観測隊は一連の不可解をオオナズチの仕業と結論付けた。そこの経緯はツバキが「ナルガだった」と言っても受理されなかった闘技大会と大差ない。
とかく「消える竜が現れる」という噂話は、決まって一定の条件下に寄せられたのだ。
双剣使い────トウクは紙にクレパスを走らせ、寛ぐルナルガをスケッチしてる。不思議なことに、ルナルガは大人しくモデルをつとめた。
「あー、消えてる消えてる。お前それ自力じゃどうにもならないのか?」
時折そんなクレームをトウクが言えば、言葉を理解するのだろうか、ルナルガは体制をやや変えた。すると消えかけた姿が霧の中からじんわり浮かぶ。
ルナルガのステルス能力は〝月光を屈折しながら霧に紛れる〟ことで発揮される。故に月が隠れたり、あるいは屈折角度を変えればステルス能力は発揮されなくなるらしい。
そんな考察をスケッチしながらトウクは語った。趣味であるというだけあって、その絵の腕は相当上手い。
「消える竜に襲われたという連中は、負傷こそすれ誰一人命を落としていない。また、共通の目的を持っていた。────厄海に近付こうとしたんだ」
しゃ、しゃ、とクレパスの走る音がする。ダラハイドが唾を飲み込んだ。
「厄海に近付くものを、こいつは追い払い続けてた。近付くなって言ってるんだろう。それで、厄海についても調べてみたよ」
「……トウクさん。闘技大会の乱入は?あれは、厄海に行ったわけじゃないのに」
尋ねたのはツバキだったが、それにもトウクは首を振る。無関係ではないのだと。「ガノトトスやガノトトス亜種だ」……そう説明は続けられた。
「闘技大会の開催にあたって、ガノトトスをたくさん捕獲する必要があったんだ。ほら、タンジアは水中闘技場がメッカだろ。それでガノトトスを追った船が数隻、厄海にまで網を張っちまったんだ」
まさか、そんな理由で乱入などしてのけたのか。簡易的な落とし穴のネットと違い、いくら知能の高いルナルガといえどその捕獲網を切除することは叶わなかった。それで、「あの網を外せ」と伝えるために。言語の話せないナルガによる、最大限の意思表示とでもいうのだろうか。
「出来たぞ」
トウクは描き上がったスケッチをルナルガに渡す。ルナルガは、それを口で引ったくると興味深そうにまじまじと見た。
「なんだよその顔。本当にそんな色になってるって。信じろよ」
少し不服そうにルナルガが鼻息をフンと鳴らした。トウクはおどけて弁解をする。
この並々ならぬ二人の────正確には一人と一匹の関係を、いまいちツバキ達は掴みかねてた。だが、それを聞くのはきっと別の機会だろう。
「ナルガは水棲じゃないはずですね?縄張りにするとは思えない。なんでこいつは厄海に人を近付けないんだ?第一……あそこに生き物がいるはずない」
質問したのはシドだった。彼はタンジアに伝わる言い伝えを知っていた。
道中にも少しばかり触れた話題だ。とある龍をある神話では『世界を滅ぼす悪魔』と名付け、またある御伽話では『大地を創る巨人』と描き、伝記には災厄の化身として名を記す恐ろしき古龍。数多の渾名を持つほどの、恐ろしい龍がかつていたのだ。
厄災の化身の住まう海。それこそが厄海と呼ぶ由来でもある。強大すぎる龍の力は火の雨を降らせ、海を荒波へと変え、また灼熱を齎すことで一帯の生物を死滅させてしまったという。沈んだ島は数十、沈んだ船は数百に及ぶ。なれば、犠牲となった人の数は計り知れない。
近海をガノトトスが回遊する機会はあれど、それ故に棲家とする生き物のあろうはずない地域であった。
だからこそ、ルナルガが封鎖を訴えた理由がわからない。一般に竜が他者を追い払うのなら、それは縄張りを踏み荒らされた場合に限る。にも関わらず「なにも棲まない」場所から人を遠ざける、その動機が謎なのだ。
「確実なのはルナルガが『あそこに近付くな』って主張してることだけだけ。
……多分だが、危険なんだろう。人間にとっても、竜にとっても」
なにか、人間に踏み荒らされては困る理由がそこにはあるのだ。トウクの前でだけ旧友のような顔を見せるルナルガは、しかし別に人間の味方というわけでもないのだ。身を呈して警告するのは、警告のリスクを差し引いても関わって欲しくない理由がそこにあるからだ。
「危険……?」
ツバキは知識の中を漁るが、どうにも思い当たるものがない。それよりもふと気になるのは、なにか、甘い匂いが妙に立ち込めているということだった。
不意にダラハイドの方を見ると、彼は何故か、悲しそうな顔をしていた。
「……ダラハイド、なにか、知ってるの?」
もうじき夜が明ける。完全な夜行性となったルナルガは、朝日を嫌うようだった。
「また会いに来るよ」
トウクがそう言葉をかければ、やがてルナルガは空へと飛び立つ。実に奇妙な友情を垣間見た。トウクは目尻に、僅かな涙を溜めていたのだ。
「……いや、知らないさ」
ダラハイドは結局、知らないと言葉をはぐらかす。ツバキはそれを嘘だと思った。思ったのに、問えば全てが壊れて消えてしまいそうで、問い詰める勇気がどこにもなかった。
「厄海には正式な調査隊が派遣されることになると思う。それまで許可のない人間は立ち寄れないから、ルナルガももう警告はしないよ。
疲れたろ。スラアクの子が待ってるから便においで。狩猟の邪魔をしてしまって悪かった」
そう言ってトウクは言葉をしめる。三人は複雑そうな顔をして、しかしその好意に甘えようと頷いた。この後には、ゴグマジオス討伐作戦が控えているのだ。
……………………
「ノイアーのところに行ってくる」
そうシドが言い残した瞬間に、ダラハイドとツバキは顔見合わせて少し笑った。
ああ、嫌な空気だ。シドは頭をがりがりとかく。絶対に明日からかわれてしまうだろう。そういう話題はそもそも頗る苦手というのに。
そんな照れ臭さや羞恥心がぐるぐる回り、答えのない葛藤に頭を抱え、ノイアーの休む寝室に辿り着いてから戸を叩くまで五分はかかった。
やがておずおずと中に入れば、ノイアーは眠っていなかった。甲冑をとき、インナーだけで布団の上でゴロゴロしている。足首はやはり骨折してたらしいが、それ以外は問題ない怪我だった。既に手当も施され、腕や肩には包帯がちらほらと巻かれてた。
「シド!」
彼の顔を見て、ノイアーはにこりと笑ってみせた。
それがあまりにいつも通りで、シドはどうしたものかわからなくなる。予想だにせず露呈してしまった恋心を、ノイアーが受け入れるイメージがまるで湧きそうにない。
第一、一緒に住んでも隣で寝てても同性みたくしていた彼女が、実は両思いでしたなどどうしたら信じられるというのか。
「……あー……大丈夫か、その、怪我……」
「折れてた。でも平気」
「平気なわけあるか。ゴグマジオス討伐作戦、休めよ」
「え、やだよ。行きたい。シドは?」
「ダラハイドとツバキだけ行かせらんねえよ。ちゃんと迎えくるから、お前俺ん家で待っとけ」
「やだ。一緒がいい」
「ワガママ言うな」
会話はいたっていつも通りで、シドの脳裏を掠めるのは「このままでいいんじゃないか?」という逃げ口上だ。別に気持ちを追求なんかしなくても、ノイアーとはこれからも仲良くやっていけるだろう。シドの理性はまだ猶予を持っていたし、こうして会話するだけで幸せというのもまた事実だ。だからこそ彼は背中を向けて、ゆっくり休めよと言いかけた。だけど、引き止めたのはノイアーだった。
「シド、〝それだけ〟?」
彼女のその一言は、あまりに強烈な威力を持ってた。〝それだけ〟なんて生易しいほど、抱いた気持ちは半端でなかった。もうずっと、ずっとずっとそれは恋というには生易しいほど、彼女を想い続けてる。決して求めて来なかったのは、失いたくないからだった。けれどもし、……。
「ノイアー、お前わかってないんだろ」
「……?なにが?」
「だから、……色々だ」
ああ、なんだってこんなに焦れったいのか。ずっとあっけらかんとしてきたくせに。
彼女との間に築いた絆と、欲求を天秤にかけるようなこの空気を好きになれない。だのに彼女は、ノイアーはいつも、そんなシドの心配なんかまるできかない。
「シドなら色々でもいいよ」
「……、お前なぁ」
「でも私、あんまりその、詳しくないんだよね。経験もなくて、」
「ばっ……いや、ちょっと待て、お前なに言ってんだ」
「ダラハイドが言ってた。シドが欲しがってるもんは私の────」「馬鹿ストップ、待て、ダラハイド?いやいいちょっと待て、わかった、わかった……」
なんだか色々順序がすっ飛ばされてゆく。ノイアーは、こんな時でもマイペースが過ぎるのだろうか。
「わかった、俺がちゃんと言う。ちょっとお前目ぇ閉じろ」
そう言ってシドはノイアーを抱き寄せ、大切な言葉を口にする。
その後、朝日が昇るまでに繰り広げられた熾烈な戦いについては、筆舌に尽くし難いためさておくとする。
……………………
「さっきシドがユクモに寄って欲しいっていいに来たよ。スラアクの子、降ろしてくって」
東に薄っすら朝日が昇る。一定の高度を保つ飛行船の窓の外を眺めながら、トウクはツバキにそう言った。
「ノイアーを?よく説得できたなぁ……」
キョトンとしてツバキが言えば、同時にダラハイドとトウクがくつくつ笑った。
「いやめでたいな」
「若いっていいね」
二人が口々にそう言うから、ツバキもやがて何かを察する。もしかして────
そんな視線をダラハイドへとやれば、「その通りだ」と彼は言った。
「『あいつ昼まで起きないと思うから、その間に降ろしてく』と言いに来てたぞ、さっき」
ようするにまあ、「昼まで起きない」と断言できる根拠がシドにはあるらしい。で、そのシドはといえば、それまでノイアーの隣にいるとそそくさと部屋に向かったというから顔が熱くなってしまう。
どうやら彼の恋路は、非常に微笑ましい方向に向かったようだ。
「ユクモまではまだあるから、二人もゆっくり休むといいよ」
トウクはそう言って欠伸を残し、やがて自らも寝ると寝室の奥へと引っ込んだ。
「デッキに出ないか、ツバキ」
明け方を目前に控えるかはたれ時、青紫の空を見ながらダラハイドは言った。
「……いい、けど」
ダラハイドから甘い香りがしている。ずっと、菓子とも香水とも違うこの甘い香りを、彼女は不思議に思ってた。すっかり慣れたと思っていたのに、改まるほど香りが強くなっている。
ダラハイドはふっ、と笑みを浮かべて、「気になるか」と彼女に言った。
「ゲネル・セルタスを知ってるか」
「……知ってる」
「女王のフェロモンと呼ばれるものを改良したものだ。ゲネル・セルタスはアルセルタスへの命令系統にこのフェロモンを用いるが、その実態は催眠状態に近いという説がある」
ダラハイドの横顔が、遠くを見ている。
「ゲネル・セルタスは体力が低下すればアルセルタスを喰らい、また攻撃手段として投げ付け、自身の一部のように扱う。命を呈することすら一切の躊躇をさせないのは、命令でなく催眠だからだと学者が言ってな。……その説は恐らく正解だった。改良された女王のフェロモンは、雄のモンスターを催眠状態にすることに成功したんだ。そしてそれは甲虫種に限定されず、牙獣種、獣竜種、ついには飛竜種にすら応用することを可能にした」
かつ。かつ。
ダラハイドのブーツの音が響いた。深夜と早朝の境界線のようなこの時間、辺りはまさに静寂だった。
何故彼は、急にこんな話をするのか。ツバキは嫌な予感を抱える。
「このフェロモンは俺の声帯の近くに埋められている。そのため俺の本来の体臭と混ざり、結果、異性にだけ甘い匂いと感じられるようになったらしい。催眠効果は人にはないから安心してくれ」
やがて彼は、甲板への扉を開いた。冷たい風が吹き抜ける。
「昔話をしようと思ってな」
遠目の日光が細く差し、ダラハイドの前髪を柔く光らす。褐色の彼の瞳や毛髪は、赤い太陽を浴びて深紅に似た色に見える。
小麦色の肌、赤く光る目。どうして気付かなかったのだろうか。彼の肌色は、タンジアの人々とよく似てる。
「俺の国は滅んで沈み、無くなった。難民は北の同盟国に流れ込むも、奴隷のような扱いだったな。俺は北の豪族の下働きとされたが、一つの素質を見込まれて養子縁組されることになる。そこが、ダラハイド家だ。
軍学校に進み英才教育を受ける傍らで、一つの実験に加担していた」
「一つの……要素……?」
「特異体質のようだ。俺は、狂竜ウイルスに感染しない」
遠目に空を駆ける飛竜の影が映りこむ。太陽は燃えながら徐々に上がって、世界に朝を齎してゆく。夕日にも似た空だった。吹き抜ける風に髪を横殴りにされながら、ツバキはひたすらダラハイドの話に集中していた。
それは知らなかった事実ばかりで、遠い世界のことのようで、しかし目の前の男の歩んだ人生なのだ。
「一つの国が滅ぶというのは一大事だ。流れ込んだ難民は同盟国を圧迫し、内政に混乱を齎した。やがて滅んだ国土の代わりに他国から領土を奪うため、武力を欲するようになる。そのために行われた研究とは〝モンスターを意図的に極限化させる〟ものだった」
だからこそ、狂竜ウイルスに耐性を持つ彼が、養子縁組までされたのだ。当初は「モンスターを意のままに戦力とする」ための研究機関であったそうだが、真っ先に懸念されたのがハンターという存在だった。狩猟経験の豊富な彼らはモンスターの脅威でしかなく、モンスターを操れても討伐されては意味がない。そんな時に属性を通さず、攻撃を跳ね除け、罠も効かないセルレギオスを発見したのだ。件のセルレギオスがドンドルマで観測されるよりも、時系列にして二年以上遡る。彼の流れ着いたその国は、セルレギオスの縄張りが近くにあったのだ。
意図的に極限化させたモンスターを操れたら、それは最強の兵器だ。研究は予算を注がれて、領土拡大に死力を尽くす。
失敗を重ね、改良を重ね、何頭もの竜を犠牲に、そうして生まれた生き物がいる。
「ツバキ。〝それ〟が、こいつだ。俺が昔イビルジョーから救った卵は、軍に持ち帰り無事孵化された。その時のリオレウスが〝こいつ〟なんだ」
彼がそう右手を上げれば、先ほど彼方に見えた飛竜が真近に迫るではないか。ツバキは目を見開いた。意図的に極限化させられたというそのリオレウスは、全身の鱗を真っ黒く輝かせていたからだ。口元からは狂竜ウイルスの鱗粉がジワジワ溢れてる。それはかつて見たなによりも、禍々しい生き物だった。
風圧に彼女がよろめいた。だのにダラハイドは、もう手を貸そうとはしなかった。悲しい顔でツバキを見つめる。
どうしてこんな事実を、彼は今になって語るのだろう。戦争を目的に生み出されたリオレウス。そして彼は体内に女王のフェロモンを取り込んで、そのリオレウスを催眠状態から支配下に置くことが出来るという。それを証明するように、黒いリオレウスは首をおろして、ダラハイドをその背に乗せてみせた。
こんなことが、あるのだろうか。
「だが、滅んだ国が取り戻せたなら、戦争なんかしなくても済む。ツバキ、俺は行かなきゃならない。戦争を起こさないために」
「待って、待って、ダラハイド……。なんで今……」
「我が祖国を滅ぼしたのはグラン・ミラオスだ。今は厄海と呼ばれる場所に浮かぶ島国だった。
ルナルガの件で確信した。グラン・ミラオスが目覚めかけてる。俺はこいつと、討ちに行く」
「そんな……」
「すまない。約束したのに、もう守れない。そばにいるべきではないからか。
ツバキ、さよならだ。お前は俺の憧れだった」
瞬間リオレウスが翼を開き、飛行船より更に高くへ舞い上がる。
ダラハイドは、去るから、だからこそ全てを明かしたのだ。もう二度と会う気がないから。気が付けばツバキの頬には雫が落ちている。どうしたらこんな事実を、「はいそうですか」と受け入れることが出来たのだろう。
彼女は手を伸ばしたけれど、指先は宙を虚しく掻くだけだった。
彼を乗せた竜の影が遠ざかる。涙で視界がぐにゃりと歪んだ。
美しすぎる朝日の中に、アドルフ・ダラハイドという人間は、宿命を背負って消えたのだった。