-1-
一つわかったことがある。敵の保有する戦車は、確認できる限り四台なのだが、そのうちの一台に桁違いの操縦士が乗っているのだ。
戦車は無骨な灰色の装甲をしているが、その一台は錆が進んで所々に赤褐色の斑がある。だから余計によく目立ってた。
「左右の履帯を互いに逆に動かして、激しく車体の向きを変えることを『超信地旋回』という。これは滅多にやらねえことだ、何故だかわかるか」
かつて陸軍に所属したこともあるという、傭兵歴の長い男は言った。ジェイクは素直に「わからない」と先を促す。知識を披露する機会が嬉しいのか、男は饒舌に続きを述べる。
「超信地旋回をあんなふうに連続してやりゃあ、普通は履帯が外れるんだよ。最新式のモンならまだしも、あんな大戦時代の戦車じゃまず間違いなく」
そうならないのは、よほどのテクニックがあるからだ。そう言葉はしめられた。なるほどただモンじゃあないらしい。
「他の三台は?」
「大したことない。戦車を乗っ取れりゃあ、一日でお前だってあんくらいできるさ、ジェイク」
「なるほどな。道理で初日に一台だったってのに、翌日三台増えたわけだぜ」
連日の衝突は、それまで散発的だった隣国の干渉の仕方とは、まるで性格の異なるものへと変貌していた。事情が変わったのか、指揮官が変わったのか。あるいは戦車という戦力を得て、作戦が変わったのかもしれない。
「で、どうすんだよ。相手に面倒なのがいるのはわかったが、対策がないんじゃ意味がねえ」
国境付近に構えた拠点は、疲弊や壊滅で残存戦力など当初の半分も残っていない。このままでは、市街地で目を光らせるイドニア国軍から、いつ挟み討ちにされてもおかしくなかった。早急な対策を練るか、あるいは撤退するのも一つの手だ。彼らは信念のもと戦う兵士や戦士ではなく、あくまで傭兵なのだから。
「対策はあるさ。昔っから、戦車にはコレって鉄板がある。残る軍資金をありったけ注ぎ込んだ」
年輩の男がにたりと笑う。そして、親指が一つの木箱を指さして見せた。どうやら今朝方、ようやっと届いた〝対策〟らしい。
「────なに?」
「地雷さ」
・ ・ ・
黒い空には今夜も星座が瞬いている。
苔むした壁に背中を預け、なんとはなしにそれを数えるけれど、星座なんかに興味はなかった。
言うならば時間を潰してるだけかもしれない。いつも、大体似たような時間に声をかけてくる、壁の向こうの女が来るまで。
風が吹けば、戦場とは思えない静けさが身を包む。足元のタンポポが物悲しげに綿毛を散らす。手の中には、やはりあのロケットペンダントが握られている。
「あの、……居ますか?」
控えめな声が、壁の向こうからそっと聞こえる。
ジェイクは彼女の名前を知らない。彼女も、ジェイクの名前を知ることはない。互いに名乗ろうとしなかったのは、知るべきでないと思ったからだ。彼女が一般人であろうとも、壁の向こうというだけで敵なのだ。名前など知らない方がずっとよかった。
「……ああ」
何度言っても彼女が来るのをやめやしないから、バカらしくなって「来るな」というのをやめたのは何度目の夜からだったか。生ぬるいことだとジェイクは思う。仲間が知ったらきっとタダでは済まないだろう。なのに、何故今夜も話しているのか。
「お前の兄貴は……今日も見てない」
「そう、ですか……」
「ああ」
彼女は本当に兄が好きなのだろう。聞いてもないのに兄のことが語られるから嫌でも覚えた。切れ長の目だとか、瞳の色とか、髪型だとか髪色だとか。そのたびに、ジェイクはあの黒焦げのパイロットを思い出す。そして写真の男が、彼女の挙げる特徴全て一致してるということも。
何故聞かないのか。お前の兄貴はこのペンダントの男かと。
何故言わないのか。この男はもう死んでいると。
自問自答の答えはつかみかけていたけど、それに気付かぬふりして蓋をしていた。考えたくもないことだからだ。
「……この間、祈りを捧げる日があったんです。そちらの国にも、そういう風習はありますか?」
「……そういう祝日みたいのは、イドニアにはない」
「そうですか……。私、兄の無事を祈ったんです。それから、あなたの無事も」
お天気なことを言う女と思った。敵国の、顔も名前も知らない男の無事を祈るのだから。彼女は平和ボケしてるのだろうか。
「俺の無事なんざ願ったら、反逆罪になるんじゃないのか」
「私、国軍とかじゃないですから」
「だろうな」
この穏やかな時間を、どうして断ち切れないのだろうか。戦場に生き、冷徹さを身につけてきたはずなのに。愚かしいとわかっているのに。
「唄をね、歌うんですよ。口笛を吹いたり、町では楽器を奏でることもあります。生者の無事と、死者の鎮魂を祈る唄だと母に教わりました」
ジェイクはふと数日前に、聞こえた口笛を思い出す。
今日まで熾烈さは増すばかりの日々だった。銃弾が頭を掠ったことすらあったのだ。だのに未だに軽傷で済んでいるのは、存外祈りとやらが通じたからか。────なんて、そんなことを考えるくらいには、この空気に絆されている。
「お人好しだな、あんた」
「そんなことないですよ」
「いや────ありがとう」
月が徐々に細くなってく。
空の闇が深い分だけ、星の輝きは美しかった。
-2-
対戦車地雷は人が踏んだ程度では起爆しない。
逆に、対人地雷を戦車が踏んでもダメージを受けることはない。
ならば戦車を軸に歩兵が攻撃してくる隣国のケースに対応するには、対戦車地雷と対人地雷の複合地雷原にする必要がある。
国境付近を地雷原に変えてしまえば、オタワ条約がどうのと煩い連中が来るのでないか。 ジェイクは咎めるようにそう指摘したが、発言の裏側には壁の向こうの女がいたことは否めない。
彼女が兄を案ずるあまり、国境を越えようなんて真似をしたら……、いや、ジェイクと毎晩そうするように話にくるだけでも危ない。
「オタワ条約に触れるってことは、他国軍がここまで進軍する理由になっちまうんじゃねえのか」
「裏ルートで仕入れた地雷だ、政府が地雷原に気付くのはずっと先だろうよ。その頃には俺たちはもうここにはいない」
「地雷を置きっぱなしにしてくのか」
「なんの問題が?どうせ足はつかない」
「…………いや」
「ジェイク、お前、地雷を使いたくない理由があるのか?」
対人地雷が世界中から批判されるのは、無差別の殺傷兵器だからだ。しかも大半の被害者は非戦闘員で、死、あるいは恒久的な身体障害を伴ってしまう。つまり、ただ兄を探してるだけの彼女ですらも死んでしまうリスクが高い。遺憾なことに地雷の設置予定地は、毎夜彼女と語らった地点までも含まれている。そして紛争が終わっても、地雷は誰かが踏むまでその場に居座り続けてしまう。
「まさか、人道的にどうだとか、そんな眠たいことは言わないだろう?」
地雷を使いたくない。彼女が踏んでしまうかもしれないから。……なんて、言えるはずない。そもそも彼女の名前も知らない。
「言うかよ」
素っ気なく吐き捨てる様もポーカーフェイスも、年齢以上に長けてたはずだ。だから、周りの仲間は「だよな」と笑いあっている。
「全部、深夜に設置しにいくぞ。今夜は新月だ、真っ暗で気付かれにくい」
この一帯が地雷原に変わってく。彼女と会話することもきっと出来なくなるだろう。地雷に巻き込まれるわけにはいかない。
隣国が戦車なんざ持ちださなければ、こんなことにはならなかった。あんなふうに攻めてこなけりゃ、それなりの争いで済んでいたのに。
顔も知らぬ戦車乗りを、恨みたくてしかたなくなる。
「どうせ明日も奴らは来る。見張りはいつも通り、休める順に休めよ」
作戦会議と呼ぶにはぞんざいな、非人道的な方針が定まった瞬間である。
今夜、地雷原が出来上がる。彼女と会話を重ねた場所も、地雷原に変わってしまう。
ジェイクはその日も壁へ向かった。
いつも彼女と語らう時間まではあと三十分。
地雷を埋める時間までは、あと三時間ほどだった。
-3-
「え……、イドニアでは、ハーブをそのまま食べるんですか……?」
「いや、イドニアだけじゃない。米国人なんかも食うらしい。軍隊上がりの知人に聞いたが、応急処置にもなるんだとよ」
「苦くないですか……?私たちは、サラダとか、スープとかにしてます」
「まあ、苦い。スープなら美味そうだな」
「美味しいですよ」
何気ない日常の会話が、不似合いだと自覚はしていた。
……ああ、やめよう食事の話は。どちらともなくそう諌め合う。また腹が鳴っちまうから。
最後に食ったのは痩せ細った四センチほどの小魚なのだが、それなどまだマシな方で、カエルや虫を食った奴もいる。死体を食った奴がいるなんて噂も立ってるくらいだ。
ジェイクは肌色は黒くなり、手首が細くなったことも実感していた。熾烈な環境だ。ストレスもあった。だけど、壁の向こうの彼女との会話に、いつしか安心感を与えられてた。だからこそ、また胸は痛みを覚えているのだ。
新月だけあっていつも以上に闇は濃く、また少し肌寒い夜だった。
こんなに穏やかに話しているのに、あと数時間で地雷を仕掛ける手筈となってる。それを踏むのは、彼女かもしれないとわかっているのに。
ふあ、と彼女の欠伸が聞こえた。
気付けば時間はすっかり経ってた。
「あ……ごめんなさい」
「いや、いい。もう寝ろよ」
「はい。じゃあ、また明日」
明日────。いや、明日の夜には、ここも地雷原に変わってる。呑気に歩けば運が良くても足が飛び、運が悪けりゃバラバラになる。
だから、きっと〝明日〟はもう来ないのだ。彼女と話せる明日は来ない。もう。
「いや……」
〝地雷を埋めるから、もうここに来てはいけない〟
これを敵国の人間に伝えることは、自軍に絶滅の危険を与える。
対人地雷の使用がバレたら、オタワ条約違反として、国軍のみならず大国の介入も考えられる。そうなれば雇い主はトカゲの尻尾を切るだろう。「傭兵達が勝手にやったこと」として、追われ、捕らえられ、殺される。圧倒的な戦力達に。
────言えるはずない。
答えはシンプルにこれだけだった。言えるはずもないことなのだ。
「その、あんたの町がどのくらいの距離か知らないが、こんな国境近くじゃ治安はクソみてえなもんだろ。もう来ない方がいい」
「どうして急に……」
「明日からもっと酷くなる」
「……酷く?どうして……」
────うるせえな、地雷を使うからだよ!
そう言えたらどんなに楽かと、腹の中で唸りが上がる。言えない。けど、言いたい。でなけりゃこの女は、きっとまた来てしまうから。だけど言えない。嫌な葛藤に唇を強く噛み締めた刹那、ジェイクはポケットの感触を思い出す。
……そうだ、彼女は元々、兄を探してここに来ていた。ポケットから、ロケットペンダントをそっと取り出す。落ちたヘリの遺体から回収したペンダントには、彼女の話と特徴の一致する写真が込められている。彼女が、ここに訪れる理由の答えそのもののように。
「……とにかく、もう来るな」
もっと早く渡してやればよかったことだ。
何故聞かなかったのか、お前の兄貴はこのペンダントの男かと。
何故言わなかったのか、この男はもう死んでいると。
何故か後回しにしたくなって、今日まで「知らない」と言い続けてきた。彼女の兄が死んでいること。
もっと早く伝えていれば、彼女はとっくに、ここに来ることなどなかったのに。
「でも……」
ペンダントを放り投げれば、あっさりとそれは壁の向こうへ姿を消した。
土の上へ、金属の沈む音が聞こえる。同時に彼女が息を飲む音も。
多分、いやきっと、好きだったのだ。彼女と話すのが好きだった。いつの間にか好きになってた。だから言えなかったのだろうか。
「落ちたヘリの遺体から回収したモンだ」
彼女の声が好きだった。喋っていれば安らいだ。あの、戦場に不似合いな、コツコツと鳴るヒールの音を覚えるくらいに、彼女の存在に救われていた。敵国の人間だったのに。
お前の兄貴か。
そう尋ねることはしなかった。
やがて壁の奥からは、すすり泣きだけが聞こえてきた。