ポケットモンスターHEXA NOAH   作:オンドゥル大使

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第三章 四節「デュアル」

 

「考え過ぎよ」

 

 監房に引き返すと、女性はクロスワードパズルと悪戦苦闘しながら声を振り向けた。イシスは二段ベッドの上で脚を組んで考え込んでいる。カメテテは出しっ放しにしていた。ぺったんぺったんと伸縮させながら這い進む。

 

「でも、そう単純とは思えない」

 

 イシスの声に、「何を聞いたのかは知らないけど」と女性は前置きしてから話す。

 

「あなたは深刻だわ。そう考え込むような問題じゃないと思うけど」

 

「じゃあ、あんたにはこの問題は簡単に解けるのか?」

 

「無理難題よ」と女性は肩を竦めてクロスワードをペンで指し示した。持ち込むことが出来るのは自傷防止のために先端の丸いマジックペンだけなので一度解答を間違えると消せない。

 

 今、自分の前に屹立している謎もそうだ。一つでも足の置き場を間違えれば踏み外してしまいそうである。

 

「わたしにはこの問題を解く義務がある」

 

「肩肘張ったって仕方がないわ」

 

「そりゃ、そうかもしれないけれど……」

 

 イシスは問題を頭の中で整理した。決して覆らない事実だけを並び立てる。

 

 死んだのはランスの後に看守。

 

 ランスがロケット団幹部である事を打ち明けるのはノアの目の前でなくてはならない。

 

 ランスの目的が何であれ、ノアと接触する事に意味があった。

 

 ノアはポケモンを繰り出していた。

 

 ここから導き出される答えは――。

 

「……駄目だな。まだ分からない」

 

 答えに至るピースが足りないのだ。それではパズルを解く事が出来ない。イシスがベッドに横たわっているとカメテテが水音を発した。どうやらこのカメテテは鳴かないらしい。代わりに水音でコミュニケーションを図ろうとしているのである。カメテテから水が漏れ出して床を濡らす。

 

「あーあー」と女性がカメテテに歩み寄った。

 

「〈デュアル〉ったら、またそんなにして……」

 

「〈デュアル〉?」

 

 聞き馴染みのない言葉にイシスが上体を起き上がらせる。

 

「何の事? それ」

 

「この子の名前よ」

 

 女性はカメテテを抱き上げて赤子をあやすように、「よしよし」と言った。イシスは迫害の目を向ける。

 

「……そんな眼で見るのはよして。この子だってポケモンなのよ。だったら、ニックネームで呼ぶ権利くらいはあるわ」

 

「だとしても、それはわたしのポケモン」

 

 別に権利関係を主張するわけではなかったが、自分の物に勝手な名前をつけられるのは気分がいいものではない。

 

「でも、いつまでもカメテテじゃ、愛着がつかないじゃない」

 

「いらないよ、そんなの」

 

「じゃあ、パートナーポケモンの事をどう呼んでいたの?」

 

 女性の質問にイシスは自分のかつての相棒だったダイケンキの事を思い返す。暫時、沈黙を挟んでから、「……普通に種族名」と答えた。

 

「駄目よ」

 

 女性の声はどこか責め立てるような勢いさえ持っていた。イシスは覚えず気後れする。

 

「パートナーにはそれに相応しい名前がないと。いい? 名前がない事は存在しない事と同義なのよ」

 

「そこまで深刻に考えてやる必要はないだろう。どうせポケモンなんだし」

 

 それに、とイシスは目線で付け加える。カメテテは今のところ役に立った素振りはない。動きも鈍く、もし動きの速い格闘タイプにでも遭遇したら一瞬にしてやられそうだ。

 

「単一水タイプならば、まだ利用価値があったのに、岩付きじゃあな。素早さも遅いし、何かの役に立つとは思えない」

 

「酷い事を」と女性は糾弾する。イシスは肩を竦めて、「そんなに悪い事?」と聞き返す。「〈デュアル〉だって傷ついているわ」

 

「……あのさぁ、その〈デュアル〉っての、どこから付けたの? もしかして触手が二本だから?」

 

「そうよ。いけない?」

 

 イシスは言葉をなくした。何と安直な、と顔を覆いたくなる。

 

「でも〈デュアル〉って呼ばれて、この子も喜んでいるわ」

 

 イシスはカメテテの表情に目を向けるが、仏頂面が崩れた様子はない。

 

「反応してないんじゃない?」

 

「してるわよ。私はこれでもブリーダーだったんだから」

 

 ポケモントレーナーばかりが、何もポケモンの専門分野というわけではない。中には育成のみに特化したブリーダーという職業も存在する。ブリーダーはポケモンを育てる事に秀でており、ポケモンフードや生態などを調査機関に報告したり開発したりするのが主な仕事であり収入源である。

 

「驚いた。ブリーダーだったんだ」

 

「そうよ。だから、ポケモンの事は分かっているつもり」

 

「何で、そんなあんたがふたご島刑務所に?」

 

 訊いていいのか分からなかったが、イシスは話の種に、と尋ねていた。同じ監房には収監期間の長い囚人が同室となる。この女性は自分よりもこの場所に長くいるはずだ。女性は一瞬だけ顔を翳らせたが、イシスの質問には答えた。

 

「ポケモンが大好きだった」

 

「うん」

 

「家族よりもポケモンを優先した生活をしていた。だから、子供をないがしろにしてしまった」

 

 イシスはその言葉の行きつく先を何となく察した。女性はそれ以上言葉を重ねようとしなかった。

 

「愛情はなかったの?」

 

「もちろん、あったわ」

 

 カメテテ――〈デュアル〉を抱きかかえながら女性は言葉を返す。

 

「世界中の何よりも愛しているつもりだった」

 

「じゃあ、どうして」

 

「結局のところ、ポケモン以上に私が愛せるものはなかった、という事よ」

 

 その言葉に全てが集約されているような気がした。この女性の罪。それは偏愛だろう。

 

「育児放棄で十三年。私はそんなつもりはなかったんだけど、夏場の事だったから余計に残虐性が強いって判断されたみたい」

 

 イシスは言葉を返そうとして気の利いた言葉など自分の中にはない事に気づいた。彼女の傷を癒す事も、慰める事も出来ない。訊いておいて、それは酷く卑怯な事に思えた。

 

「でも、そういう人は珍しくないだろう」

 

 自分の口から滑り出た言葉にイシスは反抗出来なかった。何とかしてこの空気を打破したいと考えたのだろう。黙っていたほうがいいのに、と思いつつも口からついて出る言葉には逆らえない。

 

「ポケモンのほうが人間よりも大好きだっていう人は大勢いるし、あんたが特別異常だって事でもない。そりゃ、不幸な事故だろうさ。残虐性なんて後付けだ。結局のところ、あんたのような人間に受け皿がない社会が不適合の烙印を押したに過ぎない」

 

 自分でも惨い事を言っているのが分かった。しかし、口にした言葉は取り消せない。イシスは最低だと罵声を浴びせかけられるのを覚悟していたが、女性は柔らかく微笑んだ。

 

「優しいのね、イシスちゃん」

 

 イシスは、「何でさ」と仏頂面で答える。女性は、「〈デュアル〉もそう言っているわ」と岩の体表を撫でながら口にする。

 

「あなたのそういうところに惹かれているみたい」

 

「よせよ。キモチワルイ」

 

「でも、〈デュアル〉はあなたの事を気に入っているみたいよ」

 

「わたしが気に食わない」

 

「ポケモンは人間以上に人間の感情には敏感だわ。だからこそ、分かる」

 

 イシスは鼻を鳴らしてベッドに寝転がった。自分の明け透けな心を吐露されるのは酷く惨めな気がしたのだ。

 

「ねぇ、イシスちゃん。あなたは、だからこそ、真実を追い求めるのでしょうね」

 

 イシスは手の甲を額に当てて考えた。冷たく強張った体温を伝える。

 

 ――真実。

 

 それはどこにあるのだろうか。自分が手にするのに値するものなのだろうか。どうしてだか、心の奥底にはノアを憎む気持ちがある。しかし、それと同様にノアの事を客観的に追い求めている自分も存在する。

 

 ノアに何が降りかかったのか。今、ふたご島刑務所で起こっている事は何なのか。

 

「……わたしに、何が出来るんだよ」

 

「何かを成すんでしょうね。私には分からない、大きな何かを」

 

 そんな大層な器ではない。イシスはそう返そうとして、ある可能性に思い至った。身体を起き上がらせ、「なぁ」と声をかける。再びクロスワードパズルに向かおうとしていた女性が顔を振り向けた。

 

「新しく入った囚人は、自分より長くこの刑務所にいる囚人と一週間だけ同室になる決まりだよな?」

 

「そうだけど」

 

「だったら、ノア・キシベにも同室の人間がいたって事だ」

 

 イシスは二段ベッドから降りて、女性に尋ねる。

 

「知っているか? そいつの監房」

 

「そりゃ、知っているけど。でも、行っても無駄よ」

 

「何で?」

 

「ノアさんが捕まってから、随分と塞ぎ込んでいる様子だし。食事にも出てこないって有名よ」

 

「何で有名なんだ?」

 

 囚人同士とてプライバシーがあるだろう。その囚人だけが有名な理由が分からない。女性は片手でペンをいじりながら、「だって、その人、確か小説家だったって」と口にする。

 

 イシスは目を見開いた。

 

「何だって? 小説家?」

 

「うん。そうだけど……」

 

 女性が気後れした様子で頷く。

 

「何かあった?」

 

「何かも何も……」

 

 自分達が収監される前、留置所で騒ぎを起こした小説家がいた。しかし、あれは新規の囚人のはずだ。もし同じ時期に収監されたとしても同じ監房になっているとは思えない。だが、この偶然の一致がただの偶然と捉えていいものかとイシスは考えていた。

 

「何かあるかもしれない」

 

 漠然とした感情の矛先にイシスは尋ねていた。

 

「その囚人の監房は?」

 

 

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