千年帝国の幻想   作:ベルリン=モスクワ枢軸

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出来が悪いかもしれませんがご容赦を


誰の胸の苦しみ

「それで?あいつは何を差し出すって?」

 

「あいつの首だ。

あいつ自身の命と全ての憎悪を一身に引き受ける覚悟を講和に材料に持ち出している。

代わりに、ほかの大勢の社会復帰だ。

社会復帰が認められないなら、彼らの尊厳を守る死を、だそうだ」

 

「ふむ?我々はてっきり奴のことだから、命乞いをするものだと」

 

「もう死ぬ覚悟は済ませてる。全部上手く行くやり方を考えているらしい。

後、彼奴は末期の癌に体を喰い潰されている、本人から聞いた話だから、ほぼ間違いない事実なんだろう」

 

ニーダーハウゼンがそう告げると、臨時政府側には動揺が拡散されていく。

 

「──症状の進行は深刻だ、彼奴がとっさに鎮痛剤を隠す場面を何度も見た。

身体の芯のブレは激しい、彼奴にとって今まさに命を繋ぐに値するのが、恐らくこの講和だ。反故にされれば、きっと死に物狂いで、徹底した破壊と暴力によってナチの評価を叩き落として滅ぶぞ」

 

「ナチも奴もどのみち滅ぶでは無いか…」

「奴らの事だ、核を使うかもしれん」

閣僚が小声で話し合っている、誰も彼もが余裕ぶった態度は崩さないものの、冷や汗が額に張り付いてるのはごまかせない。

閣僚たちの暫しの論議と逡巡の後に、渋々と言った形で誰かが言う。

 

「……奴の要求は?」

 

「先ほども言ったとおりだ、まさか、怯えている訳では無いだろう?」

 

「我々が怯えている、そう見えるか」

 

「その姿勢や態度が、上辺以外何も揃えて無い過去に重なって見えるんだ。

1933年3月に上辺だけ嘆いておいて、何もしなかったあの時の君らによく似てる」

 

その言葉は、ニーダーハウゼンにとってこの戦時中、行動を共にし続けていた大臣と、大臣を追いやり、撃ち滅ぼすための臨時政府への、観察と考察の答えであった。

人生を全てを賭けて抗い、道を作ろうとした者の、確かな信念と行動を見てきたが故の不安と不満であった。

 

ナチは嫌い、植民地相に成り果てた嘗ての同級生とも関わりたくは無い。

ただ、それでも臨時政府の、ギムナジウムの復讐に憑りつかれ、変わり果てた同級生よりは幾分かマシであると、自然と口が動いていた。

 

「1919年以後の間、体と心を壊して戦い続けた兵士たちに向かって冷淡だったのは君らだった。

勝者に向かって情けない笑顔で支持するのは君らだった。

泥と鼠と砲撃音が日常の戦場に憧れておきながら、いざ負けた時に立場を翻したのは君らだったじゃないか。

少なくとも、あの孤独な男が、必死に民主主義に賭けようとしている事実を正しく認識すべきだ。

君達は君達の復讐心に憑りつかれて帝国、いや、ザイフェルトを滅ぼそうとしている、その感情論をさも合理であり、理性であり、正しさであるかのように語るのを今一度考え直してみると良い」

 

その言葉が明らかに特使として失格であり、その言葉がその場に居た嘗ての同級生の気分を害した事も、また明白であった。

ただ、それでも一度言ってやらねば気が済まぬという、些か奇妙な因果で零れ落ちた同情と理解が、ニーダーハウゼンにより一層の講和への決意を形作らせた。

まだ挽回できる、と信じて、百年先の為にと気を張って。

 

特使として、彼らの復讐心を理性で捻じ伏せてやると決意した。

 

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

兵員は補充できず、装備は戦時中の物まで投じ、守るべき民は皆無と言って久しくなった。

 

上下水道が止まり、銃弾の雨霰に怯えながら人々は雨水や川の水で生き延びようと必死だった。

 

ユーゲントの兵士として志願した子供達は、笑わなくなった。

 

官僚も政治家も将校も怒り易くなった。

 

現場の兵卒は女と酒と賭け事に興じた。

 

教会は寂れて久しく、空は曇り続ける。

 

木々は薪として失われ、雑草は泥濘に沈んだ。

 

喧騒と嗚咽が、昼と夜が、光と闇が形作っていた筈の都市は、嗚咽と悲鳴と灰色に埋め尽くされている。

 

そんな都市に、そんな国に、まだ彼は居る。

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…700年近く昔の日本の人々は良く言ったものだ」

──病魔に侵され、打算と嫉妬と不信に心を埋め、それでもなお国家繁栄を祈り続ける孤独な男が居る。

 

護衛も付けず、ただ砲撃で荒れ果てた公園を眺めている。

 

目を閉じれば、数多の屍が、ただ無表情で大臣を包囲して、睨めつけている。

 

「ユダヤにロマに、共産主義者に、平和主義者………考えればキリが無い程殺してきた。

ベルリンで、パリで、ヴィーンで、プラハで、モスクワで、マダガスカルで──

国の為と思って、皆の為と思って、死んでいった愛国者の為と思って──

沢山沢山、とにかく沢山。信じられない程殺してきた。

──あれを間違いだというのは許されないし、許さない」

 

まだ大臣は瞠目している。

瞼の裏に見える、死者たちを見る為に。

 

「赦しを乞いたい訳じゃない。

平和な世界に、無垢な眼に立ち戻りたい訳じゃない。

死んだ貴方方も、私も等しく同じ命として、等しく同じ様に、効率良く、合理的に使って見せる。

だって私は、世界を憎んだナチで、世界に恨まれた犯罪者だから──絶対に其処だけは変えない」

 

死者達は、そんな事は関係ないとばかりに、睨み、ぼそぼそと憎悪を呟き、呪詛を並べ続ける。

 

「虚しいものよ。栄えある国が死んでいる様は」

 

ただ黙って、目を閉じて、煙草を取り出し、火を灯す。

 

吸って、吐く。揺れる様に、煙が昇る。

 

灰が零れ落ちて、灯る輝きが、強くなって、また弱くなる。

 

指から煙草が離され、地面に接吻する。

 

煙草はすっかり短くなり、あっけなく輝きは消える。

 

瞠目していた大臣は、ゆっくりと瞼を開いて、常世から現世に意識を戻す。

 

「ドイツの役に立たねば…」

 

──家族の為に

──地元の為に

──国家の為に

 

それは祈りの様で、呪いの様にも見える言葉。

大臣の生命を縛り続け、人生を定め続け、価値観を徹底させ続けた、云わば『利他の精神』。

 

ギムナジウムで、大学で、家庭で、地元で、政界で──

──彼が彼で在り続けると定めさせ続けた精神。

 

「ドイツの為に…皆の為に……社会の為に…」

 

大臣はそう呟き続けて、まるで己を縛り、呪う為にそう言い続けて、帰路を歩む。

 

──あの後、誰も逃げなかった。

逃げて欲しかった、アイヒマンの様に。

私が苦しみも、憎しみも、全部背負えば済む話なのに、何故逃げたがらない…?

何故、私の様な凡人に付き合いたがるんだ。

 

通信兵が駆け寄ってくる。

如何にも体調を慮る様な視線で大臣を見つめて、その兵士は端的に報告する。

 

「ザイフェルト大臣…ゲッベルス閣下から連絡です。

お身体が優れないようですが…如何いたしましょうか」

 

「…出ましょう。緊急かつ重大な内容だと思いますので、貴方は下がっていて下さい」

心配を他所に、大臣は意地を張る。

何でもないかのように取り繕い、肉体と精神の歪みを無理やりにでも封じる。

 

──はい、私です。私が其方に出向いてから、計画は始めましょう

 

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

「ゲッベルス閣下。ザイフェルト閣下が到着されたそうです」

 

「そうか…そうか。ではやらねばならない。

総統閣下の所へ」

 

「……はっ、直ちに」

 

総統を幽閉し、必要に迫れば逃がす──大臣の決断は、これだった。

 

暴力によってしか社会と世界に挑戦できない集団が、暴力によってしか状況を打開する一手を打てない皮肉のように、ゲッベルス宣伝相には思えた。

 

徹底抗戦を選ぶに選べない現状、その選択肢が唯一正しいと期待する他無い賭けだった。

──総統は内戦が始まって以来、より正確に言うならミンスク攻防戦に敗れ、敗北が決定的となった所から党員や支持者の前に姿を晒したり、声を聴かせる事は無くなってしまった。それは、このクーデターにおいて正当性を強引に維持できる救いともいえる。

 

「良いのでしょうか…この様な事」

 

「大義の為だ、仕方あるまい」

 

 

 

 

 

──この日、総統が居る地下壕からは一度たりとも銃声も、悲鳴も聞こえる事は無かった。

 

総統は事態を知ると、終始項垂れていた。

結局、お前たちも皆裏切るのか。私の味方は誰も居ないのか──とだけ残して、総統はクーデターを許した。

 

その失意は、間違いなく多くの有力者の心を抉った。

苦渋の決断、せざるを得なかった、そんな言い訳は成立しない、そう覚悟して居たにも拘らず、苦楽を共にしたこと、忠義を誓っていたが故に酷く空しい結末だった。




もうじき終わります()

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