マスク・オブ・グレィズ   作:屋鳥 吾更

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     隠してる からだじゅうぜんぶに《後》

「――――ぎ」

 

 ひどく頭がぼんやりしていて、はじめはよく聞き取れませんでしたけど、どこからともなく何かの音が、バケツのなかを反響するみたいにしつこく私の耳の空洞(くうどう)をこすり上げてきました。

 やがてそれが声、ついで言葉の形をなすと、ようよう誰が何をいっているのか理解できるようになったんです。

 

「――(すすぎ)。あんた、何やってんの?」

 

「えっ……」

 

 そこで、私に呼びかけをしていたのは、冷めた目をしてこちらを見るお母さんでした。お母さんはうちのリビングから出てきたばかりという恰好で立っていました。

 

 そして私は……7月なのに、なぜか厚手のPコートを()て、ボトムスを()けてないのに、足首まですっぽり隠れるようなハイカットのスニーカーを()いています。そんな服装ありえるのでしょうか? 

「(いや、ある意味私にはなじみ深いものかも)」

 

 当時の私は、お母さんが気になっているのはそのことだと思って、ちゅうちょせず聞き返したのです。

「これ(コート(えり)()まみながら)のこと?」

 

「まあ、それもそうだけど」

 

 お母さんはなぜか意味ありげに言葉をにごしました。

 

「へえ。いいたくないの……だったらちゃんと”いいたくない”っていいなよ?」

 

「どの口がほざいてんのよ。だいたい、あんたときたら今日の()()すっぽかして!」

 

「あっ……」

 

 私は、まったく覚えていなかったのです。さなっちゃんとカミカミと海に行ったこの日が、金曜日であること。そして火曜と金曜はお母さんと約束した、私が朝昼夕の食事当番をする日ということを。

 

「それは、ごめんなさい……」

 

「いいわ。取りあえず、ごはん食べないと」

 

「うん」

 

 そこでどなりつけたりせずに、お母さんは私をやさしくたしなめてくれました。

 

 これまで黙っていましたけど、私じつは料理が好きではありません。週2回、二人ぶんの食事を用意するだけでなく、栄養バランスを考えたり飽きがこないようにレシピを調べたりすることも、そこはかとなく苦痛に感じていました。

 それでも8年ものあいだ料理を作り続けてこられたのは、自分の努力ではなく、お母さんの頑張りのおかげなのです。

 いそがしい看護師業務をこなしながら、むしろ週5日、よく家族のごはんの面倒をみてくれたなと感心します。

 

 って、あんまり持ち上げすぎるのも気持ち悪いのでこれくらいにして。人なんか褒めようと思えばいくらでも褒められるものでしょう。それよりむずかしいのは、その人の”悪かったこと”を面と向かって(しか)って、どうしたらもうしなくてすむのかを一緒に考えてあげることです。私にはできないことランキング、ナンバーワンの芸当(げいとう)でした。

「(だから今まで、既成(きせい)事実にてきとうな理由をつけては、まるで自分が意識してやりたかったことのように語ってきたのかもしれません。by無意識)」

 

 

 食卓を囲んでしばらくたち、お母さんが上顎(うわあご)という(きね)と下顎という(うす)を使ってうるち米のおもちをつきながら、私への問いかけを口にしました。フツーに食べながらものいうな。

 

「今まであんたがしでかしたことなんて、大抵(たいてい)は昔からなんにも変わらないことよね。カレンダー見なかったり散財したり……」

 

「ごめんなさい……」

 

「ヤ、べつにいいって。怒ってるわけちがう。ただ人間、どんなにデカい転機があろうとなかろうと、(おか)す失敗はおんなじってこと」

 

 どういう風の()(まわ)しか、哲学(てつがく)披露(ひろう)が止まらないお母さん。てっきり私は頭ごなしに非難されて、また()()()()()ケンカになるものと決めつけていました。

 

「あのさ。おかしなこといっていい?」

「いいよ。ってか、雪のいうことはいっつもヘンでしょ」

「お母さんだって……」

 安心するやりとり。この人はちゃんと、私の気持ちを()もうとしてくれるんだって、知ることができるんです。

 

「たぶん、私さっき、露出狂(ろしゅつきょう)になってたと思う」

 

 するとお母さんは不意なフレーズに、おどろいたのか手にもっていた(はし)をタタンッと机の上に落としてしまいました。

 

 しかし、その直後、意外な言葉が返ってきたんです。

「友だちは知ってるの、それ?」

 

「どうして?」

 お母さんはどうしてまずそんなことを気にしたのかと、すなおに聞きました。

 

「あんたのことだから、お友だちには告知ずみかなと」

 

「待って! 私きょうが初めてだったかもしれないじゃん!」

 

「それはありえないわ」

 

「どうして?」

 

「だってあんた――泣いてるし」

 

 

 

 

 

「え?」

 そくざに顔をさわりました。それから目も。

 かすかに()れていて、ああ、本当に泣いてるのかと気づかされます。あとから悲しさのような感情もこみ上げてきました。

 でも……こんなの、6月のあのときには、ううんそのあと同じことをしたときだってなかった。なんで今日に限って……

 

「うそ、それさっきわたしが飛ばしたツバ」

 

「っ! もうっサイッテーッ!」

 

 しかもこのご時世になんて。医療関係者として少しは気づかってよゴシゴシ! 

 

「さておき、なんで今日初めてじゃないと思ったかってのは、あんたがやったことの重大性を自覚してるからよ。ここでわたしに()められなきゃ、怖くていえなかったでしょ」

 

「怖いっていうか……ムダな心配かけたくないし」

 

「取りあえず、ちゃんと説明してみ。案外(あんがい)相談に乗れるかもよ、わたし?」

 とお母さんは行儀わるく、両ひじを机について肩をすくめ、にんまりと笑っていいました。

 

 そりゃ、相談したくてたまりませんでした。

 私は、本当は、どこにでもいるただの女の子としてみんなと話していたい、顔を目を合わせて笑い合いたいと願っていたから……でも、それを避けてきたことには、やっぱりこのガスマスクがあるのです。

 

 親しい人たちだれにも見えないぶきみさと、きっとそこから()き上がってくるんでしょう耐えがたい”性的(せいてき)衝動(しょうどう)”。

 これらを気がねなく話してしまうということは、つまり自分にしかわからない()()、あるいは()()を健常者と共有せんとすることと同義(どうぎ)でした。だれが共感してくれるでしょう。だれが同情してくれるでしょう。(ユキ)という人間を詳しく知らない「(まして自分自身ですら、完ぺきに知ってるわけでもない)」そんななかで、一体だれが彼女の深刻さに気がついてくれるでしょうか? いいえきっと、この話が終わるまでだれにもわかりませんよ。私は()()についての自分の立場をのべているにすぎないんですから。

 

「……うん。わかった」

 私は、親身(しんみ)になってくれた相手に対して、その好意に甘えているフリをしました。

 

 そして自分の身に起きた現象を話しました。お母さんは終始あいづちを打つだけで真剣なようすで、私の話を聞いてくれました。

 

 そしてひと(とお)り話し終えて、私がふうと小さなため息をつくと、反対にお母さんは「なるほどね」と意味深長なつぶやきをするのでした。

 

「ようするに、そりゃあれだ、精神疾患(しっかん)

 

「……え?」

 私は一体何度この人のためにえっとマヌケな声を上げればいんですか。描写不足の(きわ)みですよ。もう私は今後えっとおどろく人を信用できません。

 さらにいえばお母さんの寸評(すんぴょう)を聞いて、私の心には率直にそれを受け入れられないはたらきが起きていました。

 

「あのさ……精神疾患っていうの、その、”逃げ”じゃないのかな?」

 

「何いってんの! 現代病の(さい)たるものよ。大なり小なりみんながもってるさ」

 

 以前、顔にガスマスクが現れた日、私はお母さんに病院へ行きたいと伝えたら「仮病(けびょう)はだめ」とくぎを刺されました。全然仮病じゃないんですけど。その意味は理解できます。なんのために自分が私立学校に行かせてもらっているのか考えれば、それこそイチコロの話です。

 でも、だからこそ今お母さんが「精神疾患(自称)は”逃げ”じゃない」という根拠が理解できません。自己申告の体調不良という点ではおんなじ気がするし、どちらにも(びょう)(しつ)とついているじゃないですか。ただ精神疾患のいい方のほうが体裁(ていさい)ぶっているだけで。

 もうすっかり、私の頭は混乱してしまいました。

 

「それに、”逃げ”かどうかは、雪がそれを(なお)したいのかどうかで決まるんじゃないの?」

 

「私……よく、覚えてなくて。覚えてるのもあるけど、露出魔(ろしゅつま)になって、大体はあとから気がつくの。自分が何をしちゃったか、って。恥ずかしくて、怖くて……でも、自分じゃどうすることもできないから、やめたんだ、そういうの。そういう清楚(せいそ)ぶるの。(はじ)だって、(ぬり)(かさ)ねればりっぱな個性でしょ? だから……」

 

「そもそも、あんた露出狂と露出魔が同じものだと思ってない?」

 

「どういうこと?」

 

「いや、なんでもない」

 

 お母さんは、あらたまっていいました。

「雪、あんたはいつも頑張ってる。いい子だ」

 

「なによ急に……」

 

「でもわたしはさ、あんたが、ストレスを自分(ひと)りでかかえ込んじゃう子なんじゃないかって時どき不安になる。実際そういう()()()があると思う。だって、わたしの娘だしさ」

 

「お母さんは別にそんなキャラじゃ」

 

「キャラって何よ……職業がら、一緒にいられる時間もフツーの家より少ないし、片親だし。でもそういうのナシにあんたはいい子。ほんと不思議。ちょっくらヒネたっていいのに!」

 

「(ギクッ)」

 

「だからもしあんたが困ってて、わたしのやり方でどうにかできると思ってくれるんなら、()()し関係なく手伝うから。まあ、さすがに法に抵触(ていしょく)するようなことは自重するけど」

 

「そんなこと頼みません!」

 

 お母さんの言葉は、マジメさにもおふざけにも(かたよ)らず、のらりくらりとマイロードをあゆんでいます。もし私が赤の他人なら絶対にこの人には悩みなんか打ち明けません。

「でも……今はお母さんくらいしか、頼れる人いないし。しかたないのかも」

 

「そうそう、(あきら)めもカンジン!」

 

 ()()りな人の明るさが、このときだけは途方(とほう)もないあたたかさのように感じられたのです。

 

 

 ――という綺麗事(きれいごと)だけでマスクはどうにかならないので、ようやくメーンテーマに移ります。長かったですね。私ものらりくらりマイロード、のんけなゆりマーメイドを座右(ざゆう)に置いて、今後も精進(しょうじん)したいと思います。

 

「で、話もどるけど、あんたはおっちゃんらの前でゲリラストリップショーするのをやめたいの? どうなの? ちなみに続けたいっていってもどうせやめさせるけどね」

 

「そりゃやめたいよ。だめなことだし……あと、その呼び方やめて」

 

「そうか。だよな。よし、明日から、家で全裸(ぜんら)でいなさい」

 

「あんたそれが原因で娘の思春期はじまったのわかってるっ!」

 

「待て待て、これには深ぁい意味があるんだ。雪はつねに衝動的に露出行為をしている、つまり自分じゃ制御できないってことね。おまけにそこに苦痛をともなう。だから、精神疾患の(うたが)いがあるわけね。でも治療させようにも自意識の抑制がきかない限り、いちど警察のご厄介(やっかい)になってからだに嫌悪経験を植えつけるくらいしか有効策はないし、それは母親として後押しできない。自慢の愛娘(まなむすめ)がきずつかずに、かつしっかりと衝動を克服する手はないか……そうよ、家のなかではいくらでもハダカになっていいと”条件づけ”すればいいんだわ! そうすればおのずと雪も衝動を家のなかで発散させるというルーティンが身について、しだいにストレスを飼いならせるようになる。最終的には(しあわ)せにさえ感じられるようになるわ。そうにちがいない! この提案はけっしてわたしの独断と偏見だけじゃない、れっきとした論理的証拠にもとづいてあみ出された(じつ)に実践的で画期的な――」

 

「ご(たく)はいいから。はあ、それしかないのかな……」

 

「それしかないのよ。さあユキ、そのコートを早く脱ぎなさい?」

 

「……これで何も効果なかったら、家出るから」

 

「うん、よろしい!」

 

 やつの笑顔は見たことないくらい瑞々(みずみず)しくてうれしそうでした。

 

 くそ。何が画期的よ、ドメスティックな洗脳(せんのう)じゃない! 

 あんたなんか、私が快復(かいふく)したあかつきにはフードプロセッサでその型落ちスタイルをこなごなにしてから業務用成型肉にでも加工してやるわ! 

 まあまあ奥さま、牛脂(ぎゅうし)と水分を混ぜられてずいぶんとお美しくなりましたわねオホホ。やはり天然の駄畜(だちく)なんかより人工高級畜のほうがずっとお似合いですことよ。褒めすぎですわ出来合いハンバーグ夫人。あなたこそお美しくってよ。オホホのホ。

 一生一般家庭だけで重法(ちょうほう)されてな! 娘は(たま)のコシに乗ってサーロインコースよ。

 

         ◆

 

 今日私が露出魔になった原因は、恐らくクダキさんに会ったことでしょう。

 彼女に責任を押しつけるつもりはありません。ただ、マスクをもつ者同士が出会うと()()が起こる、それは私の場合おもに露出魔だった、という可能性をのべたいのです。

 

 ガスマスクが現れた6月某の翌日、あのときの私には確かな意志がありました。”私のハダカを見た男性たちの反応を楽しみたい”その言語化可能な目的にそそのかされて、つい二度目の犯行におよんだのです。

 でも思い返せば、はじめての露出行為について、私がはっきりと(おぼ)えていることは私を見た男性の声にならない悲鳴と目をむいた表情だけでした。

 

 これは世にいう記憶喪失なのでしょうか? またそれはこのマスクに関係することなのか。わからないことばかりで、困ってしまいます。でもそのとき私はガスマスクの引き起こすできごと、だれに見えてだれに見えないのか、底知れない恐怖などを学びました。無知ながらにひっしに理解しようとすれば、どうにかなるのかもしれません。

 

 私だって、()()()()と一緒で、まだあんまりよくこのマスクについて知らないことだらけです。一緒に知っていきましょう。そして私のことも、いっしょに知ってもらいたいです。

 限られた友だち、それから能天気な母親、お互いを警戒するマスク同士たち。こんな私を好きになってもらえるのなら、どんな努力も惜しみません。うそです、痛いのはヤですよ。だから明日を一緒に(むか)えましょう。……ところで、明日って何曜日ですか?

 

 

 

 

 




 新たな物語の始まりを予感するユキ。
 そんな彼女の目の前に現れる、ふたつの影。一体なにを(もたら)すものか。
 溶接マスクのクダキ、隠された正体とは。

 次回、バイトする! 金ばっか使ってないで働けユキ!
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