ポケットモンスターHEXA NOAH   作:オンドゥル大使

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第七章 五節「ポケモン亜空間Ⅰ」

 

 黒い地球儀と実存世界との間には緩やかな河の流れのような空間が存在していた。糸を思わせる細長い通路の空間にノヴァとヨハネは立っている。ノヴァの瞳は赤く染まっていた。能力を行使しているのだ。

 

「お前の生み出した空間――ポケモン亜空間とでも名づけようか、それを自在に操る事は出来ないのか?」

 

 ヨハネの質問にノヴァは肩越しの視線を振り向ける。手には黒い砂が落ちる砂時計があり、ゆっくりと時を刻んでいる。ヨハネは窺えるポケモン亜空間を望み、「このままではお互いのスタミナ切れを待つばかりだ」と口にする。

 

「そのような悠長な暇を相手だって待っているはずがない。このまま三日後の日食を待機する手もあるが、それだと時間がかかりすぎる。チャンピオンとR01Bが合流してこないとも限らない。向こうは我々の気配を察知出来るのだからな」

 

「……喧しいんだよ。オレの能力だろうが」

 

 ノヴァの声にヨハネはちらと目を向ける。

 

「私に言ったのか?」

 

 その言葉に暫時沈黙を返してから、「ポケモン亜空間から脱出する術はありません」と答える。

 

「オレの能力は無敵です」

 

「しかし、外ではイシスが待機している。もし、イシスに応援を呼ばれればさしものポケモン亜空間といえども不利に転がるのでは」

 

 ノヴァは何も言わなかった。手元にある砂時計に視線を落とす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、ノアが心配だ」

 

 イシスはロキとのやり取りを続けながらその結論に達した。リョウとルイを待っている暇はない。そのような間にもノアは命の危機に晒されているのだ。

 

「わたしは行く。ロキ、お前はもしもの時のためにリョウとルイを待っているんだ」

 

「でも、イシス。お姉ちゃんは待てって……」

 

「いくらなんでもずっと待っていろってのは無理がある。それにノアはたった一人だ。もし、向こうがノストラみたいなのを従えていたとしたらヨハネを含めて二人以上はいる。不利なのには違いない」

 

 イシスはロキの制止を振り払って黒い地球儀の前に立った。眼前の皮膜は半透明で内部の空間が圧迫されている風ではない。

 

「重力だとか、そういうのを操る能力じゃなさそうだな。だとすれば、この風景の向こう側はどうなっている?」

 

 イシスは唾を飲み下した。〈セプタ〉が隣に侍っているとはいえ能力に関しては未知数だ。正体の掴めない相手と戦っている時点でイシスは緊張した。ふたご島刑務所でヨハネを前にした時、自分は動けなかった。クラックの能力の前に無力だったのを思い出す。

 

「わたしだってやられてばかりじゃない。ここでノアを助けなくってどうする」

 

 イシスは〈セプタ〉に命じた。

 

「〈セプタ〉、シェルブレード!」

 

〈セプタ〉の腕から水の剣が顕現し、黒い地球儀を切り裂いた。しかし、皮膜はすぐに修復される。

 

「リフレクターだとか光の壁みたいなものじゃない。これは物理障壁でも、特殊障壁でもない」

 

 言い換えるのならば霧のようなものだ。それ自体に攻撃性能はない。イシスは迂闊に飛び込むのは危険だと判断した。ノアを助け出さなければならないが、考えなしに飛び込めばそれどころではなくなる。

 

 ――〈セプタ〉で打てる手を全て試してみるか。

 

「ストーンエッジ」

 

〈セプタ〉の腕に周囲から巻き上げられた砂煙が集束していく。それらは巨大な岩石の刃を形成した。〈セプタ〉が腕を振り上げ、岩石の刃を打ち下ろす。隕石のような一撃はしかし黒い地球儀に大した影響は与えなかった。矢継ぎ早にイシスは指示を飛ばす。

 

「クロスチョップ!」

 

〈セプタ〉が跳躍し、皮膜へと十字の手刀を打ち下ろした。しかし、何かが変化した様子はない。イシスは考えを巡らせる。

 

「水、岩、格闘のタイプを試してもどれも有効ではない、という事は、これはポケモンによる攻撃ではないと判断するべきか」

 

 ならばノストラのようにアンノーンを操っているわけではない。この現象は精神に介入するものではないと判断出来る。

 

 その時、黒い地球儀の内側から人影がこちらへと歩いてきた。民間人か、と思っているとその影は明確な形を取った。イシスは息を呑む。それは刑務所の中で同室だった女性である。ジバコイル使いの女だ。

 

「お前は! 倒したはず……」

 

 女はジバコイルを伴ってイシスへと駆けてくる。イシスは〈セプタ〉に指示を飛ばした。

 

「野郎! どうして。〈セプタ〉、シェルブレード」

 

 その一撃をジバコイルが受け止めた。しかし、攻撃する気配はない。女は黒い地球儀の皮膜からは出て来なかった。まるで境界のようにその場で足を止める。

 

「よくも、私を殺してくれたわね」

 

 女の声は明瞭に耳朶を打った。イシスは舌打ちを漏らす。

 

「お前が、ヨハネの仲間だったから」

 

「それはあなただって同じでしょう? どうして、ノア・キシベに肩入れするの?」

 

〈セプタ〉がもう片方の腕で下段からジバコイルを突き上げる。ジバコイルの下部に穴が開いたがジバコイルは鳴き声一つ上げない。

 

 何かがおかしい。それは分かっていながらもイシスは判別がつかなかった。

 

「あの人を裏切ったのが悪いのよ。ノア・キシベには破滅の道しか待っていないのに」

 

「黙れ! お前に、ノアの何が分かるって言うんだよ!」

 

〈セプタ〉がジバコイルを打ち落とす。しかし、ジバコイルは赤い単眼を〈セプタ〉に向けると、U字磁石の腕で突き上げてきた。〈セプタ〉は後ずさる。それでもジバコイルは境界から出ようとしない。

 

「全ての根源に、宇宙がある」

 

「何を言って――」

 

「大事な話なのよ、イシスちゃん。だって、宇宙がなければ生命は誕生していないんだから。では、その宇宙を生み出したのは何か? この世界ではアルセウスだという事になっているけれど、本当にそうなのか。アルセウスというポケモンが生み出した歴史こそが、この世界の真の姿なのか」

 

 女の言葉は謎かけのようだった。イシスは、「まやかしなど!」と〈セプタ〉に殴りかけさせる。女を守るようにジバコイルが動いた。だが、ジバコイルは普通ならば既に戦闘不能のはずだ。それでも、まるで生命としての機能が存在していないかのように盾となる。

 

「宇宙には根源とするエネルギーがある。その根源が宇宙を形作り、ビッグバン以前の何もない場所に何かがあった。これはとても重要なのよ。何もないという証明。そのためには何かがあらねばならなかった。考えてみて。『なぜ何もないではなく、何かがあるのか』。そこには明確な意味が存在する。たとえビッグバンという現象があったとして、たとえアルセウスという存在があったとして、何故、何もないではないのか。むしろ、何もないという問いが可能な状態であったのか。この世界の根源を揺るがす問い。根源へと問いかけるもの」

 

 女の言葉にイシスは抗弁の口を開こうとして出来なかった。何かを言おうとしてもそれを先回りした問いがあるのは確実だったからだ。

 

「何を言ってやがる……。ふざけているのか。その姿も、その問いも」

 

 拳を握り締めて自らを律する。今にも弾け飛びそうな脳内を制御するには言葉を発するしかなかった。

 

「詭弁だ。全て」

 

「だとしても、肉体が先にあるのか魂が先にあるのか。何故、魂にも肉体にも制限があるのか。むしろ、魂に制限など設けなければ、人間や全ての存在は永遠になれるのではないのか」

 

「黙ってろ! 惑わすような言葉を!」

 

「この問いが可能なのがノヴァの能力。アルケーの能力は根源から魂以外の全てを持ち出す事が出来る」

 

「黙れ!」

 

〈セプタ〉がイシスの感情の昂りに同期して水の剣で女を引き裂く。女は手を伸ばしてイシスを黒い皮膜の向こう側へと連れて行った。

 

「何を――」

 

 その言葉が形になる前に、イシスの意識は途絶えた。

 

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