ANNIHILATOR   作:オンドゥル大使

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EPISODE108 失格

 

 Eスーツ部隊の撤退に併せて、警官隊もどこか及び腰になっていった。

 

 しかし目の前で巻き起こった化け物同士の戦いに、ディルファンスと名乗った人々も恐れを成したらしい。

 

 それぞれが散り散りになる中、マチエールだけがイグニスを見据えていた。

 

「あんた、生きていたんだ」

 

「それもこっちの台詞なんだけれど、蘇生されたって聞いたよ、エスプリ」

 

 イグニスがヘルメットを外す。

 

 そこには変わらぬ相貌のコルニがいた。

 

 纏っている空気も、イグニスを名乗ったあの時から、何一つ変わっていない。

 

 変わったのは、自分のほうだ。

 

「あたしはもう……エスプリじゃない」

 

「なに、エスプリやめたの?」

 

「そういうワケじゃ……。ただ、今まで通りに振舞うのは、もう無理って事」

 

「ああ、あの中心街の。あれやったの、あんたのほうなんだ?」

 

 責任感の欠片もない言葉にマチエールは拳を握り締める。

 

「……あんただって、自分があんな力を持て余したとなれば、逃げたくなるよ」

 

「えっ、逃げたの? Eスーツが壊れたとかじゃなくって?」

 

 無言を肯定とするとコルニはトリプルテールを掻いて言い放つ。

 

「呆れた! あんだけ街の涙を、とか何とか言っていたくせに、逃げたんだ?」

 

「あたしは、街の涙が見たくないだけ……」

 

「でもそれでさぁ、あんた自身がこれからの戦いに逃げてるんじゃ、結局意味ないじゃん。それって街を言い訳にしてるよね。あんた、今の今までミアレを守るって言う、それだけはアタシも買っていたのに、それもなくなったの? ……そりゃ、ヨハネも嫌になるわけか」

 

「……ヨハネ君は、関係ないよ」

 

「関係あるじゃん。だって、ユリーカが捕まって、あんたヨハネ君と二人でしょ? なのに、ここにいるって事が何よりの証明じゃん。ヨハネを裏切ったんだ?」

 

「裏切ってない。あたしは一度だって、裏切ってなんか……」

 

「あんたが裏切ったつもりがなくっても行動が裏切りだよ。ヨハネに関してもそうだし、ミアレに関してもそうだ。あんたの正義ってさぁ、そんな簡単に崩れるものなの? じゃあつまんないわけだ。アタシに勝てないのも頷ける」

 

 突発的に、マチエールは蹴りを放っていた。

 

 聞いていられなかったのもある。

 

 だが何よりも、今までの自分の戦いを侮辱されるのは許せなかった。

 

 その蹴りをコルニは片手で受け止める。

 

「こんなの? あんたの蹴りって」

 

 軽く突き飛ばされて、コルニの蹴りが首筋の空間を掻っ切った。

 

 一ミリでもずれていれば頚動脈を切られている位置だ。

 

 烈風が吹き抜けてその威力を思い知らせる。

 

「前のほうがまだ見れたものだったね。弱くなった、エスプリ」

 

「だから、もうエスプリじゃない」

 

「だったら? もう戦わないって? そりゃとんだエゴだね。今の今までぶんぶん飛び回るだけが能のあるハエだったのに、それがその能さえも失う? 笑える話だけれど、あんたさぁ、もう失格だよ?」

 

 何を、と言われなくとも分かっていた。

 

 自分は失格だ。

 

 正義失格なのだ。

 

 己のために正義を曲げた。その時点で守り手を自称するのはお門違いである。

 

「でも……でもさ! だったらあたしはどうしたらいいっての? もう、どこに行けばいいのかも、分からない!」

 

 振るった拳をコルニはいなしつつ、嘆息をついた。

 

「……呆れを通り越して、もう駄目だね。何にも。あんたさ、今まで散々犠牲にしてきたものがあったはずなのに、それを全部無駄にしてる。ま、無駄にしてるって言う自覚もないか」

 

「あんたなんかに言われなくっても、あたしだって……」

 

 犠牲を踏み越えてきたのに、それを無碍にしているのは自分が一番よく分かっている。

 

 それでも、今回ばかりは折れてしまった。

 

 今の今まで、折れずにいたのが不思議なほど、簡単に。

 

 力ない拳をコルニはひねり上げる。激痛に顔をしかめた瞬間、コルニの拳が飛んできた。

 

 鳩尾へと食い込む感覚にマチエールは意識が飛びそうになる。

 

「嫌気が差す。あんたに、少しでも尊敬していた。アタシがね。あんた達くらいなら、どれだけでも任せられると思っていた。アタシには称号は要らない。でも、あんた達は違う。称号を与えられなくとも、それそのものが立派な行動だと。そう、思っていた時期が、今はこれほどまでに憎々しいよ!」

 

 コルニの怒りの鉄拳が今度は頬を打ち据えた。

 

 あまりの痛みに萎えそうになる気力にコルニは挑発する。

 

「なに? その程度だったの? あんたらの覚悟ってさぁ。アタシみたいなのを、認めないって言っていたのは、どこのどいつだっての? あんた達なら、アタシも任せられた。でも今のあんたじゃない。もう、抜け殻だ。あんたなんて、エスプリを捨てさせるまでもない。もう、完全に、失格だ」

 

 その言葉が最後の一線であったかのように、マチエールの中で何かが弾けた。

 

 吼えてコルニへと猛攻を見舞う。拳と両足による連撃。それでもコルニには遠く及ばない。

 

「あたしだって! 何度も逃げ出したかった!」

 

 感情が堰を切ったようにあふれ出す。

 

 今まで抑えていた本音が喉を破って口をついて出ていた。

 

「もうこれが限界だって、何回言いたかったか! でも、あたしが折れちゃいけないんだって、それはこの街のためにって黙殺してきた。何度も、何度も! あたしがどれだけもがき苦しんできたのか、お前になんて分かるワケない!」

 

 その叫びにコルニも叫び返す。

 

「分かるわけない? 当たり前だよ! 今まで誰も頼ってこなかったあんたの事なんて、誰も関心なんてないだろうさ!」

 

 返された拳が頬を捉える。マチエールは泣きながら拳を見舞っていた。

 

「感謝されたかったワケじゃない! でも、報われるんだって信じていた! なのに、あたしは……あたしの一番憎む連中の血だった! 何も、変えられなかった!」

 

「それはあんたが努力しないからだろ! もうここまでだって線を引いているからだ!」

 

 蹴りが叩き込まれるが、マチエールはその痛みを押してコルニへと接近する。

 

 狙うのは剥き出しになった顔面であった。そこへと狙いをつける一撃のために、幾度も膝を折りそうになる激痛に耐える。

 

「あたしは、そうせざる得なかった!」

 

「口ではどうとでも言える! あんたの境遇がサイアクなら、アタシだってサイアクだ!」

 

「うるさい! あたしの何が分かるって……」

 

「分からないよ! 何もね! だってあんた、何も言わないんだもん!」

 

 ハッとする。

 

 自分は今まで、誰かを頼った事があったか。全面的に任せた事など、あっただろうか。

 

 拳が止まったのをコルニが指で弾いて指摘する。

 

「ほら! 図星じゃん!」

 

「違う。あたしは……おやっさんがいなくなって、ユリーカもいなくなって……。怖かった。ずっと怖かったんだ。あたしなんて、どうでもいいのかもしれないって。誰のために戦っているのか、分からない夜が幾つもあった。あたしは……どこへ行けばいいのか」

 

「それを決めるのは、誰だよ!」

 

 見舞われた拳に唇の端が切れる。口中に滲んだ血の味にマチエールは思い出す。

 

 自分の道を決められるのは、自分だけだ。

 

 辛い時、苦しい時に、戦う事を決められるのは、他でもない。自分だけなのだ。

 

「……あたしだ」

 

「聞こえない!」

 

「あたしだけだって、言っている!」

 

 振るった拳がコルニの拳と交錯し、お互いの頬を捉える。

 

 偶発的なクロスカウンター。

 

 よろめいたのは同時であったが、マチエールは血反吐を吐いてでも、倒れまい、と膝を打った。

 

「絶対に! 倒れない!」

 

 誓った言葉は自分のためだ。

 

 そうだ。世界が自分を否定しようとも構わない。ミアレの街が拒絶しようとも、構わない。

 

 自分の正義を決定出来るのは、最後の最後、自分ただ一人だけ。それだけのシンプルな答えだったのに。それを今の今まで口にする事が出来なかったのは、醜悪であったからだ。

 

 でも、もう構わない。たとえ醜くとも、これが自分だ。

 

 自分の意地なのだ。

 

 コルニは鼻血を擦って言いやる。

 

「覚悟、出来てんじゃん」

 

 彼女が構え直す。こちらも迎撃態勢を取ったところで声が弾けた。

 

「マチエールさん!」

 

 ヨハネだ。

 

 振り返った瞬間、コルニは跳躍していた。

 

「またね」

 

 その行方を見届ける前に、駆け寄ってきたヨハネが自分の腕を引っ掴む。

 

「……ヨハネ君、来たんだ。あたしね……」

 

「マチエールさん、僕が守るから」

 

 その言葉に虚をつかれているとヨハネは声を張り上げた。

 

「絶対に、絶対に守るから! だから、どこへも行かないでくれ! マチエールさんに振りかかる火の粉は僕が受け止める。だから、これ以上……」

 

 そこから先は言葉にならないとでも言うようにヨハネは息を切らした。

 

 マチエールは微笑む。

 

「……何だ。結局、いつものあたし達って事か」

 

 その言葉の自然さにヨハネが面を上げる。マチエールはヨハネの手を引っ張りこんで拳を突き出した。

 

「これ、約束の証。あたしも、もう逃げない。エスプリをやってのける。この街に嫌われたっていいよ。でも、もうあんな、力に呑まれたくはない。そのためには強くならなくっちゃいけないんだ。どれだけでも、強くなる」

 

 こちらの言葉にヨハネは唖然としていた。当然かもしれない。逃げ出した人間のいう言葉ではない。

 

 ヨハネは狐につままれたような顔をしていたが、やがて承服したらしい。

 

 拳を突き出し、コツンと合わせる。

 

「最初に会った時も、これだった」

 

「だね。あたし達の再出発は、これでいいのかもしれない」

 

「そういえば、マチエールさん、どうして怪我を?」

 

「ああ、これは……」

 

 コルニの事を言いかけて、彼女が自分にだけ姿を現した意味に気づく。

 

 コルニはたった一人で戦い抜くつもりだ。もうヨハネに会う事もないのだと思い込んでいるのかもしれない。

 

 あるいは次に会うのは戦場が相応しいという考えか。

 

「いや、チンピラと喧嘩しちゃって……」

 

「ここも物騒だ。ハンサムハウスに戻りましょう」

 

 そうだ。いつだって、帰る場所があるではないか。

 

 おやっさんが残してくれた帰る場所。そこにいけばいつだって、自分は探偵という職務を見失わないで済む。

 

 ――ありがとう、おやっさん。

 

 そして、これからも。

 

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