-1-
女っていうのはあまり良くない。すぐ泣くしすぐに騒ぐし、すぐに死ぬのだ。
少なくとも、彼の周りにいた女性はみんなそうだった。だから彼は女性をそばに置きたいなどとは考えないし、行動を共にするなど以ての外で、まして恋人などとはちゃんちゃらおかしいと考える。溜まるモンが溜まった時に、抱けりゃあそれだけで充分だろう。それ以上はむしろ要らない。そう考えていた。
これはそんな考えを否定してくれる存在と、出会うより前の話になる。
誰にも話すつもりはないし、きっとこれからもないだろう。ただ時々、思い出すことがあるだけだ。
夕日が沈む。
自らの影が濃くなってゆく。この黒々とした色を見てると、不意に思い出す女がいるのだ。
あれは恋などではなかった。彼女はこれまで嫌煙してきた女となんら変わることなく、よく喋り、穏やかで、そしてアッサリ死んだのだから。
だから、ジェイクは〝彼女〟を好きなどとは決して思わない。ただ、死んでほしくもない女でもあった。
〝彼女〟は、ジェイクにとってそういう女であったのだ。
-2-
軍部のクーデターによる内戦勃発、隣国との摩擦による紛争悪化。国内外で量産されては紛争地帯になだれ込んでくる傭兵たちは、量産品ゆえの消耗品のような扱いだった。
各方面と続く長い長い戦いに疲弊が溜まれば、当然ながら戦力は落ちる。とならば補給はままならず、前線の兵たちは乏しい弾薬や食糧で戦線を維持しなけりゃならない。言うまでもなく、士気は下がり戦果らしい戦果などあがらないのだ。有史以来、補給が途絶えて勝利した軍勢など存在しない。
十八を迎えて間もない春の早朝だった。イドニアは熾烈な内戦のせいでその日も朝から消炎臭く、殺伐とした空気が鬱蒼と立ち込めていた。
彼の所属する反政府軍がばたばたと煩くなった午前五時、彼は敵襲でもあったものかと身構えた。各々銃を手に走り回る傭兵の一人が、「お前も早く来い」とライフルを投げる。
────おいおい狙撃なんざやってられるか。そう吐き捨てたのがその日最初のため息だ。
曇りだった。
厚い雲が太陽をすっぽり覆い隠してしまい、空は一面灰色である。雨の降りそうな気配はないが、当分晴れ間も来そうにない、そんな天気。
根城としていた廃ビルを出て先ず目に入るのは黒煙だった。細く、霞みながらも天に向かう黒煙は、ジェイクにのたうつ龍を連想させる。
鼻をつくのは人の焼ける臭いであった。それから饐えた火薬の匂いや、金属の酸化してゆくそれも混ざり合い、一言で言うと一帯が酷い悪臭に侵されている。
ひがな顰めっ面ばかりの彼の眉間の皺が、益々深い溝を刻んだ。が、この時ばかりは誰も彼も皆同じような表情だった。
「おい、一体何のバーベキューだ?」
煙の根源は瓦礫の山の向こうにある。目を凝らせどもその正体は見えないが、なんとなく察しはつくものだ。車か戦車か定かでないが、この先に丸焼けの車両があって、きっと運転手も死んでるのだろう。
声をかけた男が首を縦にふる。ハイネックを鼻まで引っ張り、この悪臭をなるたけ塞いでいるようだ。
「ヘリだ。国は知らんが、墜落してきた。どうやら運搬機って話だよ。儲けモンだな」
足元の瓦礫を蹴飛ばすと、その影から鼠が逃げる。悪臭を堪えて近付けば、ひしゃげたヘリがそこにはあった。半壊したハッチの中は未だ火の手が残っているが、外側の部品は大方燃え尽きてしまったらしい。
苦しんだ痕跡を残して突き出された男の腕が、その凄惨さを物語る。物資がどうのと言っちゃあいたが、こいつは全部炭になってしまってないか。コックピット側に回って見れば、操縦士は窓に突っ込んで首の骨を露出させてた。
ヘリの消火が完全に済んだのは昼前である。
機銃が搭載されてたことや積荷が武器類であったことから、自然鎮火を待つよう方針が変わったためだ。下手に手を出して爆破に巻き込まれてはたまらない。
すっかりローストされた機内の有様は酷いものだが、いくつかの機器はまだまだ使えそうなものだった。嬉々として皆々銃器や弾薬、無事な通信機材を運び出す。
ジェイクは少し離れた丘の端、国境を分かつ壁に寄り掛かってそれを見ている。
……蟻のようだと、彼は思った。煤だらけで黒々とした者どもが一列となり、積荷を住処に運んでく。なんとも言えぬ不快感が胸の奥につかえてる。
その時だ。些細な物音とほぼ同時に、背後で「ヒュ」と動揺を孕んだ吐息が聞こえた。それは今の今まで存在を気取らせないほど気配を殺すことに徹していたのに、不意の物音に焦りを露呈させてしまったような、愚かで未熟な吐息であった。
ジェイクが振り返る。後ろにあるのは大きな壁だ。壁としか形容しようのないものだ。
ここいらの丘は昔流れていた川の名残で出来ている。かつてあったそっ川こそが、国と国の境目だった。内戦がここまで激化するより昔は、国境はフェンスで区切られていた。が、フェンスで区切った国の境など無いもののように無視され続け、見かねた政府が築き上げたのがこの壁である。
壁の厚さはどれほどあるのか、簡単に蹴破れないだろうことは感触でわかる。高さは二メートルをやや越える。しかし所詮はただの石壁であり、越えようと思えば────少なくともジェイクの身体能力ならば、容易く越えられる程度のものだ。
動揺したような、躊躇いがちな小さな吐息は、そんな壁の向こう側から聞こえてきた。
直線距離にして数メートルもないというのに、この向こう側は外国である。ジェイクは周囲を見渡した。幸いなことに今は誰も近くにいない。
イドニアは周辺諸国とも不安定な状態で、隣国はすなわち敵国だった。
きっとここに人がいると知れたのならば、厄介ごとになっちまうだろう。わかっていたから、ジェイクはぶっきらぼうな声だった。
「……そこに居る奴、消えろ」
かさ。
草を踏みつけた音であろうか。間違いなく人の気配が、壁の向こうで戸惑っている。
戦闘員ではないと思った。なぜなら、息遣いや気配なんかが、怯えたように激しく動揺してたから。
「一言も喋るな。存在を認めたら、この壁を登って撃つ」
ジェイクは傭兵だ。彼の敵は彼自身ではなく雇い主に決められる。
そして今の雇い主は、イドニア政府も隣国も、等しく敵と見做してる。見つけたら問答無用に殺してしまうのが、彼の〝今の〟仕事であるのだ。
かさ、かさ……。
草の踏まれる音がする。
この辺りの植物はみな背丈の低い雑草ばかりで、疎らなタンポポも風に煽られては綿毛を散らす。きっと、この壁の向こうも同じ景色が広がっている。
ジェイクはため息をそっと漏らした。足音が、少しずつ小さくなってゆくから。
「……にいさん」
去り際に小さな声が聞こえた。
それは、涙に濡れたか細い女の声だった。
-3-
この辺りの国境付近は、国内でも一、二を争う熾烈な紛争地帯だ。間違っても半べそかいた女のうろつく場所ではなかった。
だからジェイクは、あれは売られた女かなにかと思った。
男というのは勝手に性欲が溜まって行くのだが、紛争地帯じゃ女なんかどこにも居ない。娼婦を買おうにも売春宿の一つもないのだ。そこで街から女を買って来るならまだマシなほうで、拉致してくるような連中もいた。国境の向こうとてその辺りの治安は大差なさそうだから、とかくそんな〝可哀想な奴〟だと思った。
「ジェイク……疫病が怖くねぇのかい」
燃え尽きたヘリの中身は大方の荷物が搾取されたあとであったが、死体には誰も触れてなかった。
操縦席でローストされてた男の腰に米国の最新型の銃を見つけて、取り外してた時である。同じ傭兵部隊に属する男が、そんな言葉をかけてきたのは。
「この所バケモンみてぇなのをたまに見るだろ?ありゃあ新種の疫病だってみんな言ってら」
戦場がウイルスや病原菌の温床となるのは昔っからだ。理由は単純に死体がいくらもそこいらに転がってるから。鼠なんかも群がってくる。
だがジェイクは鼻で笑って、気にする様子もなく銃を手にした。
「……さあな」
返事などたったのそれだけだったし、事実彼は欠片も心配していなかった。自分はウイルスや菌に対して、人より遥かに強い身体と自覚してたのだ。自分が命の危険を感じるのは菌やウイルスではなく「生きた敵」である。だから、存在するかもあやふやな病気の心配よりも、目の前の武器のが大切だった。
やれやれと言いたげに仲間が離れる。そこでふと、彼は遺体に視線を落とす。弾倉を確認する刹那のことだ。
操縦席の男がその手に、なにかを握り込んでいた。
────ペンダント?
こんな金目のものを他の奴らが見落とすくらいだ、よほどみんな「バケモンになる疫病」とやらを恐れているのか。興味本位に指を伸ばせば、遺体はあっさりそれを手放す。すると同時にチャームが開いた。どうやらロケットペンダントらしい。
中身は写真だ。年の近い男女であったが、恋人でなく兄妹であるとすぐにわかった。顔がそっくりだったから。
だがジェイクが思わず驚いたのは、写真が出てきたからではない。
〝……にいさん〟
壁の向こうで小さく聞こえた、女の言葉を思い出す。
落ちたヘリ。
壁の向こうで泣いてた女。
兄妹の写真を持つパイロット。
小さく聞こえた「にいさん」の声。
ああ、いやな連想をしちまった。
ジェイクは思わず空を仰いだ。
・ ・ ・
黒一色の夜空にぽつぽつと星座が瞬いている。
ジェイクは苔むした壁に背中を預け、なんとはなしにそれを数える。
散らばる星々のどれかは有名な星座だろうか。彼にとって星とは方角を知るためだけの知恵だったから、それ以外のことを知らない。
不意に風が吹く。戦場とは思えない静けさが身を包み、えもいわれぬ物悲しさが心をふさがせる。何度目かも数え忘れたため息が落ちた。
手の中には、あのロケットペンダントが握られている。
ヘリを落としたのはジェイクではない。しかし積荷を奪ったのは仲間であった。事実ジェイクも銃を奪った。
弱肉強食の戦場において、これは当然であり日常茶飯事と言っていい。だのに胸糞の悪さを感じるのは、きっと、どこかで予想していたからだ。予想していて、その予想が当たってしまった。……ここに、またあの女が来るということ。
控えめな足音を壁の向こう側に気付いた時から、ジェイクは似合わない祈りを捧げた。せめて、もう一つの予想は外れてますように。
「……なにしに来たんだ」
他の誰かと間違える心配はしちゃいなかった。なにせ足音は男より軽く、男にはないヒールの音を持っている。おそらくパンプスのような、尖った靴を履いてるのだろう。こんな足音が、戦場にいくつもあるはずもない。
「撃ち殺すと言ったはずだぜ」
なにをやっているんだろうか。あまりに愚かな自問自答を脳内でする。例え死んだパイロットがこの女の兄であっても、だからどうということもないのに。
左腕のかすり傷は、今日新しくこさえたものだ。夕方の一悶着のお土産だった。
国境の向こうから攻めてきたのは自らと同じく傭兵達で、ここより数キロ南で衝突があった。そこは国境に沿って続くこの壁が、砕けかけた地点でもある。
相手の雇い主が誰なのか、何故ジェイクの属する傭兵部隊を襲ってくるのか、そんなことは部隊の誰もわからなかった。ただ、確かなのは敵ということ。そして、敵は殺さなければならないということ。
「……〝こっち側〟にお前の兄貴がいてもいなくても……やることは変わらねえよ」
言いながら握りしめたグリップからは、銃の重みが伝わってくる。誰かを殺すためだけの鉄の重みだ。
「…………ヘリは、落ちましたか」
ややあってから空気に溶けたその声が、思えば彼女の発した初めての問いだ。
どくん。一度心臓が高鳴った。それは不似合いな、罪悪感にも似たものだった。
「ヘリなんざしょっちゅう落ちてくる」
ややあってからジェイクは答える。鼓動はまだ速いまんまだ。
「昨日です、……いえ、日付は変わっていたかも。深夜から明け方にかけて、イドニアに発った兄のヘリが対空砲に狙われました」
ロケットペンダントの中で微笑む兄弟は、幸せに溢れた目をしてる。ペンダントの持ち主────パイロットは皮膚が炭のように変色していた。この写真の面影など残らぬくらいに。
では、妹は。
女は戦場では滅多に見ない。家族は、妹は、どこか遠い街中でのほほんと暮らしてるものだ。間違ってもこんな壁一枚向こう側から、声を出したりしてはいけない。
手の中の銃がいやに冷たい。手に馴染むほど撃ち続けた武器であるのに、ひどい異物感に覆われてゆく。
「……知らねえ」
ジェイクは言った。胸がきりきりと痛かったけど、その原因もわからなかった。
「ヘリはしょっちゅう落ちてくる。上手くかわして、飛んでくヘリはもっといる。昨日も同じだ。落ちたヘリも、落ちなかったヘリもあった。
お前の兄貴のヘリなんか知らねえ」
この女を殺せば、自分の功績は上がるだろうか。
あるいは生け捕りにして売り渡せば、別途で報酬が貰えるだろうか。
……それは、リンゴいくつ分の価値なのだろうか。
あまりに嫌な思考回路で、気が付けば自己嫌悪に襲われていた。