食堂。視線の交点の集団と化したこの場で、誰しもが他人の目から逃れることは不可能である。例え、キノコが格段好きであろうが、手先が異様に器用であろうが、天然ボケが入っていようが、頭から異物が生えていようが、それを覆すことは出来ない。少しでも逃れたくば、目立たないようにするのが得策と言える。人間離れしたアクセサリーを装着するなんてもっての外だ。
そんな状況の中、今最も目立ちたくない人物が最も目立つ格好をしていた。ついでに、最も目立つ感情を露わにしていた。
「それで? 現時点でこれを外す手立ては無い、と」
テーブルを人差し指でせわしなく叩く。聞こえてくるはその軽快なリズムと誰かの嘲り。
「そうだねー。あたいたちも昨日からずっとこのままだし、正邪のお姉さんもそのままだろうねぇ……くくっ」
思わず笑いを堪える燐。隣にいる鈴仙も同様だ。むろん、少し離れたところで傍観している私もだ。
「くはっ!あははは!これって傑作だよねぇ!いやー、よく似合ってるよ、あたいたちなんか比にならないね!」
燐が吹き出したのを皮切りに、連鎖的に食堂に笑いの華が咲いた。燐や鈴仙に耳が生えたことへのリアクションは予想ほど濃くなかったが、正邪への笑っていないのはただ一人、言わずもがな正邪だけだ。
「……くそ!こんな、こんな醜態!覚えておけ、鈴仙!」
顔を真っ赤にして飛び出していった。いつもは他人を小馬鹿にしている正邪の悔しがっている姿は、やけに心をすっとさせてくれる。今朝のこともあるし、爽快2倍だ。
すると、唐突に扉の方からバタバタと騒がしい音がした。何かがぶつかったような音だった。
「うぐぅ!何だって言うんだよ!どけ!」
正邪の乱暴な捨て台詞が聞こえた後、逃げ去る足音が遠のいた。
食堂の笑いは収まり、先ほどの音の正体を全員が気になり始めた。私も例に漏れてなかったので、扉の方を振り向いた。
「騒がしいですね……。笑い声が聞こえてきたり、正面衝突されたり。まだ朝ですよね?」
開けっ放しの扉と早苗が目に飛び込んできた。「目に飛び込んできた」というのも、早苗の服装が奇抜だったからだ。食堂に常駐している私たちは全員、昨日と同じく制服を着ている。けれども、彼女は完全にパジャマだ。上下ともに、白地に所狭しと緑色のカエルがあしらわれている。私が両生類嫌いだったら、絶対に着たくないパジャマになっていることだろう。ちなみに、カエルの髪飾りは逆さまになっている。何故ピンポイントにそこだけ。
「朝ってもう8時半じゃないか。もっと早く起きた方が良い」
慧音は説教のような口調だった。どうやら彼女はお節介焼きらしい。まだ暫定的でしかないが。
「健康的すぎますよ、まだ9時にもなってないです。もうちょっと寝ていたかったですね」
欠伸で大きく開かれた早苗の口は、見ているこちらが眠気に苛まされそうだ。欠伸は伝染する、という聞いたことがある(記憶が無いのに聞いたことがあるとはまた珍妙な話だが)。多分、幻想的迷信だろう。根拠がまるでない。
擦っていた目が突然光った。涙のせいもあるが、他のことが起因しているらしい。何故なら、早苗がテーブルの上に乱雑に放置されているトランプの山を見た途端に、目を輝かせたからだ。
「おぉ!こんなのどこにあったんですか!? 昨日の夜はあんまり暇だったんで手記なんかつけてたんですよね~。でも柄に合わないことはするものじゃないですね、もう飽きました」
寝起きだというのによく口が回るものだ。興味津々のまま、妖夢の隣の席に座り、テーブルの上のカードをかき集め始めた。
「あ、私手伝いますよ。さっき奇しくも負けましたので」
妖夢が早苗を手伝い始めた。先ほどのババ抜きで負けたのは妖夢のようだ。ざまあみろ。
「何のゲームで負けたんですか?」
早苗が妖夢に手を差し出し、トランプを渡すよう無言の催促をした。
「ババ抜きです」
その手に優しく丁寧にトランプを置かれた早苗は、もう片方に持っていたトランプと混ぜてシャッフルし始めた。咲夜のように見る者を魅了するような華麗さや器用さは無いが、そもそもシャッフルとはそういうものではない。最初に卓越した技術を見たせいで感覚が麻痺してしまっていた。
「ババ抜きですかぁ~。確かに『奇しくも』ですね。じゃあ、ダウトでもやります? 運だけで決まる勝負とはわけが違いますよ、知ってますか?」
早苗はトランプに対する造詣がそれなりに深いらしい。咲夜も同様だった。これも欠如以前の記憶によって生じる不均衡で不公平な情報の1つなのだろうか。
「是非、教えてください!今度は負けたくないので、出来ればコツなんかも教えてください!」
妖夢は上ずった声で早苗に乞っていた。
「いいですか、このダウトというゲームはですね。如何に、瞬発的に計算できるかがカギを握ってまして……」
早苗の話を「聞いて」いた。「聴いて」はない。簡単に言うと、馬耳東風だった。頭から眠気の濃霧が消えていて、同時に、さっきの意気込みはどこへやら、トランプへの意欲は殆ど消えていた。睡魔が見せた幻想だったのかもしれない。
「よし、じゃあ私に付き合え、霊夢」
魔理沙が唐突に私の肩に手を置いた。何が「よし」で、何が「じゃあ」なのだろう。
「全然意味が分からない」
私が横に控えめに腕を広げて肩を竦めて見せた。謂れ無きオーバーな態度の誇張である。
「お前、暇だろ。私にはこんな状況だからこそ、取るべき時間潰しの案がある。着いて来な」
私の意思を全く無視して、食堂から出ていってしまった。参ったなぁ、あれじゃ着いて行くしかない。ただ、私1人従順に着いて行くと、哀れな敗北感に囚われることはまず間違いない。だったら、道連れを1人選出しておこう。
「よし、じゃあ雷鼓行きましょう」
一番近くにいた雷鼓の腕を掴み、出口まで無理やり引いた。何が「よし」で、何が「じゃあ」だったのか、今なら分からなくもない。
雷鼓は私と魔理沙のやり取りを聞いていたようだった。だからこそ、乗り気じゃなかった。
「えー、トランプやりたかったのにぃー」
「それは魔理沙に言ってよ」
隣で私たちを見ていた小鈴と星は苦笑いしか出来なかった。
私と雷鼓が魔理沙に連れられたのは、またもや個室の集まる部屋だった。既に2往復目である。これ以上、ここですることでもあるだろうか。
私たちが呆れ返ってる中、魔理沙はドアノブの彫ってある文字を見て、何かを吟味しているようだ。
「布都、小鈴……ちょっと違うな。メディスンも違う。天子も、かな? 咲夜と妖夢は食堂にいたな……。お、こりゃ良いカモだな」
宝を発見したかのように不敵な笑みを浮かべた。その様子を、部屋の出入り口付近で関心なく見ていた私と雷鼓は顔を見合わせた。
「結局、何がしたいのよ?」と雷鼓。
「知識欲のままに動いてるだけだ。今回のテーマはこちら!……だぜ」
魔理沙は突然、何かの役を演じた。彼女の空想は度外視できない、良い意味で。
「ここが誰の部屋か憶えてるか? 忘れてるだろうから教えてやる。ここはさとりの部屋だぜ。あの『いつでも私は寝られます』みたいな眼をひん剥かせてやりたいと思う」
あまりに突拍子が無く、滑稽な野望に虚を突かれた。勿論、悪い意味で。その後も、恐らく段取りであろうことが延々と続いた。雷鼓を一瞥してみると、歯痒さに満ちた顔をしていた。
苦心して彼女の話を纏めると「まずノックをして、さとりが出てきたところを大声で驚かす」らしい。あんなに長々話しておきながら、この程度で要約できてしまうのは、言うまでもなく私の才能故ではない。
「善は急げだ。ま、見てな」
魔理沙は目の前の木製の扉を2回ノックした。ノック音には潜在的な心地良さがある。私たちヒトの心を直接響かせる不思議な力がある。もっとも、取るに足らない理由で連れてこられた、ぶつけようのない鬱憤とでイーブンというところだ。さとりの目覚めを全く見たくない、というわけではないがわざわざこんな形で見たい、とは思わない。だから、さっさと終わらせてほしい。というのが私の本音だ。
ノックの後、僅かな静謐に包まれた。さとりは部屋から出てくる気配もなく、ただ時間だけが過ぎていった。
「おはようございまーす!もう朝だぜー!」今度は乱暴に3回。
それと同時に、雷鼓が小さく声を上げた。どうやら、開かれた扉が背中に当たったらしい。扉を開けたのはさとりで、昨日と同じ制服姿だが、髪が湿っていた。手にタオルを持っている。浴場に行っていたのだろうか。
だが、魔理沙はそれに気づかず、未だに扉と会話している。私はさとりに何とか視線で沈黙を促し、魔理沙を指差した。
これだけでさとりは一通り察してくれた。相も変わらず眠たそうな顔で、後ろからこっそり魔理沙に近づいた。
「全く。これだけ起こしてやってるのに、失礼なヤツだぜ」
「ええ、本当に失礼ですね」
さとりは魔理沙の背後で今にも消えてしまいそうな声を発した。
「お前もそう思うだろ? ってあれ?」
それに反応して、魔理沙は後ろを振り向く。
「うわぁ!!さとりが何でここに!?」
予想外の出来事に、思わず尻餅を付いてしまった。
「おはようございます。良い朝ですね」
そんな魔理沙をよそに、さとりは冷静に濡れている髪を拭ってた。
私は慌てふためく魔理沙と平静なさとりの対比的な光景が可笑しくて、雷鼓と2人でお腹を抱えて笑った。
「な、何だって朝から浴場に行ったんだよ」
「1日のメリハリを出すために敢えて行きました。貴方こそ私に何か用ですか?」
魔理沙が立ち直り、さとりの顔をまじまじと見つめる。
「お前、寝起きか?」
「そうですね。ちょうど30分前程に起床しました。それが何か?」
「ずっとそんな眠たそうな目してるんだなぁ」と魔理沙が関心深く唸り、腕を組んだ。
「私自身は快調なんですよ。生来みたいですね、どうやら」
さとりの髪は乾きつつあるようで、これまた生来なのか、濡れていて真っ直ぐに降りていた髪型が寝癖のような髪型に戻っていた。
一通り笑った雷鼓が大きく息を吐き出した。
「ふぅ。さとりは食堂に来ないの?」
「私は結構です。昨日、机の中から本を発見しましたので、そちらを優先したいと思います」
咲夜の部屋にはトランプがあり、さとりの部屋には本があった。私の幣のような、欠けた記憶を蘇生させるキーではなく、普通に普通な暇つぶしグッズだ。
そもそも、本当に本なんて持ってるのだろうか?朝から浴場に、というのもよくよく考えると不自然だ。何か隠しておきたいことでもあるのだろうか?
「それでは失礼します。3人で行動しているから大丈夫でしょうが、念の為」
さとりはこちらに背を向けたまま、静かに呟いた。
「くれぐれも死なないでください」
扉を開け、部屋の中へ入った。彼女の言葉は私たちに重く深く沈んでいった。
私たちは再び思い出した。このゲームに安息などない、ということを。誰かに隙を見せると、すぐにそこを突かれる。冷徹で残忍な思考と、情報と印象の正確な取捨選択能力、臆病な決断力を持っていなければ、八雲紫には決して勝てない。その点において、少なくともさとりは私より優っている。まさに今、強く感じさせられた。
「それじゃあ私たちも行きましょうか」
雷鼓は鈍重な空気を軽薄に吹き飛ばした。考えもなく喋っているように聴こえた。
「待って雷鼓。食堂に戻る前に寄りたい場所が」
個室集合室から出て行ってしまいそうになった雷鼓を何とか引き留めようとする。
「誰が食堂に戻るって言った? 浴場に行くわよ。着替えは要らないけどね」
私が言い切る前に、雷鼓が私のト書きまで読んでしまった。彼女も私と同じことを考えていたらしい。
「おい、まさかさとりを疑ってるのか? まだ何も起きてないじゃないか」私たちの言動に疑念を抱き、一歩も動かないまま魔理沙の顔が曇った。
「何か起きてから、じゃ遅いのよ。何か起きる前から情報を収集しておくべきなの」
雷鼓がピシャリと言い放つ。まさしくその通りなのだ。情報量こそが明暗を分かつ。
「それは分かってるんだけどな。良心の呵責ってヤツかな、やっぱり人間の性だよ。過去の過ちを贖い、現在を憂いて、未来を形成させる。人間という『現象』の本質だ。私たちは今、贖える過去なんてないけどな。……だからこそ、その尊厳を害する八雲紫は倒さなくちゃならん。分かってる、分かってるんだけどな……」
意味深な言葉を吐いてから彼女は個室集合室(さっき私が命名した)を退出した。彼女の言う「害された尊厳」とは過去の過ち、の部分だろう。現在を憂いて、とはどういうことだろう。現在とは常に後悔の連なりで形成されている、ということだろうか。後で訊いてみようかな。
魔理沙からは、いつもどことない人情味を感じる。彼女は18人の中で最も人間らしく人間らしい。ヒトらしからぬ冷然と彼女のような人情のバランスを保つのが、ライフラインになるかもしれない。どちらか片方の比重が大きいと健全に生きられない。「生きる」ことより「人間である」ことが私にとっては重要だからだ。
そびえ立っている木の札を抱えるロッカー群はどこかにノスタルジーを残し、さりげなく湿っているフローリングからは靴下を濡らすという洗礼を浴びる。私たちを映す鏡には湯気の形跡は一切無く、その前に整然と居座っているドライヤーにも使われた形跡が無い。
脱衣所に誰かがいたような雰囲気が感じられない。強引に私たちと結びつけるとするなら、この脱衣所もまた「さとりがいた」という記憶を奪われたのかもしれない。だがさとりがここにいなかったならば、話は別である。そもそもそんな記憶が存在しないことになるからだ。
「へぇー。意外とアットホームな作りだな。これじゃどっちかって言うと、浴場じゃなくて銭湯だな。愛着湧きそうだぜ」
18つのロッカーを一室一室覗き込みながら喋っているせいで、魔理沙の声が変にエコーがかっている。
「……妙ね」と雷鼓が私に聞こえるか聞こえないからくらいの声で呟いた。多分、魔理沙には聞こえていない。
私が訊き返す間もなく、雷鼓は話し始めた。
「床が濡れてるのに、鏡やドライヤーは綺麗なまま。衛生面から考えて、1日1回ペースで掃除はされているはず。さとりが工作したとしたら、床なんて一番目立つところ見逃すとは考えにくい。さとりと私たちの間に、誰かここに入ってきたのかしら? でも来る時には誰ともすれ違わなかったし……」
言われてみると確かに不自然だ。「浴場の脱衣所だから濡れていて当然」というステレオタイプがもたらした見落としだ。『目立つ』はずなのに『盲点』、ここを見逃してしまったのは手痛い。
「警戒して。まだ誰か隠れてるかもしれないわよ」
雷鼓が強い口調で私と魔理沙に注意を促す。私はすぐに浴場の方を向き直す。隠れられる場所と言えば浴場しかない。が、脱衣所の側からは浴場を見通せない。モザイクガラスのようで向こう側が
魔理沙は力の抜けた声を漏らしながらロッカーから顔を出した。今までの会話を全然聴いていなかったせいで、辺りを不思議そうな顔で見回している。
ひりつくくらいの凝視。貼り付く注視。一向に何も起こらない。音もしない。
痺れを切らしたのかそれとも緊張の糸が切れそうなのか、雷鼓が動き出した。浴場へ通ずる扉まで力強く歩き、木製の引き手を掴んだ。雷鼓の緊張がこちらまで伝わってくる。よく分かっていない魔理沙も顔を引きつっているように見える。
瞬間、ガラスの向こうにシルエットが現れた。濁った琥珀色のシルエットが蠢いている。私たちに気付いたのか、すぐにその琥珀は扉のガラスから姿を消した。つまり、あれは人だ。私たちを視覚して逃げたのだから間違いない。
「おい、誰だ!!」と魔理沙が叫んだ時には既に跡形もなく消えていた。
脱衣所の空気は一変して張りつめたものになった。知らず知らずのうちに私の拳には力が入っていて、生唾を飲んでいた。鬼が出るか蛇が出るか、それとも……。
それからすぐに、「開けるわよ」と意を決して雷鼓はゆっくりと扉を右に引く。扉の音が脱衣場にも浴場にも響き渡る。波乱の幕開けを知らせるファンファーレのようにも聞こえた。
私たちはそこで思いもよらないものを見た。私たち3人が3人とも震撼せざるを得なかった。
お疲れ様です。お元気ですか?私はそうでもありません。特に理由もありません。
今回は色々動きを創ってみました。ドキドキハラハラしたりじっくり考えてみたりしました。むしろ詰め込み過ぎた気もします。
作中で魔理沙は人間を「現象」と喩えていました。何ででしょうね。時間軸が一枚の紙だったら私たちはただの単調に伸びている「線」なのかもしれません。では、紙に線を引いてるのは何者なんでしょうね。もし私がその存在だったとしたら、そんな紙見ててつまらないでしょうから破り捨てるでしょう。厭世観じゃないですよ。
今回も変に難解で読みにくかったかもしれません。それ以外も起因して読みにくくしてるかもしれません。でも、私はこんな文体が好きです。自分のやっていることが好きじゃないと長続きしません。自分を好きになる、ということは意外と大事ですよ。自分の悪い所も目に付きますが、良い所も目に付けるといいことあるかもしれません。
この辺で話を切り上げましょう。もっと雑な文を羅列したいですが、筆八分目ということで。
「ゲンソウロンパ」を次話もよろしくお願い致します。