父親の墓には右腕しか埋まっていない。
それ以外の部分は銀色に輝くリオレウスに焼かれ、骨すら残らなかったからだ。
泣きながら父のオトモであったレオは語った。そして腕だけになった父・タイジュをユクモに連れて帰って来てくれた。ツバキがまだ幼い少女の頃である。
ユクモには大きな農場がある。
その奥には鉱石が取れる洞穴があり、洞穴の上は崖だった。見晴らしの良いその場所に、父親の墓標は立てられた。
父のオトモ、レオはそこにいつもいた。泣いていたり黙祷していたり様々だったが、明るい表情でいたことはない。春には花を摘んで供えて、秋には美しい紅色の葉を持ってきた。ツバキの記憶の中のレオは、そうやって父の死に嘆き続けたアイルーだった。
レオの腕は一級品で、装備の強さやレベルの高さからスカウトに来るハンターも山といた。
ある人は言った。〝ここまで立派なアイルーは見たことがない〟〝是非オトモになってくれないか〟
しかしどんな好条件を出されようとも、レオが頷くことはなかった。
やがてレオは、姿を消した。
イツキは樹海に行くと聞いたらしい。タイジュと……父と出会ったあの樹海に行くのだと。
理由は聞かなかった。そしてそれきり、帰って来ることはなかった。
「一つわかることがある。レオは、半端な気持ちじゃ親父以外のオトモはしない。黒い騎士はレオが認めるだけの男だということだ」
脛まで埋れるほどの積雪と、視界を塞ぐような降雪の中、ヘルムに積もった雪を払いながらイツキは言った。ツバキは幼かったから覚えていないことのが多いが、レオは息をのむほど立派なオトモであったのだ。父の知識と信念をこれでもかと受け継いでいた。強く、思慮深く、何より優しい性格だった。
「つまり、戦争を目論む悪党のオトモをするわけねえし、いい人ぶった野郎に騙されるほど間抜けでもねえ。黒い騎士の事情や理由はわからんが、レオが協力するだけの目的があるんだろう」
ホットドリンクを飲んで尚も指先の悴む寒さであった。ヒンメルン山脈はシュレイド地方の東西を分かつ山脈だ。この山脈を挟んで西側は温暖、東側は寒冷地域となっている。
ドンドルマからシュレイド地方に陸路で向かう場合はこの山脈を越えなければならず、直線距離では近いがとても険しい山道だった。ここを越えれば断絶された東シュレイド国領に着く。とはいえ密入国になるために、イツキとツバキはギルドカードなど身元を証明する全てをトウクに預けてた。いざとなったら難民のふりをしようというわけである。
「兄貴……なんで黒騎士は、極限化モンスターばかりを狙うんだろう」
喋れば雪は口の中まで入ろうとする。そのため歩行は必然的に俯きになり、吹き荒ぶ風音のせいで会話は聞き取りにくいものだった。
氷海の気味良いパウダースノーと異なって、ここいらの雪は重く硬い感触がする。じゃく、と鈍ったような音を踏みしめ、二人の足跡は続いてゆくけど、数メートル後ろのものは既に降雪で消えていた。コンパスを失えば遭難してしまうだろう。それくらいに視界はどこも白一色だ。
「わからない……が、人為的に極限化されたリオレウスを従えてると言ってたな。なら、もしかしたら、〝人為的に極限化させる〟ことに関係してるのかもしれない」
「……え?」
「どうやったら極限化ってのはさせられると思う。ただの狂竜化ならウイルスを餌に含めるなり注射なりすれば一定確率で発症するだろう。けど極限化はそうは限らない」
極限化とは狂竜化の影響を克服し、己の力と化してしまった恐るべき状態を指すものだ。
「限りなく極みに迫りし者」とも称され、同じ地域に存在した同種の個体を一匹残らず駆逐してしまうほどの狂暴性と戦闘力を獲得している。
これは狂竜症による命の危機を跳ね返したために得られた力だ。
つまり、平たく言うなら人為的な極限化とは、人為的に狂竜ウイルスを克服させることが本質なのだ。
「……前に原生林で極限化した子供のラージャンに会った。狂竜ウイルスに感染した母親が産んだんだ。だから、抗体があったんじゃって……」
「一理あるな。けど、そいつはあくまで偶然だろう。意図してそれをするのは難しい」
……確かにと、ツバキは頷く。
わざわざ竜を妊娠させるのも大変だし、都合良く妊娠してる竜を捕獲できるとも限らない。また、この方法は胎生でなければならないが、リオレウスは卵生である。
「黒い騎士は極限化モンスターばかりを狙ってる。そして、極限化モンスターだけから得られる素材がある。それは種が違えど共通の形で現れるんだ。なんだかわかるか」
「極竜玉……」
「そうだ」
狂竜ウイルスを克服した竜だけが持つ特殊素材、それが極竜玉だ。
そもそも竜玉とは大型の竜の体内に入った不純物が長年蓄積されて鉱石の様になった物と言われてる。言わばモンスターの結石であり、竜の体内で生成される為か、特異な物質で形成される。なれば極竜玉は狂竜ウイルスの結石ということになる。
「極限化モンスターからのみ発見されるということは、逆に考えれば体内で極竜玉を精製できた竜だけが克服出来たってことになるよな」
「……うん」
「だが感染した殆どの竜が死に絶える以上、この極竜玉を作り出すことは相当難しい筈だ。原理は知らねえけどな。
けど、もし、その極竜玉を移植することが出来たとしたら?」
じく。じゅく。
踏みしめる雪の音がする。甲冑の溝から浸入してきた雪の欠片が、じんわり溶けて足の指を冷たくさせる。
険しいと有名な山脈の傾斜は伊達じゃなく、みるみる角度をきつくする。直線距離ならさほど遠くはないはずなのに、実際に越えるとならば酷く無慈悲な道程だった。まるで、山そのものが人間を拒絶してるみたいだ。
「待って……兄貴、待って……それじゃあ、黒い騎士が極限化モンスターを狙ってるのは、極竜玉を集めるためみたいじゃ……」
鋭い突風が吹き抜けた。痛みすら与えるそれがツバキ言葉を途中で掻き消す。風音は女の悲鳴にも似て、身体を横から吹き殴る。
ツバキは言いかけた言葉を続けたりはしなかった。しかし彼女が噤んだ言葉の続きを、イツキもまた理解していた。
────まるで、まるで、極竜玉を集めることは、新たな極限化モンスターを生み出そうとしているようではないか、と。それを「なんのために」か考えた時、真っ先に浮かぶ言葉は〝戦争〟だった。
「兄貴、ダラハイドと、レオは……」
「全部俺の憶測だ。逆の可能性もある。国が新しいモンスターを生み出す前に、騎士が極竜玉を先取りしてその芽を摘んでる、とかな。
それに、お前がさっき言ったラージャンじゃねえが、抗体をワクチンや予防接種みたいに注射して克服させてる可能性もあるんだ。何が言いたいかって、つまり、色々な可能性を考えとけってことだよ」
考察は人間の強みであるとイツキは言う。予想が当たろうが外れていようが、考えておくことが大切なのだ。未知の事実を前にした時、混乱するだけで何もできない無力な生き物にならないために。
「なぁ、アドルフは喉に女王のフェロモンを埋めたと言ったな」
「……うん」
「シナトのクエスト受付嬢の話だと、黒い騎士の声は〝喉が潰れたように〟嗄れて掠れていたらしい。アドルフは……喉を負傷してる可能性がある。もしかしたらもう、極限化モンスターを支配できなくなってるってことも……」
ゲネル・セルタスから集めた女王のフェロモンを改良し、催眠状態から竜を支配下に置くというのが、ダラハイドに与えられた力である。彼は生まれつき狂竜ウイルスに感染しない体質だった。そのため極限化したモンスターと長時間密接していようとも、感染することなく指示を出すことが可能だと、研究者たちはその成果をダラハイドに託したのだ。
だが、もし喉の負傷が事実であるなら、そのプロセスが破綻してしまうことになるまいか。喉とは施術を施したであろう場所なのだから、そこが潰されたとならば機能は果たして正常であるのだろうか。
黒い毛皮のマントに、王室騎士のようなヘルムを被り、喉を潰され、身の丈を超える剣を持つという黒い騎士。その実態は、人が思うよりずっと脆いものかもしれない。
「……そっか」
ツバキは小さくそれだけ言った。
受け入れなければならない。例えダラハイドが、どのような状態だったとしても。滑らかな声で彼女を呼んだ、ダラハイドの声が脳裏を過る。
連れなくするな、G級ハンター殿。すごいな、ハンターはこんな世界を見てるのか。そうだ、行けばいいだけの話だった。
ツバキ、お前は俺の憧れだった。
────彼の、喉が、潰された。
生きていると知っているのにそれを悲しく思うのは、彼の声が好きだったからかもしれない。……そうか、もうあの声で名前を呼んではもらえないのか。そんなことを考えた。
やがて二人は崖の前に辿り着く。切り立つ岩は高く聳えているけれど、触れて強度を確かめたなら、なんとか登れそうなものだった。
「……ここ登ったらビバークしよう」
イツキはそう言って溝に手をかけ、ボルダリングさながら岩を登り始める。ツバキは頷き後に続いた。東シュレイドまではまだ長い。
……………………
赤い海と、沈む祖国。
年端もいかぬ頃に見た地獄絵図は、色褪せることもなく今尚脳裏に焼きついている。
彼は────アドルフ・ダラハイドは、石壁に水の滴るような、鉄格子の部屋に寛いでいた。窓の外は酷い吹雪で昼間というのに光を通さず、壁の松明だけが光源という仄暗さの中、固い床に寝そべってるのだ。牢獄さながらの部屋ではあるが、彼は投獄されてるわけではなかった。ここは、かつての彼の部屋なのだ。養子縁組される前の、奴隷時代の寝室だった。
古びた木材の扉の下部には、開閉式の小窓がついてる。そこから粗末な飯を与えられるのだ。家畜に餌でもやるみたいに。
それが今では……
「王子、また、このような場所に……」
四、五年程前であろうか。義理の姉……ダラハイド家の養子でなく本当の娘がここ東シュレイド王国の王族に嫁いだ。もとより上流貴族として姫のように立ち振る舞ってる女であったが、これで本物のお姫様というわけらしい。
で、姉が姫なら一族は皇族入りである。王位継承権こそないものの、彼もまた王子の一人ということだ。アドルフはこの「王子」の呼称を酷く嫌った。
「……よせ、王子と呼ばれるのは嫌いだと言った」
「しかし……」
「なら大佐でいい。大佐も嫌いだったが〝王子〟は最悪中の最悪だ」
アドルフにはもう一つ肩書きがあった。
東シュレイド王国軍竜撃部隊大佐というのがそれである。これも蓋を開ければ酷い話で、まず部隊と言いながら隊員はアドルフ一名しかいない。いや、正確にはアドルフと黒いリオレウス一頭であるが。いったい何の大佐なのか疑わしくもなろうものだが、この理由がまたあまりに滑稽なのだ。
曰く「仮にもダラハイド家の者が軍務に就くのに、ショボイ階級では箔がつかない」との言い分である。そんなもののためにアドルフはたった一人の部隊に属し、形だけ大佐の地位を貰った。全てがダラハイド家の因縁なのだ。いや……そもそも、この身体が狂竜ウイルスに感染しない体質だから……。
もう何年前になろうか。あれは、難民として東シュレイド国に追いやられ、ダラハイド家の農奴となって一年経つか否かという頃だった。近隣の森からウイルス感染したジンオウガの亜種が現れ、ダラハイド家の領地へ襲いかかるという事件が起きた。
苦しみからのたうつように暴れ狂うジンオウガ亜種の猛攻は、たくさんの死傷者が出てしまう。四人がかりで果敢に立ち向かってくれたハンターも、うち一人は命を落としてしまったそうだ。それだけ、被害は甚大だったのだ。
ウチケシの実は狂竜ウイルスの進行を緩めてくれるものの、全員の狂竜症を完全に治癒するにはあまりに数が不足していた。そして発症してしまったら、あらゆる抗体や自然治癒力が完全に失われてしまうのだ。こんな恐ろしいウイルスを、王国は野放しに出来ないという決断をした。そのために、撃退後の措置は人道的なものではなかった。
当時まだウイルスの全容が解明されていなかったばっかりに、礼拝堂にシーツや毛布を敷き詰め負傷者たちは閉じ込められた。攻撃を受けた者は狂竜ウイルスに感染するから、感染がこれ以上拡大しないための隔離である。
アドルフもまた、礼拝堂に閉じ込められた一人であった。
町人というものはハンターのように自力で克服する力を持たず、また貴族のように高価なワクチンを投与できる金もないのだ。縋るように僅かなウチケシの実を分け合いながら、狭い教会に押し込められた感染者たちは、粗末な炎で暖を取りながら慰め合った。感染を恐れた医師たちが治療を拒否したために、悪質な隔離環境は軽傷者を重傷者に、重傷者を危篤状態へと変えてゆく。
同時にこの頃から、王国は狂竜ウイルスの研究機関を生み出した。アドルフの体質が判明して養子縁組されたのも、この研究機関が教会に閉じ込めた感染者たちで人体実験を行ったのがきっかけである。
奴隷から貴族になった彼は軍学校に通わされ、傍らでは研究機関で狂竜ウイルスの実験に数多に付き合わされてきた。
難民が雪崩れこむことで荒れた内政が、狂竜ウイルスを領土拡大に利用しようと方針を固める。やがて白羽の矢が立てられた西シュレイド管轄圏に商業の名目のもと派遣された伯父と共に、アドルフは原生林に赴いたのだ。そして、ハンターを見た。
奪った卵を奪い返そうと襲いかかるリオレイア、それを捕食したイビルジョー。果敢に戦うリオレウス。卵を抱えて震えることしか出来なかった幼いあの日、唯一駆け付けてくれたのはハンマーを担いだハンターだった。
思えばあの時からずっと、ハンターに憧れたのかもしれない。そのハンマーは、奇しくもバルバレで出会ったツバキと目元が少し似ていた。
「……で、なんの用なんだ?」
「その、リオレウスがまた……」
アドルフを呼びかけた衛兵はおずおずと言う。ああ、またか。彼は思った。持ち帰った卵から孵ったのは雄だった。……リオレウスだ。数多の失敗を繰り返し、数え切れない竜が死ぬ中、そのリオレウスだけが人為的な極限化に成功をした。しかし極限化せども狂竜ウイルスはそもそも寿命を削ってしまう性質がある。唯一の成功例であるリオレウスを死なせないためには、定期的なワクチン投与が欠かせなかった。それを行えるのは、触れても感染しないアドルフだけだ。他の者が女王のフェロモンを身体に埋めても、触れることが出来なくては意味がない。
「……わかった」
彼は頷く。
リオレウスが拘束されるのは地下だった。
あのとき卵を助けたかった。
けど、これじゃなんのために助けたのだろう。
黒いリオレウスは、終わらない苦しみの中で今尚もがき続けているのに。
アドルフは思った。きっと催眠が溶けたら、最初にリオレウスは自分を食い殺すのだろうと。
歩けば身体がみしりと痛んだ。……二年前の古傷だった。