作:泣き虫


オリジナル現代/日常
タグ:憑依
 ―――これは、夢だ。

 悲しい、哀しい夢の中で愛を知る、ただそれだけの、掛け替えの無い数分間。

 僕はこれを、見知らぬ誰かにも伝えたい

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 ―――ああ、これは夢だ。

 

 僕は唐突に、その事実……いや、夢想を理解した。少し新鮮な感覚だ。普段は、夢を夢と認識することなく目を覚ますから。

 そこにどれだけの齟齬があろうと、いかに現実の自分からかけ離れていようと、何故か僕はそれを許容し、当然のものと考えてしまう。

 よく、夢は無意識の願望を映し出すものだと言われるが、僕はそうは思わない。あんな支離滅裂な行為を僕は望んではいないし、何よりこれを、今この状況を、自らの願望だと認めてなるものか。

 

 父が死んでいるという、無残な世界を。

 

 僕はその絵空事を、夢の中の誰からも伝えられていない。だが、知っているのだ。まるで頭の中に書き込まれるかのように、既知として、当然の事実として、それを認識している。

 僕がこれを夢だと判断したのは、それが理由だ。それだけはあり得ない、と、一瞬で冷めきった思考が、夢の中の登場人物の一人であった僕を、引き戻したのだ。

 

 「どうしたの?」

 

 立ち止まった僕に、母らしき女性が声をかけた。その声には、こちらを気遣うような色があって、ふざけた虚構に対する僕の怒りを和らげた。

 

 「……ううん、何でもない」

 

 それだけ言って、僕は彼女の背について歩き出す。

 言い忘れていたが、この世界の僕は、僕ではない。

 眼の前を歩く女性を僕は知らない。纏う雰囲気を本当の母とはかけ離れている。

 けれど、僕は彼女を母と認識している。それはつまり、今の僕は■■■■という人物ではない、別の誰かに成り代わっているということだ。

 

 この少年は、母と買い物に来ているようだ。現実の、住んでいる家の近くにあるスーパーと、内装が似ているのは偶然ではなく、この世界が僕の記憶を参照して創られているからだろう。

 僕を先導する母親は、飽食の時代に相応しい様々な商品の陳列された棚の間を進み、幾度か曲がった後、あるコーナーに辿り着いた。

 手に取ったのは、あんかけ豆腐の素、という、なんとも直裁な名称のインスタント食品だ。

 一人親ならば、子供に留守番をさせることもあるだろう。母の身長を超えているこの少年は高校生くらいに思えるし、何もおかしい事はない。強いて言うならば、少しチョイスが渋い、ということぐらいだ。

 

 だというのに、何故かそれが引っかかる。喉の奥に小骨が刺さったような―――いや、それよりは軽いか―――違和感に、答えを求めるように視線を彷徨わせているうちに、気づく。

 商品を入れる籠、その中にはすでに、いくつかの食品が入れられていた。茸や肉、白菜、そして、豆腐。

 

 「…………え?」

 

 漏れ出した声に、母が振り向いた。……様な気がした。解らないのだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 また知識が、書き込まれた。そうだ、それは、あんかけ豆腐は、父が好きだった料理だ。そして、父の得意料理でもある。

 母が出かけて、家に二人きりのとき、いつだって父が作るのはそれだった。というか、それしか作れなかった。

 僕は、特段あんかけ豆腐が好きな訳ではない。凝ったものではなく、インスタントのあんに軽く炒めた肉や野菜を絡め、豆腐にかけただけの料理は、素人の域を出ないものだった。

 ただ、優しいこの少年は、父が得意気に料理をする姿が、好きだったのだ。

 

 ―――あんかけ豆腐が良い

 

 父に「昼は何が良い?」と聞かれたとき、僕は決まってこう答えていた。それは美食を求めるものでは無い。

 「そうか」と短く呟いて、台所に入る父の、嬉しげな横顔や、父の愛を確かめながら、二人で向かい合ってご飯を食べる時間。

 そういった、暖かで、掛け替えの無いものを求めて、彼はあんかけ豆腐を食べたいと言っていたのだ。

 

 買い物籠に入れられた食材は、全て父のあんかけ豆腐に入っていたもの。たまにアレンジと称して別の食材が追加される事もあったが、だいたいは失敗で、それはそれで、二人で笑いながら完食したものだ。

 

 そして、僕は彼であって彼でない為に、彼の知らない事を知っている。父は僕があんかけ豆腐が大好物であると勘違いしていて、またそれを、母に伝えているのだ。

 

 つまり母は、この女性は、父親を亡くした子供の為に、ただでさえ忙しいというのに時間を割いて、思い出の料理を作ろうとしている。

 違う、それだけじゃない。それだけで、ここまで大泣きすることはない。

 

 ―――母は、あんかけが嫌いだ。

 

 だからこれは、一切の混じりけ無く、僕の為に行われている行為だ。

 伴侶を失い打ちひしがれているはずの女性が、それでも心を強く持って、父の代わりになろうと、少しでも僕の哀しみを和らげようと、父の分まで僕を愛そうとしているのだ。

 それはきっと、完全に正しい訳ではない。

 何をしようと、人は他人にはなれないからだ。もし空回りすれば、父の代わりに与えようとした分の愛は僕に届かず、むしろ困惑を生むかもしれない。父のことを思い出させてしまうかもしれない。

 けれど、けれど僕は、当事者たる僕は、そこに愛を感じた。この情景の創造主として俯瞰する僕も、溢れんばかりの愛を感じた。

 

 今流しているのは、二人分の涙だ。僕の分と()の分。母の優しさに、慈愛に胸を打たれて、僕は泣いている。

 

 赤ん坊みたいに泣きじゃくる僕に、彼女は何か声をかけようとして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――そこで、目が覚めた。

 

 同時に、咳き込む。現実の僕も、泣いていた。仰向けになっていたから、逆流した鼻水が喉からせり上がって来たのだろう。

 二度、三度と咳き込んだところで、隣の部屋から慌ただしい物音が響いた。次いで、僕の名前を呼ぶ、両親の声。

 ほとんど間を空けず、自室のドアが開かれる。

 

 「大丈夫!?」

 

 焦燥と不安の入り混じった声と共に、部屋の電気が付いた。偶然視界に入った時計に表示された時刻は、午前二時。

 夢の中の彼と同じ様に涙を流す僕を視認した母さんは、「どうしたの?」と言って僕に近寄り、抱き寄せた。

 嗚咽で跡切れ跡切れになる声を、なんとか紡いで、言葉にする。

 

 「大……、丈ッ…、夫………」

 

 大丈夫。友達になれたかもしれない誰かに向けて、僕はそう言った。

 君は愛されている。僕と同じように、愛されている。君の母から僕は、少しの間だけれど、君だった僕は、眼の前の母から向けられるものと同じものを感じた。

 だから大丈夫、君は生きていける。ほんの少し、欠片みたいなものだけど、僕は君と同じ悲しみを共有した。

 傲慢で、不遜で、赦されざる発言かもしれないけれど、いや、そうだけれど、僕は君を知っている。

 その僕が言うんだ、間違いない。

 生きてくれ、哀しみを背負って、その痛みを強さにして、僕なんかよりずっと幸せになってくれ。

 

 そうして、いつかまた会おう。きっと恋人なんて一生できない僕に、一時の夢を見させてくれ。

 ……冗談だ。でも、幸せになってほしいという気持ちは、本物だから。

 

 いつか僕が愛を忘れそうになったとき、同じ様に夢に出て、もう一度愛の大切さを、教えてほしい。

 一方的な約束で申し訳ないけれど、伝わってくれたらいいな。

 

 ―――さよなら、名を知らない、けれどそれ以外で繋がった、大切な誰か。

 

 

 









 これは一週間くらい前に見た夢です。落ち着いてから書き留めて、内容を纏めて、投稿しました。
 自分に文才が無いことを、これほど呪いたいと思ったのは初めてです。

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