-1-
鳥の死骸は翼が焦げてた。それを足蹴に傭兵達は息をひそめる。ギリギリ壊滅しないだけの状況と、極めて深刻になった食料問題に、傭兵は皆餓鬼のような目つきになってる。
崩れた壁の向こうから、今朝も進軍は確認された。
昨日までと決定的に異なることは、一帯が既に地雷原だということだった。
早朝、ここ最近とはうってかわって、突き抜けるような青が広がる。戦火で焼くには惜しいくらいに、その朝日は美しかった。
「いいぞ……来い、もう少し……」
物陰に潜む一人の男が、地雷原の目前まで進行してくる戦車や敵を前にほくそ笑んでる。地雷作戦を決行した、傭兵団のリーダーだった。飢えのせいでげっそりとこけた頬や落ち窪んだ眼孔が、宿す狂気を悪質なものへと変えてしまってる。
ひでぇ面だと思った後に、しかし自分も似たようなものかもしれないと、ジェイクは皮肉気に苦笑を漏らした。
今回使用した対戦車地雷は、マインローラ部通過後に通過予想時間で爆発する時限式タイプだ。また、対人地雷も同じく〝一度踏まれてから一定時間で爆破する〟タイプのものを採用している。
これは、戦車破壊後に撤退する人間を狙い撃ちにするためだった。
ジェイクは最前線で銃を持ってる。地雷の爆破に巻き込まれないギリギリの距離だ。
対戦車地雷の目的は戦車の破壊ではなく機動性を失わせることにあり、一発でも踏めば履帯が切断し走行は間違いなく不能となる。行動不能になった戦車に、とどめを刺すために対戦車兵器は用意されてた。いつの時代も、 地雷とミサイルはセットになってる。対戦車のセオリーなのだ。
「────おい、あいつら、なんで突っ込んでってるんだ……?」
その時ジェイクが疑問を述べたのは、味方が交戦しようと前進しているからだった。
あの辺りはもう、地雷原になっている。深夜にジェイク達が埋めたのだから間違いない。だのに一部の兵は勇猛果敢とはこのことであると言わんばかりに、武器を取って立ち向かってゆく。信じられない光景だった。
「あんなところでドンパチしてたら、爆破に巻き込まれるだろっ……」
明らかに爆破の範囲内で銃を構える味方の数は、十や二十じゃききそうにない。
何故……、そう目を見開けば、傍らでリーダーがにたりと笑った。
「全員で後方に引いちまったら、怪しいって馬鹿でもわかる。あいつらは、あそこに地雷があると知らない」
「……教えてないのか?」
「あいつらは長引く戦いの怪我や栄養失調でろくな戦力にならなくなってた。あるいは精神の方がイカれかけてた奴もいる。でもな、壊れた身体でも、使い道はちゃんとあるんだ」
「なに、言ってやがるんだ……」
「作戦なんだよ。囮は必要だった」
────狂ってやがる!
そう叫び出したい衝動が、胸の中で暴れ出す。
残る軍資金を全て突っ込んで決行したのが此度の地雷作戦だった。失敗するわけにはいかない、その事情はわかってる。だが、こんな手段を、人が人に行うなどあって良いのか。
イドニアは酷い状態だった。国内難民は増加を辿り、失業者もまた比例して増え、治安は地獄へ転がり落ちてた。国内外で量産されては紛争地帯になだれ込んでくる傭兵たちは、量産品ゆえの消耗品のような扱いになる。
……此度の戦線は、そんなイドニアにおいても一、二を争う熾烈な国境での募集であった。命が安請合いされるのが常々なのに、この地の報酬だけ頭一つ抜きん出ていた。ジェイクの属する傭兵団が素早く手を挙げ、そうして着いた戦線でもある。……実際の過酷さは既に語った通りであるが。
疲弊や怪我、あるいは精神力の弱い者から、ああして囮の役に選ばれるのなら────ジェイクは思う。あの女、壁越しに語らったあの女がいなかったなら、自分も今頃……地雷原に突っ込んでたかもしれないと。
体力や回復力が若さ故のものであるなら、精神の未成熟さや場数の少なさだってまた、若さ故のものなのだから。
……あれが未熟さ故の動揺なのかは、現在のジェイクにもよくわからない。ただ、あの瞬間に感じた胸糞の悪い気持ちは、今でもよく覚えてる。
スコープ越しにまばたきをした刹那のことだ。
最初の火柱が空へと登った。
-2-
毎晩、星を見ていた。
壁を挟んだ静かな会話は、いつしか銃を握ることすらしなくなり、芝生に寝転がったことすらあった。
彼女との会話は兄の話題や自国のこと、他愛ないそれが増えてゆく。穏やかな心で、ジェイクは耳を傾けていた。時折星を見、夜明けの近い空の片隅に、星たちが追いやられる様に切なさを感じ。
幾分かの、食料とも呼べないような粗末なものを口にしながら、体力も精神も疲弊させる戦地の中で、唯一心の弛緩できた時かもしれない。
彼女の、小気味よく鳴る靴底の音が好きだった。特徴的なハイヒールのあの音が。
・ ・ ・
「やった、やったぞ!!」
歓喜に震える唇が、興奮気味に唾を飛ばしてる。
────戦車が。あの、憎き戦車が、アッサリと煙を上げて停止したのだ。それも、赤褐色の車体を仕留めた。
「撃て、撃てっ、早く、あれだけは仕留めろっ!」
一台だけ別格の操縦士を乗せた車体がある────それがあの赤褐色の戦車であった。あの車体に、今日までどれだけの被害を出されたものか数え切れない。たくさんの仲間を殺されてきた。
赤い車体の後方に控える三台のうち、一台の戦車のハッチが開いた。パニックに陥った操縦士が逃げ出そうとしたためである。
対戦車地雷は推定百五十キロ以上の重さにしか反応しない。つまり、戦車で踏めば爆発しても、生身で踏めば爆発しない。ただし冷静でないが故か、対人地雷との複合地雷原の可能性やら、時限式の可能性まで及ぶことはなかったらしい。
「ウワアアア」
どこぞしこから聞こえる悲鳴が、敵のものか味方のものか、それすらジェイクにはわからなかった。
逃げ惑う歩兵が対人地雷に飲まれて砕ける。それを見て今度は、ハッチの開いた戦車に人が群がってくる。対人地雷の威力では、戦車の装甲は壊せない。
その時ジェイクの真横を突風が突き抜けた。味方の対戦車ミサイルの弾道である。命中精度こそイマイチな安物だが、機動力を失った戦車を仕留めるには十分である。ミサイルは不安定な軌道を描き、人々と戦車を巻き込みながら火の手をあげた。
対戦車地雷と対人地雷が交互に轟く。
あっという間だった。あっという間に、ジェイクの視界は火と黒煙の二色となった。空の青さなどもはや見えない。
あれだけ苦労を要した戦車が、圧倒的な装備の差に苦しめられた隣国が、気付けば壊滅状態だった。結局ジェイクの持つ銃は、ただの一発も発砲されることもないまま────。
真横で、リーダーがケタケタ笑ってる。
黒煙がゆっくり禿げてゆくと、浮かび上がる死体の数に益々声が大きくなってく。
いや、死体と呼ぶべきかもわからなかった。血も死に顔もクソもなく、殆どが黒焦げで、身体と呼ぶには未完成な肉塊だった。
目の仇だった赤褐色の錆びた戦車も、他の三台同様にもはや原型を残していない。車体の下半身はひしゃげて走行不可能なまま、集中する手榴弾や数発のミサイルを受けてきたのだ。機銃は折れ、側面には穴が空き、ハッチは歪んでエンジンは煙をあげていた。中に人が残っていても、生存など不可能だろう。
終わった。
ジェイクは思う。
もう、終わった。
敵を壊滅させる代わりに、ここらを地雷原に変えてしまった。
この大地も死んでしまった。
戦線も全て、〝終わった〟のだとジェイクは思った。
その時である。
討ち滅ぼされた戦車の中でも、比較的原型を残す────とは言え大破と言って過言でないのだが────一台が、カタリと音を立てたのは。
ジェイクは驚き目を見開いた。
ハッチが、開いたのだ。
そして中から、一人の兵が姿を表す。見渡す限り地雷原のあの場所で、あれが唯一の生き残りである。
割れたスコープが両の瞼に破片を突き刺し、もはや視力は無いとわかった。破れかけの防弾ベスト。すべて隣国の装備である。
あれは……敵だ。
死にかけた、敵だった。
-3-
「あれは……」
目だけでなく足も負傷したのだろうか。歩き方のひどく不自然な生き残りが、よろよろと力なく歩き始める。
やはり見えていないのだろう、生き残り兵士は両手を前に突き出して、視力の代わりに指で現状の手掛かりを探してる。
「殺しますか……?」
男の一人がリーダーに問う。だがリーダーは、ニヤニヤ笑ってそれを否した。
撃つまでもなく、あそこは地雷原の真ん中なのだ。もしかしたらリーダーは、最後の一人が爆破で吹き飛ぶところを見ようとしているのだろうか。
この時ジェイクは、あまりのことに凍り付いたように硬直していた。唇はわななき、目は見開き、目の前の現実を上手く飲み込むこともできないまんま、〝他の可能性〟を探し続けた。
まさか。
まさか。
なんで。
なんで。
生き残った〝そいつ〟の首には、あのロケットペンダントが揺れているのだ。
昨日〝彼女〟に渡したはずの、彼女の兄のペンダント……見間違えようはずもない。
あの生き残りが、それを大切そうにぶら下げている。
これがどういうことであるのか。わかりたくない、理解したくないとジェイクは思う。
かつてペンダントの写真で見たのと、全く同じ色の長髪さえも。
毎晩聞いたあの足音が。
ハイヒールだと勘違いした、あのコツコツと鳴る〝彼女〟の足音が、どうしてあそこから聞こえてくるのか。背中の産毛がゾワゾワ逆立つ。彼女と語らった色々なものが、頭の中を突き抜けてゆく。
────ハイヒールでは、なかったのだ。
黒い煙の隙間から、ジェイクにはそれがハッキリと見えた。
彼女はハイヒールなど履いてなかった。
ただ、義足だったのだ。だからコツコツという音が聞こえた。
わかりたくなかった。あの生き残りが〝誰〟であるのか。
そんなこと、理解なんかしたくなかった。
どうしても符合を否したかった。
「……くそ」
半ば無意識に、唇の隙間から声が落ちる。
傍らのリーダーが、ジェイクに不信な視線を寄越すが、それを気にする余裕もなかった。
両目の潰れた生き残りが────いや、彼女が、「誰か助けて」と口にした。
その瞬間、ジェイクは声をあげていた。
毎晩聞いた、彼女の声に、無意識に声をあげていたのだ。
「動くなっ!!」
星を見ていた。
タンポポも見た。
苔生したあの壁に背を預け、この戦場で、唯一安らいだ時間があった。
彼女は、この声にジェイクと気付いたろうか。
そんなことはわからないけど。
「地雷だっ、下手に動くな!ぶっ飛ぶぞ!!」
彼女は軍人ではないと言っていた。
そりゃあそうだ、軍にしちゃ装備が時代遅れで、隣国の敵が国軍でないとずっと前からわかっていたのだ。
それに、ジェイクだって軍人じゃない。傭兵だった。
彼女は嘘をついてない。
軍人でないと言っていたけど、戦闘員でないだなんて言ってないのだ。
「伏せてろ!今そっちへ行く!!」
初めまして、ではない。
久しぶり、でもない。
初対面であって初対面でない、不思議な感情が湧きあがってる。
信じられないものを見るような目で、仲間たちがジェイクを睨んだ。
「う、撃ち殺せっ」
「やめろ、もうこっちの勝ちはわかってんだろ!」
「おい、ジェイク!」
「あいつ一人殺してどうする!」
「助ける理由もない!敵だ!」
「『助けて』だ、聞こえたろ!どう見ても降伏してるだろ!!」
瞬間、空に一発の銃声が響く。
腹を貫通した弾丸に、彼女の身体がくの字にしなった。バランスを崩し、今にも倒れ込みそうに。
時間差で彼女がこぽりと血を吐く。
「やめろ!!」
ジェイクは怒鳴り銃弾の発射元を見る。それは、不愉快そうに銃を構えたリーダーだった。彼は何の感慨もなく、もう一発引き鉄を弾く。
パァンと乾いた音が響いて、今度は、彼女の近くの地面が爆ぜた。その音に彼女がビクリと怯える。
着床を待ってたタンポポが、綿毛をふわりと散らしてく。
「やめろ!降伏してるだろ!もう終わった、全部!!」
ジェイクがリーダーの銃へと手を伸ばす。リーダーはその手を払いのけ、再びアッサリと引き鉄を弾く。またも狙いは決定打を僅かに外れ、銃弾は片方の義足を貫いていた。
痛みはないが、いよいよバランスを保てなくなった彼女が倒れる。
「あいつにもう交戦の意志はない!」
覆い被さってくるジェイクを、肘で押しのけてはリーダーがまた銃を構える。バレルの角度を力任せに空に向けさせ、ジェイクは彼女を確認する。
……もう、駄目だと、すぐにわかった。
両目が潰れ、腹に穴が空き、血が泉のように湧き出てる。哀れな生き残りは血まみれになった自らの手で、ロケットペンダントを握り締めてた。祈っていたのかもしれない。
彼女はきっと助からない。
けど、まだ、生きているのに。
「不愉快だ!あの女!」
「降参だろ、どう見ても!あいつに戦意が見えるのか、てめえはよっ!!」
「お前こそ自分のやってることがわかってんのか!俺に逆らって、ここにいられると思ってるのか!!」
「わかってるよ、畜生!」
次にジェイクの振り上げた手は、制止ではなく完全な攻撃の意志を持って振り下ろされた。硬く握り込まれた大きな拳が、全力をもってリーダーの頬を打ち抜いたのだ。
あまりの強さに目を白黒させるリーダーに向かい、ジェイクの拳は容赦のない追撃をした.脳震盪が起きたのか、リーダーはそのまま前のめりに倒れてしまった。
なにが傭兵団だ。
なにが囮だ。
なにが敵だ。畜生が。
言い切れない胸糞の悪さに、どす黒い感情が止まらなくなる。
不幸中の幸いなのは、リーダーが気を失ったあと、ジェイクを咎める仲間がいなかったことだ。
此度の地雷作戦の強行に、あるいは囮に、傭兵団内でも不満は高まってたのかもしれない。
もう、走り出すジェイクを、止める者は誰もなかった。
-4-
一帯の黒煙が捌けた頃、空には茜色が迫り出してた。
あの後、傭兵団がどのように動いたのかは知らない。ジェイクは団を離脱した、戻る気もない。きっとこれからも、集団に属することもないだろう。
少年と呼ばれる歳で武装の必要に迫られた彼に、「傭兵団」という媒体は都合の良いものだった。だが既に身体は成長期を経ているし、銃の扱いも、戦場の場数も、経験値と呼ばれるものは存分吸えた。戻る理由も最早無かった。
瓦礫の山の隙間から、燃えてしまった大地が見える。禿げた芝生の中でわずかに、生き残ったタンポポが見える。
夕日で伸びた自分の影が、それらを黒く染めていた。
彼は腕に、息絶えた彼女の身体を抱える。最後の約束を果たすため。
・ ・ ・
ジェイクは彼女の傍らに立っていた。戦車と遺体の上を辿ってきたため、地雷が爆破することはなかった。
「おい」
いつ死んでもおかしくないほど、衰弱しきった彼女にそう呼びかける。大量の出血でかさかさになった、彼女の唇が僅かに動く。
壁の────?
そう、吐息と変わらないほど細く小さくなってしまった、彼女の声が問い返す。
例えばここに医者がいて、応急処置をしてやれたって、それでも彼女は助からない。素人目にもそうとわかるほど、彼女の傷は深かった。
ジェイクは肯定も否定もせずに、彼女をゆっくり抱き起こす。
この声、髪色、首から下げたペンダント、特徴的な足音のする銀色の義足。これから死ぬこの女は、間違いなく毎夜語らった彼女であった。
「……つかまれよ、連れてってやるから」
「……どこに……」
「お前の、……兄貴のいるところだ」
・ ・ ・
地雷原から、どれほど離れたものだろう。
ジェイクが彼女の死に気がついたのは、緩やかな丘をゆっくり登る道中だった。まだ体温も柔らかさも残した身体で、しかししがみつく指の握力がずるりと抜けて、ジェイクは抱えた彼女を見下ろす。
今際の際の言葉もないが、その死に顔は、穏やかな微笑のようにも見えた。
悪い足場を人一人抱えて移動するなら、それなりの時間を要してしまう。女の身体は軽いものだと思っていたが、死して完全に力が抜けてしまうとそうでもなかった。彼女が息を引き取ってから、急に体重が増えた気さえするほど。
向かったのは、ヘリの落ちた場所だった。
彼女の兄貴が死んだ場所。ロケットペンダントを手に入れた場所。
あの時物資をいただいた後、ヘリは放置されていた。その死体も同様に。
きっと今頃は死臭が漂い、ネズミが死肉を漁ってる。虫も湧いているだろう。弔う者などいなかったのだ。
それでもジェイクはヘリに向かった。彼女が、あれだけ会いたかった兄なのだ。ならば最後の最後くらいは、並べてやるべきだと思った。
彼女が自分に安寧を与えてくれてたように、自分も彼女に何かを与えられていたのだろうか。
これは恋などではなかった。
彼女はこれまで知り合ったことのある────ある意味では嫌煙してきた────他の女と変わることもなく、よく喋り、穏やかで、そしてアッサリ死んでしまった。
これは恋ではなかったけれど、それでも、死んでほしくない女であった。敵国の人間だったとしても。
夕日が沈む。
自らの影が濃くなってゆく。
この黒々とした色を見るたび、これからもきっと、彼女を思い出すのだろうとジェイクは思う。名前も知らなかった彼女のことを。死んでしまった彼女のことを。毎夜語らったその日々とともに。
落ちたヘリの残骸の中、朽ちた兄の遺体の横に彼女を並べる。
「…………じゃあな」
そう言って、ジェイクはヘリに火をつけるのだ。棺みたいに。火葬みたいに。
-5-
「久しぶりだな、スーパーガール」
急にアメリカからやって来たシェリーに、ジェイクはそう淡く笑った。
前約束も無しに唐突に、彼女は「任務の帰りにイドニアに寄るわ」なんて言って来たのだ。彼女はいっつもそうだった。中国やら海底油田やら、一連の騒動の後も相も変わらずに。
「急に来ても大丈夫だった?」
「構いやしねえが、居なかったらどうするんだよ」
「だって休暇って聞いてたから……」
「あのなぁ……」
風が吹く。足元のタンポポが綿毛を散らす。
あれから何年経ったのだろうか。地雷は数年前に、オタワ条約を理由に介入してきたアメリカによって撤去され、戦火に焼かれた一帯も緑を回復させている。
壁は変わらず聳えたままだが、昔より苔が増えていた。
「ま……いいけどよ」
「綺麗な場所ね、ここ。風が気持ちいい」
「星もよく見えるぜ」
イドニアは不安定なままではあるが、それでもマシになってきている。ネオアンブレラが壊滅し、沈静化が一気に進んだせいかもしれない。
人間同士の争いが激減したものの、代わりにバケモノが増えちまったから、結局仕事は忙しくなっているけど。
「……ジェイク、もしかして何かあった?傷心に見える……」
あの頃と変わらない夕日の赤さに、あるいは自らの影の黒さに黄昏ていると、不意にシェリーがそんなことを口にする。
ジェイクはクスリと笑みを零した。
「傷心って……違ぇよ」
「そう?なら良かった」
「ああ」
あの日燃え尽きたヘリも何もかも、今は残骸すらも残さないのだ。全ては胸の中にだけある。時折ちくりと痛むものも全て、ジェイクの胸の中だけに。 この痛みだけが、彼女を確かめるただひとつのものなのだ。
「歯型みてえなモンだ。傷心じゃない」
そう言って、ジェイクはシェリーの頭を撫でる。
シェリーは「子供扱いしないで」と、頬を膨らませてみせるのだった。