2月14日 17:00――。
まだ寒い時期、とはいいつつも、少しずつ日没の時間が遅くなってきている。
HS1―隊長からの指示に従い、HS2以下6名の隊員は校庭の巡回を行っている。
作戦終了まであと1時間。
部活動も自粛となっており、校内に残る教師や生徒もほとんど居ない。
つまり、スグル達の巡回は半ばポーズのようなものであるが、校内に隠れ潜んでチョコレートの受け渡しが行われる可能性があるため、決して油断してはならないのである。
「ザーザー……そういえば隊長──新見先生は巡回には出てこないんだな」
1人の隊員が通信機越しにぼやく。
「ブリーフィングの時に隊長から説明があっただろう。没収したブツの代替品を返却すると」
「そういえばそうだったな」
「各位、私語は慎むんだ。この通信は隊長も聞こえているはずだぞ」
スグルが言う。
「「「「「了解」」」」」
隊員たちが雑談に興じているのを、イヤホン越しに俺は聞き流していた。
|集中して聞いている暇がなかった<・・・・・・・・・・・・・・・・>というのが実のところだが。
その理由は俺の正面に立つ生徒――山崎絵梨奈にある。
「新見先生、そのチョコレートは私のなんです」
「風紀副委員長ともあろう山崎さんが校則違反をするなんてね。じゃあこれは返そう」
残っていた箱を持ち、彼女に近寄る。
校則違反を咎める立場の彼女だが、その前に1人の生徒。
恋焦がれる相手に、どうしても作ってきたかったのだろう。
そう思ったが、何故か彼女は手振りで俺を制止した。
「先生。そのチョコレートは誰に渡すものだと思います?」
試すような、どこか面白がるような表情での問い掛け。
「生憎だが見当もつかないよ。もしかして今日休んでいる佐々木君かな?」
佐々木は風紀委員長。本来であれば朝の荷物検査を担当する予定であった。
朝の間に渡そうとしたのが、急な欠席で渡せなかったのかもしれない。
(いやまて、そもそも彼女はいつチョコレートを没収された?)
「残念ながらはずれです。答えは───」
少しずつ俺に近づいていた彼女は、途端に機敏な動きを見せた。
俺は一歩遅れた。
「んん゛っ」
固いものがぶつかる音。
口内に広がる、チョコレートの甘い味。
至近距離に彼女の顔がある。
俺はバッと彼女を押して、距離を取る。
「山崎さん、冗談がすぎるぞ」
ペロリと舌を見せる様子に、確信犯であることを悟る。
「私は初めから新見先生にチョコレートを渡すつもりだったんです。没収されるのも嫌だったので、何とか隠し通していたんですが」
「風紀委員の荷物を検めるようにしなかったのはミスだったな」
そうですね、と微笑む彼女に警戒心が募る。
「先生、没収したチョコレートを別のものに入れ替えたでしょう。ひどい先生ですね」
「何故……知っているんだ」
「朝、遅れてきた生徒が見ていたんです。男子生徒だからと油断していましたね?」
確かに荷物検査に遅れた生徒がいたことは把握していたが、男子生徒であったために特段の対応はいらないと考えていた。
自分の迂闊さに呆れてしまう。
「ハァ……大したものだ。そこまで想定していたのか」
「|我々<・・>もこの日のために計画を練ってきましたので」
「我々………だと?」
単独犯ではない? するともしかして……?
俺はそこまで考えたところで、急に身体が重く感じた。
「先生? チョコレートは美味しかったですか?」
「急に何を……まさか」
「先生に差し上げたチョコレートは、特別製なんです。そろそろ体が重く感じて動けなくなってきたんじゃないですか?」
「違法チョコレートか……何を混ぜたんだ」
確かに彼女の言う通り、身体が重い。
俺の問いに、彼女は再び笑みを浮かべた。
「ナイショ、ですよ。でも、先生には少し捕虜になってもらいます」
「捕虜……だと?」
もう言葉が続かない。視界が暗くなっていく。
そうか、彼女たちは反政府組織の……。
「おやすみなさい先生、よい夢を」
最後に聞いた彼女の声は、とても優しげなものだった。
床に身体を打ちつける感触は、感じられなかった。
山崎絵梨奈は、その瞬間を夢にまで見ていた。
1年前突然現れた新任教師。
風紀委員の顧問としてサポートしてくれること幾年月。
1人で残って書類整理をしていると、ふらりと現れて手伝ってくれる。
自分には、関係ないと思っていた。
世間で騒がれている、バレンタイン法。
かつてはその日が近づくと、心なしか空気が浮足立ったという。
法規制で、事実上2月14日に渡すことが出来なくなった。
好きな日に渡せばいいと思っていた。
でも。
知ってしまったのだ。
聞いてしまったのだ。
2月14日を大切にする人たちの想いを。
だからこそ。私は。
「予定の時間です。始めてください」
もう、夕暮れは過ぎて。闇夜の時間だ。
2月14日 17:30――。
巡回が終わり、撤収準備に取り掛かっていたスグル達隊員6名の通信機が起動した。
「都内第一高校に潜伏中の各隊員に緊急連絡。HS1とのコンタクトがロストした。状況報告を」
隊員たちの間を流れる空気が騒めいた。
基本的に支部からの連絡は隊長であるHS1が受けることになるが、緊急連絡についてはその限りではない。
「こちらHS2。高宮スグルカバーです。HS1は我々とは別行動で教師業務を済ませたのち合流する予定になっています。合流予定は18:00でした」
「状況了解した。隊員たちはペアでHS1の捜索を開始せよ。何者かに襲撃された可能性がある」
襲撃とは穏やかでない。
「了解。捜索行動を開始します」
動き出そうとした隊員たちだったが、ふと違和感に気付いた。
「囲まれている!?」
隊員の1人が声を上げると同時、突然複数の人影が隊員たちの周囲に現れた。
仮面を被っており素顔はわからないが、女性のように見える。
「我々はバレンタイン回帰同盟!」
「政府によって不当に奪われたバレンタインの権利!」
「再び国民の手に取り戻さん!」
「それを妨害する貴様ら政府の狗は、ここで排除させてもらう!」
「我々の邪魔をするならば、容赦はしない!」
「乙女の誇りを目に物見せてやる!」
口々に述べられる口上。
隊員たちの通信機に連絡が入る。
「たった今、電子政府窓口に反政府組織:バレンタイン回帰同盟による反抗メッセージが掲載されました。
同時に、都内数カ所でも同様の衝突が発生している模様!」
「組織的攻撃か……」
隊員の1人が言う。
「貴様らの隊長は既に我々の同志が確保している。大人しくしていれば危害は加えない。翌日には返してやろう」
「くっ……隊長との連絡が取れないのはそういうことか」
「本部、HS1が敵勢力に拘束された模様。粛清武器の使用許可を求める!」
「武器使用は許可できない。一時撤退せよ」
「……承知した」
「我々はこれより撤収する。回帰同盟、隊長に不当な真似をすることは許さない」
「危害は加えないと約束しよう。懸命な対応に感謝をしようか」
第1高校に派遣されていた部隊は隊長を奪われたまま撤収することになった。
*****
────”組織”支部会議室。
「以上が都立第一高校に派遣された隊員からの報告になります」
会議室は重苦しい空気に包まれていた。
「第一高校をはじめとする4校にバレンタイン回帰同盟の勢力が出没、一部の隊員を人質に取っている……か」
会議室の中の一際年配の男──支部長がつぶやく。
「政府の方はどうなっている?」
問われた秘書が答えた。
「先ほど本部より連絡があり、関係閣僚が官邸に召集されたとのことです。また、一部国会議員が国会議事堂に立て籠もっているという情報も入ってきています」
「国会議員にも協力者がいるということか」
「おそらくは……ですが」
支部長は大きなため息をついた。
「派遣した各隊の状況は」
「拘束された隊員を除き、全て帰投済みです。待機命令を出しております」
会議室に呼ばれていた派遣部隊の隊長代理(隊長は新見)が答えた。
「各隊はそのまま待機状態を維持せよ。情報班は引き続き本部との連絡を密に行い、政府の状況を随時確認するように。
私は閣議が終わり次第、官房長官との打合せに入る。以上解散!」
「「「了解」」」
ぞろぞろと関係者が会議室を出ていく。
誰もいなくなった会議室で、支部長がひとりごちた。
「新見君……」
*****
────都内某所
「うっ……ここは……?」
ぼんやりと視界が回復する。
見覚えのない場所だ。どこかの建物の中にいるようだ。
「はっ、俺は……そうだ山崎!」
俺は思い出した。第一高校で、生徒の一人である山崎絵梨奈に襲われたことを。
不覚にもほどがある。組織の一員でありながら、生徒に負けるとは。
体の状態を確認する。椅子に座らされており、後ろ手に縛られているようだ。足も動かない。
中身は確認していないが、服の中のポケットにも各種装備がある感触が感じられない。
ここに運び込まれる前に武装解除されたようだった。
部屋には何もない。
目の前に扉が1つあるだけだ。
今の時刻すらわからない。
「新見先生……? 目が覚めましたか?」
扉が開き、覚えのある声が聞こえてくる。
「ああ、あまり目覚めはよくなかったがな……」
入ってきたのは俺をここに連れてきた張本人であろう、山崎絵梨奈だった。
片手に何かを持っている。
「手荒な真似をしてすみません。でも、こうしないと先生が逃げちゃうでしょう?」
「そうだな。俺も仕事があるからな」
「”組織”の一員として……ですか」
俺は驚愕した。
何故彼女が組織のことを知っているのか。
「何で知ってるのか、って顔をしてますね。当然ですよ」
「山崎……君は一体何者なんだ」
その質問に、絵梨奈は答えない。
そして、持っていた物を取り出した。
それは、携帯型のテレビだった。
絵梨奈が徐ろに電源を入れる。
映し出されたのは中継のようだった。
「ただいま、首相官邸にて閣議が行われている模様です。
本日17時30分ごろ、電子政府窓口ホームページに『バレンタイン回帰同盟』を名乗る犯行声明が出された件だと思われます。
声明によると、バレンタイン回帰同盟は次の要求をしています。
1.バレンタイン法の即時停止および廃止
2.法執行部隊の解散
法執行部隊とは何を示しているのでしょうか…続報が待たれます。以上現場から中継でした」
そこまで見ると、絵梨奈はテレビの電源を切った。
「山崎はバレンタイン回帰同盟のメンバーなのか?」
「私は……私はバレンタイン回帰同盟の創始者。そして、今回の計画の発案者です」
俺は驚きを隠せなかった。
「先生、私の話。聞いてくれますか?」
「私が生まれた時には、もうバレンタイン法は施行されていました。なので、私はバレンタインというイベントそのものが無いものとして、これまで生きてきたんです」
バレンタイン法施行はおよそ20年前の出来事である。
現在高校3年生の絵梨奈は当然生まれる前だっただろう。
「私も、これまでなんとなく生きてきました。でも、ある日ネット掲示板でバレンタインを取り戻したいというコメントを見たんです。
私は、意味がわかりませんでした。私にとっては元々"無い"物であるバレンタインを"取り戻す"という言葉。
そう、意味がわからなかったんです。あの日までは」
「私の気持ちが変わったのは1年前。そう、新見先生が第一高校に赴任された日です。
あの日は丁度2月14日。今年と同じように、荷物検査が行われていました。
荷物検査で、私の先輩がひとりチョコレートを没収されたんです。その時、チョコレートの没収に反抗した彼女は、
傷害罪で補導され、そして彼女が想いを寄せていた相手も学校から去ってしまいました」
俺は1年前のことを思い出していた。
絵梨奈の言う、チョコレート没収された生徒は突然発作が起き、暴れたために拘束されてしまった。
今年こそチョコレートを秘密裏に交換することで被害の抑制を図っているが、当時は没収されたら返却はなく、
従わなかった場合は公務執行妨害等で拘束できるように制定されていた。
「私は驚きました。バレンタインに賭ける彼女の思いに。そして、無慈悲なまでにそれを折る公権力に。
そしてその夜、私はネット掲示板のコメントに返信をしました。『私も協力します』と」
「それで回帰同盟を設立したのか」
絵梨奈は頷いた。
「組織の立ち上げについては前に知識を得ていたこともあって、色々な人の協力でここまでこぎつけられました。
電子政府の窓口を乗っ取ることも、今日この日、この時間に衝突を起こすことも」
彼女はそんな重荷を背負って今日を迎えたのか。
だが、俺には1つ疑問が残った。
「君がこれまで企ててきたこと、その経緯はわかった。1つわからないのが、どうして俺がここにいるのかだ。
俺がここにいなくとも回帰同盟は同様の要求をするだろうし、政府も同じように対応するだろう。必要性がわからない」
俺の言葉を聴いた彼女は、どこか少し傷ついたような表情を見せた。
そして少し俺に近付いて囁いた。
「先生。私は、1つだけ説明してないことがあります。
1年前、私を回帰同盟の設立に駆り立てたのは先輩への思い。そしてもう1つは……」
俺の喉が鳴ったような気がした。
「一目惚れ……だったんですよ?」
(ヤンデレでは)ないです。