千年帝国の幻想   作:ベルリン=モスクワ枢軸

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パラノイア

 

 

 

──博士、毒ガスと生物兵器の実態について何がご存じですか?

 

──あっ…えぇと…はい。殺傷より無力化の方針を積極的に推し進められている程度しか

 

──博士、貴方が以前証言されていたユダヤ人を使った人体実験の結果と些か異なりませんか?

 

──え、あ…そっ…そうですね。

 

──それについての説明もお願いします、貴方はその為に保護されているのだから

 

──その…うぅ……原子爆弾とミサイルへの開発に予算が取られたんです。

 

 

「──道理で毒ガスや生物兵器の被害も戦果も少ないのか」

黙りこくって報告書を睨み付るように読み込んでいたことが終わり、顎を撫で考えを巡らす。

 

「博士の証言や大量破壊兵器の製造施設等の一致しており、よってナチス主導の大量破壊兵器研究は、その大部分をあらゆる形態の核戦力に集中していたと本委員会は結論付ける……やっぱり公文書って疲れる」

向かいの席では文章を朗読していたグーゼンバウアーも丁度読み終わった。

 

二人は何も言わぬ、言う言葉が見つからないから。

二人は安堵している、熱消毒など誰も望まない未来を避けられるから。

二人は確信した、あの愛国者が予算を奪ったのだろうと。

 

「ザイフェルトが核開発にあれだけ熱心だった理由、わかるか?」

 

「731部隊とかが絡んでくるかもしれんなぁ」

 

「お前でもわからないのか」

 

どこか上の空の様子で彼らは話を続けてゆく。

紫煙をゆらりゆらりとのぼらせていく、小説の探偵の様に。

 

 

 

ただ、どれほど理論を組み立て、理屈を捏ね、思考を重ねようと決して分かる事は彼らには出来なかった、何故ならそれにはホロコーストや生存圏の住民が多いに関わってくるからである。

 

核兵器開発への過剰な期待は、大臣自身の非合理的な感情論による毒ガスや生物兵器への嫌悪の表れなのだから。

ヴァンぜー会議に深く関わった大臣にとって、毒ガスや飢餓、病死はホロコーストと同義になっていたから。

 

大日本帝国は生物兵器や化学兵器で第三帝国に優勢であった、その事実が大臣の主張を合理化し、他閣僚に支持させた。

 

兎に角、非合理的な理由に始まったドイツの大量破壊兵器研究は、ミンスクを核による熱消毒で消滅させる可能性を排除し、ミンスク周辺から汚染が拡大する事もなかった。

ミンスクの文化財や要塞はこの幸運によって滅亡を避けたのだ。

 

 

 

「大規模作戦の調子はどうなんだ?」

懐から煙草を取り出しながらグーゼンバウアーは問うた。

答えは何時になっても帰ってくる事は無く、訝しげにそちらを見やると。

こめかみを揉みながらコーヒーをただ黙って味わっている余裕さこそが答えだった。

 

ミンスクから撤退し、北部方面防衛にその余剰戦力を割く形になった第三帝国。

 

……この作戦はミンスクの奥、スモレンスクの占領を目的としている。

 

そして、国防軍はまだ戦力を投入できる、それも虎の子たる機甲師団を。

 

将棋で表現するならば、歩が無い状態に立たされているのだ、第三帝国は。

 

ミンスク後方に控える塹壕による防衛線、ここだけが最後の望みなのだ。

 

「──あとはどう出るか」

ヴァルトフォーゲルは懐の紙切れを撫でた。

 

 

 

 

 

──────────

 

──自由と平等の先は孤独だ。だから私は孤独を嫌うんだ──ザイフェルト

 

──────────

 

 

 

 

 

──モスクワ

総統大本営という軍事機構の頂点と行政機構たる各省庁が結合した総統府が新たに設立される。

軍官を併せたより緊密な戦争遂行を望まれ、設立となった。

 

そこで未だに結論が出ない議題についての最後の決定がなされようとしていた。

 

 

 

「いい加減に国民突撃隊の管轄を決めましょう」

焦燥を露わにザイフェルトは言った。

 

 

編成命令が出され、物資も人員も揃いつつある中、管轄が決まらない非常事態への閣議召集だった。

 

現地住民も徴用する事を理由に、ゲッベルスはザイフェルトを巻き込む事さえ承知の上で、統治機構への協力に大いに貢献した宣伝省または植民地省管轄を主張し、

NSDAP党員の存在を根拠としてボルマンはNSDAP管轄下に置くべきとして頑なに譲らなかった。

 

ザイフェルトやゲーリングは議論のこれ以上の遅延は間違いなく親衛隊派も介入する、そういう危うさを感じ、両者から妥協を引き出す事にした。

 

 

「これ以上無駄な争いを続けて得をするのは、臨時政府と自称する売国奴でしょう?」

相手がどう反応するかについて気にも留めていない様子で大臣は続ける。

 

普段の慇懃な口調ではない異常さからか、参加している閣僚それぞれが意識を傾けた。

ある者は大臣が何を提案するのか、と椅子ごと向きを変えた。

ある者は俯いて様子を伺うことにした。

ある者は腕を組み、背もたれに体重を預ける事で対決姿勢を見せた。

 

大臣は妥協のラインを人種に求めた。

現地住民を宣伝省に、NSDAP党員をボルマン指揮下に。

 

時間が経てば経つほど、宣伝省管轄の規模が拡大するのを見越した上での提案で。

そして他派閥の反ボルマン戦線参加の確率をより引き上げるのを狙った上の妥協で。

アインザッツグルッペンやゲシュタポが国家機構を奪取できる確信があるからの紙切れ一枚の約束だった。

 

──ボルマンのクーデターや背信行為をでっち上げるだけの準備だった。

 

 

 

 

 

──────────

 

──ザイフェルトはヒムラーと良く似ていた。

ヒトラーの傀儡ではない、その一点でヒムラーとは全く違っていた。

 

──────────

 

 

 

 

 

「もし生き残れれば、日本で晩年を静かに過ごしたいものですねぇ」

 

穏やかな顔でそう言った、胸が張り裂けそうだった。

 

乳房をさらけ出して踊り狂い、喉が嗄れ果ててもなお叫び続ける女。

酒を浴びるように飲んで大笑いする男。

制服をだらしなく着崩した軍人。

一夜の快楽が抜けきっていない売女と客のような組み合わせ。

アルコールと汗の匂いに塗れたダンスホール。

ナチズムが忌み嫌うべき退廃、堕落がそこにあった。

 

多くの将兵と市民、そして官僚は死に物狂いになって職務に取り就いているのに……

 

彼らは諦めていた。絶望的な戦力差と国力、そして何より支持基盤を比較して。

 

悍ましい物だった。

思い出すだけでも吐き気に襲われるほどの諦観と堕落ぶりだった。

栄枯盛衰、その悲哀を自らが体感しているのを再確認させられる気分だった。

喉を焼く痛み、鼻を刺激する異臭、せり上がるような不快感──

 

膝を屈したくなった、初めて組織に恥を覚えた。

 

「何を言っているんですか、大臣。まだまだ働いて貰いますよ」

 

オーレンドルフは良く出来た部下だと思う。

良く私の心を観察している。

 

「は、はは。そうだな、そうだもんな」

──いつも助けられてばかりだ。

 

「労働をしよう、オーレンドルフ。初めに─」

 

初めにニーダーハウゼンから報告を貰おう。

聞きたいことだらけだしな。

 

 

 

──戦場から心が戻ってこない人間がいる。

──心血を注いで打ち込んだものを忘れる事の出来ない人間がいる。

──その人にとって生命力を精一杯に発露させた場所から、その人は帰ってこれるのだろうか。

 

復讐という宝物を失った大臣にとって、理想という旗が散った大臣にとって、何が見えているのだろうか?

敗戦を知らせる新聞が張り出されたあの屈辱の日?

必死に声を張り上げた駆け出しの政治家の時期?

それとも戦勝記念日となったあの日?────

 

 

 

「──ニーダーハウゼン。調子はどうだ?納得のいく代物が出来たかね?」

大臣は特徴的な歪んだ笑みを取り戻していた。

企みを練る時の高揚感と相手を突き落とそうという悪意の入り交じったモノで、学生や野党の頃からその笑みは変わらない。

 

『言われた通りにした、昔の様に』

酷く冷めている声が答えだった。

捏造した自分と命令した大臣に容赦なく叩きつけられる嫌悪であった。

 

「そうかそうか。昔の通りにか。いつもどうりだったろう?」

反対に大臣の声は明るかった、清々しい程に。

 

『……切るぞ』

「全部終わったら勲章の一つでもやろうか?」

返事はなく、通話はあっさり切られた。

 

大臣は何も言わない、あれは元々そういう奴だ、と思っているから。

今頃自己嫌悪と後悔にどっぷりと浸かっているだろう、と。

 

「変わらない事は良い事だ」

──扱いやすくて助かるよ。腹の中は何処までもどす黒かった。

懐から最近買ってみた葉巻を取り出し、火も付けずに咥え続ける。

ニコチンを身体中に行き渡らせる空想に浸かるように。

残された時間を楽しむかのように。

 

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

多くの記者に詰め寄られ、隙を縫う様に官邸に戻ってきたヴァルトフォーゲルは辟易していた。

新聞記者が言う、自由と権利を求める英雄的行動のために自分が立ち上がったと言われたから。

 

──黒いオーケストラに参加したのだって復讐心。

──国防軍から主導権を得ることになったのは立憲君主制と東方利権の維持を約束したから。

 

勿論それだけじゃないだろう、それでも誇れる行為は全くと言って良い程していないと思っている。

 

自分自身の行いを振り返れば振り返る程、愛国心や民主主義に邁進していく事しか出来ない。

まるでザイフェルトと同じ道を辿る様に。

 

──それは恐ろしくなかった。

 

同胞の為に他大勢を虐殺したか、発展の為に同胞を虐殺したか。

差など何処にも見出せなかった。

 

──それも怖くなかった。

 

研究に熱中さえ出来ればそれで良かった過去の自分に戻れなくなる事。

 

──それだけが恐ろしかった。

指先から自分が無くなっていくかのような感覚が恐ろしかった。

 

自分も歴史上の多くの指導者のように現実と虚構の乖離に苦しんで、大勢に恨まれて、耐えるために自分を捨て、そして嘘に塗れた自分を演じ続けるのか。

自分が自分で無くなる、まるで底なし沼に沈むかの様な感覚。

 

自由を捨てるのが今更恐ろしくなった。

 

私たちが正しくなくとも、それを素直に認める事は許されない、死ぬまで、死んでからも。

臨時政府の一人として、作り上げたその土台が崩れ去るその日まで、役者で居続けなければならない。

 

──売国奴と侮辱され、自由を失ってあの席に縛られているザイフェルトが化け物に見えてくる。

 

「絶対ではない正義を掲げるのはこうも怖いなんて」

掲げた正義に揺らぎはない、それでもいつか旗は朽ち果てる。

朽ち果てるまでは護国の英雄という椅子に縛られ、朽ち果てれば悍ましい敵といわれる。

自分は今、ザイフェルトという鏡を通して自分自身を見つめているのでは無いだろうか、そんな思いが駆け巡る。

 

 

 

 

 

──────────

 

──私を殺そうとするなら止めはしない。ただ、殺せたとして、その後に君は何をするのかね?──ザイフェルト

 

──────────

 

 

 

 

 

正直言って食べ飽きたベーコンとスクランブルエッグの朝食を頬張りつつ、大臣は報告を脳内で整理し始める。

最近は碌に眠ってもいない、おまけに咳が止まらない。

そんな中やはり頭をもたげるのは、予備選力の緊急配備であった。

「いきなり60個師団がポンっと湧いて来る訳にもいかんからなぁ」

 

それこそ初めのうちは基礎的な軍事教練を受けたNSDAP党員が主流だろうが、時が経てば経つ程、現地の訓練なんて受けていない民兵が主体になるのは明らかだった。

 

「うっ…」

腹痛も最近は時折経験し、蹲るほどの時も徐々に増えてきた。

一度しっかり休みを取るべきか、などと考えながら大臣は食事を終える。

どれ程飽きが来ても、どれ程危機的な状況下でも、大臣は朝食を欠かそうとはしなかった。

どれ程僅かな食事量になったとしても、大臣は食べなければ頭が回らないからと欠かさない。

今日だってそうだ、何時もより碌に食べれてなどいない。

 

それでも不思議と気力だけは尽きる事が無い。全くもって不思議なことに、だ。

 

報告書と決済すべき内容を簡単にメモし、会議での自身の主張と根拠をシッカリ持ち込んでいく事を確認した上で、大臣はネクタイをキツく締める。

こうすることで気分が引き締まるのだ、どんな猛暑でも、緩める事は無かった位には気力が保たれる。

 

「閣下」

十年、二十年と続けていれば体に馴染む敬礼を交わして、車に乗り込む。

私生活も全てが戦場の政界において、数少ない安心が出来るこの時間──

 

モスクワ市内を迷いなく進んでゆく。

戦時でも日常でもこの朝の光景は変わらない。

気だるさと緊張の均衡のまま、モスクワを眺め続ける。

 

──今日の戦況次第で、私は首都移転を提案しよう。

 

沈み込んだ黒い雨雲が空を蓋をしている。

 

 

 

戦況は悪化の一途を辿っていた。

ミンスクを放棄してからこのモスクワも空襲を受けた。

総統は激怒し、戦車と航空機の大増産を求めた。そんな工場基盤も人的資源も何処にもないのに。

 

赤子が喚き散らかすかの様に、総統は怒り狂った。

敗戦の恐怖が、総統の内面から平穏さを奪い去り、疑心暗鬼に陥れた。

 

「誰も彼も皆噓を吐く!SSさえもだ!」

 

「将校共はドイツ人の恥晒しだ!恥晒しだ!!」

 

「高級将校の粛清を私もやっておくべきだった、スターリンのように!」

 

その日、総統官邸は不気味なほどに静かだった。

 

 

 

「総統、やはりここはヒンデンブルグ(スターリングラード)に首都機能を移転しましょう。

ロシア帝国の動向だって不明瞭です。ここで死ぬくらいなら、最後の最後まで抵抗してからで良いではありませんか?」

 

このことを総統に伝えた時、冷ややかな対応を見せられるものだと警戒していたから少し拍子抜けした。

あの激高は一時の発露だったのだろう、総統は落ち着きを取り戻し、今こうして私の言葉を咀嚼して下さっているのだから。

 

何度か私と手元の書類を交互に見やって総統は言った。

 

「君は裏切らんだろうな?ザイフェルト」

 

「信じて下さい」

 

たっぷり数秒総統は逡巡し、私に命令を下した。

 

「この戦争を裏から操る敗北主義者共を根絶やしにせよ。ウンターメシュに同情した売国奴どもを皆殺しにしろ。君にはその為のあらゆる権力を与えよう」

 

総統の瞳に正気という物は失われていた、余りに不気味な瞳だった。

黙りこくるのが悪手だとしても驚愕はこびり付いて離さない。

「どうした、出来ないのか?なら代わりの者にやらせるだけだ」

 

この一言が自分を反射的に突き動かした。

「謹んでお請けします」と。

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