ポケットモンスターHEXA NOAH   作:オンドゥル大使

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あとがき+

 

 拙作、『ポケットモンスターHEXA NOAH』を読んでくださり、ありがとうございます。

 

 あとがきではHEXAサーガ第三部と言えるこの作品が生まれた経緯と、その作品がどうしてこのような作品になったのか、それを述懐していきます。

 

 この作品ではまず「アルセウス創世神話」を信じているかどうか、が絶対の鍵となります。シンオウ、つまりDptで出てきた設定ですが、これには初代と食い違う大きな矛盾があり「ミュウが世界最古のポケモンであり全てのポケモンの祖先」という設定と「アルセウスのタマゴが存在し、そこから宇宙が生まれ神と呼ばれるポケモンが生まれた」という設定は根本的に矛盾をはらんでいます。ミュウが先かアルセウスが先か……。ほとんどの作品(特にポケダン)ではアルセウス創世神話を誰一人疑いもしません。それどころかポケモンが好きな人に限ってアルセウスが神様、だという事をまるで当たり前の真実のように受け止めています。

 

 私はそれが何だかとても奇妙に感じられて、初代からのファンならばミュウのほうが先だと信じ込んでいるはずなのにアルセウスが神だと言われればじゃあ神だ、となるのはどうも納得出来ませんでした。だって、アルセウスは場合によっちゃモンスターボールに入るのですよ? 映画でのアルセウスの扱いもコンクリート固めされる神様なんて神様じゃないでしょう。

 

 この作品はその疑問に端を発しています。アルセウスは神ではない。ならば神とは何なのか。そもそもミュウが祖先だとしてもおかしな設定として南米のギアナだったり、インド象だったりが存在するわけですが、初代の図鑑の説明、それにオーキド博士の供述を「じゃあ全部嘘だった」ではなく、「それらは全て真実であり、公式の見解を全て真実だとする」上でのNOAHでした。オーキド博士は何一つ嘘を言っておらず、また図鑑説明もふざけていたわけではない。本当に、その時には米国が存在していて本当にインド象がいた。そう考えた時、第三部の道が拓けました。

 

 これは疑惑と虚飾の物語です。ポケモンの本来の能力、劇中でクラック、フリーズ、エンシェント、アルケーという能力が出てきますが、これはポケモンが持っている「認識」を操る能力だとする。元々の設定(首藤さんのですが)ポケモンは人の認識によって「在る」のだという話を耳にしましてこれらの設定を思いつきました。人がいる限り、というよりも人によって存在を許された種族がポケモンであり、人が認識すればその分数が増える。歴史そのものを歪める能力さえも持っている。事実、レックウザは何億年もオゾン層の上を飛び、古代にはポケモンが魔獣として従えられていた、という歴史。ですが初代にはもちろん、これらの設定は存在しません。つい最近、ポケモンが見つかった。だから図鑑を作る、という話なのですから。

 

 オーキド博士はもうろくしていたわけではない。これは絶対に言いたかった事でもあります。というのも、ポケモンファンなのにオーキド博士の発言をネタとしたり、ボケていたりしたという人間が割と多くいるからです。どうして否定する事でしか現象を説明出来ないのでしょうか。全てを肯定した上で、現象を説明する手段を考えた場合、オーキド博士の発言はむしろなくてはならなかったものでした。

 

「この世界に神はいない」「この世界は間違っている」これは現実から即して見たポケモンの世界です。我々現実世界の人間は時に夢見がちです。ポケモンの世界のほうが自由のある、と考える人もいます。ですが、実際にはこちら側、現実に恋焦がれた人間もいる。現実でなければ生きていけない人間も同時に存在する。それは空想世界を夢見る人がいるのと同じように、現実を現実として受け入れる事に重要視する人間がいるに違いないと感じたからです。

 

 つまりポケモン世界からしてみれば現実こそが理想郷であり、最終的に全てを滅ぼしてまで真実を追い求めたヨハネの行動は我々が空想世界に入りたいと感じるのと、何一つ違いはありません。

 

 この第三部、実は「幻の第三作」と呼ばれる今は亡き首藤剛さんの脚本を基としています。ティラノサウルスの化石が見つかり、ポケモン学会が騒然とする。そんな中、化石が動き出すというストーリーで、実験的な作品内容でありながら首藤さんがポケモンというジャンルにある種、終止符を打とうとしたのがそれを初めて知った時窺えました。首藤さんはポケモンを完結させられた人間だったのだと思います。ですがこの作品は幻と消え、代わりに皆さんのよく知る劇場版第三作「結晶塔の帝王エンテイ」が公開されたわけです。

 

 もしかしたらポケモンは終わっていたかもしれません。ですがポケモン産業はその後伸びに伸びて今に至るわけです。首藤さんは亡くなり、ポケモンの草分け的人物だった人々は次々と一線から退いています。その人達の見つめていたポケモンって何だったのだろう。ひょっとしたらこんな可能性もあるかもよ、というのがこの第三部でした。

 

 ポケモンは終わらなくってよかった。今まで続いていてよかった、と感じる人もいるかもしれません。ですが私はポケモンが延命措置を受けた事を(あえて乱暴な言い方をしますが)少しばかり残念だとも思っているのです。もしかしたら伝説に、あるいは神話になれたかもしれない作品。それが分かりやすい価値観になってしまった事に寂しさを覚えているのです。

 

 でもポケモンは誰のものでもないですし、私がこの第三部で行った事はもしかすると、いやもしかしなくても余計なお節介であり、それこそ「下世話な話」だったのかもしれません。ポケモンはこれからも続いていくでしょう。最終的にこれからも続く、というのは匂わせていますが、同時にこれまでのポケモンは終わった、とも取れる描き方をしました。

 

 あと第一部からの仕掛けだった「第○章 ○節」という書き方。これは最終的に聖書だから、というのは第三部で考えついた事であり、最初から考えていたわけではありません。というかそうだとすれば四年越しくらいで完結した事になります。そこまで先の事なんて分かるわけがないですし、そもそも第三部まで出来た事が奇跡です。

 

 今回のテーマはざっくり言うと「認識」だったわけですがそのテーマだって第一章から考えていたわけではなく、最終的に「認識」に集約されたのは完全な偶然です。

 

 本当にHEXAサーガというやつは偶然の賜物です。第一部でも言いましたが、その偶然がうまくはまって作品になった事がまず驚きなのです。思いつきと偶然で出来上がった作品なので、ポケモンが好きな方からすれば全くわけの分からない方向に振れたかも知れません。そもそも私にとってポケモンはさほど重要な順位にないです。優先するものの順位で言えば四十位くらいのものです。ですが四十位だからこそ、少し引いた目線で作れたのかもしれません。

 

 ポケモンが好きな人達からすればこれも一つのアンチなのかもしれません。そういう方々には謝るほかないのですが、私は別にポケモンを嫌いなわけではないですし、ポケモンを否定しているわけでもないです。先に述べたとおり「全てを肯定した上で」作ったのがHEXAだからです。

 

 最後に、絶対にせねばならない事として死したキャラクターへの黙祷があるのですが、今回は全人類規模という事で黙祷が少しばかり大変です。ですが黙祷を捧げましょう。そして、彼ら彼女らが決して無駄に死んだわけではないのは第0話と次の作品『NEMESIS』を読んでいただければ明らかだと思います。

 

『NEMESIS』は新規さんを呼び込みたいという考えによる形式上、ついていませんが「ポケットモンスターHEXA第四部」です。その辺りもちょっと頭に置いてもらえるとより楽しめるかと思います。

 

 さて、HEXAという物語は消失点の向こう側に消え、次の物語へ。

 

 この世界は終わらない。

 

 旅路の果てにある世界は無限大です。

 

 2014年 12月13日 オンドゥル大使より

 

 

 ……追記、ポケモン最新作で並行世界の可能性が示唆されたことについて。

 

 メガシンカの存在しない世界、あるいは最終戦争の存在しない世界、技術が発展していない世界。夢が広がりますね。

 

 その夢の一端に少しでも触れられる事を願って。

 

あとがき+

 

 どうも、あとがきにて失礼します。オンドゥル大使です。

 上記のあとがきを見るに、当時は「イキって」いたなぁ、と思い出してしまいますね。

 ですが、何はともあれ、2021年現在、ポケモンコンテンツは続いており、何ならダイパリメイクにポケモンレジェンドと、私が想定した遥か上を行くコンテンツになりましたね。まぁ2014年時点で既に、ではあったのですが、あの辺りって確か、ORASのエピソードデルタで変なケチがついたりしていた頃なので、若干この先にポケモンが続くのか、不安定だった時期でもあります。

 とはいえ、ポケモンは継続し、何ならソードシールドでさらなる高みへと到達したといえるでしょう。

 なぜ、ハーメルンでこのHEXAシリーズをやろうと思ったのか、そういえば紐解いていませんでしたね。

 それはある意味では置いておける場所を作っておきたいというのと、身内めいた場所での公開ばかりでしたので(ピクシブは別ですが)、広い世界にこの作品を解き放ちたかったというのもあります。

 むろん、解き放ったからと言って評価されるわけではありません。

 ですが、現状満足しております。

 自分はポケモン二次を書くことによって、今日のある意味では特殊な仕事につくこともできていますし、何よりもHEXAがなければこうも書くことに情熱を燃やすことはできなかったでしょう。

 NOAHは特にある意味では傲慢めいたお話で、そして夢落ち楽屋落ちに近いオチです。

 しかし、これは自分の黒歴史などでは決してなく、むしろ誇りたいものでもあるのです。

 これを書けたからその先の四部から向こうのHEXAも書けているのだと思います。

 だから、NOAHという作品には感謝さえもしているのです。

 この作品においてキーパーソンであったキャラクター、ヨハネ。彼は、偶然とはいえ、同時期に更新したHEXA第七部のキャラクターでもあります。彼に関しては七部のあとがきで掘り下げますが、NOAH時点では完全な悪のつもりで書いていました。

 あらゆる犠牲を物ともせず、自分が正義も悪も超越したとのたまう傲慢さ――それはある種の自分であったのかもしれません。

 作者である私そのものの傲慢さがヨハネを通じていた可能性はあります。

 ですが、あとがきにも書いた通り、首藤剛士さんの没プロットを基にして正解であったと思っています。

 巷では、というか最近のポケモン映画だと割とがっつり首藤プロットを採用しているのが見受けられます。(キミに決めたやみんなの物語など)。なら最初からそれをすればよかったのではとも思うのですが、おそらくその道筋ならポケモンはここまで長く愛されなかったでしょう。

 寄り道やわき道に入ったりしたからこそ続くコンテンツもあります。

 私は素直にアニポケに関してはあまり楽しめないので言及しませんが、そういうのもありなんだな、と思って見ています。

 そう思うと少し心が狭かったかもしれませんね。

 ポケモン二次創作で調べても千差万別です。

 人によってポケモンの価値観はまるで違います。しかし、それがとても尊い代物であることを今は実感しています。

 HEXAシリーズはそういう点で言えば保守的であるのかもしれませんが、これから先――最新部、第十部『AXYZ』を経て、私はポケモンひいてはHEXAシリーズから一度一線を退こうと思っています。

 それはここまで書いてきたのだからもういいだろうというのと、自分でも自家中毒めいたものになりつつあるので、一度リセットして向き合ったほうがおもしろいものが書けそうだという期待もあるからです。

 いずれにせよ、まだHEXAシリーズは第八部が残っていますので、七部のあとがきにはそれも書きたいと思っています。

 改めまして、ハーメルンにてこの作品を読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

 期待に添えるかはわかりませんが、第十部まで、全身全霊で向かいたいと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。

 

2021年3月23日 オンドゥル大使より

 

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