──人間ってのは白黒で別けれるほど強くないし、単純じゃない。白黒で別けたがるのは責任意識の欠如か、そもそも覚悟が無いだけの人間なんだ。だからお前達二人はそうはなるな。きっと御両親もそれを望んでいる──ザイフェルト
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ある日、未だに焼け落ちていない植民地省の一室に、名だたる有力者が集められた。
そしてそんな重鎮たち相手に、何気ない雑談を切り出すような要領で、植民地相はある博打の協力を依頼する。
「私は総統を排除しようと思います、博打を打ってみようと思うので」
総統の不信とストレスが爆発したあの時、大臣はこの博打を打つ事を覚悟することにした。
時間が経てば経つほど、戦後の帝国側の人間の立場は悪化するし、責任を取るべき人間の数が減れば、被害と不名誉は末端にも及ぶ。
その被害と不名誉は戦後、ドイツや欧州全土に分断を齎すであろうし、その分断が100年後の反体制派の憎悪に繋がりかねないと大臣は思っている。
だからこそこの博打を此処で告げる。
青春を通じて得たモノを他者への警戒心であると評された大臣にとって、その賭けは行動原理に反する物であるし、何より当人自身が愚かしい選択だとも思っている。
「この言葉を総統に告げ口をするも良いでしょう、何であれば議事録でも取らせましょう。
私の首一つで、総統とドイツの両方を撮れる選択肢があるなら大変結構、断頭台に送られる事だって構いません」
迷いを感じさせず、冗談を言うような口調で大臣は続ける。
「しかしこの博打に乗ると宣言する覚悟があるのであれば、私と共に断頭台まで登る覚悟も決めて頂かなくてはなりませんなぁ?」
大臣の突然の宣言に周囲の反応は統一されていた。
困惑ただ一つ、表情こそ人によって表現の違いこそあれど、放つ気配は全く違いは無かった。
ただ其れを打ち明け、其れを計画する覚悟の尋常の無さは大勢が気付く処だった。
誰かが震える声で嘆息した。
誰かは己の首に覚えた圧迫感を振り解こうと、ネクタイを緩めた。
誰かは額に浮かんだ脂汗を終始拭い続けた。
いやに静寂は強く、誰も一歩もその場を動くことは出来なかった。
初めに誰かが聞いた。
「それは大臣にとって如何しようも無い程の決定事項か」と
乾き切った声が弱々しく木霊した。
その問いは即座に、容赦なく、徹底した肯定によって切り捨てられた。
「時間が惜しいのです、答えは此処で、否か、それとも応か。
決めて頂きたい」
悲壮感も絶望感も感じさせない雰囲気を放ちながら、大臣は周囲に求めた。
「分かった分かった。乗ろうか、その博打に」
ゲーリング帝国元帥はそう零した。
彼もまた自然体で、落ち着き払っていた。
帝国元帥で空軍相の彼は、その堂々たる体躯と態度、それに貴族趣味の豪勢な白い軍服が、その発言をより威厳と意志の確固たる処であると証明しているように思える。
「……御家族については如何するのですか?元帥閣下」
若干躊躇いがちにアイヒマンがそう口を挟むと、ゲーリングはさして気にする事も無く言った。
「彼らは民主政府だ、まさかとは思うが連座制にはするまい。
それに、妻子をドイツ以外の場所に退避させる気にもならない。受け入れてくれても、きっと馴染めないだろう。
なによりカリンが死んだ土地で死ねるなら本望だ」
そう告げた声を皮切りに、宣伝相も軍需相もその博打に賛意を示した。
場の雰囲気は固まりかけていた。
ただ、アイヒマンはそれを拒絶した、彼だけが拒絶した。
「ザイフェルト閣下、私は貴方の部下になってから、栄達を実現出来たと思っていますし、実際感謝しています。ですが、ですが私は裁かれたくない。私は死を選ぶ覚悟も勇気も無いのです、格好悪い事に、今更それに気付いたのです」
誰かが怒鳴り声をあげ、オーレンドルフがアイヒマンの胸倉に掴み掛っていた。
ただそれを聞いた大臣だけは静かに黙っていた。
オーレンドルフが幾人かの将校に引き剝がされ、再び視線が大臣に集中した時、再び彼は口を開いた。
「ユダヤ人やロマへの民族問題の最終的解決策の最終責任者、並びに反体制派諸勢力の最終処分の現場指揮官であるアイヒマン上級大佐。
──随分と長い事御苦労だった。Uボートでも何でも使ってここから脱出しなさい。
この大勢を相手に勇気を振り絞って拒絶する覚悟を示しただけ、私は素晴らしいと思う」
逃げるのもまた覚悟と勇気が要る、止める必要は無い。そう言いたげな表情で、彼は命が惜しい小役人に退席を命じた。
──他に逃げたいと言う者は居るか?今なら止めない
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その頃、帝国の防衛は絶望的な様相を呈していた。
動員戦力と言う意味で、第三帝国側は予備戦力や軍需物資の欠乏と言う弊害を顕著に表しており、動員可能な兵員を全て動員する事で、武装親衛隊が辛うじて抽出した3個装甲軍の補助とする事を決定。
兵卒を揃え、市街地の倉庫を徹底して引っ繰り返し、即席の下士官や現場指揮官を配置。
ユーゲントからの少年兵、警察官僚、果ては収監されていた犯罪者などを動員。
その数は30万にも及ぶ戦力となり、これで決戦の準備を整えるに至った。
ただ、小銃や火砲の絶対数の不足から二次大戦中の鹵獲装備や旧式中の投入によって強引に間に合わせる事になった。ただ結果としてこの装備編成は、只でさえ脆弱な軍需工場の生産ラインの混乱を招く事となった。
ただ相手はそれを遥かに上回る戦力を臨時政府やロシア軍は投じており、
当時の第三帝国は総兵力ならば3.5倍、戦車で言うならば9倍、航空機で言うならば3倍近い敵軍を相手取る事になり、東部、西部、北部の三方向から砲撃と爆撃が雨霰の様に降り注ぐこととなった。
例え30万近い兵員を擁していても、その殆ど大勢は戦力として期待の持てない存在であり、それを指揮するのも経験不足の忠誠心を買われただけの指揮官であった。
軍需民需問わず工場や生活インフラを破壊する絨毯爆撃、遮蔽物を一つ残らず破壊する為の昼夜問わない砲撃が常態化していた。
病院では医薬品や消毒薬を求める負傷者が増大するが、其れに反比例する形で医療品の価値は急騰し、麻酔をせずに四肢を切断する事や縫合が当然となり、バケツに切り落とされた手や足を片っ端から入れて、夜間に外に捨てに行くことも良く見られた。
食料の価値も高騰し、ネズミの串焼きが御馳走として振舞われる事だって当然の事として命を繋ぐ市民も散見され、軍官民問わず水は貴重品で洗顔や洗濯、入浴も厳しく制限されるようになった。
逃げ遅れた市民は明日の食事を巡って市街を駆けずり回るし、子供たちは飢えをしのぐ為にドラム缶にへばり付いた何かを舐めとる事も日常となった。
それがきっと工業用の油であろうと何であろうと必死に嘗め回すのが良きるのに欠かせないから皆そうする。
雨が降れば人は喜んでバケツを並べるし、命の危険を冒してまで母親たちは水を探し求める。
生き残る事に執着し、至上命題とする市民にとって、帝国の存亡も、100年先の分断も如何でもよかった。
ただ水と食料、薪と衣料品、これ等を公正に分配するから彼らは帝国を支持し、従うのだ。
通りを見ればローマ式敬礼をして父母と別れを告げる少年少女らが居る。
少年らの目は覚悟と不安と万能感に満ちていて、父母たちの目はただ雫を滴り落としている。
通りの反対側にある辛うじて燃えていない家屋の中からは、酒を浴びるように飲み、泣いて、笑って、怒って、暴れる兵卒と娼婦の枯れ果てた声が聞こえてくる。
隣の区画に行けば、家屋から見つかった骨を抱きかかえ、天を仰いで滂沱する母が居る。
焼け焦げた家の柱に寄りかかって、深い絆で結ばれた男の帰りを待っている女がいる。
更に隣の区画では、今し方降り注いだ爆弾から生き延びた兵士が、戦友を探している。
戦友の腕が瓦礫に挟まっている。
「良かった!俺たちは今日も生き延びたんだ!」そう歓喜した兵士は、励ましの言葉を送って戦友の腕を握った。
返事が無い事を奇妙に思いながら、腕を引っ張ると、戦友は腕だけになっていた事実だけが残った。
その爆撃で倒壊した瓦礫に押し潰されたのか、腕を除いて肉片となったのか、誰にも分らない。腕だけが残っている。
兵士は恐怖か、怒りか、怯えか、嘆きか、その総てに従ったのかは知らないが、ただ叫んだ。
常に市街地の区画の何処かは燃え、破壊され、灰となっている。
将校が叫び、ラジオが捲くし立てる声など誰も聞いていない。
何より必要とされていない。
南からの脱出も容易ならざるもの故に、残留を決意した多くの市民は飢えと渇きと病に苦しんだ。
第三帝国は南を走る唯一の鉄道に白旗をはためかせて、市民を逃がそうと一度は試みた。
だがそれは英仏義勇航空隊の滅茶苦茶な国際法の解釈によって、多くの血と貴重な装甲列車と何より鉄道を犠牲にして終わった。
逃げる事は事実上不可能とされ、市民は隠れる場所を求めた。
庭や地下鉄、高射砲塔などに人々は集まった。
思想も信念も如何でも良く、生きる覚悟を決めて逃げ惑った。
逃げれ無くなった市民を抱える事になった政府は飢餓と病と恐怖で加速度的に、帝国最後の都市においても統治能力を失いつつあった。
これら非人道的な方いと飢餓による攻撃は、英仏、それにロシアによって積極的に主導され、徹底して実行され、歪曲に歪曲を重ねて美化された知らせとして全世界を巡った。
市内に非戦闘員は一人もおらず、市内に立て籠もるのは人種・年齢・性別、その他あらゆる立場を無視して熱狂的なナチズム信奉者として描かれ、この包囲戦におけるあらゆる行為と悲劇の全責任を帝国は被せられた。
それは復讐であった、復讐が復讐を呼び、憎しみが憎しみを読んだ結果だった。
英仏義勇隊の参加者は、誰か彼か恋人や家族、友を先の大戦の帝国によって奪われた集まりだった。
この内戦が始まる前から、ずっとずっと秘密裏に集結され、編成され、訓練に訓練を重ね、憎しみに憎しみをくべ続けてきた『元一般人の部隊』。
本来ならただのレジスタンスで止まる存在、ただの無秩序な怒り、雑多な破壊衝動、永劫燻り続ける憎悪の火種。
怒りと憎悪が帝国を、ドイツを焼き払うには百年単位で待つ必要がある程度の矮小な存在。
炎を慈善と打算の甘露で限りなく弱め、報復を先延ばしにするだけで済むような存在。
それが、人為的に育まれ、鍛えられ、理性を焼き殺すが、決して制御不能ではない存在と成り上がった。
彼らは爆撃隊として、最前線の歩哨として、戦車兵として、銃後で声を上げる存在として、帝国に襲い掛かった。
その熾烈で、未再開が無い怒りは、ロシアにて軍事演習をしていたばかりに巻き込まれた元外国人SS部隊に、徹底抗戦の決意をさせた。
決意をさせるには十分すぎたのだ、何故なら──
──なぜなら捕虜になろうと、四肢を裂かれるか、
引き回しにあった後に、無思慮で無差別な市民によって石を投げつけられるか、
尊厳を踏みにじられ、苦痛に身を悶えさせながら殺されるから。
ただ後に、大ドイツ国の軍需大臣を経験したアルベルト・シュペーアはこう語る。
「我々はアメリカ合衆国の徹底かつ、執念深い破壊を実行していて良かった。
そうでなければ、この報復行為はより一層見境が無く、より一層ザイフェルトを絶望させるに足り得る惨劇となっていたから」
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──人はその人の言葉に縛られ、彩られ、生きていく物だと私は思う。だから私は私が国民に振り撒いた言葉で己を縛り上げるし、己が書き上げた思想を鋳型として己の言動を鋳造する。己にだけは決して嘘を吐きたくないからそうする──ザイフェルト
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──結局、あの後退席した人間はそれ程居なかった。
代わりに、残り、そして博打に賛意を示してくれた人達は口々に一つの事を求めた。
それは家族の事だったり、部下の事だったりで、彼ら彼女らの地位の安泰と名誉の維持に死力を尽くす事を求めてきた。
その要求は呑むべきであるし、勿論吞んだ。
突撃隊時代から新入隊員が誓ってきた血染めの腕章に誓って、約束した。
この凋落もあの栄華も、全て全て経験した甲斐があったと信じて。
「総統を排除する。そして講和を達成して、生き残った人々の名誉を守る」
この言葉を宣言した時、彼は喉を鳴らす様に笑っていた。
余りに孤独で、まるで木管楽器を滅茶苦茶に吹き鳴らす様に乱れ切っていた笑い声であった。
それは彼は奇しくも総統と同じ場に成り上がった実感と、その如何しようも無い他者への不信と孤独によって滲み出したものだった。
絶対に、何があっても、この20年間の全ての罪を押し付けられ、身体も、心も、名誉も総てが八つ裂きにされるであろう確信とそこから来る虚無感が、己が夢の成就を教える時報であった。
誰しもが願うであろう一国の主と言う夢は、その時大臣にとって僅かな華やかさと途方も無い孤独と得体の知れない恐怖、そして敗北と言う絶望の味がした。
一言で言って、それは劇物だ。
権力や財産、地位や名誉と同じで、持ち主の精神を汚染し、改造し、歪曲してしまう劇物。
持たねば何にも成り得ないが、持ったとしても救われる事の無い毒。
大臣は他人を信じる事が出来ないし、したがらなかった。
誰かに負担をかけるのが本音では嫌っていたから。
そして散々裏切り裏切られ続けてきたから。
友や親、我が子にすら疑いの眼差しを向ける事が出来るほど、孤独で、哀れな人間。
祖父や祖母が死んだ時に遺産でいがみ合う親類縁者を知っている。
虐めから庇った同級生に裏切られた事もある。
戦に敗れた政府を罵り、情けなく勝者に媚を売る人々を知っている。
誇りだなんだと言っておきながら民主主義から逃げた人々を知っている。
だからこそ大臣は信じて疑わない、きっと皆弱くて、だから自分たちが政権を握れたと。
あの日あの時、総統と自分が出会った日、
政治家として完膚なきまでに屈服された日、
その懐かしい情景を大臣は多くの賛同者に囲まれて思い出した。
あの時自分が総統に決定的に劣っていたモノが、今でも手に入れられた自覚が得られないからだろう。
そうやって情景を思い出し、過ぎ去った栄華の美酒の残り香を味わっていると、気付けば解散の流れになっていた。
手元にはしっかりと何を、誰が、何処で、何時、と詳細に記載されたメモ用紙が握り締められていた。
そしてやや余韻に浸る形で呆然としていた事を思い返し、残る事を決意した人々に最も伝えたい言葉を告げた。
「終戦工作の間、逃げたくなったり、家族を逃がしたくなった場合は私に一言声をかけて欲しい」
その言葉は、諦めや不撓不屈を好んだ大臣にとっての、一種の敗北宣言に近かった。
きっと、発言した本人も、それに気付いて、自嘲するほどの絶望と諦観だった。
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「ザイフェルトからの密使が来るらしいと聞いてここまで来たが、誰が密使なのかね。
アイツの下劣で卑怯で野蛮な挨拶によれば我々の知り合いらしいが」
ヴァルトフォーゲルが駅のホールに降りたって、そう言った。
彼は気難しそうに遠くの窓から駅のホールに降り立ったばかりの自分たちを見つめるスラヴ人を睨み返して歩み出す。
「全く解らん。民主政府に協力しない奴もいるし、何よりアイツによって行方知れずの方が多すぎて誰が無事だか見当もついていないんだ」
誰かが小さく嘆息を漏らしながらそう答える。
「大義よりアイツの屍に意味を求める奴しか民主政府に協力しておらんだろう!」
それを目敏く聞きつけた誰かが其れを茶化すかのように声を張り上げる。
その大声に釣られて口々に肯定する言葉を述べだすのは、きっと彼らだからだろう。
かつてザイフェルトに諦観と失望を与えたギムナジウムの同期の人々。
大臣の人間不信を形作った人たち。
植民地相に警戒され、抑圧されるほど警戒された優秀な人々。
大臣が嘗て唱えた、憎しみと歴史の相関関係を最も証明する人々。
民主主義を掲げる彼らではあるが、その実のところザイフェルトによる弾圧と虐殺の報復しか考えていないと言って良い。それだけが彼らを興味関心の薄い魑魅魍魎が跳梁跋扈する世界に飛び込ませるに足る理由ともいえる。
駅から出ようとする彼らを、一足先に到着していた全権大使は出迎えた。
「その交渉の特使は私だよ。久し振り、ニーダーハウゼンだ」