──敵機甲軍団見ユ。我ガ方被害甚大。撤退ノ許可ヲ求ム
ミンスク失陥以後、第三帝国の無線の殆どがこの内容であった。
武装親衛隊は西方電撃戦の再現を自身の身を以て演じたのだ。
戦勝を迎えてから、東宝生存圏はさらに東方からの防衛に備えることはあっても、西からの侵攻は想定していなかった。当然だ、誰もドイツが内戦に陥ることを前提に考えるはずがないのだから。
狂ってしまった哀れな総統の死守命令──そんな後世が妄想するような理由ではなく、下がれば滅ぶ事が明白だからこその死守命令だった。
必死な思いで下される命令は決死の覚悟の兵士に伝わり、屍と敗北だけを量産した。
個人用の対戦車兵器があろうと、何時の間にか劣勢となった制空圏下で、随伴歩兵付きの機甲師団には十二分な打撃を与える事は叶わなかった。
いくら百戦錬磨、古強者の武装親衛隊が集まろうと、もはや劣勢だけは挽回のしようがなかった。
そんな圧倒的劣勢の中、総統や第三帝国の首脳部はヒンデンブルクに退去する他なかった。
退廃とアルコールが漂うモスクワで、大臣は声を潜めてオーレンドルフとミュラーを招いた。
手元にはニーダーハウゼンの捏造した資料とヒンデンブルク移転時の首脳部の乗車する列車の時刻表。
「この資料は相当に警護の人員を割く為に頂いたものだ」
疲れと野心が入り混じった不気味な笑みを湛えて、大臣は続ける。
──ボルマンとリッペントロップ。彼らがヒンデンブルクに一番乗りをし、遷都先を整える。
そこで、だ。ミュラー、君に仕事を託そう。4個小隊で遷都先まで護衛をしてくれ。
オーレンドルフは最後にモスクワを発つヤツに乗車してくれ、モスクワの治安維持をスラヴの警察に引き継がねばならんからなぁ?
これは確実に上手くいくとも。何故なら総統は我らを信任しておられるから──
光を塗り潰す程暗いこの広場からも聞こえる諦観を知らせる曲が鼓膜を震わせる。
その曲は彼らが嫌った筈の退廃文化の端くれだった。
そして二人の男と張り付けた笑みを見せる上司だけが静かだった。
そこだけが場違いに近寄りがたい雰囲気を放っていた。
退廃と諦観の熱狂ではなく、使命感と野心に彩られた沈黙がそこにはあった。
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──エリートやインテリなんて大嫌いだ。学力至上主義が嫌いだ、連中の他人を眼中に入れない顔が大嫌いだ。あんな奴らが国を操るなんておかしい、人々の痛みが解る人間が国を導くべきなんだ──ザイフェルト(ギムナジウム在学時)
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「ロシア帝国でスターリンの娘が反NSDAP思想を掲げ、報復戦争を主張しているそうです。総統」
きっと臨時政府の事だ、裏で手をまわしているに違いない。
「しかし彼らに核戦力はないはずだ。非アーリアの裏切り者に使用してしまえばいい」
総統は沈み込むように椅子に腰かけながら仰った。
「閣下、それをやる事は確かに可能なのです。しかし」
親衛隊の将校が躊躇いがちに何かを伝えようとし、それを総統は促した。
「しかしここはスラヴの土地です、彼らの心証を悪戯に悪化させ、核兵器発射施設を臨時政府やロシア帝国に知らせてしまうのは危険すぎるかと」
「かといって通常戦力では足りんと聞いたが?」
誰かが噛みつく様にその将校に言葉を投げつける。
「通常戦力は足りない、大量破壊兵器の乱用は副作用が恐ろしい。どうしたものか」
ゲッベルス大臣が頭を掻き毟りながらぼやく。
「ヴォルガ川まで国境守備の部隊を退かせ、西はドニエプル川による防衛を続け、北部が激戦地とはなりますが、森林や河川を使っての消耗戦などは可能そうですか?」
今や武装親衛隊において総統やヒムラー長官を除けば、最高司令官としての地位を確立したハウサー将軍がそう提案する。最も現実的な案だと誰もが首肯するような案だ。
それしかあるまい、誰もが無言の内にそれを肯定した。
総統は先の防衛戦の失敗をこれで挽回するように、と告げると解散を命じた。
総統が退室を命じたため、他室を占拠するように親衛隊上層部が結集していた。
総統の、総統による、総統の為の組織として、如何に劣勢を辛抱強く耐え、如何に挽回すべきか?と熱心に議論を始めた。
──本土に僅かながら残存するであろう熱狂的なナチズム信奉者をゲリラ部隊のヴェアヴォルフとして組織化させる案
──核戦力を前線に投じ、敵の戦意を削ぐ案
膨大さ、壮大さ溢れる作戦案がそこには乱雑にぶちまけられた。
しかし、深く再考するまでもなく非現実味に溢れた案ばかりであった。
彼らは職務に溺れたかったのだ。
職責に堪えられぬからこそ、職務に酩酊した。
例え誇大妄想気味でも、例え砂上の楼閣であっても彼らは死に物狂いで編み出した。
練り上げ、積み上げ、粗を削り、立派な作戦を作り上げる。
そうしてから、やっと現実に立脚した建設性がある議論を再開することにした。
どうすれば負けないか、その為の戦術はどうすべきか
将校は多くの首脳部と同じ様に酒に溺れ、宴に溺れ、虚構に溺れる軽蔑する事など出来なかった。
溺れ続けなければ壊れてしまうと思っていたから。
無駄だと分かり切っていても、その本分を果たさねばならない。
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──上海は資本家の夢の王国だ。資本主義の最終実験場だ──鈴木貞一
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総統の下へ向かう間、黙りこくってザイフェルトは家族写真を見ていた。
両親、子供たち──そして自分。二度目の大戦の勝利を確信してから、疎遠だった家族の繋がりは回復した。
大臣にとって人生において最も微量な時間は、公私共に最も充実していた時期だった。
家族の団結は再生され、国家は尊厳を取り戻し、世界は多極化した緊張関係によって平和を回復し、
──欧州はユダヤという虚像を前に上手く纏まる筈だった。
そのはずだった、盤石となる筈の秩序だった。
核による恐怖、圧倒的少数派への迫害による協調、資本家による経済活動による発展──
そのいずれかが間違っていたのか?そんな筈はない。
持たざる国の勝利と、民主主義の再普及は何ら矛盾はしていない。
計画と戦争の経済は、国家に無関心な資本家と協調が可能な筈であった。
ナチズムの理想と当地の現実は、歪みを見せる事は無かった筈だ。
だが──
だが現実は調和のうちの緩やかな変化を与えなかった──
打ち倒された貴族が断頭台に送られるかのように、無慈悲なまでに内戦は起き、そして自分の全てを引き裂いた。
家族も、国家も、民族も。
大臣の信ずるモノすべてを薙ぎ払って、大臣に破滅だけを与えようとしている。
不安や後悔、恐怖などは際限なく湧き出てきて、精神を堕落させようと蚕食する。
途方もない恐怖だ、自身に関わる全てを破壊される恐怖を四六時中、大臣は実感していた。
それでもその恐怖は今日、和らぐ。
同僚の策謀で殺される可能性、それが一つ減るから。
長いナイフの夜、あの日から何も変わらない粛清でしかない。
黒塗りの政府専用車は進んでゆく、活気を失った都市を、モノクロの世界を。
「もっと一緒に居るべきだったのに」
唇を嚙み締めて、小声で大臣は呟いた。
大臣の心を現世に繋いでいたのは公においては愛国心であり、私事においては家族愛であった。
その紐帯だけが、彼をマリオネットのように操り続けるから。
沈むように座り込んだ総統は、ただ黙ってボルマンの悍ましい裏切り工作の資料を読み込んだ。
読み進めれば読む進める程、総統はブルブルと震えだし、脂汗を溢れさせ、歯を割れんばかりに食い縛る。
総統が読み終わった途端にその資料は宙を舞った。
机が悲鳴を上げ、激情に身を任せて立ち上がった総統は一息に片時も離れなかったNSDAP官房長官を罵った。
臆病者、卑劣漢、敗北主義、退廃的な官僚、堕落したアーリア人の面汚し──
一通りの罵倒を並べ立て、崩れ落ちるかの様に再度座り込んだ後、ぽつりと言った。
──敗北主義者だ、殺せ。と
総統は俯いていた、失望と孤独の強烈な殴打を受けたような心持でいたからだ。
故にその資料を渡した本人の表情がどの様なものかを知る術は無かった。
大臣の口元は笑っていた、しかしそれは裂ける様なモノでも、皮肉るようなモノでも、成果を確信したモノでも無かった。
口元一つをとっても多種多様な感情を掻き混ぜた不明瞭なモノで、不明瞭さは正しく大臣の本質の一端そのもの。
第三帝国の歪みの体現者のような人間に大臣は進んで成った。
──彼には足元に幾千幾万ものユダヤの怨念が縋り付いている。
それでも彼は進む事を選んだ、帰る家や縋る理想を喪失しても。
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──ユダヤ人であろうと恩人に銃なんて向けられん気持ちは良く分かる。だがな、もう遅いんだ。──ザイフェルト
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黒い太陽──アーリア人種には公平さを、非アーリア人種には絶対的な死を確約するシンボル。
ザイフェルトという比較的理性的な人種理論家を極秘裏に排除しようと目論んだヒムラーによって作り上げられた、親衛隊を覆う集団の御旗。
大臣との思想の差異が決定的となったことが明らかとなったヒムラー長官は、ある程度の武装親衛隊やアーネンエルベ、ドイツ民族性強化国家委員会、ドイツ民族対策本部の高官らを影響下に置いた。
ナチズムの根本を担う権威が失墜したことで、親衛隊はそれぞれのナチズムの差異によって対立した。
ナチズムが彼らを国家権力に据え、ナチズムに縛られるという代償を伴うが故の分断であった。
ヒムラーは己の理想である、非アーリア人種と退廃的敗北主義の抹殺を旗印に、より急進的なナチズム──ヒムラーはこれをナチズム原理主義と呼んだ。
敗戦への恐怖や屈辱が黒い太陽の元に続々と結集した。元より彼らにとって帰るべき母国は滅亡したも同然であったから。
──彼らの願望は決まっている。何時だって、残酷なまでに微塵も揺らぐ事は無い。
熱核兵器による全世界の浄化、そしてアーリア人の楽園の建設
この目標以外に存在しえないのだ。
彼らは武器を取り、策略を巡らせ、黒い太陽を振り回す。
人種による団結への彼らなりの答えだ。
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移動要塞と評しても過言ではない装甲列車は、何ら脅威に遭遇することもなく、ロシアの圧倒的な森を突き進む。
無線封鎖に始まる情報統制と隠匿を充分に済ませたその移動は、戦時の撤退にあるまじき平穏さを保ち、一部の文官は安眠を貪っていた。
──党官房長官は装甲列車の堅固と重厚に心を委ね、処理を済ませた書類の山を一瞥してから、ウイスキーを舌の上で転がす様に味わって、僅かな平穏と微睡みを貪ろうとしていた。
彼にとって僅かな日々の幸福を見つけ、堪能する事は小さな生き甲斐でもあったから。
その気の緩みは水面下で張り巡らされ、包囲されつつあったピアノ線に気付かせずにいた。
実弟との余りに醜悪と評された暗闘の警戒心を彼はモスクワに忘れてしまっていた。
バタン!
乱暴に客車の扉を蹴破られ、黒い雪崩が客室を占拠した。
ただ、どこか呆けたボルマンは気にする事も無かった。
誰かが黒い壁から出てきた。親衛隊将校の襟章が目に入った。
彼は胡散臭い証拠品を見せびらかし、叫ぶかのような朗読でありもしない罪状を並べ立て始め、その時ようやく官房長官は運命が決まっている即決裁判を自らが体験する事になったと遅れ気味に悟り、今までの不満を一挙に吐き出すべく立ち上がった。
「これほど総統と国家に忠実に尽くしている私が裏切る!?ふざけるのも!」
ただその怒りは一瞬で霧散した。これは総統命令だ、という一言と眼前に突き付けられた見慣れた命令書で。
全身を冷たさが駆け巡り、口腔内が乾き切る程時間を費やしてから、官房長官はその意味を理解した。
自分は愚かにも嵌められ、総統の信認を失ったと。
これまでの党への貢献がすべて札であった、と。
空気の抜けた風船かの様にへたり込んで、たっぷりと時間を使って官房長官は言った。
最後に約束して欲しい事がある、と。
「──家族だけは許してくれないか?」
「分かった。必ず上司に伝えると約束しよう」
将校のワルサーが火を噴いた、何発も念入りに。
そこにいた大勢の文官も同様に処刑された、彼らはボルマン派の中枢であるから。
漂う血と硝煙の臭いは車両の爆破で処分された。
彼らの死は、燃料補給中のパルチザンの自爆、と報じられ、車両は遺骨の回収後に徹底して爆破解体された。
この一報は、大臣の粛清への覚悟と最大派閥崩壊による権力闘争へ続く事になる。
──もはや、退く事は叶わない。
某TNO実況者を真似た箇所があります()
もう少しボルマンの無念さとかを表したかったけど無理でした()