その日彼女は化け鮫の上ヒレが欲しかった。
G級許可証を得て最低限の装備を揃えたが、いかんせん資金不足で鎧玉を使い切れない。そんな折りに舞い込んだ依頼は上位レベルの簡単なもので、それでいて報酬は割に合わない高額だった。
こんな美味い話もあるまいと、久方ぶりにバルバレへと足を運ぶ。相変わらず雑多なほど賑わっていて、街も集会場も騒々しい、バルバレはそんな明るい街だった。
「ザボアザギルは観測されてない?討伐依頼があればついでに請け負う」
そうカウンターに尋ねれば、周囲の狩人は背負った武器に目を見張った。彼女の武器は許可証無しには入れない地域に生息する、G級モンスターの素材で作られたものだからだ。バルバレ集会場は上位までのクエストしか受け付けていない。それゆえ彼女は目立つのだ。
「二頭討伐なら、流通業者様より依頼があります。生死は問いません」
「じゃあそれでいい」
たった一言イエスと言うだけで、手続きは瞬く間に完了する。書類に判子、報酬の確認、便宜上受注されたそれはクエストボードに貼り付けられるが、彼女に同行者を募集するつもりはなかった。
ショップで弾丸を購入し、後は腹拵えを済ますだけ。好みの食材を言いつけて席に着く。クエストカウンターが騒々しくなったのは、ちょうどそんな時である。
「どういうことだ、 何故許可証を出さない」
声こそ荒げないものの、怒りを孕む男の声が聞こえてきたのだ。
彼女はすぐに察した。ああ、ウカムルバスだろうか。G級とそれ以下を隔てる狭き門だ。ウカムルバスの顎を破り証拠に素材を持ち帰ればG級許可証を貰える決まりだが、あの男はどういう訳か発行許可が下りないらしい。そんな例外もあるものかと、彼女は男へ視線を移す。
そこで、呼吸が一瞬止まってしまった。驚きのためだ。
「天鎧玉……?」
見間違いかと数度まばたきを繰り返す。だが間違いなく男の胴や腰、兜から小手に至るまで、天鎧玉による強化が施されているではないか。独特の輝きを放つため、そうと見ればまず間違いない。
天鎧玉はG級ハンターでもかなりの手練れでないと入手できない強化素材だ。それを、どうしてあの男が持てるというのか。市場に流通はしてないはずだ。だのに、まだ許可証すら持っていない、上位に過ぎ男が装備の強化に使えるなどとは。驚愕のあまり骨付き肉を手に持ったままフリーズしてると、男とばっちり目が合った。
彼が彼女に目を止めたのは、バルバレには滅多に見ないG級ハンターだからという理由だろうか。
「……お前、G級なのか」
ズカズカ歩み寄り、断りもなく男はテーブルの向かい側に腰掛ける。粗暴に見えて、何故か所作には品があった。存外良いところの育ちなのかもしれない。
男の髪は赤みの差す茶で、光の加減で真紅に見える。鋭い目は切れ長で、真っ直ぐな鼻筋と薄ら笑いを浮かべた唇。どこか人を見下すように尊大で、恐ろしく端正な面立ちだった。
「G級でもここに来るとはな。初めて見たが」
「……たまたまだ」
鼻持ちならない態度もそうだが、どこか品定めするような視線も気に食わない。大体、いくら彼女がG級でも許可証を発行できるのは協会だけだ。睨まれる筋合いもなければ意味もない。足蹴にしてやろうかと考えた。が、それより先に驚愕で開口することになる。
「……ちょっと!何してる!」
「なんだ、わからないのか。お前の受注したクエストだろう」
男は言いながらヒラヒラとクエストボードの羊皮紙を摘まむ。さっさとカウンターに持って行き、彼女の許可もなく同行手続きを踏み出したのだ。
男はクエスト受注者欄を眺めて言った。
「ツバキ?男のような音の名前だ」
「私の地元では女の名前だ。あんたなんなんだ、同行者なんかいらない」
「いや、見せてくれ。G級の実力とやらが知りたい」
有無を言わさずそう決め付けて、判子が羊皮紙に落とされた。泣きたいくらいにシンプルなのだ、クエストの受注も、同行手続きも。
こうして数秒で彼は一時的な仲間となり、マイペースに食事を頼む。だがどうにもトラブルメイカーな気配のこの男を、連れて歩こうとは思えなかった。
彼女は食事の速度を更に早める。さっさと腹を満たして、置いてきぼりにするために。
「アドルフ・ダラハイドだ。無駄をするな、俺だって早食いは好まないが苦手でもない」
そう悠々と自らの大剣の刃を撫でて、男は不敵な笑みを零した。
…………
飛行船は高度三千メートルを維持し、順調に氷海へ向かっていた。
出発より早二日、もう一時間ほどで目標地点に到達するだろう。これより徐々に高度は低下し、簡易パラシュートで飛び降りる。下位クエストとは異なり、その危険度からベースキャンプに着陸することが出来ないためだ。
簡易パラシュートは直後に自動的で落下傘が開く。最大の利点はワイヤーにより飛行船がパラシュートを回収出来ることと、重厚なハンターの鎧の重みに耐えられることだろう。反面、短所は降下順や各々の体重、その日の気候により落下地点が異なってしまうことなどが挙げられる。そのため複数でクエストに挑む場合、メンバーはバラバラの地点から合流しなければならない。
「ベースキャンプをなるべく目指すけど今日は風が強い。落下地点がキャンプから遠い場合サインして。その場合は中央の雪原に待ち合わせ場所を変更する」
「……なんだ、サイン?」
あまりに初歩的な質問に、彼女は目眩を覚えた。まがいなりにもハンターランクは解放後であるのに、サインの出し方も知らないなど信じ難い。
「これ。猫笛とも言う。ここ吹けばサインが出せる、使ったことなかったの?」
「……ないな。これか。へぇ……」
面白そうに彼が、笛によく似たそれを鳴らした。なんの変哲もない。彩鳥の鳴き袋を応用したそれは、一定範囲内にいる仲間へサインを送るためのアイテムだった。アイルーへの指示にも使われるため猫笛と呼ぶこともある。
彼の音波を受信した彼女の笛が、単調な音とともに振動する。
「……ただ音が鳴るだけのようだが」
「そう、鳴るだけ。だから予めサインを決める。よくあるのは、大型モンスターを発見したらサインを出すというもの。内蔵された鈴の振動具合から、サインを出した者の居場所も大まかにわかるから、それを目印に合流することもある」
まるで初心者に説明するような気分であった。少なくともランクG級目前の彼に、このような話は不要でないのか。今日までソロだけで来たのか、あるいは世程の無知なのか。
なんだってこんなことになったのか、とんでもない相棒を作ってしまったと、この二日間に彼女ら何度後悔したのかわからない。
「……ダラハイド、あんた本当にウカムと戦ったの?」
アドルフ・ダラハイド。その長ったらしい名前ゆえに、彼女は彼をダラハイドと呼ぶ。
「そう言ったろう。ギルドカードも見せたはずだが」
「じゃあなんでサインも知らないの……」
確かに、彼のギルドカードにはウカムルバス撃退の記録が追加されてた。にも関わらず、G級許可証の発行を拒まれた。更に不可解なのは上位でありながら天鎧玉をふんだんに使った装備品の数々だ。
古龍と同等の実力ある崩竜の顎を割るほどの腕を持ち、しかしサインも知らない。アンバランスな彼の印象は、この二日間で更に奇妙さを増している。
「ツバキ、先に行け。お前の落下地点に合わせる」
「そんなこと出来るの?」
「さあ?やったことはないが、存外上手く行くものだ」
彼の言葉は節々で貴族や王族を思わせる。この品の良さがどうにも慣れない。
「サインさえ忘れないならそれでいい。あんたは気に食わないけど、同行者に死なれるのは気分悪い」
「冷めた顔して情に熱い。じゃあ一つ頼みたい」
「……なに」
「ホットドリンク忘れたんだ」
「……」
ハンターはその強さは勿論だが、同等に下準備にも重きを置く。アイテムが有るのと無いのではそれだけ狩猟に差が開くのだ。まして初歩中の初歩であるホットドリンクを忘れるなど論外でないのか。暑ければクーラードリンク、寒ければホットドリンクが欠かせない。でなければ鱗も毛皮もない人間の皮膚で、どうして過酷な気温に耐えれようものなのか。
「……三つあげる」
ポーチから赤い液体の入った小瓶が三つ取り出される。一見してただの栄養ドリンクだが、こいつは回復薬に次ぐ必需品である。
三つあれば此度の狩猟が完遂するまで効果を持続させられるだろう。残り二つの小瓶を握り締めながら、討伐にかかるであろう時間とドリンクの持続時間を計算する。
「しかめ面ばかりの女だ。感謝するが可愛げはない。その深々被ったキャップを取ったらどうだ」
茶化すような口調に彼女のこめかみがヒクついた。そういえば彼女は、食事中も含め一度も顔を晒していなかったのだ。きっとダラハイドは、彼女の鼻先から下しか知らない。見えないからだ。
「間も無く降下体制に入る。寝言は寝て言って、上位ハンター」
「手厳しいな、G級ハンター殿。言い訳は好かんがお前が出発を急かしたのだ、多めに見てくれると嬉しいのだがな」
「ああそう。素敵な食いっぷりだったよ王子様」
口論が抹消的に思われて彼女は一方的に言い捨てた。しかし振り返ると、いつもの微笑はどこにも見えない。ダラハイドの切れ長の目がパチクリとする。
「王子とは嫌な言葉だな。俺はそんなふうに見えるのか、ただのハンターなのに」
これは果たして動揺と呼べるのだろうか。武器に絡まらないよう器用に落下傘を肩に引っ掛け、今まさに飛び降りようという時に。何が癪に触ったのか。彼は怒りというより焦りにより険しく眉をしかめてる。こんな表情も出来たのかと、彼女は妙な感心をする。
昇降口は開け放たれて、耳を刺すような冷気が粉雪とともに吹き込んできた。氷海と呼ばれる極寒の地に到着したのだ。字の如く凍てついた氷の海は、既に何度となく訪れた狩場の一つである。南西にあるであろうベースキャンプにコンパスを合わせようと指を添えた。その手首を、ダラハイドに掴まれる。
「ちょっ、ダラハイド、離して。王子ってのは単なる比喩だよ。それ以上もたつくならあんたのパラシュートお釈迦にしてここに置いてく」
銃口をまだ背負われていない彼の分のパラシュートに向けながら彼女は言った。重厚感のある巨大な銃身は中折れ式で、女の細腕に抱えられて益々大仰な姿に見える。ヘビィボウガン。一般にこのタイプの武器を、ハンター達はそう呼んだ。
「やってみろ。お前のパラシュートが二人分の重さに耐えられるのならな」
「本当にやらないと思ったら大間違いだ」
彼女に躊躇はなかった。あまりにあっさりトリガーは惹かれ、乾いた銃声がパスンと響く。
その音の軽さから、比較的威力の低い通常弾Lv1なのは明白であったが、それでもパラシュートに穴を空けるには十分すぎた。
これでもう使い物にならないだろう。そして彼が予備を取りに倉庫へ引き返すのを、彼女は待つつもりもないということだ。
「私はもともと、同行者なんかいらなかったんだ。ここでお別れだなダラハイド」
そう得意気に彼女は笑った。これで厄介払いができたと、この時はそう思ったからだ。
「最初からここで撒くつもりだったんだろう。お前は同行を嫌がっていたくせに、飛行船に同乗するのを拒まなかった」
「今頃気づいたって遅いんじゃないか」
「いや、飛行船に乗った時から警戒してたさ」
ダラハイドに動揺はなかった。一体何をと言うより先に、ゴツゴツとした装備ごと彼女の腹は抱えられる。
「やってくれたんだ。二人分の重さに耐えられるのだろ?」
「ダラハイド!ばか、やめて!」
抱えられたのだ。まさか本当に一つのパラシュートを使おうなどと、トチ狂った真似をするだなんて彼女予想もしなかった。身長差のせいで持ち上げられた彼女の足がばたついている。
「わかった、待つ!予備を取って来るのを待つ!離せ!」
「駄目だな、待たないだろう」
躊躇もなければ容赦もまたない。長身の彼は彼女を抱えて、あっさり飛行船から飛び降りた。直前まで慌てた彼女の制止の声は、そのまま甲高い悲鳴に変わる。吹き荒れる風と雪にまみれて、真っ白く装備が染まってく。
「ダラハイド!!どうするんだ!!」
「暴れないでくれ。お前と違ってベルトで固定されてないんだ。さすがにこの高さは死んでしまうな」
ちっとも恐怖する様子のない、悠々とした口調で彼が言う。
「少し力を入れる」
彼がそう言い、回った腕に力が篭る。右手は落下傘のワイヤーを引っ掴み、はぐれないよう左手に彼女を背中側から抱きかかえて落下してゆく。存外器用で、常識知らずのぶっ飛んだ野郎が同行者だと彼女が落ち込む。どうしてこんなことになったのか。思い出すほどにG級許可証の発行を拒否した協会を恨む。
……俺を拒んだG級とやらの腕前が、どんなものかこの目で見たい。
そう悪びれもなく彼は言った。それだけのために、こんな目に合うだなんて思わなかった。
「ツバキ、みろ、ついてる」
パラシュートにゆらゆら揺られて、のんびりとした降下の差中にダラハイドが言う。……秘境だ。囁く声には子供染みた興奮がある。
指差す先は切り立った崖の僅かな窪みで、遠目に見ても光り輝く鉱石が見えた。それに希少価値の高い昆虫もいる。
「それはいいね。問題はどうやって無事に二人で降りるのかだけど。あんたのせいで固定ベルトが中途半端なまま絡まってる」
「こちらを向いて、俺にしがみつけばいい。ワイヤーを斬る」
「…………え?」
ほら早くしろ、と。急かす彼はやはり微笑を浮かべていた。彼女はふざけるなと叱咤したかったが、それより先に彼がナイフを構えるのを見る。彼女を抱えたまま器用に懐の柄を取って、秘境に降りれるようタイミングを測っていた。
「無論お前を離しはしないが、怪我をさせても目覚めが悪い」
「馬鹿かあんた、やめ」
ああ、馬鹿野郎。腹の底から彼女は叫び、しかし同時に上体を捻った。両手を彼の首に回して、振り落とされないようしがみつく。恐らく飛竜の素材を使ったのであろう彼の胸当ては、密着すればチクチク痛い。しかしそんなことを気にする余裕もないままに、ナイフは軽やかに風を切る。
通常、討伐したモンスターの死体から皮や鱗を剥ぎ取るのに用いられるその刃は、強靭なワイヤーをあっさりと切断してみせた。マントがばたばた風に揺れてる。粉雪のまばらについた前髪を間近に見た途端、臓器の浮き上がる感覚がした。浮力を失い、再び落下を始めたためだ。
────待て、待て待て。こうもしがみ着いてはどうやって着地したら良いのか。足に力を込める余裕は……。
慌てる身体を諌めるように、アシュの腕はナイフを仕舞い、そのまま彼女の足まで抱えた。
「地面だ、歯を食いしばれ!」
彼女は舌を噛まぬよう奥歯を噛み締める。泣きたいくらいの不本意を飲み込み、やがて衝撃が下から劈いた。
「…………っ」
積雪に、彼の足が埋まってる。武器込みで総重量百キロを超える彼女の身体を、しかし彼は落とさなかった。
なんて波乱にまみれた到着なのか、放心は未だ彼の首に自らの腕を絡ませたまま、彼女は何度も瞬きしていた。
「あんたは、馬鹿だ……!」
「なんだ。ようやく顔が見えた」
着地の衝撃でズレだキャップをまじまじと見て、背の高い彼はそれをそのまま取り上げる。纏めて仕舞われていた髪が靡いた。
「ダラハイド!!」
「覆っておいて正解だな。火傷でもできたら惜しすぎる」
それは一応褒めているのか。薄い下唇を自らの指で撫でながら、優しい笑顔で彼は言う。どうにも調子を狂わされっぱなしなものだから、怒る気力も削がれてしまう。
「返せ!」
「褒めてるだろう、なぜ怒るんだ」
「いいから!」
どうして自分がこんな風に遊ばれるのか。不本意と不可解に思考はすっかり困惑してる。身長差のせいで届かぬ高さのキャップを奪い返そうと、跳ねるたびに雪がパラパラ周囲に飛び散る。どこぞしこも真っ白で、見渡す限り氷と雪ばかりの世界で。
「ダラハイド、返して!」
その雪の白さに溶け込むように、彼女の肌もまた白かった。
「ダラハイド!!」
「……その呼ばれ方は、軍学校時代を思い出すな。懐かしいものだ」
昔を懐かしむ眼差しは、尊大な性格とは真逆の優しさがある。
「いいから返せ、子供みたいなことするな!」
「子供はないだろう。成人の儀を終えてもう十年ほど経つ」
「……うそ」
「嘘なんかつかない」
ではまさか三十代なのかと、彼女は目を白黒させた。どう見ても二十代にしか見えなかったのに、まさかそこまで童顔なのかと。だがその発言にも彼はくつくつ笑い、つくづく世界は広いだなどと零してみせる。
「よほどお前とは文化圏が異なるらしいな。俺の国では十二で成人の儀を行う。王族の勝手な取り決めだ。子を成人と見なし即位させることができれば、傀儡政権は容易く実現できるからな」
「傀儡って……そんな解釈しなくても……」
「そうでもないさ、事実だから」
こうも断言するならば、少なくとも彼の国ではそうなのだろうか。さして憎悪も含まぬ口調のまんま、腐った国と彼は言う。私欲かなにか知らないが、そう称されてしまうような政治体制にあるのだろうか。
彼女にはわからない。貴族だの王族だの支配階級者は放浪した様々な地方で何度も目にした。だがいずれも無関係な世界に過ぎず、請け負った依頼に応じて竜どもの首を狩る彼女には、依頼人かそうでないかの違いしかない。
「……まあ、そういう頭の沸いた王族がいるのは知っている。間近に見たいってだけの理由で、飛竜の生け捕りを命ぜられたことがある」
「人が良いな。本当に間近で見るだけの訳がないだろう。……卵の運搬依頼が良い例だ」
「……え、運搬もか?!」
なんだ、本当に何も知らないのかと彼は笑った。まさか依頼書に書かれた依頼動機が、全てそのまま真実なわけもないと。
動機の虚偽を考えないわけではなかった。だが考えても真偽なんてわからないし、そもそもそこに重きを置いたことがない。肝心なのは相手が何で、生け捕りにすべき捕獲であるのか、生死を問わない狩猟であるのか。次に狩場はどこであるのか、くらいなものだ。そのため動機など流すように一読しただけだったのに。目を通さない者だっている。
「卵の運搬が、なんだって……?」
心地の悪い話題であった。最近に一つ、それを請けた覚えがあるのだ。
「卵とは子だろう。子を盗み出すような真似を、どうしてわざわざさせるのかわからないか」
「……なんで?美食化に人気なんじゃないのか、確か……」
「ごく稀にだが流通もしてるだろう。簡単だ。野生は懐かない。しかし卵を孵化させ餌付けに成功すれば、人の命令を聞く竜になる」
「嘘だ、竜が人に懐くことも、人に育てられることも……ない」
ないはずだった。少なくともそうというのが常識だった。
だが彼は首を静かにふるのだ。例えば先ほどの話にしても、ただ間近に見てみたいだなどと我儘のために国庫の金を出すはずがない。報酬金が王族の懐なら、すなわち民から徴収された税だからだ。お抱えハンターにこっそり頼むならまだしも、堂々と依頼書にその旨書き込めば非難の嵐に襲われるだろう。
では一体なんなのか。それを、彼は兵器運用のためだという。
氷や炎を高威力で吐き出す魔物を生け捕りにして、魔法のような攻撃を可能にする器官を研究したり、兵器開発の一部としたり。決して表沙汰にならずとも、そんなことは日常茶飯事なことなのだと。
「……かつてドントルマで、古龍撃退設備の一端に雌火竜の火炎袋を利用したと聞いた。そういう、ことなら……」
「なんだ、お前は心底純真なのか。そんな真っ当な理由の方が稀だろう。その大概は戦争のために決まっている」
少なくとも俺の国ではそうだった。そう彼は付け足してから、凍ってしまった空気を紛らわすように彼はホットドリンクを口にした。
「……なんだ、寒くないのか」
それからあっさりキャップを彼女に返し、光り輝く鉱石に目をやる。透き通るような青色が、白の中で光を反射して輝いている。こんな雪にまみれた場所であるのに、淡い色の花が咲き、その蜜を吸おうと蝶が疎らに舞う。秘境だけの、美しく静かな風景がある。
「いや、寒……あああ!」
しかし彼女がホットドリンクを飲むことは叶わなかった。
「ポーチがない!いや、飛行船だ……あ、あんたが急に抱えて飛び降りたからだ!ああもう!」
幸いにもガンナーポーチだけは腰に装備していた。弾薬は山とある。だが回復薬やらホットドリンクを詰めた大切な手荷物は、今や遥か上空にその陰だけを残して遠ざかる。これでは怪我をしてもどうにもならないし、そもそも寒い。
「なんだ、俺に分けたのが幸いしたのか。ほら」
悪びれもなく彼は笑い、小瓶を一つ差し出した。
「安心しろ、回復薬なら俺もある。折角の秘境なのに採取できないのが残念だがな」
「あんたのせいだろ!」
差し出された瓶を引ったくり、半ばヤケになったような一気飲みをした。何から何まで災難続きで、目眩を覚えながらクエストは始まる。
赤い液体は喉元を過ぎ、瞬く間に身体を温めた。吐く息は相変わらず白いが、寒さはもう感じない。三つしかないホットドリンクを分け合ったのだ。残りたった一つを消費する前に帰還しなけりゃ、極寒の地で寒さを凌いで過ごさなければならない。
いささか厳しいタイムリミットを痛感して、彼女は深いため息をついた。
「……マボロシチョウだ」
竜仙花の周囲をひらひら舞う、美しい蝶の羽を指差しダラハイドは言う。言われなくても知っていた。
彼はポーチを持っている。しかし蝶を捕まえようとも、花を摘もうともしなかった。秘境に訪れたのに採取をせず、ただただ景色を楽しんでいる。
「遠慮せず採ればいいのに。不死虫だっている」
「要らんな、売ってるだろう」
「……すごく高価なのに?」
「問題ない」
節々から感じてはいたが、やはり彼は金持ちなのだろう。金銭感覚が異なる。まさか鎧玉による強化が資金不足で出来ない悩みなど、きっと知らないに違いない。
「……故郷は、どこに?」
「……そのうち、な」
そう彼は濁してしまった。深く追求しようとは思わないから、彼女は黙って貫通弾をリロードする。大仰な銃口の更に先端に、後付けでカスタムされたパーツが光る。パワーバレルと呼ばれる、ボウガンの威力を底上げする代物だった。
「見ない素材だな、火竜のものとは違うようだが」
彼女の銃は赤く、色こそ空の王者と名高いリオレウスに酷似している。しかしどこか海竜種を思わせる鱗やヒレが独特だった。
「アグナコトルだ。私のいた地方には生息していた」
バルバレやドントルマからの依頼圏は地底火山だが、これはそこより遥か遠い火の山に生息するモンスターの素材である。標高も中々だが、何より頂上から火口を見下ろすのが圧巻の一言で、アグナコトルの他にもウラガンキンなんかだっていた。
「初めて見たな。行ってみたいものだ、火口が地底の奥ではなくて山頂なのか」
「本来火山ってのはそういうものだ。あんたは……たくさん知ってるようで、そんなことも知らないんだな」
「奇遇だな。お前に対し全く同じ印象を抱いていた」
憎まれ口を叩くのももう何度目なのか。段々、不愉快ではなくなっていた。どんな気持ちの作用だったのかはわからない。
続くハプニングのせいで、ホットドリンクは残りわずかだ。急がねばならないというのに、妙に穏やかな空気が焦燥させない。
結局貶したいのか否定したいのかもわからなくなって、彼女は黙って崖を飛び降りた。
行こう、行かなくちゃ。寒くなってしまう前に。美しい秘境の風景をどこか名残惜し気に彼は眺めて、しかし直ぐに後に続いた。
積雪が着地の振動を吸収する。洞窟は危険が多いからと、それを避けて見渡しの良い進路を選ぶ。
粉雪がぱらぱらと降っていた。