「ほんのちょっとだけ、遅かったわね」
裂け目から銃弾の頭が出てくるのが見えた。もう間に合わない。
私は思わず目を背けた。
次の瞬間、聞こえてきたのは天子の呻き声や他の人の悲鳴ではなく、何かが床に落ちた音だった。
「……あれ? 天子が生きてる?」雷鼓が驚きと安堵の色が声に混じっていた。
裂け目の下方に視線を移すと、本来なら天子の身体を貫いてるはずの弾丸が転がっていた。
何故だ?
私の推測では、裂け目は、ヒトやモノをある一点から任意の一点にワープさせる力があると思っていた。ならば、弾丸の勢いは決して減衰しないはずだ。しかし、現に弾丸は直進することもなく、裂け目から出た瞬間に落下した。
この事実から推測できることは、裂け目と裂け目の間には私たちには不可視の空間がある、ということだ。それならば、説明が付く。拙い推理かもしれないが、私はこの結論にしか至れない。
「自分で撃ったピストルの弾によって命を落とす。まあまあ面白いけど、私が手を下すのはナンセンス。何回私に挑んだところで、貴方が勝つことは万に一つもありはしない。暇潰しの相手くらいにはしてあげるけどね」と言い捨てると、八雲紫は野菜室の中に潜っていった。それと同時に、天子の背後の裂け目も閉じた。
キッチンにいる殆どの人が深い深いため息を零した。私も例外じゃない。天子はというと冷たい床も意に介さずにへたり込んでいた。
「何なのよ……何なのよ、もう!」と叫ぶと天子は拳銃片手にキッチンを飛び出した。
誰も止めなかった。いや、止められなかった。頭に血が上っている人間は何をしでかすか分からない。だからこそ、止めるべきなのだが、やはり人間、増してやこんな状況なのだ、自分が一番可愛い。
「あ! ちょっと天子さん、どこ行くんですか!」ただ一人、キッチンにはいなかった早苗だけが天子を制止しようとした。
「煩い!」という怒鳴り声の後、扉が開く音が聞こえた。食堂を出ていってしまったようだ。
重苦しい空気がキッチンを覆っている最中、早苗が口をもごもごと動かしながら顔を出した。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「何を言っているのだ、さっきまでここに八雲紫がいたではないか」と布都が訝しげに言った。
「そうだったんですか? ごめんなさい気づきませんでした」手に持っているパウンドケーキを口にしながらそう答えた。
「あ! それ我のではないだろうな!?」
「どうでしょう、何せこれで最後ですからね~」残っていたケーキを全部口の中に放り込んだ。
「よくも……よくも我の甘味を!」
「まあまあ。この冷蔵庫からは無限に食べ物が出てくるんだ。別にそれくらい構わないだろう?」慧音は憤っている布都の肩に手を置き、優しく宥めた。
先程まで張りつめていた空気が幾分か和らいだ。しかし、野菜室にまだ八雲紫がいる気がしてならなかった。そうでなくても、あの冷蔵庫らしき化け物には近づきたくない。
洋菓子の甘ったるい匂いとあの女に対するもどかしく苦い各々の思念が充満する食堂の時計は10時を指していた。朝なのか夜なのかは分からない。ただ、身体は夜だと叫んでる。慣れない環境とあり得ない出来事の連続で疲労がピークなのだ。
さまざまの要素の飽和状態にある食堂のイスに掛けている私は、目の前の空になったティーカップの底をただ見つめていた。やはり疲れているようだ。
「大丈夫ですか、霊夢さん。頬杖ついてる腕が崩れそうですよ」
私の隣に座っている星が心配そうな声を漏らした。隣に星がいたことも、私が頬杖ついていたことも気付かなかった。
「……今日だけで色々起こり過ぎよ。知らない場所で知らないヤツに知らないヤツを殺せって言われたり。手品みたいなことする非常識なヤツに会ったり」
「そうですよね……。でも、今言ったの全部あの八雲紫のことでしたね」
「前言撤回。疲れたのはあの女のせい」
星の手元にあったフルーツケーキのブルーベリーをつまみ上げた。毒々しく威張り散らしながらそびえていたのが、どこか八雲紫と重なった。
その時に、星があっ、と声を漏らしたが返す気にはならなかった。なれなかった。ちょっと不機嫌そうな表情を浮かべていたが、見てみぬフリをしておいた。
「無理もないですよ。誰でも疲れます、こんな状況下じゃ」
つまんだブルーベリーを少し弄る。圧を掛けてみても、みずみずしさを感じることが出来る。そこがまたどこか恨めしい。その紫を口に放り込んで、一種の妬ましさと共に噛み砕いた。
「私には貴方がそんなに疲れてるようには見えないんだけどねぇ……疲れてる?」
「疲れてますよぉ。ブドウ取られて疲労八倍です」
星は少し姿勢を悪くして疲れてる素振りを見せた。笑顔のままだけども。
「……そう。私、もう寝たいから部屋に戻るわね。星はどうするの?」
「私はこのケーキを食べ終えたら寝ます。おやすみなさい。身体にはお気を付けて」
おやすみ、と挨拶し返して、私は立ち上がった。その直後から、瞼が途轍もなく重く感じられた。寝る準備は万端だ。
私は食堂を後にした。途中で慧音や水蜜、咲夜に挨拶されたが、眠気のせいでまともに返答できなかった。他にも誰かに声をかけられた気がするが覚えてない。睡眠欲とはヒトの欲の中で一番恐ろしい。睡眠不足に陥ると、判断力の低下を招く。この状況下では死活問題だ。
食堂の外は勿論、紫色の廊下が待ち構えている。眠くなると、この廊下の表情がどこか違って見える。それとなく重く、やや方向感覚を欠かせる。太陽と月を臨める窓は何処にもないのに、だ。何故だろうか。言わずもがな、眠気のせいである。
個室は確か南側、食堂が西側なので十字路の中央のホールを右に曲がると辿り着けるはずだ。
今の私の真正面には体育館がある。さとりの話だと……チルノと妖夢が探索していたらしい。眠い時ほど、記憶力は光るのかもしれない。まだ調査は続けているのだろうか?念のために確認しに行こうか?
そうとなったら行先変更だ。体育館経由寝室行き博麗は眠気と不安を燃料に進む。さっさと終点に着きたい、というのが私の本音だ。
体育館の大きな引き戸を開ける。廊下と体育館の両方にガラガラと大きな音が響き渡る。だが決して私の眠気を妨害することは出来ない。
廊下とは打って変わって、体育館内は眩い純粋な光に包まれている。その変化にすぐにはついていけず、目を細めざるを得ない。
ここに来るのは最初の集会以来だ。ステージには八雲紫も、その召使の尻尾の生えた女もいない。今までは八雲紫ばかり気になっていたが、あの八雲藍とかいう女は何者だろうか、ふと気になった。
まず、人間かどうかすら分からない。嫌でも目に入る妙にリアルな尻尾、帽子の下に隠れている獣の耳のような突起。まるで半獣だ。黄金色の尻尾から推測するに、獣だとしたら狐だ。尻尾の数は9本……だろうか。ならば、世に言う九尾の狐、というヤツだろうか。
非現実的すぎる。詳しくは知らないが、そんな妖怪やら伝承やらがこの世に存在しているはずがない。
ただ、完全に否定し切れないのは事実である。理由は簡単。八雲紫の存在だ。
あの女の引き起こす超常現象はこの世のモノとは思えない。しかし、この目でそれを見たのだ。有り得るはずの無い現象を。タネは無かった。それは絶対だ。何度も何度も見たのだから。
では、やはり八雲藍は人間じゃないのか?何故、人間じゃない者たちが催したこんなゲームに参加させられてる?私たちは彼女らにとってただの娯楽なのか?
……いや。この答えは今出したところで全くの無意味だ。増してや、いくら考えても出ないだろう。この答えを探すのは今じゃない。時が来るまで、この問題は心に留めておこう。
現在の目的は妖夢とチルノの安否確認だ。何か起こってからでは遅い。安心して寝るためにもさっさと任務遂行しなくては。
さとりはここで探索していた、と言っていたが本当だろうか。私をここにおびき寄せるためのワードトリックだったのだろうか?いや、あの場での嘘は苦しすぎる。雷鼓に言い負かされていたあの時、説得力の顕示のチャンスだった時に嘘をつくにはリスクが高すぎる。
結論を出すには早計か。まず粗方探索してからでも遅くない。
この体育館にはステージとその横の器具室がある。私の記憶が確かならば、スポーツ器具しか無かったはずだ。それが普通なのだが、念のための自己への確認だ。さあ、探索を始めよう。
ステージも器具室もあっけらかんとしている。問うても何も答えてくれない。それはそうだ、生物じゃないのだから。2人がいるかどうかは自分で確かめるしかなかった。そして、答えは出た。いなかった。どうやら、もう他のどこかに行ってしまったようだ。
体育館の時計の長針は2に滞在している。考えてみれば、さとりの推理の時から30分程度経過しているのだ。だったら、この場にいない可能性の方が高いに決まっていた。
しかし、このような浅はかな思考が本番、学級裁判の場に持ち込まなくてホッとした。今のうちに気付くことが出来たのが救いだ。
兎にも角にも、この場には妖夢とチルノはいなかった。今重要なのはその一点だ。
体育館での目的は達成された。後は終着点、私の部屋のベッドに向かうだけだ。燃料の睡魔はさらに強烈になって私の速度を上げた。
特急博麗は予定通りに折り返し地点の体育館駅を通過した。
ステージの上から視線を感じた気がした。
思い返すと、八雲紫は私たち、少なくとも私のことを知っているようだと分かる。廊下を歩きながらふと思った。
最初の集会の時、あの女は私に向かって「さすが霊夢」のような趣旨のことを言いながら現れたのを覚えている。睡魔のせいでそこまで鮮明な記憶ではない。
あの女は無作為に私たちを選んだわけではない……もしかしたら、私たち18人と八雲紫は大親友、元々仲良しだらけのクラスメイト、最悪アイドルグループのような集まりだったのかもしれない。言い方は悪いが、見た目が醜悪な部類が18人にはいない(私の私に対する評価は差し控えておくこととする)。
どこか引っかかる面もある。だとしたら何故私たちの記憶はない?今までの経緯から八雲紫が人間じゃない可能性も浮上している。そんな人外と私たちが友人以上の関係だったとはどうにも考えられない。私たちが人外でない限り。
あの女の目的は現時点では判断材料が足りなさ過ぎて分からない。今は考えないが吉だろう。
心に思案を渦巻かせていると、だんだんと眠気が強まってきた。睡魔というのは文字通り「魔物」だ。身体の自由をじわじわと奪い、しまいには完全に身体を乗っ取られる。睡魔に乗っ取られてしまった人間の意識は身体から剥がされ、その魔物の生み出した、あらゆる感情が
どうして私がここまで長々と深々と睡魔について強引な推論を立てているかと言うと、八雲紫が起因しているだろう。
あの女が私の心に面倒なまでにこびり付く。どうあっても八雲紫に結び付けようとしてしまう。今回の場合も例に漏れない。パラドックスを喰らう睡魔と常識で解しがたい八雲紫。重なりそうで重ならない。辿り着けそうで辿り着けない。あの女にその境界線を弄られている気がしてならない。
だが、どうやら個と集の境界は自らで跨ぐことが出来るようだ。私は個室への扉をどこか勝ち誇った気分で開けた。
部屋の中にある廊下、どこか不思議な構造をしているこの場所も今は夜の静けさを満喫している。もっとも、ここでは昼も夜もなく静かだ。
廊下を軽く凱旋しながらドアを3つ、4つと追い抜いていくと私の部屋に辿り着く。こうも部屋が陳列されているとどうも気分は良くない。物扱いされているようだ。さっきまでの良い気分をそれとなく害されてしまった。
ドアを開けて自室に突入する。帰還だったらどれほど良かったことだろう。
まず目に入るのがベッドの上の幣だ。あれを用意したのも勿論八雲紫だ。
……いや。寝る前なのだからもうあれこれ考えるのは止めよう。気分悪く眠りに着きたくはない。
ゆっくりとベッドに腰を沈めた。途端に疲れの波が押し寄せて来た。既に私はこれに抗うほどの気力を持ち合わせていなかった。幣を近くの机に乱暴に投げ飛ばして、身体全体をベッドに沈めた。まぶたがストンと落ちた。私は睡魔に蝕まれてしまった。私の意識がヤツの精神世界に閉じ込められつつあるようだ。不本意ながら、ここは睡魔に私の身を任せるとしよう。
すると、すぐに私の意識は暗く温かい意識の海にゆっくりと降下していった。
お疲れ様です。久々に後書きを余裕を持って書くことが出来ます。
突然ですが、皆様は東方の原作をやったことがありますか?私は小数点作品や黄昏作品含めて全て持っているのですが、実力が伴わないのが悩みです。4,5年程プレイしているのですが、いつまで経ってもHardシューターのままです。精密動作というのがとにかく苦手で、元々アクション性の高いゲームは得意ではありませんでした。ですが、そんな私でも長く長く継続すればHardまでならクリアできました。Lunaticとは「狂っている」のです。そういう意味では、私はまだ常人ということでしょうか。
そして今回、皆様にこの小説を読みやすくするために用意したものがあります。
【挿絵表示】
【挿絵表示】
上面図を作成してみました。1枚目は1Fの、2枚目は個室配置の上面図です。慣れない図の作成のため、出来が異様に煩雑になってしまっていますが、「無いよりまし」という言葉も蔓延っているこの世の中ですので。
本来ならば小説内で描写すべきものなのですが、小説ジャンルがジャンルなので正確な位置情報が必要であると判断し、これを用意させていただきました。
色々お話しましたが「ゲンソウロンパ」を以後もよろしくお願いします。