「……重油みてぇだ。火薬類に気を付けろよ、引火したら……ブラキディオスどころの騒ぎじゃないかもしれねえ」
火薬庫の床にべっとりと残った黒い液体を、観察しながら男は言った。液体には粘着性があり、また独特の匂いから可燃性の高さがわかる。
「馬鹿げてますね。こんだけの火薬が……どうやって……」
「人じゃねえかもな。窃盗なら、こんなふうに油を残したりしねえだろ」
「人じゃない……?竜が火薬なんか取ってどうするんだか……。まさかハンターの真似事して大砲でも使うんですかね」
「アイルーくらい器用で賢けりゃあるかもな。どうする。人間に反感を抱くアイルーどもが軍団を組み、各地で火薬を集めて戦の準備をしてる……なんてなったら」
「中々面白いけど、やっぱりその重油の説明が付かないじゃないですか」
二人の男は調査のために火薬庫を訪れていた。
近頃、ドンドルマの周辺地域で武器庫の襲撃が多発していた。倉庫に保管されていた火薬という火薬が一夜にして煙のように消え失せ、そして現場には決まって大量の黒い液体が残されるという。この奇妙な相次ぐ事件は、過去ドンドルマに屈辱を擦りつけた一つの出来事を連想させた。
約十年前だ。当時の長老は初代撃龍槍を街の守護の証とし、ある武器倉庫に保管していた。その地理故に度々大型モンスターの襲撃を受けて来たドンドルマは、撃退の歴史を誇りとしている。初代撃龍槍は撃龍槍の元祖であり、また街の危機を幾度も救い、戦闘街ドンドルマのシンボルとして祀られていた宝であった。
ところがある日、武器庫の初代撃龍槍は大量の火薬類とともに忽然と姿を消してしまうのだ。遂には事故とも盗難とも特定できず、奇妙な消失事件に長老は胸を痛め、街の象徴たる初代撃龍槍を守れなかったことを後々まで悔いたという。記録によれば、その時も武器庫には大量の〝重油のようなもの〟が残されていたそうだ。
消えた火薬。残された重油。武器庫と火薬庫という違いはあれど、当時の事件との関連が疑われるのは然るべきだ。
「なあお前、初代撃龍槍撃ったことある?」
「残念ながらないです」
「……そっか。俺はある。まだガキでペーペーだった。親父が戦闘街の狩猟を請け負って、同行させて貰ったんだ。いい思い出だよ。翌年、今の撃龍槍が実装されたから、初代を最後に撃ったのは、もしかしたら俺かもしれねえ」
彼の父は偉大なヘビィガンナーだった。今はもう亡くなっている。背中のハンマーを撫でなら語る男は、尊敬していた父との思い出を懐古しているようだった。
ハンマーの親友である双剣使いは、それを静かに聞いていた。
…………
「闘技大会ぃ?」
まあた何を言い出すかと思えば……。そうシドはため息と共に肩を竦めた。ノイアーが貼り紙を持ってきたのだ。タンジアの港で闘技大会が開催されると大々的に広告されており、彼女の持つ貼り紙もその一つである。
「なんでまたそんなの出たいんだよ」
「お祭り好きだから」
あっけらかんとしてノイアーは言う。「そんなこったろうと思った」とシドは言うが、ダラハイドはすぐに乗り気になった。
「面白そうじゃないか」
あ。これ言い出したら聞かないパターンだ。シドとツバキが瞬時に察する。まだ参加するなど同意してないのに、ノイアーとダラハイドが目を輝かせて大会の詳細をあれこれ話出す。
ドンドルマやバルバレでも闘技大会は開催している。大方の流れはここタンジアも同じだろう。狩猟がSからBの三段階で評価される点も相違ない。大会と銘打つからには優勝者を決めるわけだが、勝敗はこの評価制度により判断される。予選で参加者を絞り込み、本戦で更に絞り込む。それで決勝戦に残ったハンター達が、やはり同じ条件下で狩猟を行う。狩猟成績の最も優れた者が優勝である。
「ったく……しょうがねえな」
先に了承したのはシドだった。
「最大参加人数が二人なら……まあ、いつものペアってことでいいのか?」
シドが尋ねた。〝いつもの〟とはツバキ・ダラハイド、シド・ノイアーのペアを指す。この〝いつものペア〟が決裂したのは、三日後の予選の時だった。
シドはゲンナリし、ノイアーは不機嫌な顔でゲートをくぐる。予選の相手はギギネブラであり、選択可能武器にそれぞれの得意なものがあったため、狩猟は順調になるかと思われた。
しかしながら闘技大会は通常の狩猟と大きく異なる。もっとも重視されるのは討伐完了までのタイムであり、罠や状態異常の付与も「いかにして討伐時間を短くするために使用したか」がポイントである。逆に、時間短縮に直接関係のない部位破壊などは点数にならない。そういった意識の差異が、共闘し慣れたはずの二人の連携をすこぶる粗悪なものにしたのだ。
結果として二人の成績は実力を十分に発揮出来たとは言い難く、予選をギリギリなんとか潜り抜けるという、とても苦い結果に終わった。
「シド、そう落ち込むな」
面白可笑しそうにダラハイドは言う。闘技の様子はツバキと共に見ていたのだ。
「ダラハイド、ツバキ、お前ら多分、あと数分で俺たちと全く同じ顔になるぞ」
疲れた顔でシドは言った。その言葉の意味を知るのは、それから十五分後の事である。
闘技大会では自前の武具を使わずに、開催側の用意した装備を使うことになる。ベテランから新米まで攻撃力・防御力・スキル構成が同じになるのだ。攻守共に同等の数値で狩猟を行い、タイムの良し悪しが技術力の表れという趣旨である。
また武器は自由に選べない。大会の定めた四種の中から決めねばならず、そこに自分の得意武器が含まれるとも限らない。
予選の相手はギギネブラであり、ツバキは迷わずヘビィボウガンを選択した。大会側が用意したのは比較的初心者でも扱える入門者向けのボウガンで、癖はないが代わりに威力・連射性ともに低い。
「低スペックな武器で素早い討伐をするためには、いかに正確に弱点を狙えるかが重要である」というのが、審査員の意図だろう。
ところでダラハイドは何を選ぶのか。今回、選択可能武器に大剣は含まれていなかったのだ。大会の提示した武器はヘビィボウガン、スラッシュアックス、太刀、狩猟笛である。シドと同じく太刀か、ノイアーのように剣斧を使うのか。ガンナーはイマイチ想像つかない。
だが実際に彼が手に取ったのは、全ての予想を裏切って狩猟笛だった。
「うそ?」
「確か狩猟笛はハンマーの派生だろう。ハンマーなら使ったことがある。この中では一番コツが掴みやすい」
「ダラハイド……旋律わかるの?」
「知らん」
ツバキは嫌な予感がしたが、一度決めたら変更出来ないのも闘技場の仕様であった。
…………
「スタンは取ったろ」
「旋律の一切ない笛ってどうなの???」
「そう言うなよ。なんとか予選は通過できた」
「どうせ力任せなら他の武器で良かったじゃない……」
ふらふらとした足取りで、シド同様ゲンナリしたツバキが言った。シド、ノイアー組に負けず劣らずのギリギリ具合である。
明日からは本戦だ。しかしこんな状態で勝ち抜けようものなのか。相手はドボルベルクの亜種で、最大参加人数は同じく二人。より審査内容の厳しくなる本戦を、このまま勝ち抜ける可能性は低いのでないか。
「どうだ。ペアを変えるか」
そこで、提案したのはダラハイドである。何かを賭けて挑んだ大会ではないが、やるならば最良を求めたいのもまた事実である。
「ツバキ、私と組もう!」
真っ先にノイアーがツバキに飛び付く。砂原の一件以来、ノイアーとツバキは随分と打ち解けた。今じゃ時折、ノイアーは妹のようにあどけない笑顔を見せてくれる。
ツバキはウンと頷きかけて、寸出の所で留まった。ダラハイド以上に好き放題するノイアーと、果たしてタッグが組めるのだろうか……と。彼女は強いが、闘技大会の基準においては、一概に頼もしいとは言い難い性格の持ち主なのだ。
「まあ、ノイアーちょっと待てよ」
ツバキが断りを入れるより早く、シドがノイアーを引き剥がす。
「ツバキと俺は連携を重要視するあまりロスを喰った。で、ノイアーとダラハイドはマイペースすぎて噛み合わなかった。なら、ツバキとノイアーが組んでも結果は同じだろ。下手したら悪化するぞ。それとも二人できっちり作戦立てて、段取り通りに動けるか?」
「作戦考えるのめんどくさい。でも、じゃあどーすんの」
「俺とツバキが組む。ノイアーはダラハイドと組めよ。こういうのは考え方の問題だからな。協調性重視かマイペースか、合わせるよりそれぞれとことんってことだ」
ノイアーは「なるほど」と頷いた。
…………
本戦の討伐対象はドボルベルク亜種だ。順序のせいか時間は遅く、空には月が輝いている。
ダラハイドとノイアーは、門の向こうで鎖に絡まれる巨躯を見上げる。ゲートが開いて捕縛する鎖が放たれたなら、ドボルベルク亜種は真っ先に襲いかかってくるだろう。
ダラハイドが手にしたのは片手剣だった。曰く「軍学校で一通りの基礎を学んだ武器」であるらしく、少なくとも狩猟笛よりは期待出来そうな口ぶりだった。
「軍学校……?ダラハイドは難しいことばっかだ」
「そういってくれるなよ、ノイアー」
「軍学校っていうのは全部の武器を習うの?」
歓声は割れんばかりの声量なのに、円形の闘技場はそれを遠くに感じさせた。四方の松明が揺らめいて、夜空に紅い光を差した。銅鑼が鳴ったら開始の合図だ。モンスターは拘束を解かれ、闘技場へのゲートが開く。
「……いや、歩兵はランスが多かった。それに遠距離武器の扱いを習う。バリスタに近いが、勝手がやや違ったな。……だが、最初は皆片手剣を修練したんだ」
「なんで?片手剣って決まりなのか?」
「全武器の中で最も生存率が高いと言われるのが片手剣だ。新兵を育成する目的に作られたそこで、教官が最初に命じたのは『死ぬな』だった。まず覚えるべくは攻撃でも援護でもなく、死なないための立ち回りだと」
軍団とは、個の力に重きを置くハンターとは本質が異なる。百や千、時に万を超える人間で連携しなけりゃならない。その分作戦も大規模で、求められる技術も違う。
しかし、「片手剣ほど持ち手を守る武器はない。なにより強いのは死なない兵だ」と、当時ダラハイドの教官はそう言ったのだ。
「まぁ、その教育方針も一年を待たずして教官ごと変わってしまったがな」
軍の方針が変わるということは、軍事状況の変化があったということだ。
そろそろいくか、そうダラハイドは片手剣の柄を握る。感触を懐かしむような眼差しだった。
「どう変わったんだ?」
「『一人で死ぬな。敵を殺すために死ね』だ。教官も、同じ学舎の者たちも、仲間ではなかった。俺たちは仲間ではなく組織だったんだ」
ダラハイドの祖国は、今はもうない。かつて彼がそう言った。
「それはやだ。死ぬなら、自分のために死ぬよ」
「そうだな。だからお前たちとの出会いは尊いんだ。ずっと、俺にとって共に戦う者とは、組織でしかなかったからな」
ノイアーが眉をぴくりとさせる。手にしたのは弓だった。これにはダラハイドも意外そうな顔をする。
「流浪の民の基本だよ、弓は」
ノイアーは得意げな顔だった。試し撃ちに力を込めて射れば、矢は天高く放たれたのちに弧を描いて落下する。
「曲射か」
なるほど、と頷く顔は、見たことのない表情だった。
「長話だったな、そろそろ行こう」
ダラハイドがそう声をかければ、途端にノイアーが走りだす。
彼女は振り返えらずに言った。
「私は一族を離れたから、誰にも頼らず生き抜くものだと思ってた。でもシドが仲間ってなにか教えてくれた。ちょっと似てるね!」
そのまま、勢いよく闘技場の中へと飛び込んだ。
…………
「こっちも、か」
ハンマーを背にしたハンターは、惨状を悔みながら言葉を落とす。ドンドルマより西に位置するその場所は、度重なる大量の火薬盗難事件を警戒し、厳重な施錠を幾重にも施された場所だった。
だのに、鋼鉄の建物は屋根ごと飛ばされ、ヘドロにも似た重油がそこら中にこびりついてる。火薬はごっそりと奪われて、見張りについた兵に息のある者はいなかった。
「遺体を見る限り二日経ってないですね。こいつはいよいよ、超大型モンスターの線が濃厚、ってところでしょう」
双剣使いは大地に残る、尻尾を引きずったような砂の跡を指差した。
「……だな。こいつはグラビモスよりデカい……」
未だその姿を捉えることは叶わずとも、度重なる調査は生態のヒントを幾つも残した。ハンマーは無骨でガサツだけれど、中々頭の切れる男だ。集めた情報を頭の中に収束させれば、長年の経験が未知の敵の輪郭くらいは浮かばせてくれる。
「尻尾がこのような跡を残すなら、二足歩行の可能性が高いですね。それに屋根は〝上から〟攻撃されてる。飛行能力もあるのかも」
「あるいは屋根よりデカイか、だな」
双剣は片手を大地に着き、重油にまみれた地獄絵図をじっと眺める。彼とて賢く理知的だ。なにより観察力に長けている。
「厄介そうですよ。この重油、粘着性を維持したまま硬化してます」
「……するってえと、どうなる」
「剣速が鈍る、斬れ味を発揮出来ないかもしれない。弾なら……溶けるのか、いや、キャッチされるっていうべきですかね。貫通しない」
「……無敵じゃねえかよ」
笑えない話だ。この重油がどこから発生するのか知らないが、体皮を覆うような場合は最強の鎧になってしまう。ブラキディオスの粘菌のように攻撃に特化したものだとしても……と、言いかけてハンマーは口を噤んだ。大概は攻守、どちらにも応用されるものだ。ブラキディオスの硬殻だって、爆破を利用して硬化し続けてきたものなのだから。
「……!なにしてるんです!」
はっと顔を上げた双剣は、マッチを取り出すハンマーの姿に目を見開いた。信じられないことだ。この重油に似たヘドロは引火性がかなり高く、発火は爆発に直結する。気化するのかはわからないが、気化してた場合はこの辺り一帯が吹き飛ばされてしまうだろう。
「死にますよ!!」
「ああ、つけたりしねえって」
「じゃあなんですか……」
双剣使いは呆れ顔だ。いや、な。そうハンマーは言葉を続ける。
「油なら、水は駄目だ。水と油って言葉もある。なら氷も期待できないよな。油はどうすりゃいい」
「……このヘドロの対策ですか」
「そうだ。なあ、油は冷えれば固形に近づき、熱されたら液体に近づく。重油の鎧は、それでどうにかならないか」
ハンマーの脳裏には一人のガンナーの姿が浮かんだ。……彼女なら、それが巨躯の彼方上方にある頭部であろうが胸部だろうが、きっと撃ち抜いてみせるだろう。あの銃は、アグナコルピオだ。アグナコトルの素材で作られたヘビィボウガンは、貫通弾のみならず火炎弾の連射性能にも優れていたはずだ。
「一理あると思いますよ」
「うっし、手紙を出そう」
………
めき、と弦の軋む音がする。細腕に不似合いな筋力が、目一杯に矢に力を込めたのだ。曲射と呼ばれる技法のそれが、ドボルベルク亜種の背中に降り注ぐ。コブに亀裂が刻まれた。ノイアーの弓がヒットしたのだ。
振りしだかれた斧状の尾が、ダラハイドの前髪すれすれの所を通り過ぎてく。
「ダラハイド!!」
控え室から観戦していたツバキは、間一髪免れた攻撃に声を上げた。シドも真剣な眼差しを向けている。
日頃から危なっかしい二人は、こうして見てれば普段以上にひやひやさせる。ダラハイドは振り返ることもなく、いつもより身軽に剣を構えた。風切り音がキンキン激しい。
「すごいな、ダラハイドは盾も武器として使うのか」
感心するようにシドは言った。ドボルベルクの額に向かって、ダラハイドが盾で殴りつけてみせたのだ。
小さく見えても重たい盾だ。眩暈を促す一撃だろう。小さな剣身が残像を残して振るわれる。
二人に連携といえる動きは皆無であった。まるで互いを気遣わず、猛攻ばかりが続いてく。
ドボルベルクは翻弄されてるようにも見えた。滅茶苦茶ならば、滅茶苦茶を突き詰めてしまった方がずっといい。そんな奇妙な戦法だった。
良タイムが出るのでないかという予感が確信に変わったのは、ダラハイドがスタンを取った時だ。地響きと共にドボルベルクが横たわり、時間差で尾先が地面に刺さる。限界まで矢を引いたノイアーが、渾身の一撃を突き刺そうと構えてた。
異変が起きたのは、ちょうどそんな時だった。
……雨か?
ダラハイドは最初にそう思った。夜空は快晴だったのに、雫が鼻先を掠めたためだ。気が付けば僅かに霧が出ている。直後に悲鳴が響き渡って、その異様な光景をまじまじと見た。
影がノイアーの頭にかぶさった。彼女は不思議そうな瞳で頭上を見上げ、滴り落ちる水を見る。
空に、翡翠色のモンスターが〝浮いて〟いる。
「は……?」
飛んでいるのではない。浮いているのだ。
それは、ガノトトスだった。脚と首が力なく宙を揺れている。腹から吊るされてしまったように。
水気を孕んだ尾鰭から、風のたびに雫が滴る。闘技場のほぼ中央、その上空に、縄も用いずにガノトトスが浮いていた。その面立ちは白目を剥いており、ぴくりとも動かない。死んでいるのはすぐにわかった。わからないのは、空中で静止するという状況だった。
何故浮いてるのか
何故ここにいるのか
何故死んでいるのか
この奇妙過ぎる光景は、瞬時に数多の疑問を呼び寄せた。だがじっくりと考察する間はどこにもなかった。
「ひっ、」
ノイアーの悲鳴が短く上がる。落ちてきたのだ。
手早く手放した矢がスタンしているドボルベルクのコブへと刺さる。直後、ガノトトスがノイアーとドボルベルクの間の地面へ叩きつけられた。それでもやはり、ガノトトスは動かなかった。まるで、人形が無造作に放られてきたかのように。
「ノイアー!こっちだ!」
ダラハイドが叫ぶ。闘技に乱入などあるあずがなく、これは明らかな異常事態だ。シドは控室から太刀を手に取り、ノイアーを助けに行こうと構える。自前の装備でないのが泣きたくなるほど、用意された防具はスキルが充実してない。それでも、あの闘技場の中が混沌にあるのは見てわかる。ついさきほどまで晴天であったのに、霧が見る見る濃くなってゆく。あまりに不穏な様ではないか。
「くそっ、ダラハイドっ!なんでガノトトスが!!」
緊急回避で難を逃れたノイアーは、鼻先に砂埃をつけていた。擦りむいた肘をさすりながら、立ち上がりに辺りを見回す。なにかが妙だ。
「シド!なんかいる!加勢しよう!!」
ツバキが控室のハンマーを手に取った。
「使えるのか」
「兄貴の武器だ。いつも見ていた……!」
「ツバキ、この状況の正体はわかるか」
「……わからない、けど爪かなにかの風切り音がする。姿を消せるモンスターかもしれない!」
シドがさあっと青褪める。姿を消せると聞いて、真っ先に浮かんだのがオオナズチであるためだった。
風を斬る音がする。音は場内をあちらこちらへと動き回っては、時折不意に気配を無くす。観客達が我先にと後ずさる。もう誰も、討伐タイムなど気にしてなどないだろう。
そんな場内の中央で、ノイアーは地に伏すガノトトスの影に立ち、速すぎる音だけを聞いていた。
「ダラハイド……この音、なんなんだ。すごく速い」
風切り音はまだ加速する。やがて、北西に掲げられてた松明が、風圧に揺らめいて消えてしまった。北東、南西……南東。続くように、次々松明の炎が消されてく。
「ノイアー!退避しろ、オオナズチかもしれないっ!!」
シドがゲートをこじ開ける。闘技場はモンスターが脱走しないよう、一度踏み入ればモドリ玉なしには戻れないよう一方通行に出来ている。故にシドが外側から閂を外したのだ。
「早くしろ!ダラハイドも!」
キン、と高い音がした。今のは何か、確認より早くスタンから復活したドボルベルクが咆哮した。
「…………棘?」
ノイアーが眉をしかめた。ドボルベルクの横腹に、紫色の棘が光っていたのだ。ドボルベルクは威嚇したのではなく、痛みに叫んだのだ。
棘は成人女性の肘から先ほどの大きさがあり、また毒の付与効果があるようだった。刺されたドボルベルクの表皮が瞬く間に変色してゆく。毒投げナイフや仕込み針のような攻撃だったのだろう。
「でも、オオナズチに棘は────」
何か言いかけた刹那であった。ノイアーが、〝なにもない〟所から唐突にすっ飛ばされたのだ。
横殴りの一閃だった。打撃は腹に来たらしく、彼女の体躯がくの字にしなり、そのまま壁際に放られる。
飛ばされた張本人すら、なにが起きたか理解してないなかった。ただ、濃くなりつつある霧の間に間に、鋭い殺気だけが残ってた。
「ノイアー!!」
シドが駆け寄る。彼女今はガンナー装備だ。普段以上にダメージが大きかったはずだ。
「馬鹿、ノイアー!大丈夫か!」
急いて身体を支え起こせば、かろうじてダウンを免れるほど、ノイアーの体力はごっそり削り取られていた。消えた松明、濃さを増す霧、ぼんやりと浮かぶ月明かり。そこはもう、先ほどまで明るく賑わっていた闘技場とは、別世界のようだった。
「くそ、この霧……!やっぱオオナズチか……!」
「が、う……」
「……?!おい、とりあえず回復しろ!」
「シド、なにも、盗られてないっ……、こいつ本当にオオナズチなの……?」
ノイアーがよろよろ立ち上がる。直後、今度はダラハイドの呻きが聞こえた。
「ダラハイド?!」
「ぐ、毒、だな、……」
オオナズチは毒を孕んだ霧を吐く。瞬時にシドは頭を低くし、自らの感染を防ごうとした。
「シド、違う。毒の正体はこいつだ」
ダラハイド左肩を顎でしゃくった。そこには、ドボルベルクと同じく紫の棘が刺さってる。
「ダラハイドっ危ない!!」
ツバキが飛び出し、ハンマーを真横に振り抜いた。普段ヘビィを構える姿と対照的に、彼女の跳躍は俊敏だ。背後で興奮しながら角を振りしだくドボルベルクのこめかみに、ツバキのハンマーは食い込んだ。
だがシドは、ドボルベルクすら何かに怯えているように思えた。
「驚いたなG級ハンター殿。ハンマーも上手い」
「ダラハイド、軽口はいいから解毒して!」
ツバキの上体が捻られる。彼女の上半身ほどもあるハンマーが、込められた力に光を放った。空は月が美しいのに、何故こんなにも不穏に満ちてゆくのだろうか。パニック状態のドボルベルクが、一心不乱に暴れ狂う。
「う、らあッ!」
ツバキらしからぬ無骨な声で、ハンマーが再び振るわれた。鉄塊は振り向きざまのドボルベルクの踵を挫き、再び巨躯のバランスがぐらりと揺れる。
ダラハイドはとどめを刺そうとした。しかし、ドボルベルクの息の根を止めた一撃は、全く異質のものだった。
ひゅ、と風が鳴る。真空すら生み出しそうなほど、鋭すぎる風切り音が四人の間を擦り抜けたのだ。
コン、と軽い音がして、かと思えばドボルベルクの頭部が斜めを向いた。刹那の間に、その顎がばっくり切れている。
「伏せろツバキ!!」
後方からシドが叫んだ。その声が聞こえなければ、ツバキはモロに強烈なそれを喰らっていたかもしれない。屈んだ頭上一センチを、〝なにか〟が恐ろし速さで通過したのだ。前髪の先がぱらりと切れて眼下へ散った。
〝これはオオナズチではない〟
最早全員が確信する。霧の合間に、満月がぼんやり浮かんでる。
こひゅ、と奇妙な音がした。
かと思えばドボルベルクは白眼を剥いて、口の端から泡を吐く。首が不自然な方向へ捻れていたのだ。何が起きたかわからないまま、ツバキは謎の敵の正体を探る。直後にドボルベルクは胸部がすっぱり斬り裂かれ、真っ赤な血を周囲へ飛ばした。
人間の攻撃ではなかった。まるで、かまいたちのようだった。
ドボルベルクが仰向けに倒れ、その衝撃で地面が揺らぐ。
なにも、見えない。
その事実が恐怖を蔓延させてゆく。ダラハイドは解毒剤を飲み干して、紫色に変色した傷跡を見た。
「……見たことのないものだ」
一呼吸の合間であった。突如、シドの太刀が弾かれる。敵は武器を狙っているのだ。衝撃に痺れる指を気合で握り、シドは攻撃の方向に探りを入れた。
ツバキはそれを見逃さず、ハンマーを構えたまんま駆け寄ってゆく。
「聞こえた!こっち……!」
彼女の鼓膜が捉えたのは、それはバックステップのような気配であった。砂埃が僅かに舞ってる。彼女はハンマーに力を込める。ただの一撃でいい、手ごたえさえあったなら。そう担いだ武器に光を宿す。
だのに無情にも、敵はそれより速いのだ。
一瞬、残像だけが映った気がした。
「…………、う、」
悲鳴のいとまもない。まばたきのあと、ツバキは天を仰いでる。……なんで、仰向けなのだろう。左右に開かれた両腕が、重たい質量に痛みを伝えた。
なにかにのしかかられている。何度も何度もまばたきをした。この距離なら、僅かにその輪郭が浮かぶのだ。獣の匂い、爪だろうか、鋭利なものが腕に食い込む。かなり大きい。
「ツバキ逃げろ!」
直後に信じらないものを見る。見えない何かに、シドが乗っかったのだ。腕を回して、振り落とされないようしがみつく。暴れているのだろう、シドの身体は振り回された。
「ノイアー、ここだ!!」
「うん!」
その正面で、ノイアーは弓を構えてる。あれは……ペイント塗料だ。瓶に詰めてぶら下げられた矢の先が、シドがしがみついてる〝なにか〟に向けられている。
その時になってはじめて、四人は見えない敵の咆哮を聞いた。開いた口内だけが薄っすらうかぶ。見えないのは、外皮だけの効果だったのだ。
矢が放たれて突き刺さるのと、シドが振り落とされたのは同時であった。
敵の拘束から逃れたツバキは、一瞬だけ眼光の残像を目視する。それは怒りを体現したかのように、何より深い赤だった。……あれは。記憶がざわめく。聞き覚えのある咆哮だった。
ダラハイドが走る。切っ先は今まさにツバキに降り注がんとした、塗料まみれの敵の一撃を横から弾く。
月が隠れた瞬間に、ツバキはその姿をはっきりと見た。
「青白い……ナルガクルガ……」
……………………
「手痛くやられたな」
最早闘技タイムなどわからないけど、ダラハイドもノイアーもそれを気にする様子は見られなかった。傷跡に包帯を巻きつけながら、骨に異常がないかを確認してる。
腫れのひかない箇所もあるけど、骨が無事ならそれでよかった。
「そんなことより」
ノイアーが言った。
「追おう。自分の装備なら負けなかった」
闘技大会本部は場内を封鎖して、あの〝透明な竜〟の捕獲を試みようとした。それを察したのだろうか、青白いナルガクルガは風より速く、空の彼方へ飛び立ったのだ。
……逃した。四人はそう思ったけれど、実際には「助かった」のが正確だろうか。皆々不慣れな装備であったし、アイテムも有り合わせのためだろう。思うように戦えないもどかしさの中、防戦一方となってしまった矢先であった。
「……言うと思った……」
ため息まじりにシドが言う。ノイアーのつけたペイント塗料は、ナルガクルガの軌跡を示すかのように落ちていた。あの蛍光色の後を追えば、いずれ住処に着くのだろう。
「どうだ、G級ハンター殿。得意の銃で対峙したい敵とは思わないか」
ダラハイドもまた乗り気らしく、そうツバキに笑いかける。ツバキは一度息を吸い、吐き出してから静かに言った。
「一瞬だけ姿が見えた。あれはナルガクルガだ。だけど青白い」
あの、刹那ほどのわずかな時間、月が隠れた瞬間だった。ツバキは確かに姿を見たのだ。
真っさらな白い体毛と、青い月と同じ色に光った鱗。体躯はかつて見たことのあるどんなナルガクルガよりも巨大であった。
ひゅう、とノイアーが口笛を吹く。「ルナルガ?」
囁く瞳は悪戯だった。そしてなにより好戦的だ。
「……?なんだそれは」
「ルナ、砂原の民の言葉で月。ルナ、ナルガ」
月の、迅竜。その表現に、シドはハッと顔を上げる。
「…………希少種か……!」
ツバキもまた頷いた。
「追おう」