ポケットモンスターHEXA NOAH   作:オンドゥル大使

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第五章 二節「コイントス」

 

 イシスと別れ際に骨折した腕をタブンネが「いやしのはどう」で治療した。イシスは折れたはずの腕を動かしながら、「因果なもんだ」と苦笑する。

 

「わたしの腕を折ったポケモンに治療されるとは」

 

 ロキはノアの指示した計画通り、イシスの治療を終えると自らの役目に戻った。その背中を見送りながらノアは呟く。

 

「あの子も被害者だった。あの人の」

 

 それだけではない。世界の敵の娘。自分と似た境遇の子供だった。ノアの感情を読み取ったのかイシスが口にする。

 

「恨みつらみで戦ったっていい事はない」

 

 まるで自分も経験したかのような言い草だった。ノアは、「そうね」と首肯する。

 

「あの人には何としてでも勝たなければならない。そのためにもっと強くならなくては」

 

 ノアはモンスターボールを手に取る。中には〈キキ〉が入っている。〈キキ〉も決意を新たにして赤い双眸を向けてきたような気がした。

 

「強くなるには近道なんてない」

 

 イシスが監房の前にある手すりにもたれかかりながら呟いた。

 

「お前は、きちんとその道を通ってきたんだろう?」

 

 碧眼がノアを見つめる。ノアは微笑みを返した。

 

「そうね。でも、決着は、あたし自身の手で」

 

「そのために、今は休まなくてはな。わたしは房に戻るよ」

 

 イシスが片手を振って歩いていく。ノアは自分の計画が本当にうまくいくのか少し心配になった。その背中に声をかけようとしたが、自分が立てた計画に自分で穴を開けるようなものだと拳を握り締めて堪えた。

 

 監房に戻ると小説家が、「あと三日ね」と告げる。

 

「そうね」とノアは頷いた。

 

 最初の一週間。公に思想犯同士が同じ監房にいられた時間は消え行く。「寂しくなるわ」と小説家は言った。

 

「あたしは寂しいよりも早く来てくれないかと思っている」

 

「前向きなのね」

 

 小説家はスリープに視線を向けた。スリープの認識を食う能力ならばいつまでも小説家は居座ることが出来るだろう。しかし、それでは駄目なのだ。ノアは硬く決意する。

 

「あたしは、一人になる必要がある」

 

 それは先ほど説明した計画における絶対条件だった。小説家は、「肩肘張る必要なんてないのよ」と優しく口にする。

 

「この作戦、私はどっちかって言うと反対。だって、ノア。あなたが犠牲になる」

 

「誰かの犠牲なくしてあの人には辿り着けないわ。それにこの状況、絶対動きがある」

 

 イシスとロキがノア側に付いた時点で何らかの策を講じている可能性もあったが、ノアはそれさえも見越して計画を明示した。

 

「ノア。ひたむきなのはいい。前向きなのも、とっても素敵。でも、一人と独りは違うのよ」

 

 小説家の言葉に、「何かの引用?」と尋ねる。小説家は眉をひそめて、「失礼ね。オリジナルよ」と答えた。

 

 ノアはふっと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝点呼の前に看守がそれぞれの監房を訪れた。もちろん、ノア達の監房にも、だ。

 

「666番、276番」

 

 小説家は認識を操っているので随分と若い番号で呼ばれる。看守は、「来い。666番」と命じる。ノアは返答して看守に付いて行った。

 

 監房のいたるところから蜘蛛の子を散らしたように人々が出て行く。新入りの囚人は最初の一週間を終え独房に移されるのだ。思想犯同士を固めておくわけにはいかないという刑務所側のシステムである。看守からしてみれば模範囚である小説家は動く必要がなかった。

 

 ノアは声をかける。

 

「ロキ。無事に来られたのね」

 

 その言葉に前を向いたまま看守は答えた。

 

「何とかね。この配置になるように動くのには苦労したんだから」

 

 看守の姿のまま幼い声が応じる。

 

 ノアが三日前に立てた計画通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい? あたし達は散り散りになる必要がある」

 

 ノアの放った言葉に三人ともが目を見開いた。

 

「何を言っているんだ? せっかく共闘の機会を得られたのに」

 

 イシスの言葉にノアは落ち着いて返す。

 

「駄目よ。多分あの人はそれを警戒してくる。これまで以上に卑劣で凶悪な敵が来ると考えていいわ。それらといちいち戦って消耗するのは得策じゃない」

 

「でも、ロキのタブンネなら回復が出来るよ」

 

 ロキの言葉にノアは、「それでも」と応じる。

 

「それを見越して相手は動くでしょう。真っ先にロキを潰せば回復は出来なくなる」

 

 その声の厳しさにロキは目を慄かせた。小説家が、「大丈夫よ、ロキちゃん」と慰める。ノアは言葉を継いだ。

 

「ロキには最も安全なところにいてもらうわ。そうでなければあたし達は遠からず全滅するでしょう」

 

 ノアは最悪のケースを予想していた。あの人がこれまで以上の戦力を持って潰しにかかるという予想。あり得ない話ではない。今回のロキだって自分を倒せば終わっていた。

 

「固まるのは得策ではない、か」

 

 イシスが納得した声を出す。小説家は、「でも、でも」と何か言いたげだ。

 

「一人じゃ出来る事も少ないわ」

 

「いいえ。逆に考えるのよ。一人ならば、一人分の戦力しか充てられないって」

 

「その根拠は?」

 

「イシス。今まで何人もの刺客を見てきたって言っていたわよね。そいつら全員であたしを潰す事も出来たし、小説家なんて一撃で殺せたでしょう」

 

「一撃で、は酷いわ」という小説家の文句は無視する。

 

「それをしなかったのは」というノアの言葉のあとを引き継ぐ。

 

「刑務所を刺激したくないから。あの人は大きく動く事を恐れている」

 

 ノアは頷いた。国際警察だからと言ってカントーの刑務所で独自に動くだけの権限は与えられていないのだと推測される。好き勝手動けばやられるのは自分だ、という認識もあるはずだ。

 

「あの人はあくまでも刺客によるあたしの無力化を狙っている。そこを突く」

 

「方法があるのか?」

 

 イシスの疑問にノアは頷いて答えた。

 

「あたし自身が一人になればいい」

 

 ノアの言葉に真っ先に返したのはロキだった。

 

「ダメだよ、お姉ちゃん。一人になんてなったら相手の思う壺じゃ――」

 

「それを利用するのよ、ロキ」

 

 遮ってノアは笑みを浮かべる。ロキは理解出来ていないのか小首を傾げた。イシスが、「そうか」と顔を上げる。

 

「あの人の目的はあくまでノア、お前だ。わたし達が張り付いていれば余計な戦力を回すはめになる。それはあの人の絶対的な地位を保つためにも出来ればしたくない苦肉の策なんだ」

 

 ノアは首肯した。

 

「刺客を増やすという事は自分に対抗できる策も増やすという事。もう三人も仲間になっているんだから、これ以上の損失は防ぎたい、と思うのが当然よね」

 

 小説家がようやく理解したのかハッとノアを見つめた。

 

「まさか、囮になるって事?」

 

 ノアは、「そのまさかよ」と答える。ロキが声を上げた。

 

「おとりなんて、危険すぎるよ」

 

「だから、あんたが必要になってくるのよ、ロキ」

 

 唐突に名前を呼ばれてロキは疑問符を浮かべる。ノアはロキの肩に手をやった。

 

「あんたの変身能力。それを使って看守に潜り込んで欲しいの」

 

 できる? と問いかけた声にロキは気後れ気味の答えを寄越す。

 

「できるけど……。でも、それが何だってお姉ちゃんの役に?」

 

「最初に看守達が告げたこの刑務所のルール。覚えてる?」

 

 ノアはイシスと小説家へと声を振り向けた。

 

「最初の一週間は模範囚と共に過ごす。この刑務所のルールを知るために」

 

 澱みなく返したイシスに頷き、「あと三日」とノアは言った。

 

「そうすればあたしは独房入り。イシスは、もう独房みたいなものだから多分、変更はなし」

 

 ロキはさらに不安げに表情を翳らせる。

 

「独房なんて入ったら、連絡がとれなくなるよ」

 

「だからこそなのよ、ロキ。独房に入るという事は恐らく看守か誰かを通じてあの人の耳にも入る。つまり、公に一人になったとあの人に思わせることが出来るというわけ。ロキ、あんたには連絡役を頼みたいのよ」

 

 ロキはそこで看守に抜擢された理由を悟ったようだ。

 

「……だけど、どうやって? 無線連絡なんて使えないし」

 

「脱獄警報よ」

 

 ノアはすぐさま答えた。小説家が、「ああ」と納得する。

 

「あれを連絡代わりに使うわけね」

 

 ノアは頷き、「脱獄警報ならば、刑務所のどこにいても聞こえる仕組みになっている」と続けた。その仕組みは小説家との戦闘時に確認済みだ。

 

「あたし一人になればあの人は自分に近い刺客か、または自分自身で打って出る可能性が高い。あたしは自分の力であの人の情報を手に入れる」

 

 発せられた宣告にロキが息を呑んだ。小説家も、「危険だわ」と頭を振る。

 

「推奨は出来ない」

 

「でも、そうでもしなければあの人の情報は手をすり抜けて行くばかりよ」

 

 ロキのような例は特別だろう。このままではお互い消耗戦を続けるばかりだ。どこかで決着を打つ必要性がある。

 

「だから、こちらから仕掛ける、というわけか」

 

 イシスが骨折してギプスを巻いた腕に視線を落とす。

 

「わたし達が固まっていると知れば、今回のようなからめ手で攻めてくる。応戦は難しくなる一方だ」

 

 ノアは緊張の面持ちを伏せた。

 

「あたしはこの計画に乗ってくれないかと思っている」

 

 もちろん、あの人が慎重に事を進めるために自分で動かない可能性もある。これまで以上に過酷な戦いに身をやつす可能性も捨てきれない。

 

「これに乗るにはわたし達は三日間、連絡を取り合わない事だ。その間にも自分達のベストコンディションを見極めねばならない」

 

 難しい、と言外に付け加えられた声音だった。ノアは、「それでも」と言葉を重ねる。

 

「あの人を倒せる方法を、一刻も早く見つけ出すために」

 

 皮肉なものだ、とノアは感じる。打倒するために集まった人間達が唯一取り得る方法が解散だとは。ノアの言葉を吟味するような沈黙が降り立った。この計画が駄目ならば自分達は今まで通り固まって連携する事だが、既に番人からは見離され、今回の一件でその連携も磐石でない事が暗に示された。

 

 決断を、自分達は迫られているのだ。進路か、退路か。それとも停滞か。

 

 ノアが唾を飲み下すとイシスはポケットから何かを取り出した。それは一枚の硬貨である。

 

 器用に親指に乗せてイシスは手を突き出す。ノア達が怪訝そうに見守っていると、「賭けよう」とイシスは言った。

 

「今回の計画、乗るに足るものかどうか」

 

 その行動に小説家が覚えず立ち上がった。

 

「ちょっと! ノアの決意をそんなもので!」

 

「こんなもので揺らめく決意ならば、それは決意とは言わない。ただの性質が悪い博打だ」

 

 小説家の言葉をイシスは涼しい様子で受け流す。ノアはイシスの眼を見据えた。碧眼は本気の色を湛えている。

 

「いいわ」

 

 ノアの言葉に小説家とロキが同時に振り返った。

 

「そんな! だってノア。あなたが決心して立てた計画をこの子は賭けなんかで台無しに」

 

「その程度で台無しになるなら、最初からそんな提案はするな、でしょう? イシス。あんたの言いたい事は分かっている。どうするの? 表が出れば乗る。裏が出れば乗らない?」

 

「それでいいのならば」

 

 二人の間に緊張が降り立った。小説家とロキはその緊張に狼狽しているようだ。決して争おうというのではない。むしろ逆だ。この機会に確かめねば永遠にその機会は失われる。ノアは直感していた。

 

「コイントス、一回。表が出ればあんたもこの計画に乗って。裏が出たら好きにしていい」

 

 小説家が、「やっぱり駄目よ、こんな――」と声を上げる前にイシスはコインを親指で弾いていた。コインが銀色の軌道を描いて宙を舞う。小説家とロキが瞠目する。ノアは静かな心地で見据えていた。イシスがコインを手に取る。掌が開かれると、コインは表を示していた。イシスが鼻を鳴らす。

 

「どうやら賭けには勝ったようだな」

 

 コインをポケットに入れてノアを見つめた。ノアは、「乗ってくれるのよね?」と確認の声を出す。

 

「ああ。やるさ。ただし、賭けに勝っただけでまだ勝負の段階じゃない」

 

「それはあたし次第だわ」

 

 まさしくそうなのだろう。これからの自分の行動が全てを決定付ける。ノアの覚悟に小説家が息を漏らした。

 

「心臓に悪い」

 

「ごめんなさい。でも、どうしても確認しなくちゃいけなかったから。この計画、もし一歩でも違えれば取り返しのつかない事になる」

 

「分かっているわ。私はノアを信じているから。ただコイントスは少し横暴だと思っただけよ」

 

 小説家の苦言にもイシスは表情を変える事はない。イシスとて本気だったのだろう。ノアは、「いいわね、イシス」と継げた。彼女は首肯する。

 

「この計画を進める」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 看守姿になったロキはノアを独房へと導いた。他の囚人達と変わるところは何一つない。端に硬そうなベッドがあり、下水の臭いが僅かに漂っている。

 

「お姉ちゃん。本当にこんなところで」

 

「大丈夫よ。ロキ、あんたは指定しておいた通りにあの人に動きがあったら報せて。それ以外にはあたしの事は放っておいてくれていい。絶対に、勝手な真似は、例えば暗殺なんかは企てては駄目」

 

 ロキは一瞬でもその事を考えていたのだろう。息を呑んだのが気配で伝わった。一人で暗殺なんてさせるわけにはいかない。ロキだけを危険に晒す事はあってはならない。

 

「でも、お姉ちゃん――」

 

「あまりあたしに関わり過ぎると看守達から疑いの目を向けられる。あんたは自分自身で生きなければならないの」

 

 ノアの厳しい声音にロキは言葉をなくしたようだった。やがて、「分かった」とロキは踵を返した。

 

「……ごめんなさい、ロキ。こんな事しか言えなくって」

 

 その姿が遠ざかってから小さくこぼす。本心では独房に移る事は不安だった。今までのように誰かと一緒にいる事は出来ない。頼れるのは自分だけだ。

 

 ノアは独房で明滅する電灯を見上げる。孤独感を深めるかのように薄暗い。ベッドの上に腰かけてノアは呟く。

 

「負けない。必ず、もっと強くなって見せる」

 

 

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