千年帝国の幻想   作:ベルリン=モスクワ枢軸

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金欠ですチクショウメェーッ!(ヴィクトリア3おめでとう)




──たとえ機械仕掛けの神が居ようと、たとえ肉塊の様な悪魔が死後の世界に居てもだ。我々を規定するのは我々だ。

国家を、思想を、民族を、総統を、所属するすべての集団を愛してるのが我々だ。

もし地獄があっても、そこは我々の第四の帝国と化すだろう。

我々を止める者は誰も居ないのだ!──ザイフェルト 親衛隊での演説から抜粋

 

──────────

 

「一直線に振り返らずに、全力でいきなさい」

 

──昔、掌を指で辿りながらそう言って、養父は私を肯定し、励ました。

 

キエフで拾われた時から、すっかり身長が逆転した。

 

怯えていた時も、両親が恋しくて泣いた時も、故郷とまるで違うドイツに戸惑った時も、

 

人種に縛られ無い友人が出来た時、我儘を言った時も、

 

────何時だって

 

後ろで見守り続けてくれた。

全部を肯定してくれた。

理想の父だ、養父は私の尊敬する人だ。

 

養父は言い表せない程、激務だ。

それでも今までは時間を大切にしてくれていた。

なのに、今はまるで未練を断とうとするかの様に、私たち、姉弟を養父の実家に預けがちで──

 

──これでは、まるで養父が居なくなっても良いように訓練しているようではないか。

 

日に日に瞳が空洞のようになってきている、食事量も明らかに衰えている。

養父は、多くを詰め込まれ、散々に扱われた果てに、今にも破けそうな麻袋の様な、必死になって繕っているような、そんな笑みしか見せてくれない。

 

見守るような優しさは損なわれていって、自分自身に無理を強いている仮面のような笑みが増えて。

 

和やかな笑い声は、絞り出して、打算に染まり切った淡々とした声になった。

 

それでも、それでも養父は父らしさを総動員し、維持してくれた。

 

久々に会った養父は、やっと重責が下りたような、一種の清々しさと何かを待っているような雰囲気で。

 

養父が呟くように言った、ロシアでの大仕事がある、それが終わればゆっくり休める、と。

 

──それが終われば、やっと、やっと養父は、父は帰ってくる。

 

私たち姉弟はそう思ったし、祖父母にそれを話した。

 

祖父母に純粋な憶測を披露した、その団欒の最中にふと思いを巡らせた。

 

今ここにある、平和で、温かみのある団欒。

戦争で、キエフで喪った家族の温かみを幸運にも再び享受した。

私はそれを子供たちに伝える事は出来るのだろうか?

私はそれを、もう二度と喪いたくない物を守れるだろうか?

 

どうすれば父は、肩の力を抜いて笑ってくれるようになるのだろうか?

 

何があっても、ただこの幸せだけは守ろう。

もう二度と喪いたくないから、もう私の家族が消えるのは見たくないから。

寂しい思いはしたくないから。

 

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──私のような家族に迷惑をかける人間にはならないで欲しい──ザイフェルト ユーゲント視察後に

 

──────────

 

グーゼンバウアーが危険を冒して手に入れた核戦力の資料は、Uボートを移動可能な核ミサイル発射基地にする──などといった核開発の実情も記されており、黒いオーケストラにとって猶予が無くなるのも時間の問題であった。

 

原子爆弾がリバプールで使用され、第二次世界大戦が終戦を迎えてからは、外交や経済発展、諜報に並んで核戦力の充実と発展は覇権を握る重要な要素となっていた。

 

大国間での絶滅を招くような総力戦は姿を消し、代わりに中小国での内戦や内紛は激化。

 

パキスタンを巡る日独の代理戦争などは最も有名な例で、2年で終戦したにも拘らず、周辺諸国を巻き込み、火薬使用量は、第二次世界大戦で使用された火薬の2.1倍にも上った。

 

アメリカで連合国を名乗るテロ勢力がテキサス州に集結したテキサス紛争──

 

エジプト・スーダン総督府における自由主義者勢力の武力蜂起──

 

アメリカ、ロシアは諜報機関を再編成や復活させ、戦勝国と渡り合おうと目論んだ。

 

──────────

 

「アメリカ合衆国があのエジプト以降何かしでかす様子は?」

 

「全くと言って良い程ありません。政情不安の中、無理をおしての作戦だったのでしょう」

 

──アメリカにとっては、あのテキサスやエジプトは政情不安を打破する為に起こした事件であるし、それが失敗したために内戦や不況といった国内問題の抑えが聞かなくなってしまったのは当然の事だった。

 

「では適当にダラダラとテキサスは続けさせる様に。

ポーランド植民はどれ程進捗は進んでいる?」

 

融和政策が上手く行かなかった結果、政府や親衛隊を中心に、

──ドイツ民族を植民させ、東方植民と言うドイツの伝統の達成をするべき

という論調が盛んになり、植民計画は開始された。

 

「わかりました、KKKの支援を続行します。

──東方植民については順調そのものであり、併合したポーランド領に設置された帝国大管区での植民は殆ど達成されました。総督府*1に関しては帝国大管区に在住していた住民を移住させています」

 

「移民を受け入れさせている総督府の状態はどうなっている?」

 

「そちらも併せて報告させていただきます。治安は現地組織と定期的な〝除去〟によって維持されているのと、反対派の粛清と親独派に自治させ、積極的な投資を続けている事もあって不満は少ないかと」

 

「僅かであっても、必ず利益は回収しろ。財閥共に国債を買わせているのだから、それだけの結果が必要だ」

 

──ポーランドが反乱を起こした場合に備えて全土に核を投下できる準備を整えておこう。総督府が見栄を張っている可能性も否定できない程の都合の良い結果だから。

 

「──利益を回収するのは当然として、その報告が嘘だとは決めつけるつもりはないが、諜報網と全土に核を使用する準備は済ませて欲しい」

 

「分かりました」

 

手で下がって良いと伝え、報告を済ませる。

 

──強制的な移民政策の対応についてドイツ政府は、親独的、または従属的な住民に関しては資産を保証し、永住権を与える等の条件を幾つか提示して、住民の懐柔を続けている。それでも占領地の半数近くのポーランド人は移民を強制される程であり、移民の結果、総督府では抵抗運動が急進化。

総督府も、急進勢力を秘密裏に弾圧する等、様々な政策を行った上で出来たのが薄氷の上の平和であった。

時折、ドイツ本土に協力を依頼し、大粛清や強制収容所に収容するなど過激な取り締まりをせざるを得ないのが実情であり、それは大臣が『核による全土滅却』を選択肢に入れる程であった。

 

帝国大管区への植民は殆どが地元産業の維持とポーズ、そして統治限界の先延ばしが目的であり、反独勢力の大虐殺は戦時中から行われていた『如何しようも無い事』でしか無かった。

 

ただ東方生存圏や国内の敵対勢力に対して、利益を与えて懐柔という政策は減り、虐殺、拷問は常態化している。

大臣が毛嫌いしていたディルレヴァンガー率いる第36SS武装擲弾兵師団と言った無法者の仕事が増加しているのは事実であった。

 

政治家として、親衛隊とは協調路線を採っていた大臣はヒムラー長官に対して、いくらか妥協的な姿勢でこれらを伝える程度しか出来ず、過去に政争で、二度も濡れ衣を着せられそうになった経緯故に、政府内でそれらを糾弾する事も避けていた。

 

不用意な発言で全てを喪えば何も守れなくなる──大臣にとって理想と現実に挟まれ、その結果の『穏健的な改革』を訴える、という妥協を余儀なくされた。

 

 

部下を下がらせ、一人になった部屋で大臣は手を組み、表情を隠すような姿勢を採って、呟き続ける。

 

「──ドイツを、ドイツ人を護る為の思想。ナチズムこそが民主主義に対する唯一の答え」

 

ずっとその言葉を繰り返していた、それこそ壊れたスピーカーの様に、一定の間隔で、淡々と、一語一句正確に、繰り返し続けていた。

 

誰かに言う訳では無い、自分自身にそれを知覚させ、意識させ続ける為に。

 

自分自身を、ナチズムに基づく愛国者であると規定し続ける為に。

 

思想家として民主主義を否定し、ナチズムを正義とし続ける為に。

 

────ただただ国家と民族の為に。

 

──────────

 

──ドイツが敗戦する日、全ドイツ民族は絶滅しているだろう。

 

──────────

 

黒いオーケストラはズデーテンをドイツが要求したミュンヘン会談の時に、クーデターによる新政権樹立を模索を始めた、その時はまだ国防軍の反ヒトラ-派のみであった。

 

そして大戦がはじまって、多くの民間人が参加した。

 

ある学者は友人を虐殺され、ある労働者は息子を冤罪で喪って──

 

様々な理由で多くの人々は秘密裏に、静かに広がっていった。

 

幾つもの暗殺計画の失敗と親衛隊の捜査を逃れ、1944年、軍民が首脳部を形成した。

 

同年、戦勝による独裁体制と生存圏が強固になるのを恐れ、シュタウフェンベルク大佐の捨て身の暗殺計画が実行され、多くの反政府勢力を巻き込んで失敗した。

 

結果として国内の反体制派として唯一の立場を獲得し、以降は立憲君主制を目指す派閥とワイマール共和国再興派が提携。

シュタウフェンベルクの暴走を制止しきれなかった軍が責任を取り、民間主導に切り替わった。

 

ドイツに英国式の立憲君主制を目指す組織として黒いオーケストラは再出発をしたのだ。

 

1950年には、左翼思想を標榜する人々は失敗前提の暗殺計画によって粛清され、ヴァルトフォーゲルが集めた派閥──ハンブルク同窓会が黒いオーケストラのかじ取りを握るようになった。

 

短期間に国防軍や財界、政界などに同調者を獲得し、親衛隊の目を掻い潜り、クーデターや内戦には十分な戦力を集めた、それも余裕をもって。

 

多くの同志(使い捨ての駒)を使って暴いた大臣の監視網は、黒いオーケストラに致命傷を与えられる程の効果を発揮し得なくなってしまった。

 

 

 

 

 

少なくとも1950年の冬までは。

 

1950年の11月、国家保安本部第5局の局長を務めるアルトゥール・ネーベ親衛隊中将が、シュタウフェンベルクとの繋がりを持っていたとして、突如拘束される。

3ヶ月の拘禁の後に民族裁判所の法廷にかけられ、2週間後に死刑を判決された。

 

他にも、幾千幾万の容疑者が逮捕され、一部はドイツ世論への見世物として処刑された。

 

或る者は毒ガスで、或る者は集団リンチで、或る者は溺死で──

 

思いつく限りの惨たらしい処刑方法が、ドイツ人の熱狂の中で実行された。

 

これらの大弾圧と虐殺を主導したのは大臣であった。

 

大臣は権力闘争によって二度も冤罪を着せられており、自らに疑惑が向くのをどうしても避けたかった。

 

この大弾圧が展開された時の拘禁数は3万4196件で、そのほとんどが罪を『自白』し、処刑された。

 

密告と処刑、それはドイツの日常になった。

 

後世の歴史家によって幾度も指摘されてきた事であるが、これが黒いオーケストラを焦らせることに繋がった一つの要因でもある。

 

──────────

 

──チャップリンの映画、独裁者は有名だと思う。

多くのナチズム指導者が矮小化され、悪趣味なモノに捻じ曲げられていたのも知っているか?

ただ、ただな?唯一間違っていない事があった。

ザイフェルトと言う人間を陰気で不安を煽るような曲を好む人間だという事、あれは全く正しかった──ボルマン

 

──────────

 

インドのアショーカ王は血染めの川を見て、そしてそれを自分が命令した事として、一生背負っていった。

 

私はそうはしない、絶滅戦争を完遂した私はそんな弱気を見せる訳にはいかない。

 

仮に資産を、尊厳を、家族を、総てを喪っても、私は止まる気は毛頭無い。

 

喪うことが恐ろしいのはよく知っている、奪う側だったから。

 

しかし今更止まる気はない、私のような無才の人間は針路を変えれば負けるから。

 

あの天才共に絶対に勝てないから、ずっとずっと意思を固め準備してきたモノを棄てられるほど、私は強く無いから。

 

ナチズムに未来が無いなら親衛隊を、ドイツを、東方生存圏を────巻き込んででも、打破するしか無い。

 

私が信じたモノは戦争によって生まれ、戦争によって困難を打破して来たのだから。

*1
ワルシャワ、ルブリン、クラクフ、ラドム、東ガリツィアを統治する統治機関、この世界では、初期はドイツの占領機関、のちにポーランドの傀儡政権となった




養子視点の祖父母はザイフェルトの両親(一応説明)
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