かつては遺跡群が存在していたという天空山は、その名残が神秘的な雰囲気を散りばめている霊山である。薄い岩盤が階段のように天へと続くし、蔓と岩で成り立っている足場もある。太古の地殻変動により失われた遺跡と歴史の残骸たちだ。
元は普通の山だった天空山だが、先にも述べた大規模な地殻変動によって、完全に基盤が崩壊していた。結果蔦などに絡まった岩石によりかろうじて山の形を保っているという、非常に不安定な地形となってる。絶えず小石や岩、中にはレビテライト鉱石やフルクライト鉱石の欠片が降ってくるのもそのせいだろう。
そのアイルーは古龍の端材を用いた防具を身に付けており、細く鋭い鎌を背負っていた。
些細な戦力と思われがちなオトモであるが、これで中々侮れない。特に長い間狩猟に付き従い、高いレベルと数多の経験値を持つオトモは、新米のハンターよりよっぽど戦力になるほどである。
そのアイルーの名をレオという。レオは歴戦のオトモにして黒い騎士が唯一背中をゆるした仲間であった。
渾身の力を込めた切っ先が、ゴア・マガラの首に食い込む。ずりゅ、と奇妙な音がした。巨大な剣が引き抜かれると、瞬く間に血が溢れて池を作る。噎せ返るような血の生臭さや、裂かれた外皮から覗く筋肉繊維。まだ冷たくなる前の屍肉とは、妙に生命の名残りが強い。
「……旦那、もう〝その力〟は使わなくていいんです。こっちに来てください」
レオはそう言って騎士の籠手を引っ張った。騎士が蹌踉めく。たった一歩踏み出すだけで、マントの内から血がぼたぼたと落ちてくる。返り血でなく負傷のせいだ。
全てのゴア・マガラが、成体シャガルマガラになるわけではない。身体がウイルスの依代そのものという無理を強いられた生態は、その大半の個体が長くは生きられない運命なのだ。
今目の前に倒れる個体も、きっと邂逅を成した時既に限界だった。吐いても吐いても抑え切れない狂竜ウイルスに飲まれるように、ゴア・マガラは呻きながら朽ちたのだ。猛攻も激闘も一瞬で、あとはただ、のたうつ竜にせめて苦しまぬよう騎士は刃を突き立てた。この生き物は、酷く悲しい。そして奇妙な共感がある。
……そうか、〝そうやって〟生き絶えるのか。なれば自らの行く末もきっと似たようなものだろう。
騎士はそんなことを考える。
「レオ」
「はい、旦那。ちゃんといますよ。目は見えてますか。ほら、秘薬」
「……ああ」
「もう僕は、〝旦那〟が死ぬのは嫌なんです」
そう秘薬を差し出すレオの眼差しは悲しげだった。かつて、敬愛した主人が狩猟で命を落としたことを、レオは今でも悔やんでる。
騎士はレオの頭を撫でた。アイルーにしては硬い毛並みに、仔猫の頃に負ったという傷跡が少しざらついている。
もうかつての仲間はどこにもいない。今は目の前のアイルーだけが、騎士と背中合わせに闘ってくれる。輝かしい黄金時代は終わったのだ。この先の道は、黒く淀むような血塗られたものになるのだろう。わかっていて、それを選んだ。そういうふうにしか生きられないのだ。
一歩のたびに血が滴った。毎度のことながら傷だらけだ。装備の下には、最早数え切れない傷跡がある。この二年、騎士の選んだ戦い方はあまりに保身を突き放したものだった。
まるで足跡みたいに血が続く。小さく呻きながら、しかし「辛い」も「苦しい」も言わない騎士は、その手に剥ぎ取った触覚をぶら下げる。垂れる鱗粉が流した血の色を黒くしていた。
「レオ……?」
その時だ。背後から、一人の女の声が鼓膜を揺らした。
「あんた、その傷、レオじゃ……」
声の主は驚愕に喉を震わせる。
────ツバキだった。
「レオ。私、タイジュの娘の……」
その声が言い終わるより早く、緑色の煙が上がった。騎士がモドリ玉を使ったのだ。
「しまった」とツバキが思った時には既に、騎士はオトモ共々姿を消してた。
後にはただただ、戦いの後ばかりが残される。巨大な岩は砕け散り、黒い沼地のように狂竜ウイルスがそこら中に燻って、地面は爪の形に抉れ、人のものであろう血痕もまたどこぞしこに落ちている。見るだけで凄惨さの伝わるような激闘の跡地の中央には、異形のゴア・マガラが倒れてる。
「モドリ玉……、ベースキャンプだ!」
ダラハイドかもしれない。
真っ先にツバキが思ったのがそれだった。黒い騎士はダラハイドかもしれない。ダラハイドが近くにいるかもしれない。
二年前に失踪したかつての仲間と、黒い騎士はあまりに特徴が似すぎていたのだ。
「ツバキさん、単身じゃ危険だ。一緒にいく!」
走り出した彼女に追従したのは操虫棍だ。大剣もまた一度頷く。
「黒い騎士はどのみち放置出来ない問題です。行きましょう」
今ならまだ間に合うかもしれないと、ツバキは全力で走り抜ける。頭の中は数多の疑問で埋もれてた。
────何故、レオがここにいたのだろうか。レオは、あのオトモは死んだ彼女の父の大切にしていたアイルーなのだ。
ツバキの父は、ユクモにこの人ありと言われた手練れのヘビィガンナーだった。そして彼女が幼い頃に、銀色のリオレウスに討ち取られて亡くなっている。片方だけ焼け残った腕を持ち帰ったのが、オトモをしていたレオだった。レオは泣きながら、父の最期を語ってくれた。
父の死後、レオは他の誰のオトモもやることもなく旅に出た。ツバキの父、タイジュと出会った場所に行くと残して、それからユクモに帰ってくることはなかった。だのに今、さながらお尋ね者のように追われる騎士と共にいる。
隣を走る操虫棍が訝しげにした。
「ツバキさん、タイジュって、イツキさんとツバキさんの……」
彼女は頷く。
「…………うん。父だ。ハンターだった」
一族皆々父の後を追うようにしてハンターになった。父、タイジュは特別許可証の、それも金冠を持つほどのベテランだった。各地で大狩猟をしてきたし、協会にも顔が効く。ツバキに銃を教えてくれた師匠でもある。
その父が、相方と呼んで可愛がったアイルーのレオが、黒い騎士に付き従ってる。ツバキは運命に眩暈を覚えた。
「……間違いなく、お父さんの元オトモなんですか」
「間違いない。レオは顔に傷があるのが特徴だったし、なによりあの防具、あれ、父とお揃いのものだ……」
レオは頗る強いオトモだ。出会った頃は小さく弱かったとも聞いていたけど、ツバキに物心がつく頃には既に、他のハンターが雇用を羨ましがるほど有能なアイルーであったのだ。
スタイルはファイトで、そのためかなり攻撃が上手かった。打撃武器を持たせればスタンをとり、斬撃ならば尻尾を断ち切り、爆弾を投げ付けることもあった。竜の顔面に飛び付いて隙を作ったり、笛を吹いて攻撃力を向上させたりと、戦力も戦法も実に見事なものであると、生前父は自慢気によく笑っていたのだ。
……………………
「…………くそ」
アプノトスの親子を押し退け、ようやっと着いたベースキャンプでツバキは毒吐く。そこは既に無人であり、きっと騎士のものであろう血痕だけが残されてたのだ。
「逃した……。でもレオとダラハイド……なんで一緒に……?」
疑問は喉から落ちてゆくけど、それに答える者などいない。彼女は悔しそうに支給品ボックスを蹴りつける。
「ツバキさん、イツキさんもこちらに向かうと言ってましたし……とりあえずここで待ちましょう」
大剣が言った。ツバキは頷く。
「……ああ、言わなきゃ、兄にも。レオが騎士のオトモになってるなんて……」
ベースキャンプには体力を回復するためのベッドがある。大人四人が寝転がれるほど大きなものだ。
きっと血塗れのままここに倒れこんだのだろう。シーツに残る血のシミを、ツバキはいつまでも睨んでた。
………………
「……ダラハイドとはバルバレで知り合ったんだ。G級じゃないのに天鎧玉を使った防具で、武器も知らない素材だった。怪しいとは思ったけど腕は確かでさ、性格も、……いい奴だった」
焚き火に木を焚べながらツバキは言った。空には星が輝いている。
イツキが合流したのは深夜のことで、大剣と操虫棍は既に寝息を立てていた。
話の発端は「お前のかつての仲間はどんなだった?」とイツキが尋ねたことに始まる。
ツバキは遠くの空を見た。もう、随分時間が経った気がする。当時G級になりたてで、貧困ぶりに酷く喘いでいた頃だ。四苦八苦して揃えたG級装備もろくに強化が追いつかなくて、それで、バルバレに行った。割のいい仕事が舞い込んだのだ。
「それで色々あって、ザボアザギルを狩猟した。シドとノイアーと知り合ったのはユクモに向かう飛行船の上だった。……セルレギオスが飛んできた」
ぱち、ぱち。
火が薪を喰らう音がする。炎の揺らめきは追憶を促すようだった。白い煙が空へと登る。イツキはハンマーに残った血を拭いながら、ツバキの話を聞いていた。
「それからは、ずっと四人一緒だった。ウカムも、ダレンも、砂原でクシャルダオラに会ったのも。……今思えばダラハイドが極限ラージャンを斬れた理由にも納得がいく」
「……戦争の宿命、か」
「……うん。けど、ダラハイドは、ハンターになりたがっていたんだ」
バルバレに帰らなかったのも、きっと国の人間に見つかりたくなかったのだろう。
彼は〝ばっくれ〟たのだ。戦争なんかしたくないから。戦争が嫌で、ハンターになるため遥か遠くのユクモまで行き、ドンドルマでなくタンジアでG級ハンターになった。そのまま、ハンターとして生きていくつもりだったのかもしれない。
……けれど、グラン・ミラオスが再び動き出す兆しを知った。結局ダラハイドは全てを捨てることはしなかったのだ。
グラン・ミラオスを倒せば戦争の動機が消滅するから、彼は今度こそ堂々とハンターとしての道を歩める。ダラハイドは逃げることをやめ、ハンターになるための戦いを挑んだ。
その結末を、知る者はいない。
「お前、ダラハイドとやらがどこの国の出身か知らないと言ったよな」
「うん……知らない」
「帰還したら東シュレイド国に一緒に来ないか。ダラハイドの国はそこかもしれない」
イツキが口にした国は突拍子もないものだった。「シュレイドって、シュレイド城の?」と彼女が返せば、直ぐにイツキが無論と頷く。
かつて黒龍との戦争で滅びた王国が、何故今飛び出してきたのだろうか。イツキはゆっくりと言葉を続けた。
「東シュレイド国は、今もある。トウクのが詳しいけどな」
ここよりずっと遠い場所。ヒンメルン山脈を超えた彼方にその国は存在している。少し歴史の話でもしようか。そう言ってイツキは、水筒の水を一口飲んだ。
・ ・ ・
シュレイド地方と呼ばれる場所がある。大陸の最も西方にある地域を指す場所だ。
シュレイドといえば黒龍と戦争したシュレイド城が有名であるが、その前に語らねばならないことがある。東シュレイドと、西シュレイドについての話だ。
かつては巨大な国家であったシュレイド国は、黒龍との大戦で王都が滅び、その後三分割されるという歴史があるのだ。それが西シュレイド、東シュレイド、そして中立にして中央に位置する王国分裂時に放棄された旧シュレイド王城跡である。
言わずもがなココット村やドンドルマを始めとする現在ツバキの知る村や、王立古生物書士隊、王立武器工匠の本拠地は西シュレイド地方圏である。
王国分裂後の現在では東西相互の交流は皆無に等しい。旧シュレイド城が中立地帯とされており、東西両国が領有権を巡る戦を起こさないために不干渉と定めたためだ。この取り決めによって東西の国交は消極的になり、やがては廃れ、今では互いに対して排他的な性質だけを残している。
ツバキをはじめとする大半の人間が、東シュレイド圏の国や街、体制などの知識をほとんど持たないのもこのためである。
なお気候の面でも違いが色濃い。西シュレイド地方は温暖な気候だが、東シュレイド地方は寒冷地域で年中真冬のようだという。凍土のようといえばイメージもしやすいだろうか。極北と呼ぶ者もいる。
「東シュレイドって、リーヴェル?」
ツバキは尋ねた。リーヴェルとは東シュレイド地方最大の都市にして共和国の首都の名だ。東シュレイド地方に点在する各街と盛んに交流しており、物も人も出入りが激しい賑やかな街ではあるが、先述した理由から西シュレイド地方との交流はほぼ0である。
しかし繁栄する巨大都市であることや、モンスターを利用したソリに乗るキャラバンなど、街の名物が有名なことから存在を認識するものは少なくない。険しい山岳に囲まれた盆地に位置する上、かなり北に位置しているため例に漏れず極寒の街だ。
しかしイツキは首を左右へと振った。東シュレイドに行くといっても、その行き先はリーヴェルではないと。
「東シュレイド国は王政やら共和制やらっていくつかの国へ分裂してる。今はもう一つの国じゃないんだよ。
ダラハイドはその、東シュレイドに残る王国の出身なんじゃないのか」
国交を絶たれた彼方の大地の未知の国。それがダラハイドの出身国なら、出会った当初に噛み合わなかった世界観や〝常識〟の違いにも頷ける。
だが、彼は最後まで国の名前までは明かさなかった。ツバキには国を特定することはできないのだ。
「わからない……。東シュレイド国だって言い切れる根拠が、ないんだ、私には」
イツキは続けた。
「根拠ならあるぜ。二年前、最初に現れた極限化個体セルレギオスの元の縄張りが特定されたんだ。
あのセルレギオスは東シュレイドに残るとある王政国家の領土から来た。その国にはな、ダラハイドって姓の豪族がいる。
もう一つ、つい最近なんだがな。東シュレイドと西シュレイドの境界線でもあるヒンメルン山脈の北部にて、布陣を展開された痕跡を発見した。これについては意見がいくつか分かれるんだが、戦ごとやら軍部の演習やらって見解の識者も少なくねぇ」
……戦争。
その単語にダラハイドを連想せざるを得ない。戦争を起こしたくないと言っていたダラハイドは、今頃どうしているのだろうか。
「そんなタイミングで黒騎士騒動ってなるとな……」
イツキは苦い顔をしていた。これらの根拠は、ツバキの知るダラハイドとあまりに符合がありすぎるのだ。
ダラハイドと特徴のよく似た黒い騎士。それに、戦争の兆し。嫌な予感がみるみる膨らむ。
「……兄貴、わかった。明日すぐにでも行こう」
ツバキは頷いた。
……二年前から、指の間を砂みたいに、大切なものを失い続けてきがしてるのだ。彼女はもう、何一つ失いたくなどなかった。
「でもなんでそんな協力的に?その、今まで二人でクエストとかも、なかったのに」
「お前が一流になったからだ。ってのもあるがなぁ……」
焚き火がみるみる小さくなってく。そろそろ寝るかと言わんばかりにイツキは砥石を仕舞うけど、その視線はとても悲しいものだった。
「……あの日救った少年がもしアドルフだったら、最初の悲劇を起こしたのは俺かもしれない」
そうぽつりとこぼしたイツキの脳裏には、イビルジョーから卵を庇う、幼い少年の姿が浮かんでた。