「大臣、総統地下壕から直通の電話です」
どれほど統治能力を失おうと、どれほど国土が縮小しようと、大臣という肩書故に必ず仕事が舞い込んでくる。
それでも、その直通の電話は受取りたくないものに相違なかった。
「…わかった。ありがとう。
オーレンドルフを呼んできてくれないか、非常に重要な案件だから急ぎで頼む」
非アーリア的と嘲られた黒髪はすっかり薄くなり、体の不調が無視できなくなっても、大臣の瞳は爛々と輝いていた。
内戦初期の鬱屈とした雰囲気を感じさせない声で大臣は総統地下壕の電話に応じた。
「もしもし、ザイフェルト植民地相です」
『おはようございます。お互い大変そうですね』
「全くです、シュペーア大臣。今度休暇を取ったら、街に繰り出しますか」
『名案ですな、まぁ今は仕事の話です。
…長官殿が動き出しました、密告があったので確実かと』
長官が武装蜂起を始める。
その一言だけで苦々しい感情が寄る波の様に去来する。
誰が好き好んで恩人と対決したがるものか、誰が好き好んで思想をよく理解してくれる人を討たねばならないのか。
言葉を尽くせば理解が得られる訳では無い、明確な利益を提示してこそ争いは未然に無くせる。
…では今の自分は長官に明確な利益を提示できたか?
否である。思い描く理想のライヒに、長官の思想は危険であると諦めて、今更抗争を拒絶しようとしているだけ。
ただの我儘でしか無い、立場を優先した私にその我儘を言う権利はない。
「………わかりました。今すぐにでも防衛計画を開始して下さい。
此方も荷物を纏めて、総統地下壕に向かいますので」
だから、その立場を最大限有効活用して、長官を打ち倒そう。
打ち倒してから、話の一つ二つくらいは出来るのだから。
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──ザイフェルトという生徒は、自分自身より全体を優先する言動が極めて多く、後々の社会において、極めて危険な思想運動に合流するかもしれない──ギムナジウムの教員
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「装甲車の乗り心地というものは最悪ですな。
尻が、特に尾骶骨が痛くてたまりませんよ」
「…空は敵機が舞い、爆撃が常態化している中、座り心地で文句を垂れるとはね」
彼ら二人が総統地下壕に到着した時点で、地下壕は逆賊を撃滅することに全精力を挙げていた。
近くの官僚を捕まえて話を聞くには、ザイフェルトが半ば私兵化していた髑髏師団とアインザッツグルッペンが中心となって活動しているとの事であった。
すれ違う将兵や官僚の敬礼に軽く答えながら二人は、ゲーリング大臣やシュペーア大臣などが待つ部屋に向かう。
「優秀な部下がいて助かりますよ、本当」
通路を歩きながらザイフェルト大臣はそうつぶやく。
「国民突撃隊や空軍野戦師団には優秀な指揮官が圧倒的に足りていない以上、経験豊富な髑髏師団が居てくれて助かっているとも」
来たる内戦において、彼らが最も懸念していたのは手駒である部隊の質が、明らかに武装親衛隊より劣っている事であり、物量の優位の確保や更に優秀な指揮官が敵方に回らないよう、懐柔や最前線への派遣を積極的に行う他無かった。
が、それも今日の今日まである。
己の任務を正確に把握し、あらゆる防衛計画を用意しきっていた髑髏師団幕僚によって懸念は喪失した。
経験不足を補うほど綿密に計画された人員と装備、秘密裏に用意された物資、そしてそれらを有効に活用し、かつ柔軟な対応を可能とした髑髏師団幕僚の自己研鑽によって
──第三帝国はヒムラー派に互角に抵抗できていた。
同士討ちをしているというのに、久々の互角な戦況というだけで総統地下壕は不思議な緩さを醸し出していた。
その空気を鋭敏に察知したであろう植民地相は、ゲッベルス大臣を揶揄う事にした。
「お褒め戴き恐縮です、ゲッベルス閣下。
これ程光栄な事は無いので、握手をして頂いても?」
如何にも悪事を目論んでいそうな声色でゲッベルス大臣に話を振る。
「妙に気持ち悪いから止めてくれないか?揶揄っているのだろうけど」
若干引き気味に、大臣と向き合う。
凍り付いた様な大臣の手にまず驚く、今にも死にかけかと疑うような体温が直に伝わってくる。
驚愕に彩られた視線を大臣に寄こすと、彼はくつくつと笑っていた。
反応を心底愉しむかの様に笑っていた。
前に握手をした時より、信じられない程、大臣の健康は悪化していた。
漸く笑うのに満足したのか、大臣は向かい合って告げた。
昔の頃の様な、臆病を破天荒さで覆い隠したような笑みを浮かべて、重大な事実を告げる。
「原爆病です。それも白血病や癌を併発しているらしくてですね。
信頼のおける医者から
ただ、先は長くないと。そう言われました」
その事実は宣伝相にとって余りに酷薄すぎた。
宣伝相には事態の重要さに微かに呻くしか出来なかった。
宣伝相にとっては実に不幸な事に、奔流と化した感情を大臣に問う事が出来なかった。
そのまま交わした握手は断ち切られるかの様に解かれ、大臣は宣伝相と別れた。
「……何故、何故黙っていた」
立ち尽くす宣伝相の呟きは、届くべき相手にも、他の誰にも届くことは無かった。
きっと届いて等いないし、言って聞かせても、あの暴走車のような同僚が受け止める筈が無い。
きっとそうだ、そうに違いない。
百の言葉を尽くしても、きっと彼は聞き入れない。
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「──いやはや、こんな戦局でもザカフカースのスラヴ人は働けというらしい。
必要とされていて嬉しいのやら悲しいのやら…君の意見を聞かせてくれんかね?」
──なぁニーダーハウゼン。むっつり黙ってないで何とか言うべきだろう?
ゲッベルス大臣と別れた後、大臣はオーレンドルフから決済すべき書類の束を受け取って、執務室に籠る事にした。
大臣は好みのアルバムを用意している暇などなく、かといって暇を享受し続ける訳にも行かないと話し相手として、ニーダーハウゼンを呼びつけた。
呼び出されたニーダーハウゼンは、というとそりゃあもう不機嫌が文明開化していた。
別にNSDAPの牙城に呼ばれるのは良いのだ、色々諦めたから。
しかし植民地相の雑談相手、しかも職務の片手間の雑談という無礼に快く応対する気にはならなかった。
接待ゴルフをする人種は選びたいものだ、などとグチグチ考えて大臣の言葉を無視している。
「……?話は聞いているかい?ここから大事な話題をするんだが」
「早く言え、そして早くここの部屋から解放しろよ」
不健康の絶頂を毎日更新している大臣は、不機嫌さが指数関数的に増大するニーダーハウゼンを暫し眺めやってから思った。
怨まれる様な事をしていたか?と。
軽く首を傾げてから本題に入った大臣の行動はきっと懸命な判断なのだろう。
私、何かやっちゃいました?とでも言えば、きっとその場で死んでいたから。
「そうだな。
…えーとだな、その。ほらアレだ。アレ」
「この内乱擬きが終わってからの話か?」
「そうだ、講和での仲介人をやって欲しいのだがね。
ヒムラー閣下のクーデターが済んでから、やるべき事が色々出来てしまった。
追って連絡をするが、暫くの間は総統地下壕で安全に過ごしていて欲しい。
…質問はあるかね?」
「いつもの通り、答えは無い、だ」
「冷たいねぇ。
一時間も拘束して悪かったね」
──内戦擬きとやらが終わったら、貰った酒の一つでも分けてやるよ。
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我々の考えすぎだろうか、それとも我々は臆病風に吹かれたのだろうか。
我々にとって、ナチズムを標榜し、現実と摺合せ、ドイツ戦勝への陰の立役者と言っても過言では無い男は、全く理解の出来ない精神をしていた。
彼が愛を語る時、演説を聞く群衆はその愛を得る事は無かった。
彼が奉公を説く時、群衆は滅私を強制された。
彼が伝統に基づいた家族と言っても、実際の彼の政策は伝統的家族観を軽視していた。
何度でも、演説の原稿や映像や音声を繰り返し再生する。
ホームビデオもそうだ、彼個人の人間性を徹底して暴こうと試行錯誤する。
何度も、何度も、何度でも、繰り返して調べる。
表情は?声色は?文字の形は?
それ程までに調べてやっと分かったのは、
ザイフェルト大臣は家族を人質に取られようと、総統を殺されようと、同僚に騙されようと、決してドイツへの愛国心を捨てないだろう、という事だけ。
彼が正しく愛したのは群衆ではなく、アーリア人という概念でもなく、ドイツというあやふやな概念でしかない。
彼が大臣と成り果てたのか、生まれつき彼は元々大臣だったのか、それすらも分からない。
ただきっと、全体主義者として、責任を抱えて沈んでいく政治家として、ある種完成された無私の人なのだ。
家族も、同僚も、部下も、上司も居なくなっても
世界が、国民が敵になろうと
たった一人になっても
彼は全体主義を標榜したドイツ人として、大臣として振舞い続けるだろう。
それは、民主主義と個人、そして自由を重んじる我々への一切の迎合を拒むだろう。
何よりも我々が理解し難い。
あの大臣はきっと、薄皮一枚剝がせば、機械で出来ている、と信じたくなる。
全体主義の権化のような政治家が、同じ人間であるとは思いたくない。
全体主義者が愛しているのはドイツだけ、家族を敢えて置いて行ったのもきっと決断を鈍らせない為。
そうだ、人間として理解出来ない気味の悪さがあるだけで、政治家としては彼は容易に降伏すると思える。
大量破壊兵器を彼は積極的に運用していない。
もっと悪辣で、もっと非人道的な戦術を彼は認可していない。
何故ならドイツを愛してるから。
ザイフェルト大臣は、刻一刻と近づく軍靴の音を前に、唯一冷静に対処できると、我々は結論付ける。
彼こそが、最も和平、あるいは講和へ応じえる人材であると我々は確証を持って断言する。
──終戦工作連絡委員会より
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結論から言うと
内紛は一週間で終わった。
最初の二日間は戦局は拮抗していた。
三日目には心身ともに憔悴している総統の声が、コーカサスに響き渡った。
『──よりにもよって、あのヒムラーが!
私の意に反し!私に反旗を翻し、今まさに砲口を首都に向けている!』
激情に駆られるままに、総統によって逆賊ヒムラーは一切の感触と名誉を失った。
そこからは早かった。
元より打算で結束していたヒムラー派は、現場の下士官を引き繋ぐ大義を全て失い、保身に駆られた将校の造反も相次いだ。
四日目、五日目で戦力を大幅喪失したヒムラー派は、頑強な防衛戦を開始。
その抵抗ぶりは、世界各国の軍人を唸らせるほどであった。
六日目。この時点で反乱側は弾薬や装備、衣料品の枯渇と指揮系統の麻痺による分断で壊滅状態に。
しかし、それでもなおヒムラー長官は、一個大隊程度の戦力で高射砲塔に籠城を決意。
最後の抵抗を試みる。
そして七日目、ザイフェルト大臣とヒムラー長官は再び対面する事になる。