ANNIHILATOR   作:オンドゥル大使

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EPISODE56 恩師

 

「すんません……、オレ、すんません、姉御……」

 

 泣きじゃくるリーゼントにヨハネは困惑していた。マチエールは、というと闇医者がユリーカの治療をしている間、一階で暖炉に手を当てている。

 

 黙りこくったその横顔が寂しい。何を抱えているのか言って欲しかったが自分が分け入って言いのだろうか、という不安もある。

 

「マチエールさん。僕が言える事なんて何にもないのかもしれない。でも、僕だって助手だ。何か、過去にあったのかを、そろそろ話してもらってもいいんじゃないですか」

 

 酷な突きつけ方だったのかもしれない。しかしヨハネには他の言葉が思い浮かばなかった。こういう時、気の利いた台詞なんて出ないものだ。

 

「あたしは、ヨハネ君、君が思っているような人間じゃない。出来れば、自分の口からは言いたくないと、今でも思っているんだ。でも、ここまで」

 

 マチエールが自分を見据える。睡蓮のような、透明度の高い瞳がすぐ目の前にあった。

 

「……ここまでやってくれているんだ。だって言うのに、言えない、じゃズルイよね。でも、あたしにもちょっとだけ、覚悟のいる話なんだ」

 

 マチエールが立ち上がり、窓の外を眺める。降り始めた雨は最初こそ小雨であったが、今に景色を覆う灰色の雨になっていた。

 

 窓から滑り落ちた一滴を追っているマチエールの瞳が不意に、翳りを帯びた。

 

「あの時も、そうだったかな。雨の日だった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殴れば、自分には何も残らない。

 

 壊せば、自分には何も残らない。

 

 ただ手に入るだけだった。少しばかりの金と、征服感。相手を圧倒した感覚。

 

 マチエールは、悲しみや喜びを覚えるよりも先に暴力を覚えていた。殴れば、相手は屈服する。屈服した相手からは全てを奪える。

 

 奪い取れば、虚しくない。

 

 奪い取れば、何も感じない。

 

 蹴り飛ばし、殴っているうちに、周囲に集まってきたのは似たような根無し草達であった。彼らは一様に言うのだ。

 

「すげぇ……、マチエールの姉御、すげぇよ!」

 

 何がすごいのだろうか。ただ単に殴って、奪って、剥ぎ取っているだけの話。

 

 誰にだって出来る。代わりなんていくらでもいる。

 

 人間はそういうものだと思い込んでいた。

 

 ポケモンだってそうだ。戦えば疲弊するが、回復させればそのような事など感じていた事さえも忘れ行く。

 

 傷つけば癒し、戦いに疲れれば少しだけ拳を振るわなければいい。

 

 単純明快で、この世はどこまでも残酷に出来ていた。

 

 その雨の日も同じである。

 

 マチエールとミアレギャング達は二人組を追い込んでいた。裏路地の果てまで追い込んだのはカロス観光に来た親子連れであった。父親が前に出る。

 

 やるというのか。マチエールは自然と踏み出していた。

 

 殺すも已む無し、と感じている自分に、不意に声が投げられる。

 

「待ちたまえ! 君達!」

 

 発せられた声に振り返ると、傘を差した紳士が佇んでいた。

 

 しなびたコートを着込んだ御仁で、精悍な顔つきをしている。その眼差しは真っ直ぐにこちらを睨んでいた。

 

「なに? やるの?」

 

 マチエールからしてみればその了承だけで充分だ。やるのならば、容赦はしない。殺しも躊躇わない。

 

 そう判じたマチエールに、御仁は信じられない言葉を放つ。

 

「まずはその親子を解放するんだ。それに、君は……、ポケモンを持っているんだろう? それは飾りかね?」

 

 安い挑発だったが自分の取り巻き達はいきり立って反発する。

 

「何言ってんだ! このジジィ!」

 

「潰されてぇのか!」

 

「潰す、潰される、ね。君達、もっと物事は広く捉えたまえ」

 

 傘を閉じた紳士は隙だらけであった。仲間の一人が放ったダストダスが腕を振るい上げる。

 

「潰れろ!」

 

「いや、潰れるのは君のほうだ」

 

 発せられた声に、何かが弾け飛ぶ。ダストダスが仰け反っていた。その頭頂部には紫色のローブを棚引かせる神速のポケモンがいる。

 

「速いな……。だがよっ!」

 

 繰り出されたマルノームが毒液を撒き散らす。路面が溶解し、蒸気が噴き出す中で、紳士は超然としていた。

 

「ニョロゾ」

 

 次に繰り出されたのは青い体表をした二足歩行のポケモンである。丸い目が戦闘用でありながらもどこか愛玩の感覚をかもし出す。

 

「そんなポケモンで! マルノーム、呑んじまえ!」

 

 マルノームが口腔を開放する。

 

 それだけで大人一人分は丸呑みしてしまうほどの容量を誇るマルノームを、ニョロゾと呼ばれたポケモンは叩いた。

 

 拳による一撃。

 

 それだけで、マルノームが脱力する。一撃で急所を突かれたのだと、マチエールだけが理解していた。

 

 まだ自分のポケモンがやられた事に感覚が追いついていない仲間が困惑する。

 

「どうした? 追いはぎもその程度ならば、たかが知れているが」

 

 マチエールが歩み出ていた。リーゼントがその背中を呼び止めようとする。

 

「姉御……、こいつ強いですぜ」

 

「しっているよ。みればわかる」

 

 ホルスターからモンスターボールを手に取る。紳士は意外そうに声にした。

 

「そのニャスパーではないのか?」

 

 足元に擦り寄る〈もこお〉の事を言っているのだろう。

 

「〈もこお〉はそういうんじゃない。おまえのあいてなんて、〈もこお〉にてつだってもらうまでもない」

 

 繰り出したのは赤い矮躯であった。ヒトカゲが相手を見据える。敵意の滲んだ炎のトカゲの行動は素早い。

 

 すぐさま紳士へと直接攻撃を仕掛けようとする。

 

「かえんほうしゃ」

 

 吐き出された業火を、しかし紳士は避けようともしなかった。マチエールの見開かれた瞳に映ったのは、ニョロゾの展開する泡の皮膜で火炎放射をいなす男の姿だ。

 

 まさか、泡程度で火炎放射を無力化されるとは思ってもみない。ニョロゾの拳がヒトカゲに突き刺さろうとする。マチエールは咄嗟に叫んでいた。

 

「ヒトカゲ! げきりんであいてをなぎはらえ!」

 

 ヒトカゲの内部骨格が青く煌き、逆鱗状態からの爪による一閃がニョロゾを貫こうとする。

 

 しかし、それを阻んだのはニョロゾではなく、先ほどダストダスを下した小型のポケモンであった。素早くヒトカゲの間合いに入り、その爪を一撃ずつ同速の拳を放って無効化する。

 

 あり得ない、とマチエールは震撼していた。

 

 ヒトカゲに勝てる輩などこのミアレではお目にかかった事がない。しかし、相手はそれをやってのけた。

 

 さしてパワーがあるとも思えないポケモンがヒトカゲの喉元へと肘打ちを突き出す。王手の合図であった。

 

「ここまでやれば、実力者である君なら、分かるはずだが」

 

 紳士の言葉にマチエールは逆上した。自分がコケにされている。それ以上に、この程度で負けるのならば今まで積み重ねてきた価値観は。

 

 ヒトカゲが吼えて渾身の火炎放射を放とうとするが、その前に素早いポケモンの肘打ちがヒトカゲに脳震とうを起こさせた。よろめくヒトカゲへとニョロゾが腕を突き出す。

 

 水の砲弾が充填されており、いつでも発射出来るようだった。

 

「なぜ、うたない……」

 

「君を必要としているからだ。それに君達も。わたしの事務所に来るといい。しばらくはカロスに滞在予定だ。面倒くらいは見よう」

 

「何、上から目線してんだ! このオッサン!」

 

 殴りかかったリーゼントを、紳士は見事な体さばきで投げ飛ばす。その鮮やかさにマチエールは言葉を失った。

 

「さて、まずは。その親子を解放するんだ」

 

 顎をしゃくった紳士の言葉を待つまでもなく、親子は逃げ出していた。紳士は苦笑する。

 

「言うまでもなかったかな」

 

「舐めやがって!」

 

 ダストダスを操る仲間が再びその闘志を点火させる。ダストダスの猛毒の腕が振るわれ、紳士を覆いつくすかに思われた。

 

「ニョロゾ、ハイドロポンプ。アギルダー、虫のさざめき」

 

 命じられた技に、ニョロゾが充填していた水の砲弾を撃ち出す。ダストダスがよろめいた瞬間、アギルダーと呼ばれた素早いポケモンが懐に入り、瞬間的な音叉を発生させた。耳を塞いだ仲間へと紳士がいつの間にか踏み込んでおり、その身体から柔術が繰り出される。

 

 一瞬であった。一瞬で、仲間達とそのポケモンが無効化されていた。

 

 ヒトカゲは、というとニョロゾに羽交い絞めにされておりもう抵抗は出来そうにない。

 

〈もこお〉が自分の足に擦り寄る。紳士が歩み寄ってきたのでマチエールは構えを取った。

 

「なめないで。あたしはたたかえる」

 

「いや、やめておいたほうがいい。怪我をするぞ」

 

「どっちが!」

 

 踏み込んで拳を掲げようとしたマチエールへと容赦のない柔術が叩き込まれ、瞬時に気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッと目覚めると毛布がかけられていた。〈もこお〉が自分の頭を揺する。

 

 どうやら少しの間気を失っていたらしい。その間の記憶は、と手繰っていると声が背後から発せられた。

 

「気がついたかな」

 

 瞬時に戦闘態勢を取り、構えたまま後退する。

 

 紳士は湯気を漂わせるマグカップを手に目を白黒させていた。

 

「なんのつもりだ……。あたしたちに、なにをした!」

 

「何を、って。君のお仲間も、気を失ってはいるが、無事だ。何もしちゃいない」

 

 テーブルにマグカップを置いた紳士は顎をしゃくる。

 

「飲むといい。コーヒーは精神を落ち着かせる作用がある」

 

「ばかにして! あたしを、なんだとおもって……!」

 

「ミアレギャング。裏路地に住み、ミアレシティという大都会の中で息づく裏の番人。その頭目はまだ歳若い少女なのだと聞いた。幼少時よりその卓越した戦闘術とセンスで番人の中でも一目置かれており、今のリーダーだと」

 

 それは自分の情報であった。知り得るはずのない情報まで握られておりマチエールは唖然とする。

 

「そこまで、なんで……」

 

「調べれば出て来る。わたしは、そういう事を職務としていてね」

 

「しょくむ……?」

 

「仕事だな。わたしは、このミアレシティで探偵業をやっている。名前をハンサム、という。君の名前は? そこまでは調べていなくってね」

 

 呆然としつつ、マチエールは名乗っていた。

 

「マチエール……」

 

「マチエール、か。体術の心得もあるしポケモンを操るのにも長けている。それは本当のようだが、一つだけ」

 

 歩み寄ってきたハンサムにマチエールが気圧されたように下がる。その額へと、とん、とハンサムが指を置いた。

 

「ポケモンをもう少し労わる事だ。ヒトカゲの体力はレッドゾーンだった。あの状態で使い続ければ無理が生じる」

 

 踵を返したハンサムにマチエールは翻弄されていた。この男は何がしたいのだ。そういえば、とヒトカゲのボールがない事に気がつく。

 

「おまえ……ヒトカゲを」

 

「回復しておいた、よっ」

 

 怒りに我を忘れかけたマチエールの手へとボールが握らされる。正規品のモンスターボールでわざわざ買い換えたのだと知れた。

 

 透かすと中には回復したヒトカゲの姿がある。

 

「なんで……だっておまえが、あたしのヒトカゲをたすけるりゆう、ない」

 

「ミアレギャングの事は調べたと言っているだろう。君達に元々興味があって接触したのさ。裏路地で生きる君達に、頼み事がある」

 

「たのみごと? あたしはなにもできない」

 

「いや、卓越したセンスの持ち主だ。君のほかにもミアレギャングの人々には協力してもらいたい。そろそろ二人が起きる頃かな。シャワーを使うのならば使いたまえ。風邪を引いてしまうと元も子もない」

 

 ハンサムの厚意にマチエールは素直に戸惑っていた。何故、この御仁は自分にここまでしてくれるのか。自分達など所詮は根無し草。裏に生きる人間共なのに。

 

「あたしは、あなたにかえせるだけのものがない……」

 

 世界は返せるものとそうでないものに大別される。それこそマチエールが今まで生きてきて実感した事だ。

 

 返せないものを与えられればその人間は逼塞する。逆に返せるものだけを与えられてくれば、その人間の底が知れる。

 

 しかし、ハンサムは首を横に振った。

 

「無償の愛、というものがこの世に存在する。それを、君は信じられないか?」

 

 信じ難い、という証明のようにマチエールは眉根を寄せた。ハンサムは心得たように嘆息をつく。

 

「……だろうね。なに、君らにも少しばかり、助力してもらいたいだけだ。ミアレの裏路地を生きる君達ならば、わたしの目的を達成出来るかもしれない。そういう下心もある」

 

「……あたしたち、なにもできないよ」

 

「出来るさ。君のヒトカゲの実力を見た。あれだけの力があれば、わたしの、そうだな、助手にならないか?」

 

 言われている意味が分からずにマチエールは聞き返す。

 

「じょしゅ……?」

 

「探偵の手伝いをしないか、と言っているんだ。もしよければ君ら全員でもいい。ミアレの街を覆いかねない闇に対して、君らのような若い力が必要なんだ」

 

 ハンサムの必死の声音が理解出来なかった。しかし、必要とされたのは暴力以外では初めてだ。

 

 受け止めた感慨にマチエールは胸をあたたかなものが占めていくのを感じ取る。

 

「あたしに、ひとをなぐれとか、そういうことじゃないのをめいれいしたひとは、はじめてだよ」

 

「そうか。出来うる限り、君には頭脳仕事をやってもらおう。暴力は、振るわなくってもいい。これから先は、そうだな、紳士の時間と行こう」

 

 ――ハンサムの笑みを今でもハッキリ覚えている。

 

 これから先の人生を、今までのような血と汗に塗れた裏路地で生きなくてもいいという、希望の象徴であった。

 

 


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