当時から1年が経って、私もすっかり大人になりました。背も伸びましたし、からだつきも分子単位で豊満になりました。
いえいえ、もちろん可視レベルで育つことも私の潜在能力的に可能ではありますがしかし、そうなると表現がいちいちエチチシスムに偏向してしまうおそれがあるので、”やむをえず”奥ゆかしい見た目を維持しているのです。これは全男性への配慮なんですよ! 女の子の魅力はけっして骨格や肉つきだけで決まるものじゃありません。大事なのは、自分を魅力的に見せようとする努力、気持ちそのものなのです!
とか、目に見えないものの重要性を力説するなんて哲学チックなまねは私に向いていないので、さなっちゃんに任せます。
「さなっちゃん!」
「見えないものを見ようとして~♪」
「うわー、安易にパロディーに走るなんて、さなっちゃんらしくなーい」
「さすカミ……」
「現代人なんてみんなそうだろ!」
「そこにリスペクトはあるのかなー?」
「(ギクッ)」
「もういいから、更衣室いくぞ」
「「はーいっ!」」
尺稼ぎの自首トークもほどほどに、斯くして海です。もういいじゃないですか、前後説明とか不要なファンタジーとか。行きたくなったから行くんです。海で水着が着たいんです。それでいいじゃないですか。
「去年は行けなかったからな、リベンジってわけ」さなっちゃんがくどいようにいいます。どうしても整合性を取りたい自称インテリゲンチャの血が騒ぐのでしょう。でも、純粋に今日の日を楽しみにしてくれていたみたいで、いつもの不機嫌めいた目元から隠し切れないわくわくがにじみ出ているのがとても新鮮でした。
「そういえば、じいさんの法要っていつよ?」
「もうこの前すんじゃった。というか、ただのお墓参り」
「年がたつと日付はズレちゃうけど、待ち合わせの約束は守らなきゃねー」
「どうだろう。これからは会うのも難しくなりそう……」
このご時世ですから、念のため全員マスクを着用して泳ぎます。
しかしなぜといつも思うんですけど、海水浴場の更衣室って狭くありません? 私・さなっちゃん・カミカミのお尻が思わぬ形でくっついて、日独伊三国防共協定を締結するにいたりそうなほどの狭さなんです。じゃあ胸フェチは連合国だ、資本主義は敵だ! もうこここそロッカーといっても差しつかえないでしょう。そんななかでの着替えには、とても、言葉ではいい表せないような特殊な高揚感がともないました。
「え、ユキちゃん?」
殊にカミカミが驚いてみせます。去年の私にとってきっと不服だろうけど、今の私には期待どおりの反応です。モノトーンストライプのビキニにパレオ。吾ながら思い切ったと思う装いだったので、二人の所感も相応のものでした。「まさかユキちゃんがビキニ着るなんてー……」「へへん!」「ヤ、別にそこまで凝ったもんでもないでしょ」「ひとことよけい!」
さなっちゃんだって、セパレートの真ん中でこれでもかっとお腹を出しています。綺麗なくびれにほどよい腹筋の凹凸が、健康的でスレンダーな魅力を備えていました。「うわそれTバック? すっごい切れ込み……」「さなっちゃんやーらしー」「あ? レイヤードも知らないのかチミら? この上に、普通のやつ穿くんだよ」「ほえー」いや、すごいと思うけど、果たしてこの説明は需要あるのでしょうか。「カミカミは?」
私がうながすと、ダボッとした上着のそで口を振ってただ「パーカーだよーん」とコメント。
「「いぇーい!」」着替えをすませるとお決まりの文句をのたまって、二人は青々とした海へ走っていきます。
さなっちゃんのタンクトップに取りつけられたセーラー襟は、飛び方を覚えたての小鳥のように風を受けパタパタとなびいていました。
一方の、上半身に極端に露出のないパーカー水着と男物にも見える短パンスタイルのカミカミも、海面が腰につくところまで行ってさなっちゃんとたわむれているうちに飛んだ水が無地のそれらを濡らし、結果もはや手放しで褒めたたえずにはいられない怪獣ボディを披露していました。「がおー!」
「(私だってがんばったのに……)」私は知らないあいだに、ものすごく嫉妬深い女になってしまっていたのです。二人のまぶしさにあてられてうつむいた先には、予想していたしかつめらしい自分の表情はなく、ネタでもシュノーケル付き水陸両用使用でもない純然たるガスマスクに覆われた自分の顔が反射しています。
もう、あの日から「(といっても、始まった正確なタイミングはよくわからないんですけどね)」かれこれ1か月の時が流れて。
人は鏡を見ることしなくなると、きっと本当の笑顔を忘れてしまうんでしょう。私もまた、日に日に”自然な笑い方”を忘れてきている気がしました。さなっちゃんやカミカミ、お母さんといった母国語がボディランゲージの人たちに囲まれているから比較的進行がゆるやかなだけで、自分の異常性が深刻になっている感覚はあります。そのせいで、またアレが……
ううん。今は忘れよう。二人と楽しい時間をすごさなきゃ! 私はほおを平手打ちし「ぱちん!」胸を叩き下ろし「ぺちん!」腹を押し上げて「ぽん!」気合充填したのち、友だちのいる燦然とした光の海に向かっていきました――
いえ、そろそろ私もよくないと感じているんです、メタ発言のしすぎは。でも考えてみてください。海でそんなにやることあります? 何かにつけて海パートはサービス回と捉えられがちですけど、実際の当事者に与えられた選択肢って、せいぜい生産性のない水のかけ合いにスイカ割りにポロリにビーチでナンパくらいのものですよね。三人のなかで一番エンタメに知見のあるさなっちゃんの精一杯でこうなので、私たちはすでに八方ふさがりの状態でした。
水着になって10数分、やることもなくなってしまったので、ビーチを漫歩して先に肌がヒリヒリしてきた人が負け、というゲームを開始することになった経緯は、まあそういったものだったわけです。でも実はビーチでナンパを達成するカギだったり?
「おい、そろそろ1往復だぞ……」
「万歩計の用途ってこれなんだね……」
「それだ……音おんなじなんだしもう改名しよう……」
「漫歩計、ねずみ算みたいでかっこいいかも……」
「”まんぽけい”ってー、テニスサークルの次くらいの隠語強度じゃなーい?」
「おう、元気なヤツはいうことが違うな……」
どうでもいいですけどカミカミは中学時代、陸上部だったそうです。私とさなっちゃんはご愛嬌……
「お嬢さんたち! 炎天下に無理するとカラダによくないよ~? こっちで涼んでいきな!」
それは、今にも海のもずくと相なりそうな私とさなっちゃんを見かねた、海の家風レストランのウェイターさんの声です。
ナンパまがいの誘いに若干気が引けましたけど、あいにく三人同意見で、おずおずとお店のなかへ入りました。室内はおそろしく快適な気温に心地のいいクラシックがBGMに流れていて、おまけに某感染症ゆえお客さんも疎で半分貸し切りという、このうえない素晴らしさでした。二人と感想を共有しているとさっきの金髪ウェイターさんが、隆々な筋肉の少し浮かび上がったベストに、メニュー表をぶら下げて近づいて来たのです。
「ここから選んでね~」
「あの、すぐには決まらないかも……」
「やや、全っ然待たせていいから!」
さすがに困惑しましたね、これ。だって断るに断れませんから。三人そろって神妙な顔をして料理やら選んでいると、たびたび「メガネちゃん、いい骨盤してるね~。体幹つよそ!」「ツインテちゃんのおヘソ、そそるわ~」「オレ、(カミカミを見ながら)君の顔タイプよ」とか茶々入れてくるんですよ。露骨すぎて逆に笑みがこぼれました。
やがて脅威はたまた驚異はすぎさり、さなっちゃんとカミカミはどっと疲れたようすでした。
斯くいう私は、
「待ってムリ! あの人タイプ!」
「いや、ユキ、それはない……」
「キッチンいたの奥さんだよね? あれで既婚者とかもう!」
「歪んでるねー」
そんなこんなでいつものごとく忙しない休憩時間をすごしたわけですけど、さなっちゃんとカミカミは殊勝なことに遠泳をしたいといい出し、私を置いてふたたび海へ行ってしまいました。
かなたの水平線からちぎれ飛んできた雲の欠片をひとみに掬って、ビーチサイドに座り込むほかにしかたのない私を、海景を見にやって来たであろう数組のカップルたちの楽しげな声はあざけって笑っているようでした。すみません、単なるひがみです……先あんなことをいってた手前、私が、恋人がほしいなんて痛々しい気持ちをもってることは否定できません。
私はいい友だちやお母さんに恵まれてるなって思うけど、それと同時にその人たち以外の信頼関係は、ほとんど皆無でした。井のなかの蛙でした。蛙は、ある日に名称・ガスマスクというロープをもって黒界から脱出した、はいいものの、外に待ちかまえていた海のあまりの塩辛さに耐えられなかったんです。
どうしたらこれを克服できるか? いえ、そもそもカエルに海で生きることなんかできないのです。人が、読心術以外の方法で人の心や考えを読みとれるようになることと、同じくらいの無謀。
では、あのロープは一体なんだったんでしょう。誰が、それを下ろしてくれたお釈迦さまなのでしょうか。「(って、全然恋人カンケーなくなってるじゃん……)」
「こんにちは」
その声音はよどみなく、まっすぐに私の耳の穴を通り抜けていきました。私はおどろきつつも最初、あいさつが自分に向けられたものなんてこれっぽちも考えつかなかったので、空をみあげたまますっかり声を無視してしまったのです。
「聞こえてる? ガスマスクの人」
今度のは、確実な意図があるものでした。少し舌足らずな高い声に振り返った私をみていたのは、ビーチの階段をのぼった遊歩道にたたずむ、溶接マスク! をつけた女性。異質な特徴はそれだけにとどまりません。彼女は長袖ブラウスにアンクル丈の硬い感じのパンツをはいていて、それはとても真夏の海にやって来るための恰好とは思えないものでした。
「こんにちは……」でも取りあえず、女性にあいさつを返します。形は違えどマスクを共有する同士になかなか出会えるわけじゃありませんし、彼女との交流が、何かまだ私の知らない世界を教えてくれるかもという期待感があったからです。
すると女性はしなやかなからだを風にあおられながら、私のすぐ近くまで降りてきます。
おさげのサラサラ髪、過不足ないスタイル、鍾乳石のような神秘さすら感じる細くとも力強い脚線どれをとっても、ICの塊たる私は女性にあこがれの感情を引き起こされました。
「おっと――」
「あぶない!」
女性は私の前に立つと、一瞬ふらっと立ちくらみのように揺れたのです。私が心配になって駆けよったら、なぜか距離を取られた挙句「……ふふ。ヘーキ」といたずらっぽくいわれました。初対面なのに、からかわれたと思った最近の私は、生傷を爪でかくような過剰意識から腹を立てました。でもしばらくして気分が落ち着いたころ、女性と私はとなり合って、ビーチの端で話をするのでした。
「どこから来たの?」「何人で来たの?」「何してあそんでたの?」
はい、話とはいえ実際は女性からの一方的な質問攻めにくわえて、聞かれることはそんなどうでもいいことばかりで、マスクうんぬんは私の邪推で関係なく、この人は単に観光客とお話ししたかっただけなのだとわかりました。
「あの、もしかしてこのあたりに住んでるんですか?」
「うん……クダキ。あそこに住んでる」
女性はビーチの西側にある山を指さしていいます。私に質問していたときは歯切れよい口ぶりだったのに、自分の回答になるととたんに女性の声はフラットで感情の希薄なものになるんです。ふしぎな人だと思いました。
「クダキって、クダキさん……」
「うん。クダキ。おねえさんはなんていうの?」
「私は出鬼 雪っていいます! よろしくです」なんでしょう、まるで幼い子どもに話すような自己紹介ですよね。
「とっても元気なのね、おねえさんは」こちらの名前をまったく覚えようとしてくれないあたりも。
このとき、私からも何度か質問をしました。何歳ですか、散歩しに来たんですか、何か趣味は、おうちはどんな見た目、まあいろいろ質問しました。全部が全部、のれんに腕押しでした。女性は明らかに、自分の事情を明かすことをこばんでいたのです。
「そうだ。おねえさんは何か、自分の悪かったことはいえる?」
「いや特には……」
そして私の顔にずいと、女性の顔が近づけられました。溶接マスクと私が名づけた物体はにぶい銀色の輝きをはなっており、目の部分の覆いは月陰と同じくらい立体感のない黒で、私が見つめているのか、それとも私が見つめられているのかの区別なんかつきようもありません。対面したこの気持ちをのべるとすれば、”正体不明の恐怖”これに尽きました。
「うそつき。いいたくなければ、いいたくないといってよ。おねえさん?」
虚数的な何かが作用しているとしか考えられないくらい、信じられないような低いうなりが彼女から発せらたのです。
「い、いいたくないです……」
あまりの恐ろしさに、もう私はそういわざるをえない精神状態でした。
「もしも話してくれたら、このマスクのこと、お話ししてあげる。どうするの?」
「クダキさんは、何か知ってるんですか……?」
私の問いかけに、自分がさっきまでいたビーチ上の遊歩道を一瞥したクダキさん。
今まで気がつかなかったなんて冗談だと思える、炎天下に不相応なレディーススーツに身をつつんだもう一人の女性が、そこに立っていました。「あの人に聞けば、イチコロ。どうするの?」私が悩んでいるあいだ、彼女は何度も舌打ちで時計の針がすすむような音を鳴らして私を催促しました。
でも待ってください。
そもそも、私はなんのために女性と話し始めたのか……周りにもほかの観光客がいます。なのに女性は頭から私を狙いうちして来ました。そこに純粋な会話以上の目的がない、だなんてことが本当にありえるんでしょうか。
「そ、その、クダキさんは、私に何か隠していませんか?」彼女は、2秒ほど静かになりました。
「……隠してる。からだじゅうぜんぶに。おねえさんも」
「マスクって、そういうものなんじゃないかな、って」
「おねえさんは、悪いことだと思ってる?」
「どうでしょう。そりゃ顔も見れないし、ヘンなトラブルに巻き込まれたりするけど……心地いいって。自分で剥がせないのなら、もういいやって思ってたりもします」
思えば、このマスクに囚われている人たちは私を含めて、いいことと悪いことに極端な線引きをしたがっているような気がします。それを正義と呼ぶのか、偏執と呼ぶのか、まだわかりませんけど。
「もう行くね。お話しありがとう。さよなら」
「はい、また」
「それと、あんまり人を頼りすぎないほうがいいと思う。マスクが傷つきやすくなってしまうから」
「え……」
と最後にまったく理解の追いつかない急展開を演じた女性も、立ち上がったそばからあのスーツの人を連れてすんなり帰ってしまいました。これが思い切りのよさでしょうか。私に足りないものですね……
「おーい、ユキ、そろそろ帰るぞー!」
「はあい!」最近さなっちゃんは伸びやかなニュアンスのセリフが増えてカミカミっぽくなってます。カミカミのほうもさなっちゃんからエスペラント語を教わってから、外国語に親近感がわいたといっていましたし。互いに影響を与え合うのはいいことですよね。アウフヘーベン!
「このあいだ上沢ん家でケーキ作ったんだけどさぁ」「キャベツケーキ、べちゃってなっちゃってー……」「なんでスポンジとか|無難なので妥協しなかったのか」「いや、あたしお好み焼き粉ダメでさ」「小麦粉だと何がいけなかったんだろうねー」「ケーキの3綱要。大航海時代の先人たちの知恵だよー。あんま混ゼラン! ヴァスコ、ダマが! 気泡ブっ刺スコロン!」「うしろに新キャラ二人増えてるんだが?」「コロンって語尾、なーんか黄色いちょんまげのマスコット思い出すねー!」「それはナリだろ、ドラ民」……なんだこの会話?