千年帝国の幻想   作:ベルリン=モスクワ枢軸

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一週間

開戦から1年が過ぎたとき、ミンスク攻防戦に敗れ、

 

その暫く後にロシア帝国の裏切りと、ボルマン派粛清が起き、

 

第三帝国は滅亡へ向かってひた走り続けた。

 

ドニエプル川とヴォルゴ川による野戦要塞による徹底抗戦は、何ら障害を持たず、投資によって発展したインフラという状態の北部戦線から切り崩しを受けつつある。

 

目前に迫った破滅は、目前にまで迫り来た敗北を第三帝国政府首脳陣はどうにか避けようと藻掻いた。

 

 

 

 

 

ヒムラー長官の意識は次第に光を取り戻した。

彼にはやらねばならぬ使命がある。

 

思いつく限り、今から下すべき命令に適している部下の名前を羅列し、すぐさま呼び寄せることにした。

 

親衛隊の忠誠はヒムラー長官ではなくアドルフ・ヒトラー総統に注がれている。

 

幾ら弾薬を集めようと、幾らほかの同僚を皆殺しにしようと、全く意味がないのだ。

SSを納得させるのはナチズムへの正しき解釈と総統が必要不可欠なのだ。

 

例え打算で動く人の組織であっても

例え私利私欲に塗れた小物がいても

 

そう宣言した集団である限り、そう居続けるだろうから。

 

 

彼らが来た時に長官は言った。

「──諸君らに成功させて貰わねばならぬ事がある。

核兵器発射施設と総統の身柄の確保。そしてその為に、詳細な核兵器発射施設の設計図を得ること、この二つだ」

 

前線部隊として、駐屯部隊として武装親衛隊は離散している。

その中で可能な限り当該地域に近い部隊の長を呼び出し、そう命令した。

 

 

 

──レーテを潰し、突撃隊を潰し、ユダヤ人を殺し、世界秩序を変えた側に立ったヒムラーという男は、ギムナジウム在学中、虫一匹殺せない程の優しさを持っていた。

 

その優しさは、総力戦という究極の民主主義形態によって損なわれた、それも永遠に。

ドイツの敗戦、そして屈辱極まる講和条約、尊厳を踏みにじられた戦後の暗黒期、政治家とユダヤ人実業家の国民を無視した放蕩三昧の生活、無責任な軍部による反ユダヤ宣伝

 

それは恐ろしいほどにヒムラーという男の思想と性格を変えた。

 

やり場のない敗戦への怒りと、軍務に就けなかった負い目が、その道に立たせた。

 

ただの農学を学んだ男を、人種理論に拘り続ける思想家に作り替えた。

 

ユダヤ資本家や共産主義を不倶戴天の敵として虐殺し、その屍と血潮が幼少期の優しさの形だった。

 

殺し続けなければいけないという呪縛は間違いなく優しさである。

だから他人種であろうと死体を見て拒絶する、アウシュヴィッツの効率化された()()の音を聞いて卒倒する。

 

──人種理論という思想家になったヒムラーは、どうしようもなく不安な点があった。

それは人種を明確に区別する理論である。

 

アーリア人種至上主義を作り上げるために、ありとあらゆる方面の根拠を求めた。

自分の神話、自分の学説を強く求めた。

 

自分の思い描く理想のライヒ、まるで現代に蘇ったスパルタのようなドイツ──

それこそがヴェルサイユとコンピエーニュの汚辱を雪ぐ唯一無二の道である、と。

 

総力戦という情け容赦のない苛烈さが、数多の怪物を生み出した。

そしてヒムラー長官は人種に最も拘りを持った怪物に相違なかった。

 

優しさがどうしようもない程、裏切られ

社会は朝を迎える度に、掌を返し

人は平然と人を傷つけ、何事も無かったかの様に平穏を貪る。

 

それに納得がどうしても出来なかった、順応出来る筈が無かった。

 

自分が憎まれようと、妬まれようと、損をしようと、命その物を喪おうと

 

ヒムラー長官は納得したかった、自分が信じた歴史(物語)国家と民族(神そのもの)を貫き通した未来を見て納得したかった。

 

 

 

「──一切の漏洩は認めない、情報は一片たりとも漏らすな、そして逃がすな、完璧に収集し、完全な分析をやるんだ」

 

ヒムラー長官は丸眼鏡の奥底に過去を沈めて、冴え渡る熱狂を静かに言葉とする。

ヒムラー長官は諦めてはいない、一切諦めていない。

 

己を手酷く裏切ったワイマールと同じ理想を掲げる臨時政府を彼は信じていない。

 

長官にとって、大臣とは自分自身のもう一つの可能性でもあった。

その大臣と袂を分かった時点で、長官には戦う選択肢以外は存在しなかった。

 

ザイフェルトの全て(もう一人の自分としての可能性)を打倒しなければ、長官には未来が見えなくなった。

 

同じように社会の不義理と理不尽に怒りを抱いた者として

同じように国家と階級闘争について論理を組み立て続けた同志として

何より教義一つに陥りやすい親衛隊に新しい風を吹き込んだ優秀な部下として

 

──大臣はただの部下ではなくなっていた。

 

ナチズムの可能性、第三帝国の可能性、自分自身の可能性──

きっとザイフェルトが知れば、光栄だと言って喜ぶか、あるいは謙遜するだろう認識。

 

その認識が彼らを分断へ導いた。

 

「二週間、いや一週間で作戦を練り上げ、政権を奪取する」

 

 

 

──────────

 

 

 

「これで後はヒムラー長官だけ。

……そう、長官だけ」

 

ハイドリヒと私を引き合わせ、私の我儘の為に、人種理論の曲解を認めてくれた恩人だけが国内の敵。

 

多くの人生の可能性を潰して政治家になって、人生を差し出して国家権力の一翼を担った──それは自分の決断で、それはわが身に帰ってくるべきだと思う。

 

だが、戦勝の代価に友人を喪い、未来の為に家族や恩人、同僚をも喪う苦しさは耐え難いもの。

 

発狂できればどれだけ楽だろうか、廃人になってしまえばどれほど救われるだろうか。

 

責任や困難から逃れる方法など簡単だ、今直ぐにでも実行できるほどには。

懐からワルサーを取り出し、安全装置を解除して、撃鉄を起こし、こめかみに押し当てて、引き金を引く──たったこれだけ、たったこれだけの動作で責任から永久に解放されるのだ。

 

でもそれはしない、それだけは出来ない。

 

大臣にとって、大勢の恩人であり、同僚であり、同志を見捨てる選択肢は無かった。

 

「こういうの、向いてない自覚はあるんだけどなぁ」

もっと図々しく、もっとふてぶてしく──誠実さや公正さだけで彼は国民に訴えかけていた積りは無かった。

どこまでもしぶとく、図々しく彼は壇上に齧り付く、ある種の不滅の執念を彼は国民へ演出し、実行し続けていた積りだった。

 

向いていないと言っても彼は、責任感ゆえに逃げる選択肢などとうの昔に失っていた。

 

 

 

──ヒムラー長官を葬らないと我が国は前に進めない。

──そんな事はわかっている。でも上司や恩人をこれ以上、殺したりなどしたくない。

 

「長官、貴方まで私から消えてしまったら困るじゃないですか」

ハイドリヒの分まで、私は働くと言ったでしょうに。

 

ドイツの為、ライヒの為、次代の為、そして何より自分とヒムラー長官が前を見る為に

もはやどうしようもない亀裂は、恨みっこ無しの殺し合いの応酬で埋めるしかない。

 

「長官と袂を分かってから漸く気が付いた。

あの人は私で、私はあの人だった、って事に」

もはや人種の再編云々では無いのだから。

 

ナチズム(愛国心)ナチズム(アーリア人種主義)の闘争。

お互いが気づけば可能性に魅かれていたからこそ、譲ることは出来ない。

 

 

SSを嫌悪し、軽蔑すらしていた自分が、意外だ。不思議だ。

 

大臣は確かに黒衣の制服に袖を通していた、褐色ではなく黒の制服だ。

 

大臣は親衛隊の要職にも就いた。

 

大臣は気付けば親衛隊の理想に共感していた。

 

ずっとそのままで居れば良かった筈だ、情勢が如何に変わろうと、恩人や上司に拳銃など突きつけずに親衛隊に居続ければ良かった筈だ。

 

それはボルマンであろうと、突撃隊であろうと同じ事だった。

大臣という人間は間違いなく国家と組織を優先する人間だった。

 

地位も名誉も評価も金も、人並みに欲する人間であったからこそ、公に尽くす事で必死に押し殺す事しか出来なかった。

 

地位の奪い合いでしかない権力闘争への決着というボルマンの抹殺

政党全体の名誉を賭けた、身内の暴走の処分だった突撃隊の解体

 

言い訳に言い訳を重ねようと、彼の行動は欲望も存在していた。

 

だからこそ彼は親衛隊だけは失いたくなかった、その苛烈さが好きだった。

堕落を嫌う長官に敬意を払っていた。

 

彼は親衛隊に籍を置くことで腐敗から逃れていた、だから恐れるのだ。

親衛隊が消え失せた後の将来を。

短い蠟燭の様な将来であっても、国民に堕落と恐怖に怯える様を見せたくなかったから。

 

自分とよく似た存在の長官と、厳しく律し続ける組織であり続けようと藻掻いた親衛隊の労苦を知っていたからこそ、彼は二重に悔いている。

 

 

 

 

 

──────────

 

──私の墓前に来ないで下さい。私を忘れて下さい──ザイフェルト

 

──────────

 

 

 

 

 

「ザイフェルト。これ以上は付き合いたくないぞ」

 

拉致され、ボルマンの粛正に加担させられた元同級生は、不愉快そうに身じろぎをしながら席に着いた。

 

「まぁなんだ、ご苦労。あとでワインでもビールでもやるよ」

 

一方のザイフェルトは堂々と座っていた。

日本との交流で手に入れた、日本酒を味わいながら。

 

「勲章は要らんようだったからな」

 

ニーダーハウゼンは黙っていた。

不愉快そうな表情にもならず、ただ大臣は酒をふるまった。

 

ニーダーハウゼンが一息に酒を飲み干せば、大臣は黙って酒を注いだ。

 

そうして一時間か、それとも二、三十分が過ぎてから、大臣は懐から拳銃を取り出した。

 

元同級生の額に冷たい汗がじっとり浮かび上がる様を横目で見ながら、大臣は机に拳銃を叩き付ける様に置いた。

 

「その銃は親衛隊で貰った物でな。お前にやるよ。

私にはワルサーP38があるんでね」

 

部屋には二人を除いて、誰も居ない。

元同級生が大臣を憎んでいる事実も知っている。

 

「さて、ここで沈黙を貫き通すお前に。また仕事を依頼しようと思う」

 

──撃ちたければ撃てば良い、そんな自信を覗かせる笑みを見せて大臣は笑った。

 

席を立ち、引き出しの中から取り出したのは終戦工作を計画した書類だった。

 

「これを持って総統地下壕に駆け込むも良し。

これに記載されている通り、相手を交渉をする席に着く手伝いをするも良し。

その拳銃で私を撃っても良い。

…どうだ?働くか?」

 

「……働くよ。現実的に考えて、他二つは無理だしな」

 

「そうかい。そりゃ良かった」

 

不愉快さと軽蔑をたっぷりと含んだ視線を大臣にぶつけつつ、ニーダーハウゼンは承諾した。

 

「その日本酒もやるよ。前回と今回の報酬を一括してって事で」

 

「ケチかよ」

 

元同級生の抗議を無視しつつ、大臣は言った。

「これからしばらくの間、夜道には気をつけるように」

 

政治家として、非常に見慣れた表情に戻っていた大臣がそこには居た。

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