手段を教えてください」

 

 仕立ての良いスーツの膝を汚しながら、彼は額までも床につけて私にそう懇願してきた。70歳を超える老人の土下座など、見たくなかった。

 

 

 

 

 

 

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