「メディスーン。おーい」
怠そうに声を出しながら薄暗い廊下を歩いて行く。そこまで大きくない私の声が廊下中を反響する。紫色と反響のコントラストは全くもって生産性がない。むしろ不愉快だ。廊下を照らす紫色はどうも私にやる気を起こさせない。私は紫色が嫌いなのか。こんな電灯なら、無いほうが活気が出てくる。「紫」といえば八雲紫が連想される。だからなのかもしれない。
食堂に向かう途中、保健室を通り過ぎたところで丁度扉が開いた。
「おや、霊夢さん。……お1人ですか?」
さとりと星が保健室から現れた。相変わらず抑揚のない声だ。
「メディスンさんは何処にいらっしゃるんですか?」と言うなり、星は辺りをキョロキョロと見回した。
私はさとりと星にメディスンがいなくなったことを伝えた。
それを聴いて、星は慌てふためいた。
「え!? それって大変な状況なんじゃ? メディスンさんに何かあったりでもしたら……!」
その一方で、さとりは人差し指を自分の額に当て、不敵に笑んだ。どうやら、何か思いついたらしい。
「メディスンさんがそのような状況に陥っている、あるいはその逆が起こっている可能性はほぼゼロでしょう」
「どうしてそんなことが言い切れるんです?」
さとりは目を閉じて語りはじめた。
「それぞれの部屋の位置関係を思い出して下さい。ここ保健室と食堂は西側に位置しています。霊夢さんは北側に位置する凶器室からここに来ました。東側の体育館では、おそらくまだチルノさんと妖夢さんが探索をしてるはずです。そして、南側からは……」と言ったところで、ホールの方向から雷鼓と水蜜が現れた。
「廊下のど真ん中で一体どうしたの?」と雷鼓は不思議そうに訊ねた。
さとりは今現れた2人をまじまじと見つめた後、再び小さく微笑んだ。
「今、お二人は南側から来られましたね?」
水蜜が少し考えるような素振りを見せた。
「南側……あぁ、はい。確かに私たちは個室から来ましたが、それがどうかしましたか?」
水蜜の言葉を聴いて、さとりはここぞとばかりに自慢げな顔になった。まるで布都のようだ。
「これで、お分かりになったと思います。メディスンさんは食堂にいるはずです。」
さとりの洞察力には感服せざるを得ない。少量の情報から的確に推測し、ここまでの結論に至れるとは。しかも、説得力があり、反論の隙が見当たらない。
ただ、一点だけ解せないことがあった。
「1つ。訊いていいかしら?」
さとりは質問に返答することなく、私に静かに人差し指を向けてきた。
「『どうやって雷鼓と水蜜が南側から来たって知ったの?』…ですよね?」
言い当てられてしまった。まさしくその通りだ。だが、何故か私もたじろぐことなく話を続けた。
「ええ、教えてくれる?」
「特別おかしげたことはしてませんし、見てません。水蜜さんのスカートの裾を見て下さい。少し濡れてますよね?」
水蜜のスカートに目をやると、確かに裾の端の色が変わっていた。しかし、スカートが濡れる場所なんて――
「『スカートが濡れる場所なんていくらでもある』ですか? よくよく考えると濡れる場所は限られてます。個室と浴場、それと食堂くらいです。あとは消去法で食堂で濡れた可能性が消えますので、残るは個室と浴場です。その2つはどちらも南側に位置しているので、雷鼓さんと水蜜さんが南側からやって来たのだと分かりました」
「だから、メディスンは食堂にいる、ってわけね」雷鼓が薄らと笑みを浮かべながら呟いた。
その通りです、とさとりが答えた。
「というか、メディスンのことが知りたかったら、そんな回りくどいことしないで最初から私たちに訊けば良かったのに。私と水蜜は食堂の方に向かうメディスンを見たわよ。ね、水蜜?」
はい、と水蜜が首を縦に振った。
雷鼓はさらに話を続ける。
「しかも、貴方の推測には穴があったわ。『水蜜のスカートの裾が濡れている。濡れるような場所は3ヶ所で、そのうち食堂は位置的にあり得ないので、浴場か個室で濡らしたはず』、ここまでは合ってるわ。だけど、『水蜜のスカートが濡れたのは、さっき個室を調べた時である』ことが証明されてない。もしかしたら、全員が食堂に集まった時だったのかもしれない。その点、如何かしら?」
さとりは面白くなさそうに指で髪を弄っている。
「……考え中です」
私はただただ感服してるだけだった。先程まで、私は佇まいや言動などからのイメージで、さとりこそがこのメンバーの中で最も洞察力に秀でている人物だと思っていた。雷鼓もまた洞察力や説得力の点に長けていたのだ。かくもイメージとは当てにならないものだ。
私はさとりや雷鼓、他の高い知識や鋭さを有する者たちと渡り合えるのだろうか。
「兎に角、食堂に行きましょ。メディスンに用があるみたいだし」
雷鼓が私たちの前を通り過ぎて、食堂に歩いて行った。
私は彼女の横顔にどこか恐怖とも嫌悪とも言い難いネガティブな印象を覚えたような気がした。
食堂に入って初めに目に入ったのが、正邪や布都と談笑しているメディスンだった。
神妙な顔つきで入って来た私に気が付いたようで、メディスンは私に向かってあまりににこやかに手を振っていた。
その光景を見て、思わず深いため息をついてしまった。
「ちょっとメディスン。勝手に1人で行動しないでよ。心配したんだから」
「ごめんねー。あの部屋入ったら、気分もちょっと悪くなっちゃって。さっさとあの部屋から離れたくて勝手に食堂まで来ちゃった。悪かったと思ってるよー」言ってることと反して、メディスンに悪びれてる様子が全く見られない。彼女はいつもそうだ。
「もういいわよ。何事もなかったんだし」
すると、メディスンの隣で紅茶か何かを飲んでいた正邪がカップをソーサーに置いた。嫌に笑っている。
「本当にそうなのかぁ?少なくとも、コイツが1人になった時間があったんだよ。一概に、何事も無かったとは言えない。逆を言うなら、何かあったら十中八九メディスンの仕業ってわけだ」
特に焦るような素振りを見せることなく、メディスンは正邪の手元にあったカステラをつまんで口に入れた。
「大丈夫よー。私はただ食堂に来ただけだから、何にも起こらないもんねー」
正邪の真意は何だったんだろうか。何故あんなことを言ったのだろう。自分が事件を起こしていて、それをメディスンに被せようとしたのではないのだろうか。
駄目だ。焦りと不安から冷静さを欠いてしまっている。結論は急いではいけない。もっと深く、思考を進めなくては。
しかし、私自身疑心暗鬼になってきているのが分かる。だんだんと八雲紫の策略に嵌りつつある。落ち着かないと本当に足をすくわれてしまう。
正邪は勝手に食べるな、と言ってメディスンの頭を軽く小突いた。微笑ましい。布都はその横にいながら意に介さずショートケーキにがっついている。卑しい。
「私も何か食べたいわ。冷蔵庫にあったの?」その光景を見ていた雷鼓がキッチンに向かって歩いて行った。
すると、キッチンから慧音と咲夜がお盆を持って現れた。
「もうそろそろ皆さん来ると思ってましたわ」
「ちょうど10時半だ。小腹が空くころだから、皆集まるだろうと思ってな」
咲夜が紅茶、慧音がパウンドケーキをテーブルに置いた。しっかり18人分ある。布都や正邪、メディスンにとってはおかわりというわけだ。
食堂に戻って来た私たちも各々椅子に座った。勿論、小腹が空いていたからだ。
「これって咲夜さんたちが作ったんですか?」私の正面に座った水蜜が咲夜に問いかけた。
「まさか。こんな焼き菓子作るとなると時間がかかります。私が時間でも操れない限り、こんな短時間で作ることは出来ません」咲夜が水蜜の隣に座った。
それもそうですよね、と相槌を打った水蜜がパウンドケーキをつまむと少し驚いた様子を見せた。
「冷たくない……ですね。冷蔵庫から出したんですよね? にしては冷たくありません。むしろ、適温ですよ」
冷蔵庫、というとあの無限に食材の湧いて出る珍妙な箱だ。冷蔵庫と呼ぶには、おぞましい。
私もチョコソースのかかったパウンドケーキを試しにつまんでみると、確かに冷たくない。そのまま口に運んだが、中まで適温だ。
咲夜がティーカップから口を離して不思議そうに話した。
「また謎が増えたのよ。あの冷蔵庫、取り出す食材全てがそのパウンドケーキみたいに適温なんです。例えば、牛乳。試しに飲んでみようと思って取り出したら冷たく、ホットミルクを飲みたいと思いながら取り出せばなんと温かいんです。技術が最先端なんでしょうか」
技術、という言葉で片づけられるのだろうか。人の心を読んで、返答と言わんばかりに求めているモノを出す。これじゃまるで妖怪だ。機械が人の心を読めるとは到底考えにくい。所詮、機械は機械だ。血の通わないモノに血の通う者のことは理解し得ない。そう考えると、八雲紫も人間じゃないかもしれない。むしろ、人間と考える方がおかしいか。あの女は何もかも非常識だ。
水蜜が不思議そうな顔して2つ目のパウンドケーキをつまんだその時に、何か思い出したようだ。
「そういえば、個室にあるタンスにも信じがたい仕掛けが施されてましたよ。私の部屋と雷鼓さんの部屋で調べたのですが、タンスの中の衣類を荒らして引き出しを閉じると元の綺麗な状態に戻ってたんです」
これには咲夜も驚いたようで、そうなんですかと感嘆していた。
「お気に召したかしら? 用意するのに随分苦労したのよ?」
ヒンヤリとした声が聞こえた。八雲紫だ。
食堂にいる全員がどよめく。私たちの見える範囲では八雲紫の姿は見えない。体育館や天子の部屋の時もそうだったが、あの女は何処から現れ、何処に消えるのか分からない。神出鬼没ここに極まれり、と言ったところだろう。
「気を付けて。あの女は普通じゃあり得ないような場所からでも出て来るわよ」私は注意を仰いだ。天子のような被害者を出したくないからだ。
「さあ、私は何処でしょう? 当てられるかしら?」相変わらず方向がうやむやにされている声だ。近いようであり、遠いようでもある。
テーブルや椅子の下などあらかた探した後、メディスンが諦めたように小さく肩を竦めた。どうやら、降参らしい。
「茶番はもういいわよぉー。用があるなら、早く出ていらっしゃいよー」
私を含め、他の者全員もかくれんぼにはお手上げ状態だった。
「これなら、分かるかしら?」
今度の声は方向が分かった。キッチンの方だ。しかも、少しこもっているようだった。
私たちはテーブルから離れ、キッチンに足早に向かう。皆、直感で冷蔵庫の前に立っていた。あの女独特の気味が悪くて、掴みどころのない雰囲気を察したのだ。
「やっぱり分かっちゃうのね。正解よ」
突然、何の兆候も無しに冷蔵庫の野菜室が開いた。
鋭い冷気と共にゆったりとしたデザインの傘が出現した。無造作に開かれ、同時に嫌悪感すら覚える顔が、顔だけが滑り出た。
「タンスもこの冷蔵庫も、ここの施設の設備は全部一級品。貴方たちはどうかしら?」
「どうって……何がだ? 我らがそれを使うのに相応しいかってことか?」布都が純真無垢に訊ねた。
「いいえ。このゲームに勝てそうか、という意味よ」
「それはお主のさじ加減であろう? 何なら、今この場でウラギリモノを教えてくれても良いのだぞ?」
「……貴方たち次第、ですわ」
布都の見え見えの企みを嘲笑したのか、あるいは何か他の理由があったのか、声には微笑が含まれていた。
「実力行使はダメよ。返り討ちどころか、殺されかねないわ」
今のメンツには血気盛んな人はいないだろうが、念には念を、私はもう一度注意した。
「……何の用なんですか? 私たちの行動の偵察ですか?」
さとりが前髪を弄りながら、怠そうに八雲紫に訊いた。
それに対して、八雲紫が野菜室から片手を出現させ、さとりの真似をした。
「貴方、目的なく行動することはないのかしら?」
真似されたさとりは面白くないようで、髪の毛から手を離した。
「少なくとも、この状況下なら私はしないですね」
「私ならするわ。少なくないから」
「何がですか?」
「……ウラギリモノ、かしら」八雲紫は口元を緩めた。それを聴いた私たち全員がどよめいた。
「お、おい。ちょっと待て。ウラギリモノは1人じゃないのか!?」正邪が焦って八雲紫に語調を強めて訊ねた。
「まさか。しっかり1人もいますわ。1人いれば十分です」
この女に嘲られると妙に癪に障る。腹ただしさだけがキッチンにベッタリと残る。
険悪になった空気の中、私が切り出す。
「煽りに来ただけなら帰ってくれない?」
「まだ帰るわけには行かないわ、だって――」
話の最中に扉が開く音が聞こえた。キッチンからは食堂の扉が見えないが、声は聞こえる。
「あれぇー? 誰もいないの?」
「おかしいですねぇ……。少なくとも、雷鼓さんと水蜜さんはいると思うんですがねぇ……」
声の主は多分、天子と早苗だろう。天子の容体が少し心配だ。
「ほぉら、来たわよ。鴨が蓮根背負ってきたわ」
それを聞いて勘が働いた。まさか八雲紫の目的は……
「おーい、いるんでしょー?」
天子がキッチンに顔を出した。野菜室の八雲紫を見た瞬間、顔色が変わった。
「八雲……紫!!」
「さっきぶり。元気だったかしら?」
天子の眼光が鋭くなった、殺気さえ感じる。嫌な予感しかしない。
「お陰様でね!」そう叫ぶと、天子はポケットからリボルバー式の拳銃を取り出した。
「今度こそ……!」天子が銃を八雲紫に向ける。
「天子、やめなさい。その女には敵わない。貴方は身をもって知ったはずよ」私は落ち着いた口調で天子を宥める。
「煩い! あのままじゃ私のムカムカが収まんないのよ!」
八雲紫に一切の表情の変化がない。気味の悪い笑顔を浮かべっぱなしだ。
「何なのよ! 何とか言ったらどうなのよ!」銃を構えている左手が少しずつ震え始めた。
「そうねぇ、じゃあ一言だけ」
八雲紫はもう片方の手を野菜室から出して、扇子を開き、口元を隠した。
「無駄よ」
天子の手の震えが止まった。
「このっ……ふざけるな!!」
天子がトリガーを引く瞬間、時の流れが緩やかに感じられた。
キッチンに響き渡る銃声。漂う火薬の匂い。場にいる全員が息を飲んだ。
八雲紫の方に目を向けると、なんと首が後ろにのけ反っていた。
「や、やった!」天子は歓喜の声を上げた。
「ダメじゃない、勝ち誇っちゃ。ま、そうじゃなくてもダメだけどね」
のけ反っていた頭を元の位置に戻した。額にはあの不気味な裂け目がくっついていた。
じゃあ、裂け目に入っていった銃弾はどこへ……?恐らく、あの裂け目はある一点と別のもう一点を繋げる力があるはずだ。つまり、あの女は人であろうとモノであろうと瞬間移動させられる。体育館や天子での出来事から推測できる。言うまでも無く、今回のワープのスタートは八雲紫の額だ。なら、ゴールは……?
八雲紫は確か、天子が来た途端に鴨が蓮根を背負ってきた、と言っていた。蓮根とは恐らくあのリボルバー式の拳銃のことだろう。何故、あの段階で拳銃を所持しているのを知っていたかというのは現段階で判断の必要はない。
したがって、天子が目的だったことになる……じゃあ、もしかして銃弾のゴールは……!
「天子、危ない!!」
私は思わず叫んでいた。推理の終着点に辿り着いた瞬間に。
だが、遅かった。
天子の後ろに不吉な裂け目が見えた。
遅れすぎて言葉もありません。本当に申し訳ありません。とだけ謝って後書きを〆ます。
余計に言葉を重ねても見苦しいだけですので。