読まなくても作品自体に影響はないでーす。
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『慰労旅行編』
──イタリア ローマ
ある家族が駅のホームに降り立った。
「やっとこローマかぁ」
う゛ぅ゛ん、と呻きつつ伸びをする親バ、、、大臣
「本当ですね、、、しかし、本当に私が」
「良いんですって、二人も喜ぶ」
家政婦の不安そうな声に被せるよう大臣は言う。
今回の旅行は家政婦の人の慰労もあるのだから。
──まぁ周りからは、夫婦だと認識されていたらしいが。
お父さん、荷物重いよ──そう悲鳴をあげる息子に小言と冗談を織り混ぜつつ、大臣は思った。
──幸福だ、と
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『TNOのザイフェルト』
救いがないことで有名なThe New Orderの世界線だが、ザイフェルトは史実でも一部の勢力を除き中立に努めていたことから、ドイツ内戦時は世界首都ゲルマニア(ベルリン)で国防軍と共に中立を維持している。
ボルマン派、またはハイドリヒ派が勝利した場合はイタリアか、崩壊していない国家弁務官区に亡命するイベントが発生。
イタリアでは何も起きないが、崩壊していない国家弁務官区の場合は独自ディシジョンが発生、最終的には現地の指導者になり、崩壊した東方生存圏の再興、ドイツへの帰還を狙う。
他派閥に関してはドイツの国家運営に協力し、主に東方生存圏復興、周辺国との外交に関わってくる。
改革を望むシュペーア派では唯一、ドイツに光を照らす事が可能だったりもできる、ただし、そのイベント発生の確率はかなり押さえられている。
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──例え、光が自分すら焼き殺しかねないものであっても私は笑うだろう──TNOイベント時に出現するザイフェルトの言葉
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TNOで他勢力との関係をあげるなら、ザイフェルトはヒムラーが新たに建国した騎士団国ブルグントとも激しく対立している。
大臣は新たに総統の身辺を警護する警護隊の創設を要求していたりもしていることがイベントで明かされている。
友人関係だったハイドリヒとも敵対せざるを得ない状況も嘆いていた。
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『大臣の変化』
秘密主義を私生活の柱としていた大臣の態度を変わったのは、養子を得たことからだろう。
誰かを信じる──この事を大臣は学園闘争、ドイツ北西部での政治活動、そして政治家時代を通して、限定的で徹底したものと定義していた。
大臣は一次大戦勃発時点で教育の影響も大きかったが、立派な愛国者、国粋主義に傾倒していた。
敗戦後、大の苦手の勉学に勤しみつつ、政治的闘争を繰り広げていた。
そして学生という多感な時期に恋愛などをせず、人の醜さに身を沈めていた事もあり、他人を信じるということに多大な労力を支払う性格になった。
そして、私生活の孤独さを氷解させ、父親としての顔を併せ持つようになったことは大臣の諸文化理解、ナショナリズム勢力への妥協、融和姿勢をさらに加速させた。
一部界隈では親バカとしてネタにされているが、普通に良い父親の、、、はずである。
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『ザイフェルトのやり方』
ユダヤ人を以外には比較的寛容な姿勢を見せていた大臣だが、大臣に至るまでの過程ではかなり過激、とされる手法で権力闘争の第一線に居た。
敵、と見なした人物が翌日には風呂場で真っ赤な湯につかりながら冷たくなっている事は比較的良くあった。
電撃的に決着をつけたり、逆境を反撃の場にしたり、綿密に計画して、徐々に締め上げていくなど、場合によって手段を変えてはいたが首尾一貫、変わっていないことがあった。
『権力闘争そのものを喜々として参加する』ということである。
ザイフェルト自身は確かに利害で行動していたが、ことに権力闘争の段階に到達すると、努力によってかき集めた知識、応用力を結集した権謀術数と、権力欲求や権力闘争への闘争心の二つを機軸とした嵐の様とも表現できる凶暴的な暴れぶりを発揮した。
結果として混沌としたドイツ北西部の政治地図を極右勢力で塗り潰すのには一役買っている。