ANNIHILATOR   作:オンドゥル大使

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EPISODE57 鮮烈

 

「それから、あたしはおやっさんに文字や読み書きを習った。今でも微妙だけれど、一定の水準まで学習は出来るようになった。おやっさんの書類の整理とかを最初任されてさ。あたし、まさか一日に一回も拳を振るわなくてもいい日が何日も訪れるなんて、想像もしていなかった」

 

 それほどに苛烈な人生を送ってきたのだろう。話に聞くだけでマチエールは常識とは全くの別世界を生きていたのだと分かる。

 

 自分は、とヨハネは自問する。

 

 マチエールのようにこの街の暗部で生きてきたわけでもなければ、ぬくぬくと育ち、スクールに通っていた。それだけでも充分な幸運だ。

 

「ハンサムさんは、その後、何かを?」

 

「おやっさんは、ミアレの犯罪者達に、道を示すのが役割だって言っていた。暴力に出来るだけ訴えないのが自分流だと。だから、あたしから見てもヤバイヤツとかにも、おやっさんは平等に接していた。あたし達ミアレギャングはおやっさんの仕事の手伝いで、今までのような底辺の暮らしから脱却出来た。そのはず、だった」

 

「だった? マチエールさん、何が起こったんだ?」

 

 そこから先こそが、マチエールと、ひいてはミアレギャングに巻き起こった不運なのだろう。

 

 マチエールは一呼吸置いてから、窓の外の風景に目を留めた。

 

「あの時は、雨じゃなかった。でも、その次の夜には流星群の夜だって言っていた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『明日、カロス全域で流星群が見られるでしょう。お天気は良好なので、どこからでも見れますね』

 

 笑顔を振り撒くパキラというキャスターがお天気情報を流している。それを目に留めながらハンサムが渋い顔をしていた。

 

 マチエールは書類の整理に当たっていたが、ハンサムがいつにも増して難しい顔をしているので気になった。

 

「おやっさん。何か心配事でも?」

 

「いや、あの子からもらった仕事の一部なんだが」

 

 あの子、と言ったのは仲間のリーゼントだ。彼が斡旋した依頼らしい。依頼人は不明でありながら、報酬は前金が振り込まれており、ハンサムは請け負うべきか途方に暮れているようだった。

 

「前金が払われているなら、請けてもいいんじゃないの?」

 

 この時には既に探偵業の基本くらいは頭に入っていたので、マチエールの判断に間違いはなかったはずであった。しかし、ハンサムは渋る。

 

「いや、金の問題じゃないんだ。どうにも……きな臭くってね」

 

「仲間の依頼だから、あたしの顔を立てて、心配はないと思うけれど」

 

 ミアレギャングの誰かが自分とハンサムに牙を剥くとは思えない。全員、裏路地生活から足を洗い、今では泊り込む人間もいるほどだ。

 

 ハンサムはそれだけ懐深く自分達を養ってくれている。

 

 だが、そのハンサムでも看過出来ないのはとある組織の動きであった。

 

 何でも、このミアレシティを完全に掌握しているらしい。そんな組織がいるものか、とマチエールは懐疑的であったが、何度か目にした犯罪者が全員、その組織と何らかの接点を持っているとあった。

 

「今回も例の奴らが関係していないとも限らない。わたしは、出来れば安請け合いするべきじゃないと思っている」

 

「慎重過ぎるよ、おやっさんは。その依頼の場所ってどこなのさ」

 

 書類を覗き込むとある企業管理下のホロンと呼ばれている人工島なのだと分かった。

 

「ホロンという島。これはあまりに危険だ。ポケモンの異常な凶暴化をモニターしているという事前調査もある」

 

「でも、あたしのヒトカゲとおやっさんのニョロゾとアギルダーならさ! 勝てるって!」

 

 楽観的なマチエールに対してハンサムは熟考している様子だった。だが、やはり下すのは正義の味方としての決断である。

 

「……わたしが見過ごせば何かが起きるかもしれない。いいだろう。行こう」

 

 人工島へは幾つかの船を乗り継ぐ事で到達出来た。

 

 断崖で波が砕け、白く濁っている。

 

 人工島の中央に佇むのは巨大なビルであった。それそのものがホロンの研究棟と呼ばれているらしい。

 

「あれが、ホロンだ」

 

 人工島のすぐ近くにある小さな離れ小島で一夜を過ごす事になった。作戦決行は翌日の予定である。

 

 双眼鏡を手渡されてマチエールはホロンの研究棟を見据えた。何の変哲もないビルに見える。

 

「それほど重要な場所には見えないけれど」

 

 今回、連れ立って行く事になったのは助手であるマチエールのみ。ミアレギャングの仲間達は留守番だ。

 

「わたしにも、そう見えるが、見た目ほど容易くはなさそうだ。マチエール、二階層を見ろ。行き交っている人々の背格好からして研究棟というのは間違いじゃないらしい」

 

 指示されて視線を投じると白衣を纏った人々が廊下を行き来しているのが目に入る。

 

「じゃあ、やっぱり何かの研究所だって?」

 

「それも、こんな……。カロスの本土からも離れた場所に位置しているんだ。ほとんど治外法権と言ってもいいだろう」

 

「……ヤバイ組織?」

 

「かもしれないな。マチエール、用心するんだ」

 

〈もこお〉が足に擦り寄ってくる。こんな時でも、相棒の〈もこお〉は手離せなかった。

 

「〈もこお〉、安心しなよ。おやっさんとあたしがいれば百人力だって」

 

〈もこお〉は耳を塞いで小さく首を振るばかりだ。

 

「感じているのかもしれないな。あの島に漂う、何かを」

 

 ハンサムがホロンの研究棟を睨み据え、そう呟く。

 

 マチエールにはそれ以外に目立った場所には見えなかった。研究者がいるだけの変わった場所、という認識だ。

 

「今のうちに眠っておこう。深夜に決行する」

 

 ハンサムは寝袋に入るなりすぐに寝入ってしまった。探偵という職業は動くべき時に動き、休める時に休む事が適切な職業だと何度も聞かされてきた。

 

 マチエールも寝袋に入ったがすぐには寝付けなかった。何か、胸の内がざわめくのだ。

 

「ねぇ、おやっさん」

 

 眠っているはずのハンサムへと言葉を投げる。ハンサムはすぐに浅い眠りと深い眠りを操れるので応じてきた。

 

「どうした? 眠れないのか?」

 

「……あの場所がヤバかったとして、あたし達の仕事って、変わらないよね?」

 

「どんなところでも同じだ。探偵は、己の正義に則り、行動する。もし非人道的な実験が行われていた場合、強攻策もあり得る」

 

「あたし、いざという時は戦えるよ。だって、今までもそうだった。おやっさんと、あたしの万能コンビだった」

 

 その自負があるはずなのに、今はどうしてだか、一時でもハンサムとの時間を大切にしたかった。

 

「そうだな。ミアレの事件を幾つも解決してきた。その中には一見無理に見えるものもあったが、お前達のお陰で上手くいった。マチエール、お前は探偵に向いているのだろうな」

 

 その言葉が、最大の賛辞のはずなのに、どうしてかマチエールには突き放すような物言いに聞こえてしまう。

 

「……おやっさん、あたし、おやっさんと一緒にいたいんだ。一人は、やだよ」

 

「そんなに心配する事はないさ。マチエール。お前は、もう立派に、探偵だよ」

 

 褒められているはずなのに、マチエールは落ち着かない。〈もこお〉を胸に抱いて不安を掻き消そうとした。

 

「六時間後に攻め込む。もう寝るといい」

 

 そう言い置くなり、ハンサムは今度こそ寝入った。だが、マチエールはどれだけ願っても祈っても、消えない焦燥が胸を占めていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今にして思えば、虫の知らせってヤツだったのかもしれない。あたしは、そういうの信じない性質だったけれど、おやっさんと一緒にいられる時間が少しずつ減っていくのを、感覚で理解していたんだろうね」

 

 マチエールの言葉はある事実へと辿り着く。

 

 リーゼントが顔を覆い、何度も謝罪した。その言葉が吐き出される度に、マチエールの顔が翳っていく。

 

 何が起こったのか。ホロンの研究棟に、何があったのか。

 

「ただの研究所じゃなかった」

 

 ヨハネの物言いはこれでも随分と優しいほうだろう。その場で行われたであろう命のやり取りをあえてぼかす言い方をしている。

 

 ――だってこの話が本当ならば、その島でハンサムは……。

 

「そうだね。ただの研究所じゃなかった。あたしは、運命を変える出来事に遭遇した。これまでと、これからの未来を」

 

 

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