ANNIHILATOR   作:オンドゥル大使

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EPISODE25 流水

 

 大パニックとはいかなかったが、ミアレ出版は事後処理に追われていた。

 

 ネット上で巻き起こったのは、処分したはずのイイヅカの記事が蒸し返され、それがミアレ出版の「公としての」発表になっていた事だ。間違いであった、という訂正記事はすぐさま発表されたが、その間、二十時間ほど。すぐに噂は広まり制御不能に陥っていた。

 

 ネット上の間違いなどどれだけあくせく穴埋めしてもすぐに駄目になってしまう。一度犯した間違いを修正するのに、その数倍は労力を割かなければならないのだ。

 

「一体誰が……、何の目的で」

 

 編集長代理は事後処理に追われつつも、ホロキャスターにかかってきた通話を手に取った。

 

「今、忙しいんですって!」

 

『ほう、いつからそんな口が利けるようになったのかな。忙しさにかまけて、口の利き方も忘れたか?』

 

 ハッとして編集長代理は声を潜めた。

 

「い、いえ……今のはその……」

 

『手短に話そう。イイヅカ、という記者を消し損なった。今回の騒動はそれに端を発している。しかし……、調べてみたところ君のデスクにメールが来ているようじゃないか。その件のイイヅカ氏より』

 

 編集長代理は慌てて自分の端末に繋げた。メールメッセージに位置情報が付与されている。

 

「こんなもの……!」

 

『呼んでいるのだよ。いや、挑発か。乗るか反るか、と』

 

「し、しかし! こんなもの、彼を騙ったデマカセの可能性も」

 

『もう遅い。草は放たれた。彼を屠るのに適した人材を送ってある。編集長代理、その椅子、与えたままになっていたな。返却の見込みがあると思っていて、わざと見過ごしていたんだが。……今からわたしが帰ろうか?』

 

「……了解しました。静観いたします。ミアレ出版、編集長」

 

『もうその名で活動するのもないと思っていたが。後は君の手腕次第だよ』

 

 通話が切られ、編集長代理は拳を握り締める。

 

「こんな事しか、出来ないのか」

 

 ジャーナリズムが聞いて呆れる。イイヅカが敵対したのもさもありなん。

 

 こんな腐敗したジャーナリズムなど、あってないようなものだ。意味がない。これでは、彼の軽蔑するそれそのものになってしまっていた。

 

 対応に追われる部下達を眺めつつ、編集長代理は口にする。

 

「命のやり取りなど……。そのような場所に踏み入ったつもりはないのにな」

 

 いつの間に影の領域に入ってしまった自分を顧みている間にも状況は転がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分に挑戦状、ですか」

 

 報告を受けたサワは驚愕さえしていた。その送り主についても聞かされる。

 

「あなたが排除対象に挙げていたイイヅカ、という男のようだけれど」

 

 アリアが告げた事実にサワは震えた。仕留め損なった因縁がここに来て芽吹くなど。

 

 しかし、また殺しにいけばいいだけだ。それだけの、シンプルな答えのはず。

 

「Eアームズを」

 

 進言する彼女にサワは頑として首を振った。

 

「使いません。自分には、キックの鬼が宿っている」

 

 サワムラーの単純戦力でもEスーツを纏ったエスプリには勝てる。そう踏んでいたがアリアは忠告する。

 

「二度目はない」

 

「どうでしょうかね。現に組織の中でも二度も三度も与えられている人間がいるようですが」

 

 暗にアリアのポジションへの当て付けであったが、彼女はぴくりと眉を跳ねさせただけで、必死に言い訳はしてこなかった。

 

「大幹部は期待していらっしゃる。Eアームズなしでの偉業、見せてもらえるのかしら?」

 

「ええ。存分に」

 

 サワはエレベーターを使い、ミアレの街の裏側に出た。位置情報アプリを使い、目標の場所へとサワムラーを従える。

 

 一足飛びであった。それだけでサワムラーがミアレの空を舞い、目的の場所へと到着する。

 

 降り立ったサワムラーと自分の眼差しの先に、因縁が佇んでいた。

 

「よう、遅かったじゃないか」

 

 イイヅカの言葉にサワは言い返す。

 

「野暮用があってね」

 

「お連れじゃないのか? 子分は」

 

「自分への挑戦状と、見受けた」

 

「ああ、その通りだよ。――サカグチ」

 

 表の名前を告げられてサワ――サカグチはサングラスを外す。

 

「お前とは、敵同士になるような気がしていた」

 

「出来れば誌面で戦いたかったんだが、現実はこうみたいだな」

 

「ああ、自分が狩る側で、お前が狩られる側だ」

 

「何でこうなっちまった?」

 

「……ジャーナリストだけで家族は養えない」

 

 それが全てに集約されていた。イイヅカも納得したようだった。

 

「……残念だよ」

 

「ああ、自分もだ。友だと、思っていた」

 

 サワムラーが駆け抜ける。脚部が伸長し、イイヅカを捉えかけた。だが、それを阻んだのは現れた少女である。

 

 行く手を遮る少女ごと、葬り去ろうとした。

 

「退けぇ!」

 

「退けない! あたしが、戦うんだから!」

 

 サワムラーの攻撃に僅かなほころびが生まれる。その一瞬であった。少女の掲げた片腕に黒い鎧が吸着していた。

 

 鎧がキックの鬼の攻撃を受け止める。

 

 ただの鎧であるはずがない。黒い鎧に眩く白いラインが走った。

 

「貴様! エスプリか!」

 

「Eフレーム、コネクト!」

 

 バックルを腰に装着し、黒い鎧の群れが台風のように螺旋を描いて少女を保護する。

 

 一つ、また一つと装着され行く姿へと最後にヘルメットが被せられ、バイザーが降りた。黄色いバイザーに「E」を象った文字が浮き立つ。

 

「探偵戦士! エスプリ、見参!」

 

「ちょこざいな! サワムラー!」

 

 サワムラーが一撃を足がかりにしてもう一撃を叩き込もうとする。変身を遂げたエスプリが後退し、いなそうとしたが格闘技の威力には耐えられなかったようだ。

 

 大きくよろめいたかと思うと、直後の蹴りが突き刺さった。

 

 腕を交差させて受け止められた一撃であったが、ダメージは深刻であろう。

 

「言っておくが、お前がエスプリであると分かった時点で、手加減はしない。イイヅカ、お前にも、だ。消せと厳命が降りている」

 

「手加減? 笑わせないで。あたしは、勝ちに来たんだ。そのためなら」

 

「口では! どうとでも言える!」

 

 駆け抜けたサワムラーの放った回し蹴りに、エスプリは片腕を翳している。既に赤く染まった両手両足から炎が迸った。

 

『コンプリート。ファイアユニゾン』

 

 電子音声と共に赤いエスプリがサワムラーと打ち合う。だが、サワムラーのパワーのほうが遥かに上だ。真正面からの打ち合いでも、サワムラーが押し負けるイメージなどない。

 

「キックの鬼を、嘗めるな!」

 

 サワムラーが大きく天上に向けて足を払う。大上段の踵落とし。これが決まればいくら堅牢さが売りのEスーツとて破砕されるであろう。

 

 天を衝く勢いのサワムラーに対し、相手は冷静であった。炎の属性を身に纏い、拳を突き出してくる。

 

「小手調べなどさせん。一撃で、葬り去る!」

 

 脳天を割る踵落としが、エスプリに向けて放たれた。一撃、である。たった一撃で、空間が震え、砂塵が舞い上がった。

 

 月光さえも覆い隠しかねないほどの、砂煙が視界を覆い尽くす。

 

 勝った、とサカグチは確信する。サワムラーの踵落としに、何の抵抗も出来ず、エスプリは叩き潰されたのだと。

 

 視界が晴れた時には、先ほどまでそこにはいなかった少年が立っていた。イイヅカを守り、エスプリへと放たれた踵落としを、繰り出したポケモンで減殺していた。

 

「ゴルバット。空気の層を作り、エアバックにした」

 

 大口を開けた蝙蝠ポケモンの小手先の技に救われたわけか。

 

 ――しかし、とサカグチは手応えを噛み締める。

 

 エスプリへとエアバックで衝撃を減殺したとは言え最大の威力が叩き込まれた事に違いはないのだ。

 

 現にエスプリの両手両足より生じる炎は、能力不足を訴えかけるかのように、しきりに燻り、気配が失せていく。

 

「この!」

 

 エスプリがサワムラーへと駆け抜けてくる。だが、その速度はあまりに遅い。手負いの獣に、最大出力を打つまでもなし。サワムラーは主力ではない両腕でエスプリをいなした。

 

 エスプリは肩で息をしつつ、口にする。

 

「やっぱり、ファイアじゃ駄目か」

 

 ぴくり、とサカグチが眉を跳ねさせた。

 

「ファイアでは? まるで、その先があるかのように聞こえるぞ、ガキ」

 

「そう言っているんだよ。キックの鬼とやら」

 

 バックルに埋め込まれたボールが排出される。ホルスターから抜いたのは別のボールであった。

 

 ――Eスーツを侮るな。

 

 クセロシキとアリアの忠告が思い起こされたが、こけおどしだ。どのようなポケモンであれ、キックの鬼の異名を取るサワムラーの蹴りに比肩するパワーなどあるはずがない。

 

「サワムラー! 回し蹴りを叩き込む!」

 

『ユニゾンシステム。レディ』

 

 待機音声の響く中、エスプリはボールを翳した。

 

「頼むよ、ニョロゾ。あたしに力を」

 

 ボールがバックルに埋め込まれた瞬間、サワムラーのキックがエスプリの胴を引き裂いた。

 

「取った!」

 

 胴体の割られた相手は生き別れになった自身の下半身を目にするだろう。そう確信した――はずであった。

 

 しかし、目を疑ったのはサカグチのほうだ。

 

 胴を叩き割ったに思われたエスプリの身体がゆらゆらと揺らめく。まるで、静かに湛えられた湖面のように。

 

 月光を吸い込み、神秘的な輝きを帯びたエスプリの胴が、まさかの接合を果たした。

 

 引き裂いたはずの相手が何事もなく動いている事にサカグチは肌が粟立ったのを感じた。

 

 これは、恐怖であった。

 

「何をした?」

 

「……ありがとう、ニョロゾ。あたしに、力をくれた」

 

 エスプリの胸部装甲にラインが走る。ちょうど「W」の文字のように青い線が輝き、バックルのボールが回転した。バイザーが青く染まる。

 

『――コンプリート。ウォーターユニゾン』

 

「ウォーター……。水、だと」

 

「エスプリ。それにニョロゾ。流水の心だ。清き水の一撃は、争いに投げ込まれた火を浄化する」

 

 少年の放った言葉にエスプリが首肯する。

 

「ああ。行こう、ニョロゾ」

 

「幻術程度で!」

 

 再び放たれたサワムラーの蹴りがエスプリの肩口へと突き刺さった。よろめいたエスプリの肩が弾力を持って跳ね返ったが、一撃には至っていない。攻撃がまるで通有しないのだ。

 

「キックを、防御するでも、打ち消すでもなく、いなした……」

 

「それが、ウォーターユニゾンの真骨頂」

 

 イイヅカの放心したような声にエスプリが応じる。サカグチはサワムラーに命じていた。何が何でも、目の前の敵を葬れ、と。

 

「ならば、露の一滴までも、消し飛ばす! メガトンキック!」

 

 サワムラーが大きく足を引いて、より強大な一撃を生み出した。自らの体重を預けた渾身の蹴り。それに対応するのは、水の力を得たエスプリの蹴りであった。飛び蹴りの姿勢を取ったエスプリの一撃と、重量級のサワムラーの蹴りが真正面からぶつかり合い……結果、お互いに弾き返された。サカグチには、無論信じられない。サワムラーと同じか、それ以上の蹴りという事になる。

 

「あ、あり得ん。サワムラーの蹴りを、凌駕するなど」

 

「その通り。こちらの蹴りにはさしたるパワーはないよ。ただ、あたしとニョロゾは、それを受け流す心を身につけた」

 

 すかさずサワムラーが叩き込んだ蹴りの一撃で弾け飛んだのは黒い装甲ではなく、水飛沫だ。

 

 何かが起こっている。しかし、自分には解明する手段がない。

 

「水を帯びたというのか……」

 

「そんななまっちょろいもんじゃないよ。あたしは今、水そのものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウォーターユニゾンを使うのに、ニョロゾの協力は不可欠だ」

 

 切り出した声にヨハネは自分でも難しい事を言っているのだと感じた。マチエールは一度、水のユニゾンを試そうとして失敗している。

 

「でもさ、ニョロゾ側に引っ張り込まれたって」

 

 マチエールには試すだけの胆力はないらしい。そもそもユニゾンにどれだけ危険が伴うのかも、自分は充分に理解しているわけではないのだ。

 

「うん、でもニョロゾが教えてくれた。水を制するのには、その心を理解しなくっちゃいけない」

 

「心?」

 

 聞き返すマチエールにヨハネはニョロゾより感じ取った事を述べる。

 

「ニョロゾは、自分の能力の真髄は、水を相手に叩き込む、っていう力押しじゃなくって、相手の攻撃を受け流す、そうだな、言ってみれば流水の心だって言ったんだと思う」

 

「ヨハネ君、言っておくけれど、君よりあたしのほうがニョロゾとは長い。言うまでもないかもしれないけれど」

 

「そう、だから僕の言った事は、推論だ。だけれど、これは客観的視点からの推論。君達がやっているのは主観だけれど、僕ならば推論を、第三者の観点で口に出来る」

 

「……ヨハネ君、よく分からないよ」

 

 そうであろうと自分でも思う。しかし、ポケモンの心を感じ取るのは何も付き合いの長さだけではない。その人間の持つ素質にも左右される。

 

「マチエールさん。僕はトレーナーとしての能力は低いかもしれないけれど、スクールに何年かはいたんだ。それなりにポケモンの心を探る術は心得ている」

 

「ニョロゾは、何て言ったの?」

 

「ニョロゾはこうやって、水を玉にして弾いて見せた。手を掲げて……」

 

 マチエールと自分が同じように手を掲げる。ニョロゾの伝えたかった事は、恐らくこの一事だろう。

 

「どのような堅い水の玉でも、それは柔軟な性格を併せ持つ。一度砕ければ、水は二度と同じ姿を形成しないように映るけれど、それさえも流動的なんだ。水は、必ずしも一定の形状を取る必要はない」

 

「何でそこまで分かるワケ?」

 

 ヨハネはこめかみを突く。

 

「何度か、授業の一環だけれどエスパータイプの思念伝達実験に参加した事がある。例えば、僕がエスパータイプの目の前である図形をイメージする。その図形がどれだけの速度でエスパータイプに伝わるのか。エスパーはその図形の意味まで理解出来るのかって言う実験。実験はエスパーの中でも安定率の高い、ユンゲラーで行われた」

 

「……ニョロゾはエスパーじゃないよ?」

 

「でも、この実験は他のポケモンにも当てはまる実験なんだ。最小限の動作から、ポケモンの最適な行動と思考パターンを推量する。これはトレーナーズスクールなら当たり前に行われている、トレーナーとポケモンの伝達力のテストに使われる。トレーナーはポケモンの状態から最適な技を選択し、ポケモンは自己の状態とトレーナーの心理から、出力を調整、さらに言えば発生させるんだ。この間は実に三十秒ほど。考える時間なんてほとんどない。だって言うのに、これを当たり前に行えているのがポケモンバトルなんだ」

 

 言われてマチエールは納得したのかしていないのか、額に手をやっている。

 

「えっと……つまり、ポケモンバトルが出来るんなら、他人のポケモンの考えもある程度分かる、って事?」

 

「そういう事だね。ユリーカさんは、こういう事言わないの?」

 

「ユリーカははーどうぇあ? 専門だから。そういう戦いだとか、自分は向いていないって思っている」

 

 ハードウェア専門か。ユリーカらしい判断だ。

 

「じゃあマチエールさんはソフトウェアだ。実際に行動するわけだから、それなりに状況判断が任せられる。多分、ユリーカさんは分かっていても教えられないんだと思う。当て推量で教えて、どうにかなる事じゃない。これは、ニョロゾとマチエールさんの問題なんだ。誰かが口を挟んでも、決していい方向に行くとは限らない」

 

「でも、ヨハネ君、今まさに」

 

「口を挟んでいるわけだ。でも、僕にはニョロゾの伝えたい事、ある程度なら分かった。水の属性に、火の属性みたいな力強さを期待するなって事だと思う。マチエールさん、もしかして前回のユニゾン、ヒトカゲと同じ調子で整えたんじゃない?」

 

「ああ、うん。だってユニゾンシステムが勝手に判断してくれるんだろうし」

 

「多分だけれど、それじゃ駄目なんだ。マチエールさん、ユニゾンにおいても、通常のポケモンバトルと同じように考えなきゃいけない。このポケモンは何をどう感じて、どのように行動するのか。ポケモンによって千差万別だ」

 

「つまり……ニョロゾに合わせた考え方にしなきゃいけないって事?」

 

「そういう事に、なるね」

 

 しかし一端に言ってみたものの、ニョロゾに合わせた考えというのが分からない。しかし、マチエールは霧が晴れたようにハッとしていた。

 

「そっか……、そういう事だったんだ。ニョロゾ」

 

「何か分かったの?」

 

「ニョロゾはさ、穏やかな性格なんだ。のんびり屋と言い換えてもいい。だから、戦いに自分からけしかけるような真似はしない。あたしも、ニョロゾと使うのはバトルよりもっぱら人命救助とかの場合だ。そっちに向いているんだ。ニョロゾは、ただ漠然とバトルするんじゃない。相手を理解しての戦いが向いている」

 

 ここまで言わせてしまえばマチエール本人が理解したほうが早いだろう。ヨハネは身を引いた。

 

「だったら、ここから先は、マチエールさんとニョロゾが話し合ったほうがいいかもしれないね」

 

 その時、ヨハネの脳裏に電撃的なイメージが湧いた。この感覚は前にも味わった事がある。〈もこお〉のパワーだ。

 

 思念が勝手に入り込み、ヨハネに見せたのは泡立つ水中の景色であった。たゆたう視界の中を、透き通った光が抜けていく。

 

 太陽光を水面に浴びて、水ポケモン達が光の中央を目指していた。

 

 ――これは……。

 

 そこでイメージが遮断される。

 

 今のはニョロゾのイメージだ。しかしどうして〈もこお〉はマチエールにではなく自分に教えたのか。

 

 一つの推論が立ち上ろうとしていた。

 

「……マチエールさん。ニョロゾともう一度、お願い出来るかな」

 

「うん? ユニゾンを早速試そうと思ったんだけれど」

 

 仕方ない、とニョロゾが繰り出される。ヨハネは先ほどよりも集中してニョロゾの丸い眼を見返した。

 

 深遠に繋がっているかのような透明度のある瞳である。その眼差しの奥に根ざすのは、自身の生活圏の記憶に他ならない。

 

「……水のユニゾン。実戦まで使うのはやめよう」

 

 だから、マチエールは目を見開いた。自分の発言が百八十度曲がったのだ。当然と言えばそうだろう。

 

「何で? 一刻も早く、試したほうがいいって」

 

「僕もそう思っていた。でも、ニョロゾは、練習での結びつきよりも、自己を極限まで高めた土壇場のマチエールさんにこそ、信頼を置いているように思える」

 

〈もこお〉のパワーも裏づけとしてあったが黙っておく。マチエールは顎に手を添えて一考した後、頭を振った。

 

「でも、戦うのはあたしなんだよ?」

 

「分かっている。だからこれは、無茶無謀な言い草に聞こえても仕方がない」

 

 反対されても已むなしと思っていたがマチエールはため息をついただけだった。

 

「……分かった。従おう」

 

「いいのかな……。無茶苦茶だよ、これ」

 

「言っておいて取り下げないでよ」

 

 頬をむくれさせたマチエールにヨハネは視線を逸らす。

 

「でも、ま。サワムラーに勝つためにヨハネ君が必要だって言うんなら、あたしはそうする。だって助手だし。助手の事を信じてあげるのが、探偵の仕事の一つでしょ?」

 

 思わぬ返事にヨハネは目をぱちくりさせる。その反応がおかしかったのか、マチエールが小首を傾げた。

 

「あれ? 間違ってる?」

 

「ううん。いや、ゴメン。僕のほうこそ、なんか当て推量みたいな事を」

 

「文句は、勝ってからだ」

 

 突き出された拳にヨハネは自分の拳を当てた。コツン、と小さく音がした。

 

 

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