「御苦労。
既に前もって説明したと思うが、ニーダーハウゼンは終戦の交渉に関わって欲しい。
これが終われば自由に生きてくれて構わない」
装飾にも、光にも乏しい部屋に大臣は同級生を呼んだ。
朝日が入る事は決してないその部屋で、煙が立ち上る大臣の葉巻は異様に目を引くものがあった。それはきっと時折輝きを増す火種がまるで生物であるかの様に思わせてくるからだろう。生を謳歌するような輝きが見えるからだろう。
その輝きは二、三度力を増したかと思えば、自然と力を失って消えた。
灰が零れ落ちて、立ち昇っていた紫煙も絶えた。
紫煙が昇り切るのを呆然と見上げていた大臣は、如何にも態とらしく表情を崩して言葉を再び紡ぎだす。
「政府内部は私が纏めるとして、ニーダーハウゼンは昔馴染みと話を始めて欲しい。
これで漸く終いだ。…幕引きをしよう、長い長い冬の。
朝を迎えよう、夜を終わらせてな」
国民国家と産業革命が生み出した総力戦、そしてその総力戦の時代の終末を確かに彩った帝国は脆くも崩れていっている。波に攫われる砂城、風に流される塵のように崩れている。
国民国家の強みである団結と国民を欠いた最期を迎えようとしている。
その最後こそ、帝国主義と総力戦時代の終焉を裏付けるには充分過ぎる。
「これが終わったら、ドイツへ帰ろう。
懐かしい土地を踏む為に、懐かしい人々と抱擁を交わす為に」
大臣はそう言って、再び葉巻に火を灯した。
大臣はその時、嫌に落ち着き払っていた。
「お前は何故そんなに落ち着いていられる。死刑に処されるのは確実だぞ」
それを見て辛抱ならんと言った風にニーダーハウゼンが口を挟む。
誰だって死ぬ事は拒む筈だ、誰だって敗北は望まない筈だ、と。
それを聞いて、命に拘る事を求められると察して、大臣は喉を鳴らして、笑った。
「お前は私が生存する事に拘ると思っているのか、本当に?
ひっくり返らない戦況で負けを受け入れ無い程、狂気に侵されていると思ったか?」
いよいよ我慢が出来ないといった風に嘲った。
「ニーダーハウゼン、お前は良く理解してるはずだ。
私のやりたい事はもう済んでいる事に。
私が癌に侵されて死ぬから開き直るとかで無く、新政権に僅かに期待しているから腹を括っている事に」
嘗ての同級生は少しでも此奴から、少しでもこの大臣から、何か新しい事を聞き出そうと思った事自体、間違いだったと気づいたような表情をしていた。
放射能に殺される事も、拘束されれば死刑以外望めない事も、全く興味が無い事を再確認した。
ドイツの繁栄、国民の豊かさ、そう言ったモノにしか一切の関心が無い。
「嗚呼そうだった、お前は何時もそうだった。
国家が救われる事、国民が笑って暮らせる事だけにしか関心が無いんだもんな」
「そうだな、だから宜しく頼むよ」
一体誰に向けられて居たのかも判らなくなった嘲笑を奥底にしまい込んで、大臣は続ける。
あのギムナジウムを思い出して、あの青春を思い返して。
「私はあそこから始まったんだ、そして満足いく人生を送った、だから此処で終わらせる。
ギムナジウムの連中には私の首を墓前に添えておけ、それで連中は満足するさ」
なんとも自虐的な笑みを浮かべて大臣はそう言う。
「本音を言えばな。1919年からずっと、ずぅっと負ける事だけを理性は訴え続けていた。
あの時から、ずっと、今日まで理性は負けて挫けるべきだと言い続けていた」
その告白を聞いて、その理性の慟哭を聞いて、言葉を紡げなかった。
如何しようも無い程の激情が彼を後押しし続けてきた証拠で、彼もまた理性ではなく感情によって歴史と社会に挑戦した愚かしい人間の一人であるという、絶対的な根拠だった。
「ニーダーハウゼン。お前は昔、私に向かってこう言ったのを覚えてるか。
『まるで社会の不満と矛盾が作り上げた思想』と。
あの時は曖昧に返したが、今なら答えを返せる。
あの日の新聞、あの日の大人たち、あの日の全てが、私を此処まで駆り立てた。
一切の感情をくべて、ひた走り続ける事が出来たんだ。
もう満足だ、もう我々が居なくたってドイツはドイツで居られるんだ」
戦争に勝利し、混乱を収拾し、経済を無理やりにでも発展させた。
その事実が大臣を満足させるに足りたし、その事実が彼の原動力を理性が塗り潰していく。
大臣にとって、ナチズムを擁護するだけの理由は既に焼失した。
今やナチズムを、どれ程犠牲を減らした上で、ドイツに向けられるであろう憎悪と怒りを引き受けて、過去の遺物にするかだけが大臣の最重要問題となった。
勝利と引き換えに数多の敵を生産し続けた、数多の憎悪と悲劇と怒りを再解釈して、再生産して、再拡大させ続けたNSDAPを、どうやって退場させるかが使命だった。
「だからもう良い、もう満足だ。もう充分生きたし、もう十分やり尽くした。
私が死のうと生きようと私の信念は貫かれ続ける。もう私の勝利は揺るがない。
ユダヤ人もロマも、共産主義も民主主義も、信仰も文化も、何もかもを!
此の為だけに潰し続けてきた。
此の為だけに、死人の怨嗟も、嘆きも、悪夢も、我慢出来た。
此の為だけに覚悟を決めてきた」
全ては準備だ。大臣はそう言った。
ナチもユダヤもボリシェヴィキも、人生も友情も恋も!
勝利の美酒を味わう為に賭けるに値するモノだと。
「度し難い、全く以て度し難いな。
1919年からそうだったのか、そりゃあ救えない訳だ」
少しだってブレる事も、少しだって隙を見せる事も無くなった大臣に、呆れか恐怖か何かわからないにしても軽口を叩かざるを得なかった。
「半世紀前からこうだったに違いない。
生まれた時からもう決めていた事に違いない。
千年帝国の幻想こそ、私が追い求め続けた事だ。
私はちっとも変っちゃいない。良い事だ」
NSDAPが滅び去っても、民主主義や資本主義が過去の遺物になり果てても、永劫続くドイツの勝利と繁栄こそ、彼が追い求め続けたモノ。
幻想のような夢であって、その実、既に達成されている大義。
「狂ってるよ、どうしようも無い位にな」
「分かり切っている事だろう。
なんと言われても、これが勝利だ。これを噛み締めたかったんだ。この、これを」
呆れも怒りも恨みも全部引っ込んだのか、ニーダーハウゼンは黙りこくって居る。
そしてその沈黙を心底楽しそうに大臣は味わっている。
お互いに長い付き合いだ、長すぎた付き合いだ。
「夜が明ける、夢が覚める。
分不相応と罵られたこの地位とも漸くおさらばだ」
疲れ果てた様に、心底嬉しそうに、滅びを見届ける意思を掲げる。
感情の自分、理性の自分、その両者を満足させるに足る成果を大臣は人生を通してあげた。
「ギムナジウムの化け物共じゃあなく、凡人のこの私が、何処までも平々凡々な私が、此処まで到達できた。
それだけで死後も誇れる、何も恥じる所なんて無い」
子供達に敗北と言う失望を与えなかった事。
大人達を敗北の悪夢から引き摺り出した事。
それ程の成果を挙げて、それ程の意味を遺して、自分の手でドイツを台無しにしなかった。
今、自分の手元に舞い込んでくる臨時政府占領下の新聞は、景気の健全な発展と飛躍を熱烈に歓迎している。
もう、NSDAPが恨まれなくたって良いし、矢面に立ち、民主主義を踏み躙る理由は無くなった。
「そうだろう?ニーダーハウゼン」
その身体は、漲る様な熱量なんて残って居ない筈なのに、弱り切った鼓動で命を繋いでいるだけの筈なのに、浅い呼吸で微睡みに沈まないだけの筈なのに。
活き活きとしていた、鼓動は強烈で、熱量は漲り、呼吸は深かった。
滅びかけの帝国に、最後の務めを見出した滅びかけの体は生命力が漲っていた。
簡単には殺せない、簡単には死ねない様な雰囲気を纏っていた。
「結局拒否の選択肢は無いって訳か。つくづく御人好しの自分に呆れる」
そう言って話は終ったとばかりに、ニーダーハウゼンは席を立った。
「まったく…何故これでうだつが上がらないんだか。御人好しとは信用に繋がらんのか?」
心底不思議そうな大臣の返事を聞いて、ニーダーハウゼンはドアノブを捻った。
「そりゃお前、家族と多少裕福に暮せるだけで充分なんだよ」
そう告げて、今度こそ彼は離席した。
──────────
空は何処までも鈍色で、都市は灰と炎が彩り、戦局は覆しようの無い程劣勢で、残る主要拠点は帝国最後の首都で、かつてのソヴィエト連邦の指導者の名を冠した都市だけで、帝国の発行する紙幣は紙屑になり、民は逃げ惑う。
経済も治安も麻痺し、コーカサス地方に辛うじて勢力を残す帝国は、ほぼすべての人・モノ・金を軍事につぎ込んで戦いを継続している。
政権を奪取したあの日から、NSDAPはあらゆる事業の全て、あらゆる施策の全てを戦争に注ぎ込む事しか知らない。たったそれだけ、その一点だけを追い求めていればよかった頃から何も変わっていない。
何かが変わったというのであれば、
保身を第一義に考える勢力を率いたボルマン、
思想信条を狂信した親衛隊過激派の二者が居なくなった事であり、
その二者の追放と殲滅を以てこの会議は有意義なものとして成立した。
「さてと、会議をしましょう。
もう大勢入れ替わりましたが、泣き言も言っていられません。
戦争を続けるか、戦争を終えるか、如何なる手段で決着をつけるか。
私はこの無用で、不徹底な議論に終止符を打ちたい」
──見渡せば、この会議が初参加の面々だって少なくは無い。
戦死、粛清、追放、自殺、暗殺、逃亡──いなくなった理由なんてそんなものだ。
それにしてもずいぶん減った。
最前線の師団指揮官の戦死報告だって、今ではよくある。
多くの師団は防衛も攻勢もままならない、ただの負傷者の集団に成り下がりつつある。
「英仏の支援する臨時政権との講和交渉による終戦を、私は最も懸命な選択肢であるかと」
口では誰もが逃亡兵を罵り、敵視するが、実のところ皆分かり切っている。
絶対に勝てないし、このままダラダラと言い逃れを重ね続ければ、交渉の余地も何もあったモノではないと。
だが──
「シュタイナーが、シュタイナーの軍団が来てくれれば、まだ勝てる。
数千の戦車と航空機の用意だってある、私がそう命令した。
シュタイナーの攻撃で、失われた秩序は取り戻されるだろう」
弱り果てた総統がそれを望まない、それを許さない。
全くの計算外の事だった。
長官殿を排除し、親衛隊の実権を握ったのも
ボルマンを吊し上げ、相対的に己の派閥の地位向上を目指したのも──
──少し遅かった。ほんの僅かだけ手が届かなかった。
此処に来て総統閣下の、限界が来た。来てしまった。
そんな兆候は確認出来なかった。
でもそうなってしまった、総統はストレスに押し潰されてしまった。なってしまった!
それでもと、それでもと不撓不屈の精神で、総統に事実を伝えるため意を決した輩が居た。
総統の個人的な友人にして、装甲の奇跡の立役者のもう一人でもある、軍需相であった。
「総統閣下」
後に続くように宣伝相のゲッベルス大臣が
「シュタイナーは。
いえ、我が帝国に従う総ての戦力は」
最後に空軍相にして帝国元帥であるゲーリング大臣が、総統に現実を突きつけた。
「我々の帝国はもはや攻撃に必要な戦力を終結させる事は出来なかったのです。
シュタイナーの攻撃は失敗しました」
総統は地図を眺めていた。
その地図が記すのは、覇権国に相応しいような世界ではなく、欧州でも、ましてやドイツでも無かった。
総統や熱烈なナチズム信奉者が、汚れた民族と蔑んでいた土地しか記されていなかった。
空を飛翔し、容赦なく地上の生物を攻め立てる鷲の様な帝国の面影は、其処には無かった。
老いて、弱り、疲れた力の無い、瀕死の鷲が、視線の先にはいた。
「それは、それは本当なのか?
ハウサー将軍、君の立場から正直に答えてくれ」
総統は縋る様に、武装親衛隊創設者の一人、ハウサー上級大将に問うた。
実際、これが最後の希望だったのだろうが、現実は非常にもそれを切り捨てた。
「総統閣下、彼らの言う通りです。もはや予備戦力も枯渇し、武器弾薬や人的資源も足りておりません」
いやな沈黙がその場の空気を締め上げた。
総統は手を震わせながら、メガネを取って、その場に列席していた有力指導者達を怒鳴りつけた。
「命令したのだぞ!
シュタイナーに攻撃をしろと!
私の命令に背くとは、けしからん!
その結果がこれだ!
武装親衛隊の嘘吐き共!
誰もが私を欺いていたのだ、NSDAPすらも!
指導者のどいつもこいつも!下劣な臆病者だ!」
総統の積もりに積もったストレスは此処に激発し、真っ先にハウサー上級大将が諫めるよう動き出した。
「余りの侮辱です」
ただそれは、まったくの逆効果となって、火に油を注いだ。
総統は席を立ち上がり、目を大きく見開いて、叫んだ。
「臆病な裏切り者、負け犬だ!」
ゲーリング大臣が、商機に立ち戻って諫めようと口を開くも
「いくら総統でもそれは…」
さらなる絶叫にかき消された。
「指導者共はドイツの屑だ!恥さらしだ!
──指導者とは名ばかりで、この反省で学んできたのは、ゴマの擦り方だけ。」
大きく振りかぶった総統の腕によって、ペンは机に叩きつけられた。
「いつも指導者どもは、私の計画を妨げる!
あらゆる策を講じて!」
総統は、先程まで視線を落としていた地図を何度も叩きつけ、怒りに身を委ねて続ける。
「私を邪魔し続ける!
そうだ、私もやるべきだったんだ!
背信と臆病に犯された指導者共の粛清を!スターリンのように!!!」
其処で再び総統は着席し、声のトーンを下げた。
「私は大学にもいかずに、最前線で走り回る歩哨を勤め上げたが、それでも欧州を征服したぞ」
それは屈辱と後悔、何より劣等感に彩られた告白であった。
ザイフェルト大臣が総統の魅力を羨んだように、総統はザイフェルトらの知識を羨んでいた。
その告白は直後に大きな怒りの炎をとして再び燃え上がった。
「裏切り者ども」
そうぽつりと呟いてから、また再び総統は怒髪天を衝いた。
「奴らは最初から私を裏切り!騙し続けた!
ドイツ国民への恐るべき背信だ…
だが見ているが良い。その背信を償う時が来る。
己の血に溺れるのだ!」
そうして今度こそ総統は俯き、怒りの炎は弱まり、諦観による冷や水が言葉を占めた。
「私の命令は届かない……
こんな様では、最早指揮を執れない。
………終わりだ。この闘争は負けだ。
この帝国は塵芥となって消えるし、千年の夢は幻想に過ぎなくなるのだ。
だが言っておく、講和や降伏などは以ての外だと……」
ザイフェルトは青ざめた。
これでは降伏など出来ないと、これでは皆々、タタールに殺されてしまうと。
これでは最も美しい幕引きが、最も最善の、千年先まで届くドイツの平穏と安泰から遠のいてしまうと。
ドイツ国内のナチズム信奉者を黙らせ、その上で多くの分断を解消する為の法による裁きが出来ないと。
そして何より、冷静さを欠いた総統を如何にか止めなくてはならないと。
誰もが沈黙を守り、誰もが諦観と絶望の誤魔化し方を見失った。
だからこそ、大臣は博打をしようと画策した。
ナチズムに恨まれ、民主主義に恨まれる覚悟を決めて、大博打に打って出る事にした。
空耳元ネタの日本語字幕をガン見しながら書いてました。
ところどころ変えたし、若干単語や表現も我流にしたけどこれで良いのかな
これはパロなのか、、、?
拙いですよ!って思った方が居たら連絡ください