「へえ、他民族統治大臣になったんだ。
ベルリンにはなかなか居られなくなりそうだな。」
『何度も視察する予定だからな。
まぁ市民からの信頼の獲得のために生活にも気を使わないとだし。
ああ、わかってる。
時間らしい。ユンカーに合ってくるよ。』
「オステルマンか、もうユンカーじゃないんだろ?
今は医療とか株とか政治に影響力があるんだっけ?」
『ご名答、時間が押してるから失礼する』
「頑張れよ」
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「やぁ、ブルジョワ」
笑ってはいるが警戒心を張り巡らせて、挨拶をする。
「わざわざ来たのか。
まあどうせついでだろう」
気怠気なの止めてくれないかなぁ。
「面倒そうな顔はしないでくれ。挨拶しに来ただけだし」
「また親衛隊に協力しろ、とかは勘弁してくれ。
恨まれるのはお前だけにしてくれよ」
「感情を決定するのはあいつらだ」
冷たい肉食獣がそこに居た。
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1940年5月1日 ニーダーランド国家弁務官区(オランダ)
ベルギエン国家弁務官区(ベルギー)
フランス大管区
が設立された。
両国家弁務官区はザイフェルト統治大臣に軍事を除く一切の権限を委ねた。
『反逆者には死を、義務を果たす者には権利を』
ザイフェルトによる統治の原則である。
現地警察組織の復活、
秩序警察への形式的な編入、
地方自治の確約、
ユダヤ的、ニグロ的文化の許可、
大臣訓令の範囲内における自由の保証、
教育機関、法律の維持または再編成、
政治的指導者の責任を不問にする、
社会保障の設定、
地元住民の要求を取り入れる為の委員会の設置、
彼は自由を認めたのだ、反逆の意思を鋼鉄のように鍛えさせないために。
定まらない意思を氷のように溶かそうとした。
また、彼自身護衛を付けながらだが、街の視察。
道行く市民との会話も積極的にした。
余談だが『ローマの休日』等で有名なオードリー・ヘプバーン(当時は偽名のエッダ・ファン・ヘームストラを使用していた)も会っている。
相手の目をしっかりみて話す利発そうな子がいた、とザイフェルトの日記に書かれている。
また、武装SS師団を大々的に募集したり、労働力としての出稼ぎも後押しした。
もちろん、ユダヤ人狩りも積極的に行い、ナチス体制終焉までには欧州からユダヤ人が九割以上、殺処分される結果を生んだ。
アンネの日記のような、欧州に残ったユダヤ人の日記には絶望の言葉が散見され、
アメリカやスイスに命からがら亡命した人もいた。
このため、欧州にユダヤ人を見るようになるのはかなりの年数を要した。
オステルマンはザイフェルトと出身も同じ、ただし彼と違うのは政治にあまり関心がなく、医学関係に長けている。
ブルジョワだのユンカーと呼ばれている通り、元貴族の家。
貴族じゃなくなったが影響力は健在。
たぶんザイフェルトがかつての同級生の中で一番危険視している。
元貴族なだけあって、親衛隊名誉指導者が肩書きとして存在する。
ナチス体制の闇ならザイフェルトに次いで知っている。
名誉指導者だから一般人と大差ないけれど。