──信念ってのは日頃から、己に言い聞かせるものだ。いずれ来る決断の時に信念に従えるように
────────
「ご苦労、ザイフェルト」
大臣の意識はそう言われて、やっと正常な機能を取り戻した。
目の前には総統が、同僚が居る。
此処は総統地下壕で、長官に降伏勧告をした使者で、今こうして自分は此処に居る。
「……長官は何か仰っていましたか?」
「謝罪と今後を託すとだけ言っていた」
総統は小刻みに震える左手を隠そうとせず、大臣に向かい合ってそう告げた。
若干の後悔と疲労を感じさせる表情を総統はしていた。
「私の忠臣だと思っていた者はもう殆ど残っていない。
ヒムラーも遂に去った、それでも奴には感謝しかない。
だがまだ終わっていない、このクーデターは終わっていない」
──私の義弟、フェーゲラインを必ず見つけ出し、処刑しろ。
彼の死を以て、クーデターは終結する。
総統は下令した。
それを以てクーデターは終わると言った。
裏切り者の中の誰かが、多くの将兵の眼前で死なねばならない。
長官は責任を全うし、己の生命に己で決着をつけた。
だから長官はその生贄に値しないし、そうはさせない。
そういう心理が上層部に渦巻いていた事は確かだろう。
そして、代わりに選ばれたのがフェーゲラインであった。
各大臣やNSDAP高級幹部、SSの高級将官は総統の意志を察し、責任を取らせると言う一言に嬉々として従った。
大臣もその一人であった。
もとより野心家と言う二人は、互いに表立って罵り合う程では無いにしても不仲であった。
だからだろうし、それに大臣は事実上のSSの最高指導者となっていた。
正確には「親衛隊全国指導者」の席は未だに誰も座らないし、座れない。
親衛隊として、NSDAPとして、そしてこれは恐らく無意識にだが、彼個人の私情も僅かに入り混じった打算は正確に働き、正確に結論を下した。
──私がやって見せましょう。
革命とは成功した反乱の事であり、彼はそれを成し得なかった臆病者ですから
ボルマンが生きていた時、長官と大臣はまだ味方だった。
だがボルマンが死んだとき、黒衣の兵は敵となった。
大臣はここで、この場で、口約束ではなく、裏切られる事の無い指導力を発揮しようとした。
第二第三の長官のような対立を産まぬ為である。
だがそんな心配は無用であった。
かつてソヴィエトの最高権力者の名を冠した、第三帝国最後の拠点に敵はやってきたのだから。
そしてもう、武器庫と弾薬庫は大臣の手中に収まりきっていたのだから。
──人を信じ切る事が出来ない哀れな人間の、醜い打算だった。
少し状況を俯瞰してみよう。
帝国はコーカサスに居る、未だ其処で戦っていて、未だ其処で醜い争いをしている。
しかし西と東から、挟み込まれ、押し潰すかのように軍勢は迫り来ているのだ。
西からやってくるかつての同僚は、帝国が整えたインフラによって兵站と規律を維持してやってくる。
塹壕を超え、工場を破壊し、解放者を名乗り、戦車を進ませて、地図の駒を進める。
それは津波の様に雪崩れ込む。
東の暴力主義者は、暴力と焔を撒き散らしながら進軍してくる。
無関係な市民は死に、投降した兵士らは虐殺され、建築家の汗と労苦の結晶は燃やされて、骨と灰だけを産み続ける暴力主義が東から襲ってくる。
まるで嵐の様に。
西ではパンツァーファウストが火を噴き、戦車と自動車が駆け巡り、航空機が舞う。
そして主要道路を、新天地から逃れたドイツ人や暴力主義者を嫌った現地民が列を成し、肩を貸し合い、互いに励まし、戦地から逃れてゆく。
皮肉な事に、理不尽な困難と悲劇、そして明日へ続く微光が彼らを団結させていた。
其処にナチズムも、民主主義も、共産主義も、宗教も無かった。
悲劇を記憶し、記憶を記録にし、記録を教育して明日を踏締める意思を持った群衆は、誰の理想によっても作り上げれなかった。
東は混沌と暴力と焔が支配していた。
焔は生命の様に増殖し、生命の様に何かを喰らい、生命の様に這い回る。
跡には灰と骨を残して、復讐と言う呪いの焔は無計画に生命力を爆発させる。
窓という窓から火を噴き、黒煙を吐き出す家々から逃げる人々。
SSが淡々と捕虜の肩を打ち抜いて、尋問をする。
イコンに縋る老婆を足蹴にする復讐に憑りつかれた若者。
熱狂に身を委ね、熱狂に身を焦れて死んで逝く反乱軍の新兵。
褐色の軍団も、緋色の戦士も復讐と報復の連鎖に焼かれ、戦闘を続けていた。
そして帝国はコーカサスに、嘗て栄華を誇ったグラードで戦う。
もう既に数十万、数百万の敵が蟻の様に群がってきている、この帝国の残骸に、この死地に、この幻想の残り香に。
──────────
大臣のもとに再統合されたSSは死に物狂いでフェーゲラインを探し、そして捕まえた。
僅か2日間の出来事である。
そうしてフェーゲラインは大臣の前に引き摺り出されていた。
「久しぶりだねぇ。一体何日振りだい?」
大臣は侮蔑を孕んだ瞳で男を見た。
その男は一切視線を寄越さず、目を伏せていた。
「私は一刻も早く会いたくて会いたくて堪らなかったよ。」
ハッキリとフェーゲラインには、殴打の跡が顔中にあった。
彼は捕縛された時、必死に抵抗した。
銃弾が尽きるまでマズルフラッシュを炊きイフェルト」
大臣の意識はそう言われて、やっと正常な機能を取り戻した。
目の前には総統が、同僚が居る。
此処は総統地下壕で、長官に降伏勧告をした使者で、今こうして自分は此処に居る。
「……長官は何か仰っていましたか?」
「謝罪と今後を託すとだけ言っていた」
総統は小刻みに震える左手を隠そうとせず、大臣に向かい合ってそう告げた。
若干の後悔と疲労を感じさせる表情を総統はしていた。
「私の忠臣だと思っていた者はもう殆ど残っていない。
ヒムラーも遂に去った、それでも奴には感謝しかない。
だがまだ終わっていない、このクーデターは終わっていない」
──私の義弟、フェーゲラインを必ず見つけ出し、処刑しろ。
彼の死を以て、クーデターは終結する。
総統は下令した。
それを以てクーデターは終わると言った。
裏切り者の中の誰かが、多くの将兵の眼前で死なねばならない。
長官は責任を全うし、己の生命に己で決着をつけた。
だから長官はその生贄に値しないし、そうはさせない。
そういう心理が上層部に渦巻いていた事は確かだろう。
そして、代わりに選ばれたのがフェーゲラインであった。
各大臣やNSDAP高級幹部、SSの高級将官は総統の意志を察し、責任を取らせると言う一言に嬉々として従った。
大臣もその一人であった。
もとより野心家と言う二人は、互いに表立って罵り合う程では無いにしても不仲であった。
だからだろうし、それに大臣は事実上のSSの最高指導者となっていた。
正確には「親衛隊全国指導者」の席は未だに誰も座らないし、座れない。
親衛隊として、NSDAPとして、そしてこれは恐らく無意識にだが、彼個人の私情も僅かに入り混じった打算は正確に働き、正確に結論を下した。
──私がやって見せましょう。
革命とは成功した反乱の事であり、彼はそれを成し得なかった臆病者ですから
ボルマンが生きていた時、長官と大臣はまだ味方だった。
だがボルマンが死んだとき、黒衣の兵は敵となった。
大臣はここで、この場で、口約束ではなく、裏切られる事の無い指導力を発揮しようとした。
第二第三の長官のような対立を産まぬ為である。
だがそんな心配は無用であった。
かつてソヴィエトの最高権力者の名を冠した、第三帝国最後の拠点に敵はやってきたのだから。
そしてもう、武器庫と弾薬庫は大臣の手中に収まりきっていたのだから。
──人を信じ切る事が出来ない哀れな人間の、醜い打算だった。
少し状況を俯瞰してみよう。
帝国はコーカサスに居る、未だ其処で戦っていて、未だ其処で醜い争いをしている。
しかし西と東から、挟み込まれ、押し潰すかのように軍勢は迫り来ているのだ。
西からやってくるかつての同僚は、帝国が整えたインフラによって兵站と規律を維持してやってくる。
塹壕を超え、工場を破壊し、解放者を名乗り、戦車を進ませて、地図の駒を進める。
それは津波の様に雪崩れ込む。
東の暴力主義者は、暴力と焔を撒き散らしながら進軍してくる。
無関係な市民は死に、投降した兵士らは虐殺され、建築家の汗と労苦の結晶は燃やされて、骨と灰だけを産み続ける暴力主義が東から襲ってくる。
まるで嵐の様に。
西ではパンツァーファウストが火を噴き、戦車と自動車が駆け巡り、航空機が舞う。
そして主要道路を、新天地から逃れたドイツ人や暴力主義者を嫌った現地民が列を成し、肩を貸し合い、互いに励まし、戦地から逃れてゆく。
皮肉な事に、理不尽な困難と悲劇、そして明日へ続く微光が彼らを団結させていた。
其処にナチズムも、民主主義も、共産主義も、宗教も無かった。
悲劇を記憶し、記憶を記録にし、記録を教育して明日を踏締める意思を持った群衆は、誰の理想によっても作り上げれなかった。
東は混沌と暴力と焔が支配していた。
焔は生命の様に増殖し、生命の様に何かを喰らい、生命の様に這い回る。
跡には灰と骨を残して、復讐と言う呪いの焔は無計画に生命力を爆発させる。
窓という窓から火を噴き、黒煙を吐き出す家々から逃げる人々。
SSが淡々と捕虜の肩を打ち抜いて、尋問をする。
イコンに縋る老婆を足蹴にする復讐に憑りつかれた若者。
熱狂に身を委ね、熱狂に身を焦れて死んで逝く反乱軍の新兵。
褐色の軍団も、緋色の戦士も復讐と報復の連鎖に焼かれ、戦闘を続けていた。
そして帝国はコーカサスに、嘗て栄華を誇ったグラードで戦う。
もう既に数十万、数百万の敵が蟻の様に群がってきている、この帝国の残骸に、この死地に、この幻想の残り香に。
──────────
大臣のもとに再統合されたSSは死に物狂いでフェーゲラインを探し、そして捕まえた。
僅か2日間の出来事である。
そうしてフェーゲラインは大臣の前に引き摺り出されていた。
「久しぶりだねぇ。一体何日振りだい?」
大臣は侮蔑を孕んだ瞳で男を見た。
その男は一切視線を寄越さず、目を伏せていた。
「私は一刻も早く会いたくて会いたくて堪らなかったよ。」
ハッキリとフェーゲラインには、殴打の跡が顔中にあった。
大臣は嘗め回すようにそれを見て、返事が無いとわかると言葉を更に続けた。
「でも君はどうだ?
命惜しさに何処までも逃亡とはね、淋しいじゃないか」
大臣は沸き立つ嫌悪感を一切隠さず、そう告げた。
眼前に居る臆病で、卑劣で、恥知らずな男に。
「どうして逃げた?どうして勇気を振り絞らなかった?」
何処までも大臣は軽蔑を隠そうともしなかった。
いつもそうだ、国内の、政権内部の反体制運動は徹底して弾圧した、唯一その大臣が弾圧に失敗したのが黒いオーケストラだけだった。
大臣にとって葬り去った同級生は忌まわしい過去であり、憎々しい諦観であり、殺人と疑心と権力の乱用と言う三重の足枷だった。故に大臣は追撃の手を緩めた、緩めてしまった。
己の過去の幻影を見た時、大臣は足枷を破れなかった。
其処を突いたオーケストラは、民主主義と第二帝国の凱歌を奏でる事が出来た。
だがオーケストラとは違う、眼前に居る臆病者は違う。
フェーゲラインは、彼は非常に運の無い事に、彼にとって非常に残念な事に、そんな人間に捕まった。
揺らぎ無い信念に意味を見出し、本気で国に尽くす事を悦びとし、諦めを心から憎む、そんな人間に。
「何か言う事はあるかね?」
その声は冷酷だった。
絶対零度の声だった。
総統は徹底して諦めない意地を持っていた。
だから頭を垂れる。
長官は覚悟を持って己のすべてに決着をつけた。
だから尊敬に値する。
ド・ゴール将軍は、絶対に折れぬ勇気をもって苦境に挑んだ。
だからこそ尊重し、全身全霊を以て破砕するに値する。
チャーチル首相は、連合国陣営すべての国民に勇気を説いて抗った。
だからこそ彼は参考に値するし、宿敵に値した。
スターリン書記長は、揺ぎ無い信念を以てソヴィエト=ロシアを栄えさせようとした、だから我々に最期まで抗った。
だからこそ、彼と彼の国民と彼の国に、無慈悲に振舞えない。
だが此処に居る男は違う、私が跪くに足る指導者になりえないし、尊敬にも尊重にも値しない。
宿敵にも成り得ないし、滅び去った後に擁護する気にもならない。
だから彼の声は冷たかった。
酷薄な声だった、怒りに揺れる声だった。
それは一種の憎しみですらあった。
先ほど挙げた存在とは違って、ただ卑劣に、何処までも無責任に居続けるその存在が、望んで卑劣を演じ、望んで外道を演じ、疑心暗鬼の泥濘に藻掻く大臣には許せなかったし、理解できなかった。
大臣は端から尋問する積りも、拷問する積りも微塵も無かった。
そこには己を支持する国民への軽蔑や侮蔑とも取れる、冷やかな大臣の本音が吐露されていた。
それがたまたま、小市民的な野心家であるフェーゲラインへの軽蔑と混じり合ってむき出しになった。
厭世的、冷笑的で、現実逃避、暴力に彩られたワイマールを知る大臣の、諦めへの怒りであった。
「何か、総統に、伝える事はあるかね?」
唸る様な問いかけに、フェーゲラインは沈黙で対応した。
逃亡犯の沈黙を再確認して、ソイツを路上に連行した。
SSの根城で、己の意志の牙城からソイツを引き摺り出す事にした。
「何も無いのか。
残念だねぇ、すごく残念だ。
ではそんなお前に、どんな人種にも、どんな思想家にも、どんな塵芥にも劣るお前への、総統が下した処分を伝えよう」
そうして総統の直筆で書かれた文書を突き付ける。
死刑だ、お前の名は歴史に軽蔑と侮辱を持って彩られるだろう。
帝国からの死刑宣告、復讐者達からの敵対宣告。
その文章を知って、理解して猶、逃亡者は怯えず、狼狽える事は無かった。
「被告。フェーゲライン。判決は死刑、死刑だ。
死んだ敗北主義者だけが、良い敗北主義者だ。そうだろう?」
親衛隊で、国民突撃隊で、空軍野戦師団で、何よりも第三帝国全体で蔓延する徹底抗戦の訓示を敢えてぶつける。
それでも、それでも眼前の逃亡者は何も言わなかった。
それが不愉快だった。
そして思い至る、不愉快や軽蔑、憎悪、怒りを剥き出しにして詰め寄る己の醜悪さに。
「……私もつくづく醜いな」
誰にも聞こえない、誰にも聞かせない声量で己を軽蔑し、恥ずべき醜悪な感情を仕舞い込んで、再び向き直る。
「何か、言い残す事は?」
兵卒達が銃を構え、照準をフェーゲラインに定める。
引き金に指をかけ、今まさに喉を喰い千切らんとする猟犬の様に号令を待つ。
ボロボロになった制服を整えて、逃亡者は声高に叫んだ。
「総統万歳」
天候は分厚い鉛の様な暗雲が立ち込めていて、妙な圧迫感を与える。
街は爆撃によって荒れて、焦げた壁と灰だらけで、平和な生活の音は疾うの昔に感じられない。
石畳は捲れあがって、イコンも聖書が燃えた協会。
人がいた場所、幸せがあった場所、社会と言う巨大な生物が棲んでいた場所。
暖かな息吹があった場所。
そこが帝国最後の首都、帝国最後の拠点、栄華の残り香に集まる亡者の集団火葬場。
その片隅で、大臣は逃亡者だったモノを見下げて、事務的に、淡々と、何事も無かったかの様に立ち去った。
東から迫り来る蛮族は余りに見境が無い。
彼らは復讐に呑まれ過ぎた。
そんな復讐鬼に、そんな奴らに、例えスラヴであっても、其処に住む人々を託したくない。
西から来る、嘗ての同胞に対して降伏交渉も打診しなければならない。
そして、多くの同僚と部下の名誉回復だって残っている。
大臣は己の定めた職務を再確認しながら、地下壕に戻っていった。
足元は覚束ないし、疼痛の収まる気配もない。
義務感と気力だけで隠し通してきた体の限界は間近に迫っている。
だがそれが何だ、そんな事が言い訳になるか、と己を叱咤して歩く。
何でも無い様に歩き、何でも無い様に喋り、何でも無い様に執務に取り掛かる。
前線では数百万の兵士が走り、地中には数千万の骨が埋められていて、後方では老若男女関係無しに労働を迫られている。
それに今さっき、逃亡者を自分の号令で穿っている。
千年帝国は幻想になる。
現実から虚構に成り下がる、一世紀も経たずして。
それでも其処の大臣ならば逃げる訳にはいかなかった。
ここ数日の曇りも様に如何しようも無い苛立ちを心の奥深くではぶつけながら、己の職務に必要な労力と時間を逆算し、使命と義務に忠実な大臣は、決して勿体ぶる意図など無い実に緩慢な動作で近くの将校に車と通信手段を求めた。
「オーレンドルフとニーダーハウゼンに招集をかけてくれ。
総統への報告も託して良いかね?中佐。勿論君たちの手柄としてだ」
「宜しいのですか?」
やや釣り目なその中佐は意外そうに大臣の目を見る。
「そんなに意外かな。捕縛に限らず、私の元まで連行してまで粛清してくれた。
立派な仕事だ」
では宜しく、そういいながら手をひらひらと振って大臣は立ち去る。
今年最後の投稿です、来年も宜しくお願いしますね~