……あれは、どれくらい遡るだろうか。シドとノイアーが、出会ったばかりの頃だった。
見事なものだな、と人は言う。矢が的の中央を連続して射抜いたからだ。精神を落ち着かせたいときに、シドは度々弓を射る。昔習っていたことがあるし、稽古場では腕前は一番だとも言われてた。
では何故狩猟に弓を用いないのか、理由は明白だ。目の前の的は〝動かない〟そしてモンスターは〝止まらない〟
シドはじっくりと集中し静止した的を射るのに長けて、動き回る敵を射抜く腕には及ばない。だから、戦闘はいつも太刀を使った。剣術は東国独自のもので、それに応じた剣もまた独自の形状を成している。和の国の誇る片刃のこれこそ、彼が最も愛する武器だった。
何故今、太刀ではなく弓を持つのか。ようするに精神を落ち着かせたいからだ。つまるところ動揺していて、それでいて困り果てていた。手負いの獣を拾ったのだ。……いや、実際には獣でなく女だが、獣と形容されるほどの威圧を孕んだ目をしてる。
渓流で死にかけた剣斧使いを拾い連れ帰り、自分のベッドに寝かせておいた。治療は最善を尽くしたもので、その甲斐あって三日三晩寝込んだものの体調は大分持ち直したものと思われた。彼女が意識を取り戻したのは四日目の朝だ。
目覚めた時、見知らぬ天井に浮かべた表情は困惑だった。そりゃあそうだろう。彼女からしたら最後の記憶は渓流での戦闘だろうし、目覚めたら布団の中とは不思議に思って然るべきだ。
朝の鍛錬を終えて帰宅した彼は、よかった、目が覚めたんだなと喜んだ。しかし彼女は折れた脚の痛みを堪えて、そんな彼の胸倉を掴み押し倒して威嚇したのだ。
「何が目的だ。いいか手負いの女と舐めてくれるな、手足が折れようが咬み殺してやる!」
彼女は、シドに馬乗りになってそう怒鳴ったのだ。褐色の肌は未だ傷を深く刻んだままだった。包帯だって取れてないのに、痛みを堪えて吼えるのだ。彼女の犬歯が光って見えた。
違う、誤解だ。これ以上怯えさせないよう彼は言ったが、彼女は混乱の中精一杯の自衛に努めようと頑なだった。
だが睨み合いは長く続かなかった。癒えきらない身体が悲鳴を上げるように、彼女がぐらりと倒れたのだ。数日に及ぶ睡眠から急に動いたものだから、貧血を起こしたようだった。シドは暫し呆気にとられた後に、なるたけ彼女が痛くないよう起き上がり、彼女を再びベッドに寝かせた。
……どうしたもんか。彼女にどう接するべきか。考えても考えても一向に答えが出ないのだ。とりあえず害意がないことだけでも伝えたいが、どうにも方法がわからない。
幾分落ち着いたところで汗を拭って、とりあえず道具屋の娘にでも相談すべきか思案する。同じ女なら、わかることもあるかもしれない。最後の矢をゆっくり引いて、真っ直ぐ的に向かって放つ。矢はやはり、的の中央を射抜いてみせた。
その時だ。部屋の中からガタガタと騒々しい音がした。
…………
「馬鹿!ちゃんと休め!俺んちが嫌なら宿を貸してくれそうなとこ探してやる、そんな身体で狩猟って阿保か!」
「いらない。治った。集会所はあっちでしょう、もう行く」
壁伝いに彼女が進む。その目は彼を微塵も信用しておらず、同時に闘志に燃えていた。狩猟って、一体何を。そう問う彼に彼女が返す。……イビルジョーだ。先の狩猟で乱入してきたイビルジョーに、彼女は挑むつもりらしい。まだ渓流にいるだろうって、完全にくっついてない脚を引き摺る。彼は正気を疑った。イビルジョーは強敵だ、万全の状態でも手こずるだろう。それをこんなフラフラした身体では、無謀という言葉すらも生温い。完全に自殺じゃないか。
……しかたない。
斯くなる上はとシドは手を振り上げる。彼女の首の後ろに向かい、強かに手刀を落としたのである。どう考えても冷静でない彼女には、一先ず意識を手放してもらうのが手っ取り早い。
手負いの女は、糸が切れたようにぷつりと身体の力を抜いた。そのまま、前屈みに倒れる身体をシドが支える。
こうして、元のようにベッドに寝かせるのも何度目だろうか。あまりにとんでもない拾い物をしたようだった。
……………………
「……くそ!どこ行ったあの馬鹿……!」
その晩だった。
油断してうたた寝した隙に、剣斧ごと彼女の姿が消えた。話しぶりから察するに、渓流に赴いたものと見当がつく。急いて装備を整えたのち、彼は一目散に渓流に向かって走った。
あんな身体じゃ、本当に死んでしまいかねない。急がなくては。心臓がばくばくと煩く鳴った。
名前も知らない剣斧使いは、眠る間ずっと険しい顔だった。ひどく気性の荒いあの女が、死なないように彼は走る。夜の渓流は、光虫が水辺をぼんやり照らして美しかった。
彼は目を細める。光虫に混じり雷光虫も飛んでいる。
それ自体は別段不思議なこともないが、疑問は場所によるものだった。ガーグァのよく見かける水場に、雷光虫が存在するなど珍しいのだ。何故なら雷光虫の天敵はガーグァであり、ガーグァからすれば雷光虫は大好物だ。瞬く間に食い散らかされる。ゆえに、雷光虫は水辺には近寄らないものだという認識だった。
……なのになんでだ?彼は考える。一帯は静かだ。どこかにイビルジョーが潜んでいるなど思えぬほどに。
自然と視線は水辺の先を追いかけた。浅い小川の先には茂みがあるが、光源が疎らで闇が唯ずむように見えた。草木が一瞬さわさわ揺れる。風ではなかった。
……なにかいるのか。目を凝らす。
背の低い茂みが僅かに震える。そうと気付けば小さな気配を確かに感じた。
なるたけ足音を立てないように忍び寄る。小川は斜めに逸れてゆき、やがて足場が岩に変わった。そこに、黒く細いものが伸びている。
「……!」
足だった。
人間の、ふくらはぎにあたる部分が茂みからだらんと放り出されているではないか。つまりこの足の持ち主は、うつ伏せに寝そべってることになる。足はぴくりとも動かない。黒く見えたのは、その肌が褐色のためだった。その色と細さに浮かぶ人間はたった一人だ。……彼女がここに倒れてる。
瞬間彼は気配を殺すことをやめ、駆け足に近寄り茂みを割いた。血の匂いはしなかったけど、まさか既にやられたのか。嫌な汗がじっとり浮かび、心臓が早鐘を打っている。
乱暴に草根を掻き分けると、次に視界に飛び込んだのは顔だった。
うつ伏せに寝そべったまま、顔だけこちらを向けた彼女と目が合う。その唇に、人差し指がぴんと立ってた。「しー」と潜めた吐息のような声がする。音を立てるなと、静かに彼女が主張してくる。
ぱっと見に負傷は見当たらないが、ならば何故横たわっているのだろうか。刹那の安堵の次には、困惑が頭を支配した。
彼女の指が、ちょいちょいと手招くような所作をする。静かに、音を立てずにこっちへ来て。彼女の言わんとすることはそんなところだ。わけがわからない。わからないのに、彼はなすがままに従った。一体何があるのだろうか。
同じ視線の高さにしゃがんで、暗闇に目を細めてみる。念を押すように彼女はもう一度「しー」と言った。それから、ゆっくりともう片方の手で目の前の草を掻き分ける。その先はちょっとした崖だった。
岩が崖から突き出すような地形をしており、先端の草根を分ければ崖下が見える。ハンターなら、難なく飛び降りれるほどの些細な高さだ。
崖下は水が泥濘む浅瀬と、草原が半々となった平地であった。そこに白い影が二つある。
……ジンオウガだ。ジンオウガの幼体が二匹、じゃれあっている。
幼体は成体と比較すると帯電毛の割合が多く、白く輝いて見えるという。これは未発達の蓄電殻を保護するためだと言われていた。幼体を見るのは初めてだったが、目の前の小さな二匹の獣は、その知識に違わず白くきらきらと輝く毛並みで、未発達な爪や牙を互いの背や尻尾に向けて遊んでいた。それで雷光虫かと納得をする。
彼女はここに寝そべって、それをこっそり眺めていたというわけらしい。ふと見た横顔は、可愛らしいと言わんばかりに朗らかだった。
その瞳が、首を動かさず黒目だけきょろりと動いて彼を見る。それから少し悪戯そうに細くなる。
〝見て見て〟……そう言いたげに、指が二匹のすぐ横に無造作に置かれた樽を指す。
「ばっ……大樽爆弾……!?」
「しー……。違う。ただの大タル。火薬は調合してない、空っぽの樽。さっきこっそり転がしたんだ」
耳元で、内緒話するみたいに彼女が言った。子供みたいな口調だ。昼間の殺伐とした様子がすっかり溶けてる。
樽には爪痕や噛み痕がある。きっと、彼が来るより前に一頻りあれでも遊んだのだろう。彼女は楽しそうな顔だった。
兄弟かなあ。ぽつりと聞こえる。よく見れば、僅かだが片方の身体が大きい。それにやや爪も鋭く見える。雌雄はわからないが、漠然と雄を連想させた。だから兄弟と勝手に思った。
彼は注意深く周囲を見たが、成体……つまり親の気配はどこにもなかった。幼体のジンオウガはガーグァよりも身体が小さい。だから、可愛らしく見えてしまうのだ。白くふわふわとした毛が、土の上を楽しげに転がる。無双の狩人と名高い牙獣の、あまりに無邪気な時代である。
やがて二匹は、おいかけっこのつもりだろうか。競い合うように茂みの奥へと走って消えた。
「喉に傷があった。あのジンオウガ。周辺に戦いの痕跡はなかったから、どっかで転んだのかも」
ベースキャンプで肉を齧りながら彼女が言った。
イビルジョーを探しに渓流に来たところ、あの二匹を見つけてすっかり和んで眺めていたという。あの後再び渓流を探索しようとした彼女を止めたのはシドだ。
怪我が完治するまでは駄目だと口厳しくし、それでも中々彼女は頷かなかった。しかし肉を焼いてやると言った途端に、彼女は「わかった」と頷いた。食べ物一つで頑固が素直に早変わりとは何事なのか。
そうして食事にありつく最中、唐突に彼女はそう言ったのだ。深夜の渓流は、虫の鳴き声がほのかに響く。
「……そんなドジだったか?ジンオウガは」
「怪我してたんだもん。でも、血の匂いはしなかったから、よく考えてたら古傷かな」
狩ろうとはしなかったらしい。可愛らしいから、眺めてたのだと。
「……まあ、よくわかんねえけど、そんなことより────」
「ありがとう」
彼の説教を彼女が遮る。どこまでもマイペースだ。だが不思議と、剥き出しだった敵意は消えていた。
「私の故郷、盗賊とか多いから……。
でもあんたは、私に何もしなかった。あんたは私を寝かせて、額に冷たいタオルを乗せて、それ以上何もしなかった」
「……いや、いい、礼なんざいらない」
「へんなやつ」
「言っとくがお前のが変だ」
言い返せば彼女が笑う。そんなわけあるか、あんたが変人だって。なんたってこんな夜中に、見ず知らずの女のために駆け付けたり背負ったり肉を焼くのだ。間違いなく変人だろう。そう言って彼女がからから笑う。笑顔はとても幼く見えた。
「私はノイアー。名前を教えてよ」
やがて彼女はそう言って、シドに名前を尋ねたのだった。
・ ・ ・
きっとあの時からだ。
シドは自覚する。あの笑顔にやられちまった。あの時から、彼女を────
フォンロンの塔の上階にモドリ玉でノイアーを運び、支給品ボックスの横に彼女をそっと座らせた。いくら回復薬や秘薬があっても、折れた骨を即座にくっつけてくれるものではないからだ。
「……加勢に行く。ここで、大人しく待っていてくれ」
恥ずかしさのあまりノイアーの目を真っ直ぐ見れずに、それでも冷静さを繕うようにシドは言う。いつも生意気に逆らってばかりのノイアーは、その時ばかりは妙に素直に「わかった」とだけ頷いた。
「…………悪い。今は、動揺したくねえんだ。戻ったら自分の口で言うから」
「シド、私シドのこと一番好きだよ」
「だから、聞け馬鹿。お前の『好き』とは違……」
「シドの子供産んでもいいくらい好きだよ」
「こどっ……!?!」
なんたる爆弾発言なのか。おい、そいつは初耳にもほどがあるぞ。まさかとは思うが彼女、キャベツの中から子供が出てくるなんて思っちゃいないか。
驚愕のあまり口をぱくぱくさせてると、ノイアーは呑気に「変な顔」と言って笑った。
「……っ、いい、いいから待ってろ馬鹿!じゃあな!」
シドは半ば逃げ出すように、ツバキたちの戦うフィールドへ飛び降りる。今は、先ずは、ルナルガを倒さなくてはならないからだ。
………………
上階から飛び降りて戦闘に戻って来たら、ダラハイドは左足を引きずっていた。ツバキはスタミナを削って肩で呼吸をし、手持ちの弾薬をリロードしている。なんとも毒棘が厄介らしく、解毒薬は残り僅かだと彼女が苦い顔をした。
「悪かった、ノイアーは……大丈夫だ」
ぶっきらぼうにシドが言えば、その表情にダラハイドが小さな笑みを作った。なにかを察したらしい。……いやな鋭さだ。シドは思った。
ルナルガは片腕の爪が割れてた。強靭な刃翼には刃毀れがあり、また後脚にも切り傷がある。二人が奮闘した痕跡だった。
疲弊したダラハイドが目下ターゲットにされているのは、〝暗殺者〟とも呼ばれるナルガが、弱った順に仕留めるという本能を持つせいであろうか。闇から赤い眼光が残像を残しながら、ダラハイドの背後に回ろうとする。シドの抜刀がそれより一瞬速かった。そのままシドは前へ踏み出し、渾身の鬼刃斬りを放つのだった。
斬撃が大きな衝撃波を呼ぶ。空気ごと割りそうな一撃は、しかし一度で終わらなかった。まるでスタミナを無尽蔵にしたかのように、シドの猛攻が止まらない。赤い錬気と、青白い光が放たれる。ツバキは数度瞬きをした。〝そのスキル〟を、実際に見たのが初めてだからだ。
スタミナ消費量が四分の一程度まで抑えられ、かつ会心率が五十パーセントも上昇するという驚異的なそのスキルは、強力さと引き換えに一定の発動条件を課せられていた。それを今、満たしたのだろうか。ハンターはこれを、『力の解放』と呼んでいる。
今まで見た何より強く、早く、惜しみない力を注ぎ込み、シドはルナルガを追いかける。まさに、鬼神みたいに。
ノイアーが削り、ダラハイドが抑え、ツバキが撃ち抜き、ここまでみんなで追い詰めたのだ。その最期の一撃を決めたい。シドは残る力の全てを注ぎ込むように、全身の力を解放していた。
……ルナルガを、倒す。そして、そうしたら、ノイアーに────
「……悪いな、ちょっと待ってくれ」
刹那、男の声は、まるでそれを遮らんばかりに降ってきた。
声は知り合いの誰にも該当しないものだった。一体どこのどいつのものか、その正体は、突如塔の上階から飛び降りてきたハンターだった。
双剣使いだ。
見知らぬ双剣使いが塔の中へ乱入し、あろうことかシドを押し退け、細身の剣でルナルガへと斬り込んだのだ。
ツバキも、ダラハイドも唖然としていた。
ルナルガは、速い。
だがどうしたことか、双剣使いもまた恐ろしいほど速かった。剣の軌道は残像を追うので目一杯だし、身のこなしも軽やか過ぎる。あのルナルガと、まさに互角の動きをするのだ。
美しい双剣の乱舞は、どこかナルガクルガの動きを彷彿させられた。滑らかな尻尾がうねるのと良く似た動きで、全身のバネで跳ねている。
シドは思った。
〝こんな見事な乱舞は見たことがない〟
剣が風を斬る音と、鋭い爪があちらこちらで衝突をする。まるで鍔迫り合いをするように、時折ルナルガと双剣使いは押し合いをして、かと思えば尻尾を振るい毒棘が飛び、しかし双剣がスルリと躱す。
ツバキは気付いた。
いつの間にか、ルナルガの瞳が赤く光っていないのだ。怒りを納め、戦いを楽しむように双剣とルナルガが打ち合っている。時折血飛沫が舞うけれど、どれも取るに足らない些細なもので、やがて双剣使いは地面に大の字で転がった。だのに、ルナルガは追撃せずに咆哮したのだ。それは威嚇を示すバインドボイスとは様子が違った。
ただ、吼え、そして双剣使いの隣に前足をそっと負ったのである。
「はっ、やっぱ、やっぱお前か……!くそ、ばかやろう!」
双剣が嬉しそうな声で言う。言いながら兜を外した。その面立ちにツバキが驚く。
「トウクさん!」
兄の親友、一級品の双剣使いと名高い男が、どういうわけかそこに居たのだ。
「ツバキちゃん、久しぶりだね。塔の上に居た仲間、スラアク使いは、俺の乗ってきた便に乗せたよ。命に別状はなかった」
双剣使い────トウクは朗らかにそう言ったけど、それより信じられないのは、ルナルガが完全に臨戦態勢を解いてしまってることだった。
まるで呑気に、自らの尻尾で遊んでいるのだ。こんな姿を、どうして信じられるというのか。
「こいつを倒すの、待ってくれないか。ドンドルマからここに来る途中、俺なりに調査したんだよ。
結論から言うとな、こいつ、人を襲ってない。〝追い払ってる〟だけだ」
そうしてトウクは、俄かには信じがたい事実を語り始めてた。