──親衛隊は総統の私兵集団。
そして1950年代中最も政治警察と軍事組織の色彩が濃い組織。
彼らの詳細な駐屯地はほかの大臣らには一切漏洩しないほど、隠匿性を追求した政権を守る為の武力組織。
ヒムラー長官が下した二週間以内に一切の準備を整え、行動を開始するという命令は、多分に政治と軍事の要素を孕んだSSによって忠実に実行された。
ザイフェルト大臣は総統のいる地下壕や重要拠点の防備を固める事や各大臣との連絡を強化して待ち構えていたが、その対応も完全ではなかった。
何故なら──大臣にとって最も重要な具体的な情報が欠けていたから。
「シュタイナー将軍、それにクム少将。お久しぶりです」
大臣は覗き込むように将軍の顔を見た。
「貴方方はこの二年間、そして先の独ソ戦停滞期とその後のオーバーロード作戦で多くの武勲を挙げたと聞き及んでおります。
そして私は貴方方に伝えたい事がある。
今後コーカサス方面で如何なる事案が起きようと、貴方方は前線をハウサー閣下とともに維持して戴きたい」
大臣にとってこの二人の指揮する部隊は極めて脅威度の高いものだった。
練度も装備も人員も、そして部隊内の忠誠心も、ヒムラー長官に渡ってはいけない重要な戦力。
「ふむ。総統閣下もお疲れのようですな。態々貴官を通して総統命令を下すのですから」
クム少将はきっと嫌味や悪意で言ったのでは無いのだろう、純粋に心配がるような口調でそれを言ってくれるだけありがたいものだ。
「成程、総統命令ですね。微力ながら最善を尽くさせて頂きましょう」
目配せで暗に質問がある事を示しながら、シュタイナー将軍も一応はこれを快諾。
クム少将が準備の為にその場を離れ、その時にシュタイナー将軍は言葉を漏らした。
「……やはり、長官との戦争は確実、と言う事ですか」
「何の事かは皆目見当もつきませんな、と虚勢を張るのは止めておきましょう。
……将軍の予想は正しいです、もう数日、あるいは数時間以内に事が始まるでしょうね」
大臣は然したる動揺も無く、淡々と答えた、独り言ちるように。
「ヒムラー長官側に加担されたくは、無いと」
「敵か味方もわからない将軍に本心を曝け出すのは悪手なんでしょうけどね。
そうです、貴方の軍団を極めて脅威度の高い存在と見ているのです」
大臣は肩を竦め乍らそう言う。
「結果がどうなろうと、長官に人類大虐殺の汚名は背負って欲しくないんです。
ですのでシュタイナー将軍、その時が来た時に備えて、勝手ですけどお願いできますか?」
「構いませんよ、私も母国に汚名は背負って欲しくないですから」
爆撃が常態化し始めつつあった臨時首都ヒンデンブルグの空は穏やかだった。
互いに何度か視線を交わして、二人はそれぞれの戦場に戻った。
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大臣はシュタイナー将軍と別れた後、ゲッベルス宣伝相とゲーリング空軍相と総統地下壕で合流した。
感謝と確認を済ませるために欠かせなかった階段であった。
「ゲーリング閣下、それにゲッベルス閣下。
長官への対策用に国民突撃隊と空軍野戦師団を秘密裏に動員して頂き感謝します。
…それで一体どうやって武装親衛隊の連中を出し抜いたんですか?」
大臣は身を乗り出して、水面下で完了させる必要がある難易度が高い事を、やはり水面下で抜け目なく終えた二人に、いたずらっ子のような心持ちで種明かしを求めた。
「他組織隷下の部隊が臨時首都を通過するのに合わせて、帳簿なり制服なりを誤魔化しながら集めたが、コネをしっかり押さえておいた分、まだまだ楽な作業だ」
ゲーリング大臣はすっかりモルヒネが抜けた胸を自信で張って、嘗て空の英雄と賞賛された笑みを浮かべてそう言った。
「空軍の方と違って結局のところ準軍事組織でしかないから相当苦労したね。
制服、質の良い装備、補給部門の買収、兵員の熟練度…っと思いつくだけでもこれ程確保しなきゃいけなかった」
──結局、ヒンデンブルグで編成した部隊とボルマンから引き継いだ部隊を配置換えする事で誤魔化したよ。
反対に肩を竦めて疲れ果てた宣伝相は言う、慣れない事はするものでは無いと言いたげに。
「後は事前の取り決め通りに動くだけ。
長官殿のご乱心か、植民地相が総統へ進言するか…この段階まで来ている」
宣伝相の疲労が籠った言葉を、同情と憐憫を込めた視線を送った上で、空軍相は受け流し、親衛隊の過激派排除が大詰めに差し掛かっている事を確認する為にザイフェルト大臣に告げた。
ザイフェルト大臣の覚悟を疑わずに両大臣は一切の号令を託した訳である。
ザイフェルト大臣だって今更怖気つく分けには行かないのだ。
長官と過激派を排除し、総統の平穏をどうにか確保して、彼は初めて講和の席に就けるのだから。
明日を繋ぐ為のスタートラインに立ってすらないのだから。
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「長官、作戦の準備の一切が完了しました」
勝てます、これなら確実に──誰かが自信を漲らせて断言する。
負ける事など万に一つも考えてない顔で断言する。
何故なら此処まで策を練り上げ、一切の情報を漏洩させず、相手方の装備は貧弱──これの何処に負ける道理があろうか、誰もがそう思い込んでいた。
「わかった。
後には引けない、だからこそ一気呵成に終わらせてくれ。
ザイフェルトら首脳陣は生かしたまま連れてくるように」
一気呵成に全てを終わらせる、この長官の発言の真意を明確に汲み取る部下は少なかった、非常に悲しい事に。
ザイフェルトらNSDAPの積み上げた物をこれから徹底的に破壊し、否定する──大勢の人生を道半ばで破壊した長官にはこれがどれ程の苦しみであるかをよく理解していた。
アウシュヴィッツで、毒ガスが充満する部屋から逃げようと、ただがむしゃらに壁を津辺で引っ掻き続けるユダヤ人を見た。
リバプールで、全身を放射能に侵されながらも、生きる事を望む米兵の話を聞いた。
そして何より、第一次世界大戦の屈辱に震えるドイツ国民を知っているし、第二次世界大戦後の講和条約で震える手で調印する連合国の政治指導者を見ている。
すべてを打ち砕かれた人間の絶望を長官は知っているし、1919年からずっと苦しんでいた。
覚める事も、色褪せる事も無い悪夢。
第二次世界大戦の勝利によって、ドイツは生存と自立と自尊を得た。
きっと敗戦すれば国土は分割され、戦後教育においてNSDAPの愛国心は根底から否定された筈だ。
あの大戦に勝利するのは言わば大博打だった、悪夢からの脱出か、今まで以上の自己否定の道かの二択だった。
自己否定だけはナショナリストとして容認しがたいのだ、長官も大臣も。
なぜなら国家と民族という神話によって国民国家を形成するから。
だからヒムラーは、長官は、部下への最後の情として、大臣が敗北を理解し、認める前に彼の命を奪わねばならないと決意した。
国家を陥れる行為とその様に遇される事は何よりも屈辱と認識していたから。
だから一気呵成に終わらることを望んだ。
「──
他に何か伝えるべき事はあるか、と暫く逡巡してからヒムラー長官はぼそりと呟いた。
誰かが目敏く聞きつけ、同じ様に勝利万歳と復唱した。
血気盛んな青年将校らは吼える様に復唱した。
石によって覆われた冷たい部屋は、勝利への叫びで震え上がった。
長官と、大臣を知る数人の有力将校を除いて、その熱狂は激しさを増していた。
長官は使い古した丸眼鏡の位置を整えて、静かに敬礼するだけだった。
野心はなく、純粋な善意として政界に進んだ長官の瞳は疲れ果てていた。
何処までも悲哀に満ちた背中を知る者はいなかった。
長官の唱える人種再編がこれまた純粋な国家への奉仕であり、悲哀の雨に心が蚕食されようと愛国心は健在だった。
無機質で、冷たい部屋に長官は居るだけで呼吸が苦しくなった。
熱狂によって侵されつつある部屋の静謐さを、長官は求めるかのように退出した。
──ヒムラー長官の救国計画は始まった。